決意を胸に
「ルシエラ、お前抹茶って知ってるか?」
「マッチャア? 聞いたことないわね」
初めて聞く言葉を、ルシエラは口の中で転がした。
エリオットが、懐から小さな紙包みを取り出した。
「ほれこれだ。隣国との境にある市場で手に入れたんだ」
武骨な指が包みを開く。
鮮やかな深い緑色の粉末が現れる。
「……ふうん、綺麗な色ね。でも、これって草の粉じゃないの? これが何よ」
「東の国から流れてくる貴重品だ。これはな甘くて苦いんだ」
説明を耳にしながら、ルシエラの眉は怪訝そうに寄せられる。
「甘くて苦いですって? 私をバカにするのもいい加減になさいっ。甘くて苦いものがある訳ないでしょ!」
「まあ落ち着け。嘘だと思うなら、指の先で舐めてみな」
エリオットが包みを差し出すと、ルシエラは疑わしげな視線を向けたまま、おそるおそる指先でその緑の粉をひとつまみし、舌の先に乗せる。
「――っ、……っげ、苦い! 何よこれ、ただの枯れ草じゃない!」
顔を顰めて吐き出そうとするルシエラに、エリオットが「最後まで味わえ」と制した。
吐き出すのを堪え、舌の上で転がしていると、最初は脳を突き刺すような鋭い苦味だったものが、体温に溶けるにつれて変化し始める。
鼻に抜けるのは、雨上がりの空のような清々しい香り。
そして後味には、驚くほどまろやかで、ほのかな植物由来の甘みがじわりと残った。
「……え? 何、これ。後から甘い……? スパイスとは違う刺激の奥に、深いコクがあるわ」
「そうだろう。単体じゃあ癖の強い粉だが、これをお湯で練ったり、甘い菓子に混ぜたりして楽しむらしい。砂糖の暴力的な甘さを、この苦味が引き締めて、さらに上の階層へ連れていくんだとさ」
ルシエラは、指についた緑の粉を見つめ、陶酔したように呟いた。
「こんなものがあったなんて……。盲点だったわ。甘さの中に苦味がある、苦味の中に甘さがある……。複雑さが、共存している……素敵…なんて素敵なのっ!」
ルシエラは、自分の指先を見つめていた。白かった肌も、砂漠に来てから日焼けし始めていた。
「お嬢さんが国にいた頃は、最高級の砂糖をふんだんに使うことが『豊かさ』だったろう。だが、この砂漠じゃ、苦味も、辛味も、ミルクの獣臭さも、すべてが生きるための力だ。甘さだけが正解じゃないってのは、そういうことだ」
ルシエラの赤茶色の瞳に、これまでにない野心的な火が灯る。
「……ねえ、エリオット」
「ん」
「あなたたちは、どうしてこんな砂漠で行商なんてしているの」
唐突な問いだった。
だが、エリオットは特に驚く様子もない。いつか聞いてくるだろうと予想はあったのだろう。
「国境をいくつも跨ぐには、どこかひとつの国に属していない方が都合がいい。砂漠の町は、その点では優秀だ。どの国からも等距離で、見張りも緩いしな」
「……それだけ?」
「ああ」
「私はまだ、何も知らないわ」
ルシエラが静かな声で呟く。
「苦みも、辛みも、甘みを独占することしか知らなかった。でも、あの国には、私が知らない何かがある。クラウスを変えた何かが。それだけは分かるわ」
「だから?」
「だから、もっと知りたいのよ。この世界のことを。味のことを」
ルシエラの瞳は、まっすぐにエリオットを見つめていた。
「……この甘さと苦さの共存をクラウスやキャンディー王国に教えてあげたいの」
ルシエラは包みを胸に抱え、不敵な笑みを浮かべた。
その瞳は、もはや仕方なく生きるための労働をしている者のそれではなく、未知の味に挑む職人の輝きを放っている。
甘さだけではない、何かが混じり始めた顔だった。
「いい心がけだな」
「ええ。今決めたわ。未知を求めて旅に出るって」
「えっ!? ルーシーもう行っちゃうの?」
「ピム。エリオットは暫く借りるわね」
「は?」
エリオットが今にも閉じようとしていた瞼を跳ね上げさせた。
「あら、聞こえなかった? 旅に出るって言ったのよ。あなたも連れてくわ。この砂漠を抜けて、世界中の未知を私の菓子に取り込むの」
「……いやそりゃ立派な決意だがなんで俺まで……」
怪訝そうなエリオットに、ルシエラは抹茶の包みを指先でトントンと叩きながら、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「私は見ての通り、何も知らないわ。道案内も、荷物持ちも、野盗の追い払い役も必要でしょう。何より、私の新しいお菓子の味見役がいなきゃ始まらないじゃない?」
「俺を便利屋か何かと勘違いしてないか、お嬢さん。俺は忙しいんだ」
「報酬ならちゃんと払うわ。ねえ、いいでしょうピム」
「んーまあいいよっ!」
隣で話を聞いていたピムが、「アニキ、これ面白そうだよ!」と目を輝かせている。
「あのなあ……」
エリオットは天を仰ぎ、深く、重い溜息をついた。
「……遠いぞ」
「遠くても行くわ」
「砂漠より過酷な道もある」
「砂漠で一回死にかけたんだから、もう怖くないわよ」
甘くて、苦い旅。
少しばかり刺激的なものになりそうだ。




