⑤創作物に対する信頼性
現状は、AIアセンブリと人の創作物が同じ場所に並べられ、その見分けも付かないまま公開されています。
自分が鑑賞すると考えてみてください。
「いい音楽だな」と思っていたら実はAI音楽だった。
「可愛いイラストだな」と思っていたら実はAIイラストだった。
「AIっぽい文章だな」と思っていたら実は頑張って書いた文章だった。
困惑しませんか?
エンターテインメントは、「誰が」作ったのかも鑑賞要素なのです。
それがデータから作られたものなのか、人の努力によるものか、それによって感じ方も変わります。
人の創作物とAIアセンブリではニーズが違うので、ごちゃまぜで並べられると選べずに困ってしまうわけです。
たとえば自分で一皿ずつ選ぶスタイルの食堂で、手作りの総菜と、レトルトの総菜が同じような皿に載って並べられているような感じです。
しかもその事実を購入してから知ったら、さらに困惑しますよね。
コンセプトを持って、ニーズに合わせたものを用意する。
それは、創作者と鑑賞者の間に信頼をもたらすと思います。
実のところAI作品だって、鑑賞に堪えます。
ただ、わたしが知る限りでは、正直に言って人が創作した作品の方がレベルは高いです。
一目見ただけでわかるものも多い。
もちろん人が手を加えて完成度を上げることもできますが、それはまた別の話でしょう。
これもまた、鑑賞者が持つ感情に関わります。
音楽を作るAIについては、軽く触ったことがあるのですが、正直なところAIアセンブリでも違和感がありません。
むしろすごい。
多分、音階や楽器の組み合わせが、絵や文章を作るよりも限られているからだと思います。
ただし、やはり学習元がオプトイン(先に許可を取る)かどうかが気になるところです。
ここは ②著作権の扱いとデータの根拠 でも触れました。
鑑賞者としても、著作権がちゃんとしているものの方が、安心して楽しめるでしょう。
「誰が作ったか」が明確であることが、信頼につながると考えられます。
また、推し作家を追う、ファンとして楽しめることにもなりますね。
食事にたとえると、美味しいだけが正義ではないんです。
スーパーの総菜コーナーのものか、レトルトか、手作りか。
それも知ったうえで賞味したい。
一定以上の美味しさで食べられればどうでもいい、は食事ではなく栄養補給だと思います。
そういう人は、創作者が想定すべき鑑賞者ではありません。
だって、「誰でもいいから見てほしい」わけではないですよね。
自分の作ったものを見て、聞いて、読んで、「いいな」「楽しいな」「素敵だな」と感情を動かしてほしい。
それが根っこのところにあると思います。
鑑賞者も、感動できるものがあると思って来てくれています。
質の問題ではありません。
感動させたい、感動したい。
それがかみ合う人に届くべきものと考えます。
全員が楽しんで感動するものを目指すのは、さすがに修羅の道です。
わたしがべっしょべしょに泣いてもう二度と読むまいと決めた「緑の館」だって、好きな人は目を潤ませながら何度も読んでいるでしょう。
ああいう悲劇は、わたしは好みません。
だって悲しいから(ほとんどトラウマかもしれない)。
あれを読んで以来、悲劇は苦手です。
満足感の高いエンターテインメントにするなら、ニーズと信頼性も考えた方がいい。
わたしはそう考えます。




