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あなたはリラ

作者: 沙華やや子
掲載日:2025/09/25

今日も楽しく仕事だ~。フラワーショップ店員である朗らかな彩璃あやり

あるお休みの日、なにかをみつけるのだ。

(あたしは須多彩璃(すだあやり)35才。フラワーショップ灯し火に勤めて6年。灯し火は小さなお花屋さんで、男性店長とあたしの二人で切り盛りしているフラワーショップ。店長は58才。あたしを娘のように可愛がって下さる。お花のフレッシュな香りに包まれ働くのはとても幸せだ。そして、お花を求め、やって来られるお客様は皆、店内に一歩足を踏み入れると優しい表情になる。あたしのお休みはお店の定休日である水曜日。それと年末年始。あとはず~っと働き通しだが、大好きなお花といつも一緒、仕事と言うよりも半ば趣味。本当幸せ者ね!)


 朝7時半頃出勤し、店長が仕入れてきたお花を水揚げし、お店の掃除をし、店内にお花をディスプレイ。そしてお客様を迎え入れる。オープンは9時。閉店は19時。彩璃は18時には退店する。


 恋人は……残念ながらいない。出逢いが無いの。季節はロマンチックな秋。カッコいい紳士がどこかにいないかしら。


「いらっしゃいませ!」


 お若いお母様と小さなお嬢さんが今日の一番のり。


「ママ! いい匂いがするね!」


「うん、沢山のお花があるからね」


(かっわいい~。あたしもあんな女の子のママになれたら素敵だなぁ)


「あの……」とそのお母様。

「私、お花のセンスがなくてよく判らないんです。でも今日は義理の母達がやって来て、この子の誕生会をするんで、何か見繕って下さらない?」


「わー、お誕生日なんですね!」

 ニッコニコの彩璃。

「お誕生日おめでとう」


 女の子に声を掛けると、女の子はママの足にペタッとくっついてしまいモジモジし始めた。


「ほら、お姉ちゃんに『ありがとう』言いましょう?」


「ああ、良いんですよ! ネ~、御免ね、突然話し掛けびっくりさせちゃったかな。色んなお花を見て楽しんでいてね! お姉ちゃん、頑張って可愛い花束を作るよ!」


「すみません、内気な子で」


「いいえ。ご予算はお幾らぐらいをお考えですか?」


「ああ、折角のパーティですから8000円ぐらいまでしても良いです」


「かしこまりました」


 彩璃は華やかに、とまず赤いバラの花を数本手に取った。そして真ん丸のポンポンマムを添え、ブルー系も、とリンドウも仲間入りさせる。ふんわりカスミソウで包み込む。そして……何だかこちらのお嬢さんのイメージにピッタリだな、と薄ピンクのダリアを択んだ。

 ゴージャスで愛らしいブーケの出来上がり。


「わ~、綺麗!」

 女の子が目を丸くしている。


 これがあるからこの仕事を辞められない。お客様の喜ぶ顔で何だか自分自身のハートの奥にポッと双葉が芽生える、そんな心地に彩璃はいつもなる。


「お姉ちゃんありがとう!」

 女の子が元気よく口にした。


「いいえ、こちらこそありがとうございます! 素敵なお誕生日にしてね」


「はーい!」

 女の子はよっぽど嬉しいらしく、右手を高く上げお返事。


「ありがとうございました。」


 彩璃の毎日は決して派手ではないが、ほのぼのとイイ感じで時間が流れている。

 休日は専らお家映画だ。1950年代~1970年代のクラシカルな洋画がメイン。彩璃はストーリーに入り込み、自分がヒロインとなりアイスクリームを食べながら、時にホットな展開に涙する。


 ある待ちに待ったお休みの日。洗濯物を干そうとベランダに出た。


(なぬ!?)


 一瞬何が落ちているのだろうと思った。取り込み忘れていた洋服? だなんて……。


 それは紐付きの赤い風船だった。といってもフニャッとなりベランダの床に横たわっている。


 そして(あれ?)


 紐の端っこに、透明のビニール袋に包まれた封筒が括り付けられてあった。


(あ! あたし、こういう事昔やったよ? 田舎にいた子ども時代、同じ県内の小学生の女の子からお手紙の返事が来て、暫く文通したんだよな~)


 洗濯籠を一旦部屋の中に置き、しおれた手紙付き風船を部屋に持ち込む彩璃。


「どれどれ?」

 小さい子の仕業だな、とちょっぴりワクワクしつつ封を開ける。


(へッ?!)

 ……目が点になる彩璃。


『こんにちは。僕は関東地方に住む波止琴哉(はしことや)という32才の男性です。風船を拾って下さりありがとう。僕と友達になりませんか』と、LINE IDが明記されていた。


(何! これ。いい大人がこんな事して。だいたいね、あたしもちっちゃくて知らなかったけど、風船を飛ばすと、空飛ぶ鳥の足に紐がひっかかる事もあるの。そんな事考えられるような人じゃないわね! だって堂々と名乗り、LINE IDまで載せちゃって。変人に決まっているわ!)


(ン…?)


 IDのあとに文章が続いている。


『ライラックの花言葉は“友情”』


 ……。(その通りよ。お花が好きなのかしら?)


 洗濯物を干した後その日一日、彩璃はぼんやりしていた。


(何か……気になる。風船男)


 午後3時頃洗濯物を取り込み、その後は取り立てて何にもしない一日だった。

 彩璃はその『琴哉』と名乗る風船男からの手紙を何度も読み返していた。短い文章を。


 そして翌日。また灯し火の一週間が始まる。


「おはようございます!」


「おはよう。きのうはゆっくり出来た?」


「はい、店長」


「そうですか、それは良かった」


 ふと……店内にある輸入物のライラックが目に入った。

 春のお花なので国産は今なく、国産のライラック程は薫らないが、何となく彩璃は鼻を近づけた。ほんのり甘く爽やかな香りがした。


 発見した風船に括り付けられた手紙の最後の文句を想う彩璃。

 店内には秋のお花も誇らしげに並んでいる。そういえば、オレンジの鶏頭の花言葉も『友情』だな~。


                  *


(フ~……今週も充実の一週間だった)


 彩璃はその夜、何だか落ち着かなかった。

 この一週間ずっと心の片隅にある例の風船の手紙。LINE ID……。


(よし! 叱ってやるか!)


 生真面目な彩璃はやはり、鳥の足に紐がひっかかりでもしたら、と思う。大人なんだからそれぐらい知って欲しい。それに、小さな子どもならいざ知れず、大の大人がそんな事をして、拾った人間が困惑するではないか! 説教したくなった。放っておけば良いものを……。それが彩璃なのだ。


『初めまして。貴方の風船を拾った者です。こういう事をすると、空飛ぶ鳥を傷つけかねない事を貴方はご存じないようで、LINEを送りたくなりました。それと“僕は32才男性です。友達になりませんか”だなんて、申し訳有りませんが怪しさ満点です。私はこのLINEを送信し次第すぐに貴方をブロックします。どうしても我慢ならずに、一言お伝えさせて戴きました。ではさようなら』


 でも、そうは書き送信したものの、何故か彩璃はその『琴哉』だと名乗る男性の事が気になってしょうがない。


(うむ。何と返してくるかちょっと待ってみよう)


 結局我ながら悔しいけど彩璃は、夜10時までお風呂にも入らず『琴哉と名乗る人』からの返事を待ってしまった。3時間半待ったが返事はなかった。


(単なる悪戯だったのね。やだやだ)


 一週間の疲れが手伝い彩璃はぐっすり眠った。


 雨音で朝の8時に目を覚ました。


(あれ?)


 スマホを見ると……どうやら例の風船男から返信が来ているぞ。恐る恐るタップ。


『こんにちは。何か……すみません、僕は物を知らなくて。それとあなた様を困惑させてしまったようで、申し訳なく感じております。御免なさい。あの……ブロックされているでしょうから、ほぼ読んで戴けないのだろうな、とは思いましたが、万が一読んで下さったら……と思い文章にしました。では失礼致します。 波止琴哉』


(ン……悪い人じゃないのかな)


 へんてこな好奇心の湧いて来る彩璃。朝ごはんを戴いたあと、いつものように映画を観ていたが、何か気持ちがフワフワする……。

 思い切って琴哉なる人物に返信してみた。


『ブロックしていません。私の言いたい事を解って戴ければそれで良いです。何でこんな事を思い付いたのですか?』


 琴哉からの返信は五分すると返って来た。


『本当に僕が悪かったです。はい、僕は……友達が居ないので孤独で……いい年なのに風船に手紙を括り付けるという事にロマンを感じてしまったのです。子どもの頃、瓶の中に手紙を入れて川に流した事がありました。誰からも返事は来なかったし、それを見ていた近所の大人にこっぴどく叱られました。「それは不法投棄! ゴミになるからもうやっちゃダメだ」と叱られたんです』


(あ! それあたしもやった! 瓶もやった)

 彩璃は思い出した。


『それ、自分もやりました』

 

 彩璃はLINE IDを名字だけにしている。風船男に自分が女性だと知られたくはない、だからあえて“自分”と表現した。

 するとすぐに返信が戻って来た。


『そうなんですね!』


 彼は彩璃が“女性なの?”・“お住まいはどこ?”等、彩璃の事は何も訊いては来ない。だから少し安心している。そこでLINEは止まった。


 数時間すると、何だか彩璃はLINEで琴哉と喋りたい気分になって来た。


『そちらのお天気はどうですか?』


 すぐに返信が来た。


『本降りですよ、少し肌寒いです。でも常緑樹が潤って美しいです』


(あ……この人、やっぱり植物が好きなのかな?)


『自分は花や植物が大好きです』


 すると琴哉が『あ、僕と同じですね。じゃあ僕が飛ばした風船の手紙の最後の一文、お分かりですか?』


『はい』


『嬉しいです!』


 そこで何となく返信をしない彩璃。


 水曜日、人とコミュニケーションをとったのは風船男だけ。琴哉はいわゆる追いLINEをして来ない。だから彩璃にストレスを感じさせない。

 彩璃は接客時はにこやかで丁寧だが、プライベートでは友人を全く求めない。気疲れするから一人の時間をエンジョイしている。映画だけではない。音楽が好きでCDも良く流すし、時々カメラを携えお花の撮影に行きもする。

「友達が欲しい」という感覚は理解できない。

「友達が居なくて孤独」だなんて一度も感じた事が無い。


『ライラックの花言葉は友情』

 琴哉はきっと、本当に友を求めているのだろうな。


「おはようございます」


「おはよう。今日は忙しいよ。配達が4件も入っちゃった」


「大丈夫です、店長。任せて下さい」


「うん、頼みます!」


 ――――(よし、この配達が済んだらもう上がりだ)

 時計の針は夕方5時20分を指していた。


 最後の配達。ファイト!


「行って参ります」


「はい、彩璃ちゃん、お願いしますね!」


 初めてのお客様のお宅への配達だ。ナビをセットしてっと「よし」

 配達へ出発。約20分走ると大きなお屋敷が見えた。

「あそこだわ」

 お宅の前に車を停め、後部座席に乗せていた花束を手にした瞬間(え!)何も見えなくなった。

 彩璃は眩暈を起こし倒れたのだ。

 そして……あろう事か、アスファルトの上で花束が彩璃のクッションの役目を果たしてくれた。そう、お客様のお花がペッシャンコ……酷い姿と化してしまったのだ。泣き出しそうな彩璃。ブーケを作り直し、お花を再度持って来るにしても、まずはお客様にお約束の時刻より遅れる旨を謝らなきゃ。

 彩璃は可哀相な花を拾い、後部座席に乗せ、すぐに玄関インターホンを鳴らした。

『はい』女性の声がする。


「フラワーショップ灯し火です。申し訳ございません。お花を傷つけてしまいましたので、もう一度店へ帰りすぐにお持ちしたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」


『ちょっと待って下さいね』

 つっけんどんな雰囲気のお声だ。


「イテテ」

 待っている間彩璃は、アスファルトにぶつけた腕やお尻をさすっていた。でも頭はぶつけなかった。頭を花束が守ってくれた。


 広いお庭だ。少しでっぷりとした中年女性がツカツカと門までやって来た。いかめしい表情をしている。

 そして彩璃に向かい開口一番「もうすぐお客様が見えるのよ!どうしてくれんのッ?!」


「申し訳ございません。只今大急ぎで店に戻りお持ちします」

 平謝りの彩璃。


「もう結構よ! 要りませんっ、フン!」

 踵を返し、家へ向かって門から去って行くお客様。


 ずっと彩璃は深く頭を下げていた。

 具合は悪い、お客様には怒られる、お花は可哀相……最悪だ。


「ただいま帰りました」


「ああ、彩璃ちゃん、お疲れ様。ありがとう……ん、どうした? そんなに項垂れて?」


「すみません店長。お花を潰してしまい、お客様にお断りしすぐ持って来ると告げたのですが『もう要らない』と言われました。お客様はとてもご立腹で配達は出来なかったんです」


「そうだったの……でもいったいどうしてブーケが潰れたのかい?」


「はい。実は眩暈がして、お花を車から出そうとした時、お客様の門前で倒れてしまったんです。お花はわたしの下敷きになってしまいました」

 ボロボロになったブーケを大切そうに抱いている彩璃。


「お花は仕方ないさ。それより眩暈って彩璃ちゃん、我慢しちゃだめだよ、そういう時は。今すぐ病院へ行って……明日は無理しなくて良いからね」


「はい…。申し訳有りません」


「いいさ、元気が一番大事なんだから。上がって下さい」


「はい」


 彩璃は帰りに近所の病院へ寄った。過労によるものだろうとの事。眩暈を軽減する薬が処方され、医師からは「体をしっかり休めるように」と言われた。


(何だかボーっとする……)


 やっとマンションに到着。食欲がわかないので牛乳に蜂蜜を入れ暖めて飲み、薬を服用した。バタンキューだった。


 翌日は店長もああ言ってくれたしとお店を休んだ。寝そべる事も出来るお気に入りのソファーで何をする事もなく彩璃はゴロゴロしていた。雨……か。相変わらずそんなに食べる気もしないので、卵入りのお粥を作り食した。


(あ、あたしお腹減ってたんだ)とその時気づく。


 テーブル上のスマホをじーっと見ていた。

 どこかで、琴哉からのLINEを待っている自分がいる。でも彼からLINEは来ない。

 彩璃は琴哉に自分の事を伝えてみたくなった。


『こんにちは。具合が悪いです』とだけ……お昼のお粥を戴いた後送ってみた。


 10分ぐらいするとスマホにマークが付いた。

 見ると“波止琴哉”。

 風船男だ! 喜んでいる自分自身に驚く。


 LINEを見ると『こんにちは。大丈夫ですか? お風邪でしょうか……』と琴哉。


『眩暈…。あたしは彩璃という35才の女性です』


 初めて彩璃は素の自分を出してみた。


『教えて下さりありがとう。彩璃さん、女性だったのですね。尚更僕の風船の手紙でご不快な思いをされた事でしょう、改めて謝ります。本当にすみません』


『いえ、もう良いです。あの……あたしはお花好きが高じて、実はフラワーショップに勤めています』


『あ、そうだったんですね! 良いですね、好きなものに囲まれてのお仕事。でもお花屋さんって重労働じゃないんですか』


『はい、確かに体力勝負な所はありますが、良い匂いの中にずっと身を置けて毎日楽しいですよ』


『そうなんですね。僕は大工です。中学を出てすぐ見習いになり、親方のもとで勉強し職人になりました』


『そうですか! ご立派ですね! 職人さんって今減ってきていると聞いた事があります』


『いえいえ、僕はこれしか出来ないだけで何にも立派なんかじゃないです。そう! 彩璃さん、よくご存じで。職人が減ってきているので海外から来ているアルバイトさんも今は多いです』


『なるほど。あ、こんなにお喋りしていて大丈夫なのですか? お仕事のお邪魔では……』


『いえ、僕は今暫く休みを貰っています。実は情けない話なのですが、屋根から落ち骨折し、入院中です』


『まあ! そうだったんですね。お大事にされて下さい』


 こういった塩梅に二人は、まるでチャットでもしているかのように途切れる事なく一時間は互いの事をLINEで知り合った。


『あ、あたし少し疲れてきちゃいました……』


『ああ、長話におつきあい下さりありがとう。またいつでも話したい時はLINE下さいね』


『はい、こちらこそありがと』


 何だか……胸がドキドキしている。

(琴哉さんは……優しい人だな。あたしったら逢った事もない人に、胸を高鳴らせている?)


 彩璃の体調はすぐに良くなり、二日後には灯し火に復活した。


「おはようございます、店長。ご迷惑をおかけ致しました。もう大丈夫です!」ニッコリ!


「ああ、それは良かったよ。うん、彩璃ちゃん顔色が良い。今日も宜しくね。」


「はい!」


 彩璃は毎日、琴哉とLINEするようになった。


 のんびりしていた日々にキラキラとしたスピード感のようなものが加わった。

 ときめきの速度かな? 彩璃自身よくわからない。


 琴哉は埼玉在住という事、琴哉の好物は某チェーン店のチャーシュー麺だという事、琴哉は一人暮らしで料理好きだという事等、どんどん彼の人となりを知って行った彩璃は……自分は東京在住、イクラが嫌い、長い黒髪が自慢、広島生まれでピンク色が好きetc.彼に教えた。

 LINEの文字の上だけで、すっかり二人は意気投合した。


 ある休日彩璃は(琴哉さん、どんな声をしているのだろう?)と気になり始めた。

 そして思い切って『LINE通話しませんか?』と伝えてしまった。

「しまった」という程、直後彩璃は恥ずかしくなり……やっぱり言うんじゃなかったと、今すぐ時間を巻き戻したくなったのだ。

 が……返信はすぐにやって来た。


『うん、イイよ』


 ドキドキ……ドキドキ……。


 緊張の中どうしようと思いつつ通話ボタンをタップする彩璃。


「もしもし……」


『あ、もしもし!』


「あの……彩璃です」


『可愛い声ですね! 彩璃さん』


「ありがとう……」


『今日はお花屋さんの定休日ですね』


「はい」


『あー、仕事早く復帰したいなー。現場今立て込んでるんで』


「ああ、琴哉さんご加減如何ですか?」


『ンー、思うように治んないです……』


「早く良くなりますように」


『ありがとう、彩璃さん』


「今日も映画をさっきまで観てました」


『どんな映画?』


「うん、古~いアメリカの映画です。女優さんの所作がとても美しい!」


『へ~、お洒落な休日の過ごし方だね』


「そうですか? 好きなだけです」


『僕は時々、小説を読みます』


「あっ、そうなんだ! ……ンと、実は、黙ってたけどあたし……趣味で小説を書いているんです」


『わぁ、彩璃さんって多趣味。知的で素敵ですね!』


「そ、そんなぁ」


 “素敵”と琴哉に云われ、一人頬を染める彩璃。


 少し沈黙があり……彩璃が「風船男さん!」っと悪戯っ子のように言い放った。


『ン……。え?』と驚き琴哉が『ギャハハ!』と大笑いした。

 彩璃も笑いつつ秘密を打ち明けた。


「あたしね、琴哉さんの事最初“風船男呼ばわり”してたのよ! 心の中で」


『ウケたよ! アハハハハッ』

 暫く風船男本人は笑っていた。


                  *


「おはようございます!」


「お! 彩璃ちゃん、最近お花みたいに生き生きしてるぞ。さては……何てね。おはよ! 今日も宜しく」


 彩璃の日々は風船男さんが現れたその時からほんわか度アップ。そして輝きを増して行っている! LINE通話を二人は毎日するようになった。


 彩璃は……恋に堕ちた自分に気づいた。


(琴哉さんに逢ってみたい。逢いたい)


 そう強く感じた。その心地よいソワソワ感を持て余し、ついに口にしたのだ。


「ねぇ琴哉さん、あたし……琴哉さんに逢いたいです……。ご迷惑でなければ、お見舞いに行きたいです!」


 すると……何か困っているようだった、琴哉は。でも気を取り直すかのように『ン、良いよ! 傘鳴(かさなり)病院に入院しているの』


(何だ、東京の大病院じゃない!)


『で、受付で“波止琴哉”を尋ねて貰えれば大丈夫だよ!』


「あ、ありがとう。でも、本当に良いの? 正直に言うね。琴哉さん、さっき一瞬考えたでしょう?」


『あー、うん、何だか照れてしまって……』


「そう、あのね……あたしもドキドキしてるよ?」


『うん』


「じゃあ……」と早速、来週の水曜日10時にお見舞いに行く事になった。約束をしたのは日曜日だった。琴哉に逢えるまでの3日間は長いような……短いような不思議な感覚。そしてずっとドキドキわくわくの止まらぬ彩璃。


 待ちに待った水曜日がやって来た。

 念入りにお化粧する彩璃。ネイルは慎ましやかな淡いピンク。清楚なパステルカラーの菫色のワンピースを着た。長い黒髪はポニーテールにした。早めに傘鳴病院へ行き、10時過ぎ頃お部屋へ行こう! と考えた。


 電車の窓から見える空の青は、羊雲を引き連れ穏やかだ。


 9時40分ごろ病院へ着き、受付で“波止琴哉”の名を出した。


「はい、少々お待ち下さい」

 受付係が病棟を調べる。

「お待たせしました。『緩和ケア病棟』の502号室です」


(緩和ケア病棟?! 琴哉さん、そんなに酷い大骨折だったんだ……)

 通常の骨折で緩和ケア病棟を利用するのは稀だ。


 フロアーには10分前に着いた。余り早く訪れても悪いと思い、彩璃は廊下の端にある椅子で10時になるのを待った。


(やっと逢いたかった人に逢える……。それにしても琴哉さんの骨折が心配だわ。あたし、逢いたいだなんて無理言っちゃったかな……)


 10時だ。あんまり長居しないようにしようと考えつつ502号室、琴哉の部屋のドアをノックした。


「は~い! どうぞ」

 あ、琴哉さんの声だ。


「こんにちは」


 琴哉を見た瞬間、彩璃は抱えていた花束を、ギュッと握りしめた。

 とても……とても痩せている。

(ごはん食べられていないのかな? でも点滴をしてないし……)


「彩璃さん、逢えて嬉しいよ……。ン、びっくりさせて御免。僕ガリガリでしょう」


「ええ、琴哉さん、食欲がないの?」

(まさか)


 その時彩璃が思い付いたままの返事が返って来た。


「彩璃さん……僕ね、胃癌なの。末期だよ。骨折も本当だけどね。骨折は大した事なく、入院している理由は癌だよ。まるで噓つきでした。本当に……御免なさい」

 深々と頭を下げる琴哉。


 彩璃は(それでもあたしは、この人が好き! 好き! 好き!)


 逢ってみて尚更感じた。魂が求めている。


「謝らないで下さい。琴哉さん、噓つきなんかじゃない! 琴哉さんは、風船男です!」と彩璃が言った。


 琴哉の目が点になり、直後二人は大爆笑した。


 手提げ袋から花瓶を取り出しお花を生ける彩璃。


「綺麗だね。ありがとう」


“早く元気になってね”の意味を持つガーベラ、色とりどりのガーベラが今琴哉のベッドサイドにある。


「可愛くて、本当に綺麗。彩璃さんみたい……」


「え」


「こんな男が言う言葉じゃないな」


 チュ……。


 ポニーテールにした頭を傾け、彩璃は琴哉の唇を塞いだ。


 ギュ!


 細い腕なのに……凄い力、大工さんの力!? 彩璃は思い切りそのまま琴哉に抱きしめられた。琴哉が言った。


「僕ね、彩璃さんの事、いつの間にか好きになってた……」


(嬉しいっ)


「ねぇ、風船男さん? 他人行儀な話し方、この瞬間からやめない? あたしを……彩璃と呼んで。あたし、あたしも……琴哉を愛してる」


 二人は暫く熱いキスを交わし続けた。


 面会時間は10時~19時で、その9時間ずっといても良いそうだ。でも彩璃は、最初のお見舞いから彼が疲弊してしまうんじゃないかと、15時には病室を後にした。


 それからも彩璃と琴哉は毎日電話でお喋りし、水曜日、必ず彩璃は琴哉に逢いに行く。


 二人はいい大人の男女だ。が、個室の扉をいつ何時看護師やドクターが叩くか判らない。

 だからくちづけしたり、優しく撫で合ったりする、それ止まり。当然。


「琴哉言ってたね、雨の日。『濡れた常緑樹が美しい』って」


「うん、覚えてるよ」


「本当ね、ここからの眺め素敵ね! こんもりした森が見えるのね。色づいてるモミジも見える。綺麗!」


「そうなんだよ、いいでしょ。ウッ……」

 突然お腹を押さえる琴哉。


「琴哉! 琴哉っ、痛いのね? 大丈夫? すぐ先生を呼ぶわ!」


「う……うん」

 ナースコールに即ドクターと看護師が駆け付けた。


「波止さん、大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫です。いつものやつです……」


「頓服を!」

 ドクターの指示に看護師がすぐに薬を持ってきた。


「安静にされていれば大丈夫ですからね、波止さん。お辛い事でしょう。私達がついています、いつでも我慢せず呼んで下さい」とドクター。


「はい、ありがとうございます」

 琴哉は薬を飲み、少しすると痛みが治まったらしい。


 彩璃は、横たわっている琴哉の髪を撫でながら言った。

「よくある事なの?」


「うん……」


(辛い。自分が代わってあげられたら良いのに!)

 彩璃は本気でそう感じている。


 お見舞いの際、彩璃は琴哉のもとへ、必ず様々なブーケを持って行った。ガーベラ以外にも花言葉を考えて。今日は愛の花バラに“信じ合う心”という花言葉を持つブルースターを添えたもの。


 その日、とても体調が良さそうな琴哉。彩璃は10時に病室に入り19時までずっと琴哉と過ごした。今日はロングヘアーを下ろしていた。


 手を伸ばし、彩璃を抱きしめ、彩璃の緑の黒髪に指を入れる琴哉。


「サラサラだね彩璃、美しいよ」と言う。


 二人はもどかしい程に求め合いくちづける。


 彩璃はこんな幸せな恋、生まれて初めてだ。


(琴哉に元気になって欲しい。デートしたい。デートして二人で街を歩きたいわ!)


 琴哉の事を一杯知った。瞳の形や、指の感触だけではない。彼が孤児院で育ち身寄りが全くない事も今では知っている。


(あたしは、あたしは、この人の全部になりたい!)


 土曜日の深夜2時、彩璃のスマホが鳴った。琴哉だ。


(こんな時間に?)


 心臓が何だかバクバクする。すぐに電話に出た。荒い呼吸がきこえる。


「え! 琴哉? 琴哉っ! 琴哉!」


「あや……り、オレもう……ダメだと思う。解るの」


「すぐ行く!」


 彩璃はタクシーを使い病院へ到着した。502号室! 琴哉っ! 琴哉! ノックもせず入ってしまった。

 ドクターと看護師がいる。

 琴哉がこっちを向いて「あ……やり」と振り絞る。名を呼ぶ。

 ドクター達は一礼し出て行こうとする。


「ちょっと待って下さい!」

 彩璃が叫ぶ。

「琴哉を助けて下さい! お願いです、先生行かないで!」

 泣いて、泣いて、必死だ彩璃は。

 しかし、手を必死で伸ばす琴哉が彩璃を掴まえた。


「あ……やり、オレが、お願いし……たの。お願い。傍に、居てくれ。愛してる! 心の底から好きなんだよ……彩璃」


 初めて見る、琴哉の涙。


「うん……うん」

 頷いて琴哉の手を握る。


「あ……やり? オレ、オ……レ居なくなっても、幸せ……になって」


「いやっ! そんな事言わないで、琴哉がいなくなる訳ないじゃんっ! バカ!」


 グイッ!

 懸命に力を振り絞り彩璃を強く抱き寄せる琴哉。

 そしてキスした。何て悲しいキスだろう。彩璃の涙が溢れ出ては零れ落ち、琴哉のまぶたを、頬を濡らす。それでも琴哉は彩璃を離さない。


 そして唇を離し、琴哉が話し始めた。


「オレ、風船男やって、よかったアハハ」

 笑ったって、凄く苦しそう。


「何も言わなくて良いよ琴哉。好き……ただ、好き……」


「うん……愛してるよ、彩璃」

 そう言ってまた強く彩璃を琴哉は抱きしめた。


 もう二人とも何もしゃべらない。ヒックヒックと泣き止まぬ彩璃。そんな彩璃をひたすら抱きしめ続ける琴哉。


 力が……力が……力が……少しずつ、消えていく。琴哉の全部の力がもうすぐなくなる。


「愛しているよ、いつも……琴哉」


 その彩璃の言葉の後、精一杯愛した琴哉の両手が、ブラーンッてなった。


「ああ――――っ! あぁ――――っ!」

 狂ったように泣き叫び、息絶えた琴哉にしがみ付く、抱きつく彩璃。


 そして、ナースコールを押した。ドクターが駆け付けた。

 琴哉の生命の灯りが消えた事が彩璃に告げられた。



 琴哉を失ってから彩璃はずっと、部屋に必ずライラックを飾るようになった。

 花言葉は、琴哉が風船に括り付けた手紙に書いていた通り『友情』。

 それだけではなく、『初恋の香り』。


 誰でもなく、琴哉こそが彩璃の初恋の人だから。




最後に、作者から読者の皆様に秋のお花ダイヤモンドリリーをプレゼントさせて戴きます!!


ダイヤモンドリリーの花言葉は「 あなたに会えて嬉しい 」


やや子が心を込めて綴った作品に、出会って下さりありがとう!


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― 新着の感想 ―
秋の文芸展から伺いました。 せつなくも優しいお話で一気読みさせて頂きました。 風船男との風変わりな出逢いがロマンチックで、そこからふたりが徐々に距離を縮めていくところがすごく微笑ましかったです。 一方…
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