4.現実は斯くも残酷である。【結】
◇◇◆◇
「はー…やれやれ。やっと終わったか。」
ウィルフレッドはソファーに身を沈めながら、やっと自分の役目を終えたことに疲れたため息を漏らした。
何を以って『終わり』を定義するかといえば、それはファラリアンナが本人の意思で下妃宮に住まいを移したことで、一応の段落はついた。
下妃は廃妃になる寸前のものが住まう場所だ。
自由はなく、ただ与えられた環境のなかで生きていくしかない。
成婚式のあの日から一年と四か月が経っていた。だからこそ「やっと終わった。」と言えるのだ。一応の段落だとしても。
「お疲れ様でございました殿下。」
「あぁ…まったくだ。」
労ってくれるのはこの茶番にキャラクターとして付き合ってくれた臣下たちだ。
「これでようやっと最愛のリリアーナと新生活を歩めるとあれば、安心したよ。」
「まぁそうですよね。僕だって婚約者に睨まれるのはもう御免ですよ。」
「はは、そう云うな。殿下の心労に比べれば我々など微々たる負担さ。」
「いやまったく。」
気が抜けたのだろう、軽口を叩くのはこの馬鹿げた【恋する乙女の正義~追放された悪役令嬢は無自覚にザマァする~】という神託を忠実に再現すべく振り回された者たちなのだから。
始まりは一冊の本だった。
表紙のカバーには何故か自分によく似た男をはじめとした男が複数人描かれており中心にたたずむ少女を取り囲んでいる。
また中にも数枚写実的な絵があり躍動的だったり華やかなシーンだったりとが内容に合わせてあるのだ。そんな出来事など身に覚えがないのに、だ。初めてその本を読まされた時はゾッとしたに決まっている。あり得ない自分の未来が書かれた本であり、なりたいとも願わない自分の姿がそこにあったのだから。
「初めてあの本を読んだ時には吐き気がしたよ…」
一体全体、王である父上や神官長らは自分に何を求めてこんなものを読ませているのかと混乱した。わざわざ作ったのだろうか?こんなものを?と。
内容は大衆向けのロマンス小説だった。だが表紙や挿絵もそうだが登場人物の名前までもヒロインを除いてすべてが見知った人々であったことも不気味さを感じずにはいられなかった。
しかも後日に「それは未来予知の書だ。」と言われて絶望した。
だってそうだろう?
この本が未来を予知しているというなら、この国の未来は暗澹たるものにしかならないと幼い自分にだってわかったのだから。
内容は本当によくある大衆向けのロマンス物語でしかない。つまりご都合主義がふんだんに盛り込まれひとつも現実に即していない。そもそも男登場人物が次々にヒロインに恋して己の婚約者を蔑ろにするところなど理解できないし、そんな不誠実極まりない男にチヤホヤされて喜んでいるヒロインなんて見ていられるものではない。
そのうえ物語通りになったとしたら望んでもいない王太子任命など…何かの間違いだとしか思えなかった。俺は第二王子だぞ?兄上を敬愛し支えたいと努力してきたこれまでの時間はどうなる。
いや、そんなものより王太子となるべく生まれてからもこれから先も重責を背負い厳しい教育をこなしていた兄上やその兄上を支えて共に努力していた義姉上さまはどうなる?
預言書とよばれる本に書かれている通りに笑顔で祝福などするものか。よしんば事情があり祝福されたとしても、俺がその事実を許せない。
「どうして俺が、こんな男に幸せにしてもらうことしか考えていない女なんかを愛して、あまつさえご機嫌を取らなきゃいけないんだ? 相手は隣国で追放された無能の女なのに、だぞ。」
「そっすよね~」
「ほんそれ」
だから行動を起こすことにした。
男登場人物でありヒロインに恋するキャラクターとして書かれている側近候補たちを巻き込んで隣国の公爵令嬢であるファラリアンナの身辺を調べ、監視まで付けた。
それと同時に父上や母上、その他にも物語に一文でも名がある王族派であり忠実な臣下でもある方々には助力を願った。というより、話をしに行った時には既に内容を把握していていたようで、ある意味、あの神託の書を読んだ俺がどういう行動に出るのかを試していたらしかった。どうやらお陰で俺は合格を貰えたらしい。もし行動を起こさず神託の書のような未来を待ち望むのであれば、それ即ち兄上を謀る心根の持ち主であると。(もしも俺がそんな心根の持ち主だったなら物語が始まる前に処分してしまえば何も始まらないものな…納得する。)
そうして合格を貰えたからか、この神託に隠されたこの国の過去から未来に続く秘密を俺は知ることになったのだった。
曰く。全ての原因は隣国の強い聖女信仰にあるそうだ。歴史の教科書にある数百年前の魔王が存在した時代には聖女召喚は各国で頻繁に行われていたものが名残として残っており、神聖力を持った少女を異世界から召喚することで国教の神と同列の存在を王室に迎える事で教会に対抗する信仰と支持を集めたいという思惑から。…だと。
「混沌の時代はもう終わったのに何やってんだ…」としかおもわないが、それでも隣国はそういう考え方しかできないんだろう。
聖女のネームバリューが欲しいだけならこの発展した時代では魔力の強い女性はみんな聖女になれると思うのだが…異世界からの召喚少女というのが重要なのかもしれない。
だけど結果として、異世界の人間の血がこの世に広く子供として孫として繋がってしまったのも事実で特に王族にその影響が強く出るのは聖女を娶れるのは王族が主だったかららしい。つまり王族の縁者は異世界の血が他に比べて濃いのだ。
異世界の人間の血縁者……時折、この世界に異世界の記憶を持った人間が生まれるようになったのはそのせい。所謂「転生者」と呼ばれる人々のことだ。
覇王と名高かった俺の曾おじい様である先々王もその転生者で、国の発展に大きく寄与した偉人である。
おじい様以外にも転生者はこれまで様々にこの国を、世界を発展させてきた。
………しかし、発展し切ったこの世界では、もう「転生者」は珍しい存在ではあるものの重宝するものでもなくなってしまっている。
目新しい何かという付加価値を本人が出せなければ、ただの「前世の記憶がある」だけの普通の人だ。
あと、ファラリアンナが公爵家の令嬢であり王太子の婚約者だったのにあっさりと国外追放になったのも、彼女の家が『異世界からの聖女』を養女としたからだ。王室としても実家としてもファラリアンナに固執する必要性が無いと判断された、ある意味では彼女も歪みの被害者だが、信託の書のヒロインになっているので当事者でもある。むしろ俺からすれば加害者だ。
神託の書は、この国が聖女召喚などというものを願わない代わりに、召喚された聖女によってこの世界に起こる歪みを教えてくださるように願ったことで一冊の本がポンっとこの世に落ちてくるようになった。…らしい。いや、この国に、か。
確かに内容をチープな恋愛物語に注視しなければヒロインに巻き起こる事件はこの国の未来の事件だ。
ただそこには必ずヒロインが巻き込まれることで、他の誰かが解決解決し事後処理から何からやっているであろうことも物語の都合上ヒロインの手柄となっているだけのことを鵜呑みにしなければ、未来予知の書といえなくもない代物である。
また。監視していた隣国の、いずれ婚約破棄され国外追放になるらしい公爵令嬢のファラリアンナにもある瞬間から不審な点が増え始めた。
彼女は監視当時は物語のヒロインらしからぬ少女だった。公爵令嬢という責務の重さを理解し真摯に努力する好人物であったのだが、あのクソみたいな物語が始まる数年前から人が変わったように馬鹿になった。
そもそも「悪役令嬢がザマァする」という系統の話は転生者であることが定石であるらしい。
ファラリアンナはヒロインの物語では直接的な意趣返しではなく「追放したのに格上の国の王子に見初められる」という「…ぐぬぬ」感とやらがスカッとするポイントのようだ。
当たり前だけれど…異世界人や転生者だからといって全員が全員、人格の素晴らしい人間とは限らないのはしょうがないことなんだろう。
(だってもしもファラリアンナが監視していた当初の頃のような元々の人物であったなら、追放されるような無能では無かったはずだろうし。)
公爵令嬢としてその立場から取れる手はいくらでもあるのに、その手段をとらなかったのは無能であるからだ。
貴族社会とはある種残酷なもので、考えることや発想の無いものには厳しい。たとえ溺愛する娘であろうとも生き抜く力や意欲がが無ければ即座に切り捨てるのが常だ。幼少からの無理難題ばかりな厳しい教育は思考力を育むために必要なものでもあるのに、何も考えられない唯々諾々と従う子は失敗作に等しいのである。
だからファラリアンナは追放されてこの国に来た。来てしまった。
故に悪夢みたいな時間が始まったのだ。
物語の通りに彼女を助け、側近候補もキャラクターを演じる為に彼女に夢中であるようなそぶりをし、幼少より絆と信頼を育んできた婚約者との時間やプライドを犠牲にした。
神託の書の恋愛ストーリーよろしく上辺だけの愛を演じるだけで彼女は満足していたようだし。
それはヒロインに苦言を呈する役柄の彼らの婚約者たちも同じように感じたらしい。神託の書と同じシチュエーションで同じ台詞を言ったらば、物語通りの反応をされたそう。だがヒロインであるファラリアンナの目には喜色が満ち下卑ていて気持ち悪かった、と。
嫉妬されて喜ぶなど下賤すぎて、貴族令嬢たる彼女たちには未知の感情だったのだろう。
(…まぁ、普通に嫉妬されて喜ぶなんてありえないもんな。自信があったら馬鹿らしいとしか受け止めないし。)
だけど嫉妬されて喜ぶってことは、自分に自信がない奴が自己肯定感に酔うからニヤニヤするんだ。それは下民の感覚で、貴族以上が持ってはいけない感情として躾けられるはずの、常識なのに。
貴族以上は嫉妬された瞬間から相手を見下して言葉を交わすことも拒否する権利を得るし。
逆に言えば嫉妬した時点で敗けなのだ。
自分に無い発想を言葉として受け取ったらその言葉の真意を読み次に繋げる思考力をもって笑顔で対応する余裕が無ければ貴族足りえない。
要するに、想像力があって頭のある人間は嫉妬の感情は悔しいという自分の感情、自分自身の未熟さに由来するってことに到達し、だったらどうすりゃいいのかって考えに至れるから、その逆張りで嫉妬を露わにしたり喜ぶ人間を忌避するんだよな。みっともなくて見ているだけで恥ずかしいから。
そんなこんなあって、どうにか神託の書のエンディングまで進めることができた。いよいよの大詰めはプロポーズ。それから結婚式で華々しいフィナーレを迎えるのだ。
勿論、やった。
意に添わないプロポーズも自分の役目だと自身に言い聞かせながら台詞通りの愛の言葉を捧げ、事情を知る貴族を招いてパーティーまで催した。
(あのパーティーは冷や冷やしたがな…)
実際には国民どころか一部の貴族を除いては彼女の存在を明らにしていない。つまりは用意した茶番だ。
公爵令嬢としての立場であったなら人数が小規模であることに気が付かれやしないかと不安に思ったのだ。だが、ファラリアンナはやはり常識が無かった。あんな小規模のパーティーで納得し満足したのだから。
初夜は回避すべく酒精の強い酒を飲ませ酩酊させたし、翌日はどうする前に本人からアレコレ言い訳を並べられたので回避できた。
記録にある通り、転生者の中でも特に女性は色事を不得手とするらしいというのは本当だった。それ幸いとばかりに回避し、三日目は「この日を乗り切ればファラリアンナ側の明確な意思表示による白い婚姻」という口実が作れるので何が何でも回避すべく夕食に睡眠薬を混ぜて食べさせた。
あとは逃げるように王城を空けて物理的な距離と時間で離れて、後のことは母上にお任せした。
王家というか国の政治的な思惑から、彼女から聞き出せるだけの情報を絞りたいというのもあって。
まがりなりにも王妃教育を済ませた公爵令嬢である彼女は隣国の情報の宝庫だ。利用できるならしたいとおもうのが国を担うものにとっての性だろう。
女性同士なら口が軽くなることを見越してのことだったのだが、……あろうことかファラリアンナは母上の執務室に姿を現しもしなかったというのだから、驚いたってもんじゃない。
隣国では王妃はただ遊び惚け贅沢を享受するだけで働きもしないのが通常なのか?と。しかし教育課程で政治についても学んでいたはずだし、なによりおさらいで我が国の王妃教育を軽く施しても難無くこなしていたのになぜこんな非常識な真似を?などと疑問が渦巻いたまま帰城し顔を合わせたのだ。
すると彼女は、何も考えていなかった。転生者だからなのだろうか?一切、自分には非が無いとおもっているのがありありと判り、非常識さに脱力するやらほんの少しはあった後ろめたさも霧散する安心感があった。
国を追放されれば元が公爵令嬢であろうとも立場を失い流民と同等の下民だ。それは分かってはいたが、身についた立ち居振る舞いのせいで彼女が貴族女性であると思ってしまっていた自分の思い違いに恥ずかしくなった。
元公爵令嬢でも下民であり、この忘れそうになると虚を突くような非常識さを見せるのは前世の記憶がある転生者だからなのだろう。
『優雅で賢そうな、馬鹿。』それが前世の記憶を取り戻したファラリアンナだ。
彼女がどれだけ自分の失態を挽回しようと足掻こうとも、先に手を打っていたので転生者相手でも恐れるに足りない。
むしろ母上は回す書類仕事は撥ねたゴミみたいな陳情書の束の整理をさせていたが、そのなかにはいくつか重要な案件に繋がる意見書も混ぜていたらしい。それを見抜き報告することが出来ればそれなりの扱いをするつもりでいたようだ。
まぁ、でもファラリアンナだから…。
身勝手な要求や文句ばかりの陳情書をずっと見ていると脳が疲れる。しかしその泥中から光るものを見つけるのが仕事なのに一緒くたに判断しているということは、彼女はちゃんと考えながら書類を読んでいないということになる。
となれば結果は出せない。それでも前世の知識をひけらかそうとするので、丁寧に説明し却下をする。…というのを繰り返しているうちに、彼女は使い物にならなくなった。そもそもが預言書の中の未来に起こることのトリガーだっただけで、エンディングを迎えてしまった後は用済みだったのだけれど。
最初こそ、転生者ということで付けていた有能な従者は執事から筆頭に王子妃宮での職を辞させ元の職場に戻した。それを皮切りに彼女は自ら有能な人物から切っていき、残ったのは爵位を受け継げず目立った技能も無い「王子妃という立場のファラリアンナ」に阿るだけでしか活路を見いだせない無能だけだ。
掃きだめ口になってくれてありがたい。ああいう輩は世に放ってしまうと問題を起こしかねないからな。
監視役の執事をはじめ侍女も従僕も雑用係まで数人は王家の配下が潜り込んだままなのも、彼女の人を見る目の無さが幸いしている。
(ファラリアンナに転生した彼女が甘言にしか耳を傾けられない馬鹿でほんとうにやりやすい。)
易きに流れるなど下民の思考だが、無駄な向上心が無いことはこちら側としては助かるばかりだ。
散財に関しても。
彼女の貢献は人間性に関係なく褒賞として計上しているので民の納めた税金も無駄にはなっていない。それだけの貢献をしてはくれていたのだと解るのは王家と一部だけだが。
しかしただ無駄にするのも嫌なので彼女の予算から宮の修繕などをするように誘導させた。
まぁ、でも割り振った予算的も残り六年で枯渇する計算だ。最低でも10年は悪役で居てもらわねば。
その期間を待たずしても使い切れば、子も成さず、税で贅沢の限りを尽くした彼女は民の標的になる。
民のみならず貴族からも非難を浴びる捨て駒には最適だ。
人の口に戸は立てられない。
王家が信頼を置く貴族にのみお披露目された第二王の王子妃は隣国から追放された元侯爵令嬢だなんて、それだけで勝手にあの預言書のような恋物語が人々の想像を掻き立てる。
民にはお披露目されない王子妃という存在に、彼らは勝手に理想を重ね期待することだろう。
だがしかしいつまで経っても姿を現さない。それどころか自分たちが期待したようなことも一切ない。
それだけではなくファラリアンナは第二王子妃の名を使い市井の菓子屋に使用人を遣いを出していたりと噂になり周知されてもいる。そんな小さな違和感や不満が重なれば彼女の菓子程度の散財でも「あれ?なんかおもってたのと違うぞ?」と眉を顰められていく。
けれども話だけで膨らむ不信感は、本当に何もしないファラリアンナのせいで行き場を無くし燻ぶるばかり。
そういう民の不満が溜まった頃に、兄上は盛大な結婚式を挙げ同時に王太子としての期待と地位も盤石にした。
予言の書にあったような成婚式よりももっと煌びやかで豪華絢爛、王都市街をパレードで飾りこの日だけは下民も流民も関係なく祝酒を振る舞う歓喜の日となった。
…となると、第一王子婚約者であり王太子妃になった義姉上と第二王子妃は比較されて仕方ない。
第一王子の婚姻は成功で、先の第二王子は悪妻を掴んで失敗した、ってな。
ファラリアンナのせいで俺自身が笑いものになろうとも、構わなかった。そんなことよりも兄上や義姉上がより民心を掴むのならばいくらでも道化になったって満足だ。