表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

英雄の遺志(いし)を継(つ)ぐ者③

ペリー来航時 嘉永6(1853)年 (※実年齢です。誕生日を考慮していませんすみません。)


江川英龍 52歳

斎藤弥九郎 55歳

斎藤新太郎 25歳

柏木総蔵 29歳

桂小五郎 20歳

矢田部郷雲 34歳

望月大象 25歳

中浜万次郎ことジョン万次郎 26歳


江川籌之助(じゅのすけ) 2カ月

 1年で一番暑い時期だが、潮の香りをまとい通り過ぎてゆく風は存外(ぞんがい)気持ちがいい。



「この海の上に人工の島を造って砲台を築くなんて夢のようですね!!


どんな光景になるのか想像もつきませんが、江川先生の頭の中にはきっとはっきりと完成後の姿が見えてるんでしょうね!!」



 新太郎の隣で若い男が目を輝かせている。



 髪型や衣装は中間(ちゅうげん)(武士に仕える召使(めしつか)い)のそれだが、育ちの良さと見目(みめ)の良さが隠しきれていない。新太郎は笑いをこらえながら「そうだな」と(うなず)いた。



 昨年、長州藩(ちょうしゅうはん)(山口県)から自費で江戸の練兵館に留学してきた桂小五郎(かつらこごろう)は、英龍が幕府から命じられた台場築造(だいばちくぞう)のための見分(けんぶん)をどうしても自分の目で見たくて


「柏木さん、どうか俺も連れて行ってください!!」


と総蔵に懇願(こんがん)したらしい。江川家の家臣は皆、練兵館で剣術を学んでいるため小五郎にとっては身分差はともかく先輩にあたる。


 柏木総蔵もこの若者の情熱に何かを感じ取ったのだろう、


「長州藩の者だとバレたら不味(まず)いので、中間(ちゅうげん)にでも変装してもらいましょうか。人数に加えられるよう、殿様に掛け合ってみましょう。」


(こころよ)()()ってくれた。


 総蔵からそれを聞いた英龍も


「弥九郎が最近目をかけている者だそうだな、同行は長州藩の未来にも(つな)がるだろう。


良いだろう、連れて行こう。ただし、弥九郎や新太郎のそばを離れるなと伝えておけ。」


とどこか嬉しそうに許可してくれたそうだ。


「それにしても、柏木さんって裁判を担当する文官(ぶんかん)ですよね?何で測量(そくりょう)まで出来るんですか?」


 江川家の家臣団の優秀さを知らない者は皆一様(みないちよう)に小五郎と同じように(おどろ)くが、新太郎は子供の頃より知っているので得意げな気持ちになる。



「測量だけじゃないぞ。総蔵さんはあのおとなしそうな見た目で大物の博徒(ばくと)捕縛(ほばく)したし、かと思えば伊豆の博徒(ばくと)大親分(おおおやぶん)(たく)みな説得で改心(かいしん)させたんだ。」



 総蔵は文武両道(ぶんぶりょうどう)の優秀な者ばかりの江川家家臣団の中でも一際(ひときわ)優秀で、「一度見聞きしたことを忘れることがない」とまで言われていた。


 英龍は常に総蔵を側に置き、己の仕事を見せ、付き合いのある者達と総蔵を引き合わせ、総蔵に自分の理念を(あま)すことなく全て伝えた。いずれ自分の後を継ぐ息子・保之丞(やすのじょう)(のちの英敏(ひでとし))を(たく)せるように総蔵を(きた)え上げた。


「総蔵さんが口喧嘩(くちげんか)で負けた話を聞いたことがない。味方でいるうちは心強いが、敵に回すと手強(てごわ)いぞ。」


 剣の腕では負けるはずのない新太郎でも、総蔵の胆力(たんりょく)には一目置(いちもくお)いている。



「へぇ~、俺には物腰の柔らかい親切な方としか感じられませんでしたが。」


「そうだろうな、だが今総蔵さんと一緒に測量している矢田部殿(やたべどの)とはよく仲違(なかたが)いしているぞ。」



 新太郎に言われて小五郎が前方で測量をしている者達に目を向けると、2人が何やら言い合いをして、横からもう1人がそれを(いさ)めているように見える。



 総蔵と言い合いをしている矢田部郷雲(やたべきょううん)もまた、英龍が『ぜひ我が韮山で働いてほしい』と懇願(こんがん)し、総蔵らのように公的(こうてき)(やと)っている手代たちとは別に、私的(してき)に雇うことにした逸材(いつざい)である。


 郷雲(きょううん)は蘭学者であり医学の心得(こころえ)もあり、砲術も(たく)みで銃の腕前も屈指(くっし)の実力者である。総蔵が大物の博徒(ばくと)討伐(とうばつ)に向かった時、同行していた郷雲もまた博徒(ばくと)()ち取っている。


 

 総蔵も郷雲も、お互い相手の実力を知っているからこそぶつかり合えるのだろうが、仲裁(ちゅうさい)する最年少の望月大象(もちづきだいぞう)がかわいそうに見えてしまう。



 だがこの望月大象も甲賀忍者(こうがにんじゃ)末裔(まつえい)であり()の才能に()け、2人に劣らない資質(ししつ)があり、父・弥九郎がたいそう気に入っている者である。



 おおらかな性格の大象が「まあまあ」と人好きのする笑顔で間に入れば、総蔵も郷雲も(ほこ)(おさ)めるしかない。



 新太郎は父・弥九郎の隣で3人のやりとりを温かい、しかし何処(どこ)か少し寂しそうな目で見守っている英龍を見やった。



 英龍の目にはきっと、若者達がその才能を遺憾(いかん)なく発揮(はっき)して(つく)り上げる明るい未来と、申し分ない見識(けんしき)がありながら執拗(しつよう)に責められ非業(ひごう)の死を()げた蘭学の師・渡辺崋山(わたなべかざん)高野長英(たかのちょうえい)達の悲しい過去が重なって見えているのだろう。



 新太郎は幼い頃、ほんの少しだが渡辺崋山に絵を教わったことがある。蘭学者として、画家としての印象が強いが崋山はれっきとした武士で、田原藩(たはらはん)(愛知県の渥美半島(あつみはんとう))の家老であった。


 彼は父・弥九郎と『神道無念流』の同門だったので、その縁で教わることができた。線の細い物静(ものしず)かなお方だったが、優しげな目の奥には『この国を守らなければ』という、剣豪(けんごう)気迫(きはく)にも負けないような強い意志が宿っていた。  



 江戸湾を防衛するために台場を築く計画は、実は今から15年前にも英龍が幕府に献策(けんさく)して、一度途中まで進められていた。その計画を英龍に託したのが渡辺崋山と高野長英らが所属(しょぞく)していた『尚歯会(しょうしかい)』である。


 崋山は田原藩の藩士だから幕府に直接意見を言うことができない。高野長英はシーボルトの高弟(こうてい)だが民間の医者に過ぎないので、本を出版するくらいでしか自分の思想を公表できない。



 幕府に仕える代官として幕府の上役(うわやく)に献策できる立場の英龍と縁ができたことを、崋山と長英は喜んだ。また、英龍もこの国で最高峰(さいこうほう)の蘭学者から教えを受けることができ、その見識をみるみるうちに吸収していった。双方(そうほう)にとって互いの存在が得難(えがた)いものとなっていった。 


 しかし15年前の台場を築く場所の見分(けんぶん)は、蘭学を憎んでいるといっても過言(かごん)ではない、儒学(じゅがく)最高峰(さいこうほう)である大学頭(だいがくのかみ)の息子である『鳥居耀蔵(とりいようぞう)』と、あろうことか測量図の出来栄(できば)えを競うような形になってしまい、鳥居から執拗(しつよう)なまでの横槍(よこやり)を入れられてしまった。



 さらに測量図とともに提出しようとした崋山の意見書が『幕府を批判している』と鳥居に言い()かりをつけられ、『蛮社(ばんしゃ)(ごく)』という蘭学者の弾圧(だんあつ)が起きてしまう。



 崋山は()らえられ、仲間の蘭学者達も捕らえられたり自死(じし)に追い込まれてしまう。



 崋山は自分が所属する田原藩で蟄居(ちっきょ)することになったが、崋山を快く思わない者達に責められ、家族や主君の足枷(あしかせ)になることを(うれ)い12年前に自害した。


 いち早く逃亡した長英も逃げられないことを(さと)り一度は自首し、脱獄(だつごく)()て、3年前に追手(おって)と戦い死亡した。




 英龍の、温かさと空寂(くうじゃく)が混在していた表情がやがて強い決意を固めたものに変わった。



 「弥九郎、今度こそ必ず台場を築き、大砲を揃え、兵を(きた)えてこの国を守ってみせるぞ。


この国には崋山先生や長英先生の知識が、秋帆(しゅうはん)先生(砲術家・高島秋帆(たかしましゅうはん))の技術がある。


未来を託せる有望な若者達がいる。


さらに万次郎(まんじろう)(ジョン万次郎)が我が韮山に来てくれたのだ。これほど心強いことはない。」



 まだ英龍が『邦次郎(よしじろう)』と呼ばれていた頃から35年の長い付き合いがある父・弥九郎も万感(ばんかん)の思いが込み上げているのだろう、(まぶ)しいものを見るような表情で親友の言葉の続きを待っていた。



「万次郎がただの『英語を覚えた漂流者(ひょうりゅうしゃ)』ではなく航海術や測量術、造船術を会得(えとく)して、アメリカに永住することも出来たのに危険を(かえり)みず日本に帰国することを選んでくれたのは神仏(しんぶつ)(おぼ)()しとしか思えない。


万次郎を韮山に呼ぶことが出来たのも、こんな奇跡が起こり()るのかと驚いたが、もしかしたら崋山先生や長英先生の御導(おみちび)きかも知れぬな。


万次郎自身もこの国を守るために心身を(ささ)げてくれることを(ちか)ってくれたのだ。


拙者(せっしゃ)今一度(いまいちど)、自分に出来得(できう)る全てを()けてこの国に()くすと誓おう。」



 大きな声ではなかったはずなのに、強い決意を()びたその声は少し離れた位置にいた新太郎や小五郎にも届いた。



 英龍の前方にいた総蔵達にも聞こえたのだろう、一斉(いっせい)に振り返り頭を下げた。




 このお方について行きたい、このお方のもとで自分も身命(しんめい)()してこの国を守る力になりたい。



 そう思ったのは新太郎だけではないはずだ。





《おまけ》


矢田部郷雲は朝ドラ『らんまん』の田邊教授のモデルになった矢田部良吉のお父さん。

《英雄こぼれ話》


『江川門下の砲術家番付表(ほうじゅつかばんづけひょう)』という資料が残されていて、それによると(横綱はいない)


東の大関(おおぜき) 山田熊蔵(後ほど少し出てきます)  

  関脇(せきわけ) 長澤鋼吉(柏木総蔵の(おい)(?))

  小結(こむすび) 柴 弘吉(松岡正平の次男)

  前頭(まえがしら) 矢田部郷雲

  〃  八田篤蔵

  〃  中浜万次郎

  〃  中村小源治

  〃  安井畑蔵

  〃  安井晴之助

  〃  長澤房五郎(柏木総蔵の(おい)(?))

  〃  松岡磐吉(まつおかばんきち)(松岡正平の3男)

  〃  甲斐直次郎



西の大関 森田定吉

  関脇 市川来吉(松岡正平の長男)

  小結 岩嶋源八郎(柏木総蔵の実弟)

  前頭 石井修三(いしいしゅうぞう)(蘭学者。後ほど出てきます)

  〃  佐藤清五郎

  〃  山田山蔵

  〃  旦那村杢郎(?)読めない…

  〃  鈴藤勇次郎(すずふじゆうじろう)(後ほど出てきます)

  〃  西脇寅之助

  〃  斎藤四郎之助(新太郎の弟)

  〃  中村鎮三郎

  〃  肥田浜五郎(ひだはまごろう)(後ほど『がっつり』出てきます)


となっております。


いつのものか分からないけれど、行司(ぎょうじ)のトップが


菊之井太郎左衛門(菊之井は『井桁(いげた)に菊』という江川家の家紋)となっていて、英龍なのか英敏なのか英武なのかは分かりません。


ほか、榊原鏡次郎・高島喜平(たかしまきへい)(高島秋帆)・松岡正平・友平栄(ともひらさかえ)(後ほど出てきます)・柏木総蔵などの名前が見えます。


おもしろい資料が残っていてくれて嬉しい✩




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ