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英雄の遺志(いし)を継(つ)ぐ者②

書き忘れていましたが、こちらの小説は前作『夜明け前に死んでしまった英雄と 奥方様と妹』の『本編』です。


本編より先に『スピンオフ』を発表してしまいました…。


この小説の主人公である籌之助じゅのすけが『奥方様と妹』のエピローグで写真と手紙のみ登場した『甥』です。


おたい様ももうすぐこちらの小説に登場します。


 「父上、あそこで土下座して泣いている集団は何でしょう?」



 安政2年1月、英龍の亡骸(なきがら)を韮山に(かえ)す旅路で、からっ風が吹きすさぶ東海道の平塚宿を通る時、新太郎はその集団を見た。


 

 英龍の突然の死は多くの者に深い悲しみをもたらした。



 江川家の江戸での菩提寺(ぼだいじ)である浅草本法寺には2,800人を超える人が押し寄せ、狭い境内と周辺の路地はすすり泣く者、慟哭(どうこく)する者でごった返し、道を通り過ぎようとする町人達も「ああ、江川様のご葬儀か…」と深く頭を下げていく。


 新太郎は19歳の頃より剣術修行で全国を廻り、剣術家だけでなく大名から下級武士・商人や豪農などさまざまな身分の多くの人々と出会い、『偉人(いじん)』『逸材(いつざい)』と呼ぶに相応(ふさわ)しい人をたくさん見てきたが、ここまで貴賤(きせん)貧富(ひんぷ)、老若男女関係なく多くの人々に慕われた人物を英龍以外に知らない。



 韮山への帰還(きかん)の道でも、人々は街道に出てきて静かに黙想(もくそう)して英龍を見送った。



 その中でも平塚宿にて土下座してむせび泣いている一行は新太郎の心を打った。



「ああ、あれは『丁髷塚(ちょんまげづか)』の者達だな。」


「丁髷塚?ああ、祭りで神輿(みこし)を川に投げたという…。」



 天保9年5月、相模国(さがみのくに)(神奈川県)一宮(いちのみや)の寒川神社と平塚八幡宮(ひらつかはちまんぐう)の神輿が馬入村(ばにゅうむら)でぶつかり、担ぎ手の若者同士の大乱闘となった。ついには互いの神輿を川に放り込むという暴挙となり、支配者である韮山代官の手代が捕縛(ほばく)した。


 街道筋(かいどうすじ)での大乱闘という迷惑行為だけでなく、ご神霊(しんれい)がおわす『神輿』を投げ捨てるという神に対する冒涜(ぼうとく)が大罪とされ、評定所(ひょうていじょ)(裁判所)に立件(りっけん)された。立件されてしまえば無罪になることはない。


 打ち首もあり得ると聞き、皆、戦々恐々(せんせんきょうきょう)としていたが、裁判を担当した英龍は関係者16人の髷を切り、『髪が伸び、再び(まげ)が結えるようになるまで反省せよ』と申し渡した。


 打ち首を大幅に減刑してもらった若者達もその身内も英龍の温情(おんじょう)に泣いて感謝し、馬入村・蓮光寺(れんこうじ)に全員の髷を埋め『丁髷塚(ちょんまげげづか)』の石碑を建てたという…。


 


 土下座して泣いている男達のそばに、男達と同じ年頃の、妻であろう女達と息子・娘であろう子供達がいる。


 男達があの時打ち首になっていたら、今そこには誰も居ないはずであった。


 英龍の温情によって救われた彼らは家庭を持ち、17年の時を経て子宝にも恵まれ、その子供が髷を結っているのも感慨深(かんがいぶか)い。


 

 

 もしあの時英龍が彼らを打ち首にしていたら、その身内は悲しみに明け暮れ、権力者に恨みを持ち、年頃の働き手を失った家からは人の道を踏み外す者も現れたかも知れない。


 英龍が正義をかざした『制裁』ではなく慈悲(じひ)による『(ゆる)し』を与えたことで、悲しみは喜びに変わり、恨みは生まれず未来への希望が生まれた。



 しかし英龍が亡くなってからの7年の間、この国の分裂は止まらない。


 ひとかどの人材は数多(あまた)いても互いに自分よがりな正義を振りかざして相手を非難する者が多く、英龍のように『(ゆる)し』によって人心を掌握(しょうあく)できる者がいないからだと新太郎は考えている。





 『(ゆる)す』ということは武士が治める社会ではとても難しい。体面(たいめん)を重んじる彼らは自分の正義を(くつがえ)すことを何より嫌うからだ。



 だが英龍は母の遺言(ゆいごん)である『忍』を胸に、『赦し』を常に心掛(こころが)けていた。



 新太郎は英龍の『赦し』を自分の目で見たあの時、『ペリー来航で大混乱に(おちい)っている今のこの国を救えるのは英龍様しかいない』と確信したのだった。

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