第3章 破滅を告げるプロローグ
夜の帳が下りた火山大陸フローギウスの港街シギアにて、フードを深くかぶった一人の人物が歩いていた。細い体に、胸元が少し膨らんでいることから女だとわかる。フードの中を覗き込めば世にも珍しい傾国の美女とも言えるような美貌を拝めることだろう。その美貌は妖気を孕み、それでいて儚げなように見える。か弱そうな女性、表面上は誰もそれを疑ってかからないし、人によっては保護欲を唆られただろう。本当の彼女を知る人以外は、だが。
港街シギアはゴーギウス共和国の最も重要な港街であり、貿易を行うためか、人口の3割が商人だとも言われるほどの場所だ。故に、衛兵の巡回が多く犯罪は少なく治安のよい場所と知られている。だからと言って、若い女生が夜も更ける頃に大通りに通じる広場とは言え、歩いているのはいただけないからだろう。偶然近くを通りかかった巡回をしている二人の衛兵は女を見ると声をかけた。それは女を心配したということもあるだろうが、何より身なりからしてそれなりに高貴なお人だと判断したのが大きいだろう。なにしろ、彼女の被っているフードは黒の色に統一されており、どこにでもありそうなフードであるが、材質を知る人が見ればあまり現れることのない魔物の毛皮なのだ。そして、それは衛兵のような武器を扱う者にしてみれば超高級素材であり、防護服としても優れているということを知っていて当たり前のもの。それなりの冒険者かもしくは高貴な人、どちらにしろ声をかけておかなければいけない。なぜこの時間帯に街を彷徨いているのか、ということを。
「すみません。ちょっとよろしいでしょうか?」
二人の衛兵の片方が彼女に声を掛ける。
「なに」
女の答えた声に衛兵は少したじろぐ。なぜなら、その声がとても耳に心地よく、それでいてなぜか肌を震わされるような恐怖を覚えたものだった。しかし、その恐怖は勘違いだと思い、自分の心を叱咤し言う。
「こんな時間に歩くのは危険ですよ」
女は声をかけられて初めてこちらを見た。フードに隠れていて顔はよく見えないが肌は白く、唇は深緋の色だった。
「大丈夫ですよ。みんないなくなりますから」
衛兵はその笑みを貼り付けたような口元、唇から紡ぎ出された言葉に心を鷲掴みされる。そして、女の体に渦巻くようにして紫色の魔素が立ち昇るのを見た瞬間、腰の鞘に閉まっていた剣を引き抜く。隣の同僚も同じように剣を抜いている。
「何者だ」
震える体を必死で抑え、問う。
「知る必要はないでしょう? どうせ死ぬのだから」
その言葉とともに紫の魔素が膨れ上がり、視界が消失した。体が浮遊するような感覚を受け、意識は闇に呑まれた。
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港街シギアはそれなりに大きい街だ。人口は約10万人を超え、スラムなどにいる人口まで含めれば11万に届くかもしれないほどだ。港街と言う言葉からわかる通り、海と隣り合わせであり、海の上に作られた家もある。そして、パーゴギウス共和国の最も大きい港であるこの街は、国直属の軍艦がある。それは、難攻不落のシギアと言われる所以であり、首都を除けば最も安全な場所と言われている。
その港街シギアが今まさに滅ばんとしている。紫の魔素が渦巻き、大地を抉り、天を貫く巨大な柱のような紫色の光が遠くからでも見えることだろう。その紫の光は怪しく光る。恐怖心を煽るような光だ。街の、国の終わりを告げるような光だ。誰もが、その光に平伏し、嘆き、命を落としていくだろう。街の人々は痛みを感じなかっただろう。なぜなら、感じる間もなく細胞一つに至るまで破壊し尽くされたであろうから。
天をも貫いていた紫色の光が収束し、消えていく。そこにはクレーターが生まれていた。港街の後は跡形もなく、海底までそのクレーターは抉っていた。次第に海の水が元々街があった場所ーー今ではクレーターのところに流れ、押し寄せていく。街のあった上空に浮かんでいる、ことの発端である女ーー破王フィーニスは海がクレーターを呑み込んでいくのを眺めている。その顔には感慨もなければ憂いもなく、悠然とした笑みがあるだけだった。
「やっと、始まった」
笑みは喜びを伴い始め、熱を持ったように表情は変わる。
「やっと、始められる」
笑う破王フィーニスの姿は幻想的であり、また神秘的であった。それは周りに充満している紫色の魔素も影響しているだろうが、何より際立っているのは彼女の笑顔はあまりに人であって人でないことを意識させる。なぜか? それは分からないと答えるほかないだろう。理屈ではなく、直感が囁いているのだ。彼女は人ではない。しかし、人を惑わすような怪しいものを放っている、と誰もが思っただろう。
地上を這うようにして広がる紫色の魔素はまるで霧のようで、それでいてはっきりと目視できる恐怖の象徴のようだ。それらは時が経つにつれ薄れていく、しかしそれと同時に空中に分散していき、なお一層、不吉な気持ちを催す。
そんな中を一人の男と女が走っている。パーゴギウス共和国のお抱えの”炎”勇者と”炎”聖女だ。しかし、その足取りは軽快ではなく、双方鬱陶しいと言った表情をしている。それは、体に纏わり付くような紫色の”破”属性の魔素が与えるであろう影響を自らの魔素を体に纏うことで無効化しているためだろうことが窺える。破王フィーニスはこちらに気取られることを分かっていながら向かってくる勇者と聖女の様子に半ば呆れを、もう半ばは喜びを覚える。それは力を示せる喜び、これまで自由に動けなかった鬱憤もあるだろう。迂闊に動けない状態をやっとのことで抜けきり、下準備を終わらせ、やっとのことで始められた本格的な戦争。
「もう、誰にも邪魔はさせない」
口元に笑みを浮かべているが、その言葉には棘があり、少しの苛立ちが籠っていた。海岸を走る”炎”勇者がこちらに向かって魔法を放ってくる。”炎”聖女は結界で”破”属性の魔素を”炎”属性に塗り替えにかかる。
「ハッ」
”炎”勇者が破王フィーニスに斬り掛かる。しかし、破王フィーニスの放った紫色の閃光の魔法を”炎”勇者は剣で防ごうとするが、砕けてなくなった。魔法は威力を落とすことなく”炎”勇者に直撃し、海の方へと飛ばしていく。砕けた剣の破片が”炎”勇者を傷つけ、血を流させる。どれも大した傷ではないが、瞼の上を掠った傷は血を流し、視界を悪くする。体勢を立て直しても、目にかかる血に気を取られて、いとも簡単に破王フィーニスの追撃を受ける。避ける動作をすることもできず鳩尾を殴られる。そして、破王フィーニスは”炎”勇者を片手に持ちそのまま右手に魔素を込め、魔法を放たんとし、”炎”聖女の結界によって横槍を入れられた。
”炎”勇者を包むようにして作れられた結界は赤い魔素が動き燃え上がるような炎を形取り、炎は消滅する。そして、”炎”聖女の元に”炎”勇者が戻っていた。
「”空”属性と炎の結界の複合魔法か…」
破王フィーニスはそう”炎”聖女の魔法を分析し呟く。”炎”聖女はその言葉を聞いても眉ひとつ動かさず破王フィーニスを睨む。”炎”勇者の手には”炎”聖女が代用品を”空”属性の力で出したであろう剣が握られている。”炎”勇者は手を振り”炎”聖女はそれを見て頷く。”炎”勇者の姿が消え破王フィーニスの背後に現れる。剣で破王フィーニスの心臓を背後から貫こうとする。しかし、剣は破王フィーニスの背に触れた瞬間まるで壁にでもぶつかったように止まり、破王フィーニスの背に傷ひとつ負わせることがなかった。
「ガッ」
腕を掴まれ、海に殴り落とされる。音速よりは遅いが、それだけだ。周りに聳え立つ山よりは低いとはいえ、それなりの高さから音速に近い速度で海に叩き付けられた時の衝撃は想像も及ばないほどの強さだ。”炎”勇者は魔素を身体中に纏って防御してなお肉体が悲鳴をあげているのを感じる。さすがの速さに”炎”聖女も結界を構成するのが間に合わなかった。それでも、”炎”勇者に追撃がないように結界で破王フィーニスを囲い、自分が今使える最上級の魔法を放つ。
「”炎獄”」
”炎獄”は地獄の業火を再現したとも言われる魔法だ。威力は折り紙付きであり、”炎”聖女は破王フィーニスであっても無傷では済まない。そう思っていた。しかし、その思いは無惨に破られる。破王フィーニスはその魔法に気も止めず、魔法を発動する。
「”破滅の矢”」
言葉の通りの魔法が放たれる。紫色の破滅を齎す矢は海の近くで空歩で体勢を整えたばかりの”炎”勇者に直撃する。”炎”勇者の肉体を跡形もなく破滅させ、それでも飽き足らぬと海を抉っていく。港街シギアの近く、海底の沖合は人の足がつくほどだが、少し奥へ行けば崖のように深くなる場所がある。それは、ユラマ星において上位10には入るであろう深さを誇る海。その海に巨大な逆円錐の形を刻み込んでいく。そして、その大きさは次第に大きく、そして、深く海を抉る。遂には海底まで辿り着き、海底を抉っていく。しかし、海と違い、出来たのはクレーター型の深く巨大な穴。魔法は海底を抉ったことで威力を失い、海水に抉られてできたような円錐型の跡は巨大な穴を水で埋めながら元の海の形を取り戻していく。
「ふっ」
破王フィーニスは出来上がった光景に満足したのか笑う。
「ーーーー」
”炎”聖女は口をまるで陸に上がった魚のようにパクパクとする。
破王フィーニスはそんな”炎”聖女に止めを刺そうと魔法を発動するために腕に魔素を集める。しかし、すぐ何かに気づいたのか破王フィーニスは空の一点を見つめる。それはちょうど海の上、破王は陸を背にし、”何か”は陸を正面にするような形で対峙した。最初に動いたのは”何か”だった。黒い人10人ほどを簡単に飲み込むような波動が直線上に全てを薙ぎ倒すようにして、放たれる。
そして波動は、破王フィーニスと”何か”から眼中にないというように無視をされ、これ幸いと陸に逃げる”炎”聖女に当たった。悲鳴はない。痛みはなかっただろう。そもそも、自分が死んだことにすら気付けたかどうかすら怪しい。”炎”聖女は自らの体に何重にも結界を用意していた。それでも、なすすべなく命を散らすことになった魔法を破王フィーニスはまるでちょっとした牽制程度だとでも言うようにその波動を弾く。弾かれた波動は近くの山の中腹に当たり、山の半分以上を抉り、消滅せしめた。まるで誰かに齧られた三角型のお菓子のようだ。
紫の光が空から落ちる。”何か”はその魔法をいとも簡単に黒の波動で消滅させ、破王フィーニスに向かって波動を放つ。先ほどの波動が針の細さに例えるならば、今回の波動は柱に見える。それほどの違いがあった。そして、その攻撃は破王フィーニスの腕の一振りでいとも簡単に消滅する。
「今回は退こう」
それだけを言い残して破王フィーニスは転移で姿を消す。
後には”何か”が悠々と空を飛んでいるだけだった。その”何か”も目的を達したとでも言うかのように再び海の上を飛んでいく。未だ、空は暗く、夜が明ける気配はない。
次話は3月28日(予定)です。
第3章は2日間投稿でいきたいです。(ストックが切れない限りですが…)




