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プロローグ

 暗い山肌に灯りが並ぶ。


 彼岸に祖先の霊を送るという送り火の文字に似せたその青白い灯りを、スマホのスクリーン越しにそっとなぞってみる。


 手が届きそうで届かないその景色は、淡い郷愁を掻き立てる。


 ネットのニュースで取り沙汰されているそのささやかな事件は、きっとすぐに世間から忘れ去られてしまうのだろう。


 私たちの心の中にだけ、淡い光を灯したまま。


 私は目を閉じて、そっと呟いてみる。


「行くぞ、大文字(だいもんじ) 」



 ***


 一九九六年 夏 -------


 皆が持ち寄った食べ物をつまみながら、私達は相も変わらずキリオ君の部屋でだらけていた。七畳程のワンルームの中はクーラーが効いて快適な温度に保たれている。空気がゆらゆらとゆらめく、まるで水槽の中のようなその空間で、私たちは各々テレビを観たり雑誌をめくったりしている。さゆりさんがめくる新聞紙が、シャワシャワと乾いた音をたてる。


 京都のどこにでもあるような小ぶりで地味な五階建てマンションの一階に位置するその部屋から、少し離れた大通りを車が走り抜ける音が遠く聞こえる。つけっぱなしのテレビの中では、有名な名探偵がまさに真犯人を追い詰めようとしていた。

「私、絶対この人が犯人だと思ってた!」

 みとさんが嬉しそうに言う。

「大体、最初から主人公にやけに馴れ馴れしい時点で、怪しかったもん」


 皆から少し離れて台所の丸椅子に腰かけていたキリオ君が、読んでいた参考書をパタンと閉じて力いっぱい伸びをする。皆の視線がそのままテレビに集まり、ブラウン管の向こう側で繰り広げられる愛憎劇について他愛のない感想を言い合う。蛍光灯の白い光に照らされて、さゆりさんの黒い髪がつやつやと光っている。ゆったりとした倦怠感が部屋にたちこめる。


「俺そろそろ帰って寝るわ。明日午前中、チャイ語(中国語)の講義出んといかんしな」

 椅子に寄りかかったとっつぁんが、大きく一つ欠伸をして言った。

「あー私も、明日は朝一で出たい講義あるんだった」

 私もつられたように立ち上がる。皆それぞれが身支度を整え帰宅する準備を始める。机の上を片づけたり、ごみをまとめていると、ベランダの外で原付バイクが停止する聞きなれたブルルルン、ガチャッという音が聞こえた。と思う間もなく、ガタン、ドカドカと騒々しい音を立てながら、ベランダに続く掃き出し窓を開けてケンザキが入って来た。ケンザキは、火のついた煙草を持った右手を窓にかけたまま、よく通る声を張り上げる。


「おうお前ら、行くぞ。大文字。はよ準備しろよ。」


 途端に部屋の空気が一変する。倦怠感は粉々に砕け散り、空気がピンと張りつめる。これを待っていたんです、と言わんばかりにみんな立ち上がってテキパキと動き始める。一日の終焉に向かうべく沈み始めていた空気が攪拌されて、底に沈んでいたワクワクやキラキラが再び空気中に舞い始める。


 女の子たちはマンションに自転車を取りに行き、ついでにコンビニでお菓子と飲み物を買ってキリオ君の家の前にもう一度集まる。五台の自転車と一台の原付バイクが夜の中に浮かび上がる。皆が合流したところで、「行くぞ!」というケンザキの掛け声で各々自転車を漕ぎ出す。夏の夜の生ぬるい風が頬を撫でる。隣を走るキリオ君のシャツがパタパタと風にはためくのが見える。さゆりさんの自転車の前かごで、コンビニのレジ袋が振動に合わせてシャカシャカと小気味よく音を鳴らす。暗く光る道を、ぐんぐんペダルを踏みこんで前に進む。


 前へ、前へ。


 周りを走る友の息遣いをすぐ近くに感じる。夜は真っ暗闇ではなく、柔らかな藍色で、走る私たちを優しく包み込んでくれる。自分の輪郭が曖昧になって夜に溶け込んでいくのを感じる。流れていく民家の明かりがにじむ。先頭を走るケンザキの原付バイクのテールランプが、私たちにしか分からない何かのサインみたいにチカチカと光る。腹の底からくすぐったい思いが込み上げて、喉を反らして笑う。

 夜は私たちの味方で、私たちは夜の一部だ。


「ずっとこの時間が続けばいい」

 私は心の中で歌うように繰り返す。

「ずっとこの時間が続けばいいのに」


 でも、もちろん全ての物事には終わりがある。大文字山には思ったよりも早く着いてしまう。


 木や藪に囲まれた暗い山道を、木で出来た階段坂や土の道を一歩一歩踏みしめて、話しながら、歌いながら、あるいは黙って考え事をしながら登る。夜の遅い時間ということもあって周りには他の登山者は居ない。ケンザキが楽しそうに口笛を吹いている。五山の送り火用の竈が設置された場所に着くと、目の前に京都盆地の夜景が広がる。黒くぽっかりあいた京都御所。明るく点灯された大学の農学部のグラウンド。キリオ君の部屋があるであろう場所などを一つ一つ見つけては感想を言い合う。半袖から出た腕に夏の湿った風が心地よい。


「もうそろそろ京都タワーの灯り消える頃ちゃう?」

 とみとさんが言うので、皆並んでそちらに目を向ける。


「消える瞬間みたら願いが叶うとかならええのになぁ」

 と、とっつぁんが誰にともなく呟く。


 そのころには、自転車で走っていた時の高揚感は既に身を潜めて、私はそっと後ろに下がり、京都タワーの灯りが消える瞬間を待つ友人たちの後ろ姿を眺める。きらりきらりと広がる夜景を前に、影絵のように立つ友人たちの後ろ姿を、目に焼き付けようとしっかりと見つめて、一つ瞬きをする。


 一つ瞬きをして、大事に心の中にしまったことを、確認する。


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