第2話 おむらいすと
(これは断じて誘拐ではない。決して違う。保護した。そう、俺はこの子を保護したんだ)
男は自分に言い聞かせる。自分に、自分のしている行為に必死に言い聞かせる。暗示のように心の中でブツブツと。
場所は男の自宅。何の変哲もない1LDK。時間はさっきの後。つまりは会社を途中退席、退社したことになる。あ、辞めたわけでないからな。
男の横で寝ているのは美しい幼女。あの襟の詰まった寝心地悪そうなドレスを脱がせ、とりあえず自分のTシャツを着させた。Tシャツというものも初めて見て着たようでその着心地に興味津々だったのが印象的だった。それで幼女は疲れていたようだったからひとまず自室のベッドに寝かせた。寝顔がとても可愛らしい。ほっこりする。
…まぁ、つまり、ともかく。
男はあの可愛い幼女を自宅に連れ帰った訳だ。
もう一度言おう。これは誘拐ではない。
家に来いとこの子に伝えた時は自分に怯えることもなく大喜びで了承してくれたが…。やはりどう見てもこちらには誘拐にしか見えない。「道端で出会った幼女が独り公園を彷徨っていたから危険に思い保護した」ということで誘拐にはならないとは思うが(?)やはり良心は痛む。まず男に良心があったのかと疑うところなのだがそれでは話が進まないので考えないことにする。
というかいちばん危険なのはこの男ではないか?まぁもう仕方あるまい。もう見なかったことにしてくれ。
それ以前にこの子に聞かなきゃ行けないことが山ほどある。名前、歳、何故一人でいたのか、何故あんなにも薄汚れていたのか、親はいるのか……。
先に休ませてあげたが名前を聞いておくことぐらいしては良かったのではないだろうか。もう既に遅いが。
(…まさか親とはぐれていた?家出?それでは虐待か…?いや、体を確認したところ傷らしいものは何もなかった。虐待の可能性は低いだろう。では何故?こんな小さくて幼い子が独り外に出るまでに至ったなんてな…こいつ本人に聞かなきゃ分からないな)
疑問は尽きないが今は気にしても仕方ない、と自室から出る。リビングにあった壁掛け時計を確認した。時間は午後1時過ぎである。
(あいつ飯は食ったのか?)
あの子がいつから外に出ていたのかは知らないが、もう1時だ。お腹も空いていてもいいだろう。 自分は大して腹も減らないから問題ないがあの子には何かしてあげたいと思った。
まぁ仕方がない。起きた時にあの子に何か食わせてあげればいいだろうととりあえず男は台所に立った。
(…子供ってなに食べるんだ?)
幼女の方へ視点を移してみれば、もうこの子は目を覚ましていた。どこからかやってくる美味しそうな匂いに目が覚めてくりくりおめめがぱちくりする。すんすんすんすん。やはり部屋の外からいい匂いがする。ご飯の匂いなのだろうか?
可愛い可愛い幼女は宝石の如く金色の目を何度もぱちぱちさせて部屋の様子を伺った。そしてすぐに自分が優しいお兄さんの部屋で寝ていたことを理解した。
とりあえず男のところに行こうと考えたのか幼女は早速ベッドから降りた。
部屋の扉を開けてリビングを覗いてみる。奥の台所にあの男が立っていた。彼は何かを炒めているようで幼女には気づいていない。幼女が目覚めた時の美味しそうな匂いはあれのせいなのだろう。
とりあえずそっと中に入ってみる。こっそり歩いてソファの陰に隠れてみる。そこからまた男の様子を覗いてみる。男は今も幼女の目線に気付かずに手際良く料理を進めていた。あの男は料理も完璧に出来るらしい。憎たらしいヤツめ。
じっと見ていても何も起きないからと幼女はまたそっと歩き出す。今度は台所手前にあるテーブルの脚の影に隠れてみた。全然隠れてないが。むしろ大半飛び出ているが。ひょこ、ひょこと体を左右にかたむけて男の背中を見上げる。男の図体は細くともでかい。背の小さい幼女にとって男はとても大きく見えた。
幼女は男のことが気になるようでその場から離れなかった。男の動作を飽きることなく見つめるばかり。優しいおにいさんが次は何をしてくれるのかと興味を持ったらしい。
男はやっと料理を終えたのかその場で一息ついた。完成した料理にこう言う。
「…作りすぎたか?」
せっかくだから俺も一緒に食べようかと思って余分に作ってみたが…なんてブツブツ呟く。大人の独り言聞いていて痛いものだな。
幼女はどんな料理が完成したのかわくわくして男の少し後ろからその場で背伸びしたり飛び跳ねたりして料理を見ようとした。結局男に隠れて料理は見えなかったが。
「ん?」
幼女がピョンピョン飛び跳ねるその音に男は気づきやっと振り返った。
「あぁ、起きてたのか」
「!!」
男が急にこちらを向いて話しかけてきたものだから幼女は驚いてソファの後ろに走って隠れてしまった。
「おい、待って」
ソファに隠れたと思ったらそこから顔を覗かせて男をじっと見ている。かわいい。
(警戒は解いてくれたと思ったがまだダメだったか。仕方ない)
「なぁ、飯食うか?腹減ってたら一緒に食べようぜ」
男はゆっくり幼女に近づいていく。幼女はその様子をまだ見つめるばかりで何も答えずきょとんとしていた。そのまま男は幼女の前に立った。
(あーなんも反応してくれない。もしや腹減ってなかったか?早とちりしてしまったか…)
しかしそう考えている場合ではない。もうこの子のための昼食は作ってしまったし男も少しは食べようと思っていた頃である。
まぁもう作ってしまったなら仕方がない。
とりあえず、最後の一手。
「…オムライス、食うか?」
「おむらいす!?たべる!!」
幼女の顔が一瞬でキラキラの可愛い笑顔に早変わりした。金色の瞳が輝いていた。幼女の全身から喜びのオーラを感じる。子供はどうやらオムライスに弱いらしい。
(…………よし)
男は心の中で軽くガッツポーズした。
その後の事。
「はぐっ、はむはむ、はむっ」
いい食べっぷりである。
幼女は小さい口をあんぐり開けて男の特製オムライスを一生懸命頬張っていた。ぷにぷにのほっぺは子リスのように膨らんでいて口周りにケチャップが付いている。
男は幼女の横に座って自分のオムライスを口に運びながら隣の小さな肉食動物を見ていた。美味そうに食べるな、口にあっていたようだ、と安堵する。
自然と男の口元が緩んでいた。
幼女は男の目線に気づき、オムライスをすくう手を止めて口の中のものを飲み込んだ。
そしてにへっ、と微笑んできた。それはまさに天使の微笑み、エンジェルスマイルである。そのままの意味でな。
「おむらいすとってもおいしい!おにいさんありがとう!」
その笑顔とその言葉に男の胸は一瞬で射抜かれた。ずぎゅんと矢が高速で貫いてきたような感覚だろうか。
「お、おう。それはよかった」
咄嗟に幼女から目線を逸らした。自分は大人だから平常心を保たなくてはと平静を保ちながらも、幼女の健気な可愛さのおかげで口調がぎこちなくなる。ほんのり男の顔が赤くなってくる。頭の中でかわいいの4文字がエンドレスしていた。
(なんだこいつかわいすぎる!)
頭の中の叫びが激しくなる。
子供というのはみんなこうなのだろうか。いいや違う。この子だから。この子だからここまで可愛いのだろう。ならばこんなに胸打たれることは無いのだから。
また幼女をちらりと見やればすでにオムライスを頬張るのを再開していた。ぷくぷく子リスが再来している。
(俺ってここまで幼女に弱かったか?俺はそこまで感情爆発するような奴じゃなかったつもりだが。やはりこれは仕方がないんだ。こいつがこんなにも可愛いせいだ。不意打ちにやられてしまう。こいつがこんなにも健気で可愛いなんて思ってもみなかったし、いや元々可愛いが。桁外れで可愛いのだがな!)
変態がここにいた。
(こいつと出会う前はどんな感じだったか?ここまで平常心を保てなかったはずがない。前までの自分は……)
(まぁ、どうでもいいか)
男も食事を再開する。何故だろうか、なんとなくだが食欲が湧いてきた気がする。この子といるからだろうか。この子がにこにこしながら自分の作った料理を食べているからだろうか。どうしてかは知らないが自分もしっかりとした食事をしたくなったのだ。
……この子の存在により男が変化しつつあった。いいや違うな。男がそのように生まれただけか。
クスクスと笑い声がした