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その腕の中で永遠の眠りに…

 その世界は5つの国に分かれていた。理想郷と言う名を持つ“プロトメイト・リヴ”、住人の多くが魔力を持つ魔光界、闇との境を守護する闇明界。そしてその三国と敵対するダーク。さらにそのどの国とも国交を断絶している闇。この5つの国はそれぞれ異なった法と異なった規律のもとに成り立っていた。そしてそれぞれの国には、それを統治する者がいる。

プロトメイト・リヴの帝王はシャリアナーザ=ロウ=ガージャリアン。魔光界帝王はディスティーナ=クラーク=マックスウェル。闇明界の王はカール=グランディス=ゲルバーン。ダーク帝の名はヘリル=レミ=ローリア。闇の覇者はシャルル=ドゥラ=リンデジデンス。

 この5つの国は互いにけん制しあい、または同盟を結びながら世界を構成している。これは、そんな異世界の話である。


 ロドニー=デ=モンテグランデ公爵が現ダーク帝ヘリルに暇を貰ったのは、彼の死の直前であった。ロドニーはダークに於いては生き字引と呼ばれる存在であった。前ダーク帝パルディア=レミ=ローリアの側近にして親友であった彼は、その後を継いだヘリルにもよく仕えた。ロドニーはダークと言う国を心から愛していたのだ。そして親友であったパルディアのことも。その愛はダークという国では珍しいほどの無償の愛であった。

 そのロドニーが暇を申し出たとき、メリルはその死期が近いことを悟った。

「逢いたいのです、あの方に。最後にどうしても、あの方が幸せになられた姿をこの目に焼き付けておきたいのです」

 メリルは困ったような顔をした。ロドニーが言っている人物が誰であるのか、すぐに分った。前ダーク帝王妃ナディアの生まれ変わりであり、ナディアと同じ蒼銀の乙女であるリーナ=サーガという女性だ。

蒼銀の乙女とは、この世界の創世のときに神が投げ入れた青い光の珠から生まれた最初の女性だ。世界創世にあたり、神は混沌の中に二つの光る珠を投げ入れたと言われている。黄金に輝く珠と蒼く光る珠からは、それぞれ黄金色に輝く髪をした黄金の乙女と紅き鬼、銀色に輝く髪をした蒼銀の乙女と蒼き鬼という二組の男女が生まれたと言われている。その四人からこの世界は始まったと神話では語られているのだ。そして、この四つの魂はこの世界の中で転生輪廻を繰り返している。

その転生者の一人が、前ダーク帝王妃ナディアだった。そして今、この世界にいる蒼銀の乙女がリーナ=サーガなのだ。もっとも、姿かたちだけでなく、心まで天使のように美しいと言われたナディアと違い、リーナは俗物だ。己が蒼銀の乙女であることを自覚しているにも関わらず。メリルがそれを知っているのは、リーナと面識があるからだ。リーナとナディアの共通点と言えば「娼館」だろう。ナディアは自分の村の飢饉を救うために自ら娼婦に身を落とした女性だ。リーナは現在、プロトメイト・リヴで最も稼ぎの有る娼館「椿館」の主である。

合法とは呼べないが、世界には人買い市場が存在する。それぞれの理由により、どうしても大金が必要な者が女性や若者、もしくは自分自身を労働力として売りに出す。そんな人買い市場にリーナは頻繁に出没していた。それはそこで売られている女性を娼婦として買い取るためだ。メリルがたまたま鷹狩の帰りに遭遇した人買い市場にも、リーナはいた。山賊のような市場の主に対して、リーナは小さな身体を精一杯大きく見せながら、なにやら説教を垂れていた。厳つい顔をしたその主もリーナに対しては頭が上がらないようだった。その光景が滑稽で、思わずメリルも市場の中へと足を踏み入れていたのだ。

すぐに人買いのステージが始まった。要はオークションである。商品にあたる人物と、それを売る人物がステージに上がる。偶然を装い、リーナの隣に行く。リーナはメリルを一瞥すると、さほど興味も湧かなかったのか視線を舞台へともどした。最初に出てきた商品は若い男だった。当然、リーナは何も反応を示さない。次に出てきたのは、どこかの貴族のお嬢様であったと思われるような、美しい女性であった。しかし気位が高そうなのが見て取れる。

「さあ、これは上玉。金貨15瓶からスタートだ!」

 売人が大声で叫ぶ。恐らくリーナと同じ娼館の主であろう者達が、次々と値を上げていく。しかし、リーナは退屈そうにあくびをしていた。

 ステージの上では、今や人買いの商品に成り下がってしまった娘がリーナをジッと見つめている。リーナが誰なのかを知っているようだ。そのリーナが全く自分に興味を示さないことが、女性は許せないらしい。その表情が徐々に憎悪に満ちていく。

「興味がないみたいだね」

 メリルはリーナに話し掛けた。

「うん。いらない」

 リーナはまるで子供がお菓子の話をしているかのような口調で言う。

 結局、その女性は別の娼館主が金貨25瓶と銀貨10瓶で競り落とした。女性が叫ぶ。

「どうして!」

 それが自分に向けられた言葉であることを、リーナはすぐに察知した。他の者も同様だ。リーナに視線が集中する。

「だって、いらないんだもん」

 やはり子供が言い訳のような口調だ。

「アンタ、性根が腐ってるでしょ? 今の自分がどうしてそこに立たされているのか、理解してる? 父上や母上が残してくれた財産を、湯水のように浪費した結果でしょ? そんな女、椿姫にはしたくないもの」

 そう言うと、リーナは女性から目を逸らした。見ていたくもないとでも言うように。女性はまるで狂ったように大声で泣き叫び始めた。それを競り落とした娼館主と主催者がなだめるようにステージから下ろす。そして、次の商品がステージに上がった。

 紫色の髪をした、まだあどけなさが残る少女だった。俯き、肩を震わせている。恐ろしいのだろう。これだけの観衆の前に、商品として晒されているのだ。

「この子は、金貨5瓶から」

 司会が言うと、すぐにリーナが動いた。

「金貨30瓶」

 会場がどよめいた。いきなり6倍の値段に跳ね上がったのだ。他の者達はすぐに戦意を喪失している。

「いきなり30瓶か…。よほどお気に召したようだね?」

 メリルがからかうように言うと、リーナは初めてメリルをきちんと見た。

「悪い? あの子は上玉よ。これから立派な椿姫に育てる価値がある子」

「もし、私がここで50瓶と提示したら?」

「私と競るために? 別に構わないわよ。それなら60瓶に上乗せするわ」

 メリルは口笛を吹いた。

「60瓶! さすが椿は資金が潤沢だねぇ…」

「あら、貴方の持つ資産には遠く及ばなくてよ、ダーク帝メリル様?」

 リーナは飛び切りの笑顔を見せた。メリルは驚いた。自分が何者かを知っていながら、リーナは全く臆することなく話をしていたのだ。それどころか、最初は興味さえ示さなかった。

「そろそろ行ったら? ここは貴方のような高貴な方が来る所じゃないわ」

 リーナはそう言うとステージへと進みだした。他に値を言う者がいないのだ。リーナがこの少女の新しい主である。ステージに上がり、少女を抱き締める。

「大丈夫。帰りましょうね。貴女の新しいお家に」

 少女は初めて顔を上げた。確かにまだ幼いが美しい顔立ちをしている。不思議そうな顔でリーナを見上げた。

「あの…」

 リーナは唇に人差し指をあて、ウィンクする。

「帰りの馬車の中で、色々と話をすることがあるけど、今は黙って。このまま行きましょう。市の邪魔をしてはいけないわ」

そう言うと、少女と手を繋いでステージを降りた。

 その時の様子を思い出し、メリルはロドニーに言った。

「会わないほうが良いんじゃ…」

「知っておりますよ」

 ロドニーは微笑んだ。

「噂話程度ではありますがね」

 そんなロドニーにメリルは頷くしかなかった。

慣れ親しんだ王宮を後にする時、ロドニーの瞳には涙が浮かんでいた。本当なら、もっと早く引退したかった。親友でもあったパルディアの遺言がなければ、彼の死後すぐにでもこの城を去りたかったのだ。しかし、パルディアは新しく王になるメリルの傍にロドニーがいることを望んだ。メリルとパルディアは親戚ではあったが、親子ではない。帝王の子息ともなれば、最初から帝王学を学ぶのだが、メリルはそういった教育を受けてはこなかった。本来ならば、王位継承権すら得られないほどに、パルディアとの血縁は薄い。そのメリルが帝王になったのは、パルディアに実の息子がいなかったことと、王位継承者であるはずの男が、その地位に着くことを嫌がり出奔してしまったからだ。帝王学を学んだことのないメリルが、一国の主としてやっていくには参謀が必要であった。その参謀役をパルディアはロドニーに託したのだ。それはつまり、ロドニーに国を託したのも同じだった。

それからロドニーはパルディアの言葉に従い、ダークという国のため、新しい帝王のために自分の人生の全てを奉げてきた。妻も娶らなかった。自分は国と結婚したのだと、冗談で笑っていた。しかし、本当の理由は違う。それはロドニー自身が一番分っていた。

ナディアを愛しているのだ。親友の妻となった後も、ナディアへの愛情は朽ちることはなかった。傍に居られれば、その笑顔を、幸せそうな微笑を見ていられれば、ロドニーは幸せだった。言い聞かせていたわけではない。本当に心から幸せを感じられた。何よりもパルディアの側近で居る限り、ナディアの傍にいることが出来たのだから。その身体に、その唇に触れることが出来なくても、ただ近くで生きられることで幸福に包まれていたのだ。その愛情は既に信仰に近いものだった。

もう一度、宮殿を振り返ったロドニーは深く頭を下げた。その姿を帝王の間から見送っていたメリルも頭を下げていた。

自宅に戻ったロドニーの元に駆けつけたのは、ナディアが最初に引き取り育てた息子のボックだった。早くから頭角を表し、今ではメリルの親衛隊においても上位に位置するボックは、ロドニーの自慢でもあった。

「お疲れ様でした」

 ロドニーの姿を見て、ボックは頭を垂れた。

「なんだ、もう話が伝わっていたのか」

 ロドニーは笑った。ボックは寂しそうな笑顔を見せる。

「ロドニー様、これから、どうするのおつもりですか?」

 ボックは心配そうに聞いた。生涯独身だったロドニーに子供はいない。短い余生をどのように送るのか、それを新派しているようである。

「ロドニー様さえよろしければ、私の家へ…」

「いや。私は旅に出るのだよ」

 ロドニーは言った。

「何処に? 何のために?」

「ナディアを探しに行くのさ」

 ボックはハッとした。そこに居たのはまるで青年のように輝く瞳をしたロドニーだった。既に身体は老化でボロボロのはずだ。そのロドニーから発せられるオーラは眩しいほどに光を放っている。

「しかし、母さんは…」

「生まれ変わっているだろう、ナディアは。その人に逢いに行くんだ」

「無茶です! 完全に国交が回復されているわけじゃない。今、プロトに貴方が行くなんて…」

 ボックは言った。現在は休戦協定を結んでいるプロトとダークだが、決して友好的な関係ではない。国境では常に小競り合いが続いている。そんな場所に、先ほどまで国の重責を担っていた人物が突然現れたらどうなるのか。それを考えれば、ボックが言うことは正しい。本当なら、この地に留まって残り少ない余生をのんびり過ごす方がよいのだろう。しかし、ロドニーはどうしても今のナディアつまりリーナに会っておきたかった。今は幸せだと聞いている。その幸せな笑顔をもう一度見たかったのだ。

「行かせておくれ、ボック。もしかしたら、私は世界で一番幸せに死ねるかも知れないのだから…」

「ロドニー様!」

 ボックは駄々っ子のように首を振った。

「どうして…どうして死ぬなんて…」

「どうして? 私も人間だ。寿命はある。今まではパルディアやナディアが暮らしたこの国を守るために生きてきた。だから、最期の時くらいは自分の思うとおりに生きたい。いや…自分の望むとおりに死にたいんだよ」

 ボックは黙った。ロドニーがどれほどこの国に尽くしてきたのか、それを思えば止めることなど出来ない。しかし、やはり心配なのだ。ナディアから紹介され養子になったガンドーラ夫妻も、既に鬼籍の人となっている。ボックにとってロドニーは親にも似た存在なのだ。

「では、俺が護衛としてお供します」

「駄目だ」

 ボックの提案をロドニーは即座に却下した。

「お前の仕事はなんだ。帝王であられるメリル様の身を守ることであろう。こんな老いぼれのために、大切な仕事を忘れるでない!」

「しかし…!」

 ボックは食い下がった。

「しかし、ロドニー様お一人でプロトに行かせることは出来ません。どうしても母さんに会いに行きたいなら、この俺も一緒に行きます」

「くどい!」

 ロドニーが一喝した。

「今の私はただの老いぼれ。メリル様の参謀であったロドニー=デ=モンテグランデではないのだ。老いぼれ一人が何処で野垂れ死にしようと、そんなことは帝王であるメリル様やその親衛隊であるお前の知るところではない! さあ、もう帰ってくれ。私は忙しいのだ」

 そう言うとボックに背を向ける。その背中はボックの存在を拒否していた。ボックはもう一度何か言おうと口を開いたが、どうしても言葉が出てこなかった。そして無言で一礼し、ロドニーの館を出て行った。

 ロドニーにとってもボックは息子のような者だ。それゆえボックの申し出はどれをとってもありがたいの一言であった。ダークに留まり、ボックとその家族に囲まれた余生も悪くはない。本来なら、そうすべきなのかも知れない。プロトが自分を捕らえないとも限らない。そうなればメリルやボックは必ず自分を取り戻すために兵を挙げるだろう。そうなれば再び二つの国土が戦場と化してしまう。

 しかし、ロドニーはどうしても行きたいのだ。もう一度、あの愛しい笑顔をこの目で見たい。その我侭が許されるだけの働きをしてきた自負もある。ロドニーはボック宛の一通の手紙を残し、自分の館を後にした。

 乗合馬車に乗り込む。普段の貴族然とした服装ではないロドニーに、誰も気付かない。隣に座った少女はロドニーを見上げて微笑んだ。

「おじいちゃん、何処まで行くの?」

「おじいちゃんはマンブルへ行くんだよ」

「長旅だねぇ…。そうだ、コレあげる」

 少女はそう言うと自分の鞄から飴を取り出した。その少女の顔にあの日のナディアが重なる。自分を見上げて微笑んだ幼いナディア。パルディアの命を受け早馬で城下へ戻る自分に弁当を差し出したナディア。思えば、あの時からロドニーはナディアを愛していたのだ。

「おじいちゃん…?」

 黙り込んだロドニーを心配そうに見上げる少女に笑顔を返す。

「お嬢ちゃん、これは大切な君のおやつだろう。おじいちゃんにくれてしまっていいのかい?」

「うん、いいの。おじいちゃん、泣きそうな顔してたし。甘い飴はね、魔法の薬なんだよ。おじいちゃんが元気になるように。あげる」

 その飴を受け取り、ロドニーは自分の鞄に大切にしまった。飴の代わりに鞄の中から髪飾りを取り出す。それはナディアの形見としてロドニーが大切に持っていたものだ。それを少女の長い髪に差す。

「それじゃ、おじいちゃんからもプレゼントだ。大切なものだったけど、もういらなくなるからね。お嬢ちゃんが貰っておくれ」

 少女の隣に座っていた女性がロドニーを見た。少女の母親だろう。娘と老人の会話に気付いていたようだ。軽い会釈で感謝の意を表す。

「わぁ、綺麗!」

 少女は髪飾りを鏡に映して見入っている。

「おじいちゃん、ありがとう!」

 少女はロドニーを抱き締めた。

 マンブルの一つ手前の町で母子は馬車を降りた。少女は馬車が見えなくなるまで、いつまでも手を振り続けてくれた。それに応えてロドニーも長い間手を振り続ける。

「ありゃ、本物ですよね? だんな」

 突然馬車の中にいた男性が声を掛けてきた。

「あれとソックリなものを、作ったことがありますよ。そう、ナディアさまにだ。ありゃ、ナディアさまのものだったのでしょう?」

「そうだ。あれはナディアのものだった。形見だったんだよ」

「すると、貴方さまはロドニー様ですね」

 男は笑った。その笑顔にロドニーは見覚えがあった。昔ナディアへの贈り物として髪飾りを良く作ってもらっていた若い飾り職人だ。いや、既に若くはなくなっていたが、その特徴ある笑顔で思い出した。

「マンブルへ行かれるのですか? いや、プロトですね」

 職人は言った。

「そうですか…。貴方ももうすぐなんですね…」

「貴方も? という事は君もそろそろ…」

 お互い、最期までは言わないが何を言いたいのかはすぐに分った。沈黙が二人を包む。

「私はマンブルが故郷なんです。最期は故郷で。それが願いだった」

 もうすぐマンブルに到着しようという時、職人は言った。

「私は願いが叶います。ロドニー様の願いも叶いますように…」

「ありがとう」

 二人は握手を交わした。そして馬車はマンブルへと到着する。

 マンブルから先、プロトメイト・リヴへ向かうには徒歩かやはり乗合の馬車に乗るしか方法がない。最近は少なからず馬車の行き来があるようだが、残念なことにロドニーが到着したほんの少し前に、その馬車は発車していた。ロドニーは国境へと歩き出した。

 プロトメイトとダークの国境には深い森がある。森の入り口でロドニーは振り返った。恐らく、この森に入ったらば二度とこの地に生きて戻ることはないだろう。様々な場面が脳裏を掠めていく。この国を、パルディアを、そしてナディアを愛した自分の人生を想い、ロドニーは胸を張った。滅私で仕えてきたのだ。最期くらい我侭でも誰に恥じる必要があろうか。ロドニーは小さく頷くと森へと足を進めた。

 その後姿を見送る人物がいた。ボックだ。その隣にはメリルがいる。二人はどうしても心配で仕方がなかった。本当にこのままロドニーを行かせてしまってよいものか。ここに来るまでの道程で何度も話し合った。そして出した結論が、黙って見送ることだったのだ。

「逢えるでしょうか、母さんに」

 ボックは呟くように言った。

「逢えるさ、きっと。それでなければ報われない」

 メリルは言うとそっと涙を拭った。


 あともう少しで森を抜けプロトメイトに入ろうという所で、ロドニーの身体に異変が起きた。激痛が背中を走る。まるで身体中が悲鳴をあげているかのようにミシミシという嫌な音を立てている。それは身体と魂が切り離され始めた証だった。ロドニーがロドニーとして生きられる限界が訪れようとしているのだ。

「逢えないのか…」

 ロドニーは呟いた。今はプロトメイトで全く違う人生を歩んでいるナディアに、今更逢ってどうするつもりなのか。己に問い掛ける。逢わないほうが良いのだろうか…

『ロドニー様』

 突然頭の中に声が響いた。懐かしい、愛しい声だ。

「ナディア…」

 その名を呼ぶ。途端、身体が軽くなったような気がした。あの嫌な音も聞こえない。それがナディアからの答えだと思えた。森の木々がざわめき出す。風がロドニーの身体を押すように、後ろから吹いていた。まるで世界の全てがロドニーに味方しているようだ。

「逢うんだ、ナディアに…!」

 ロドニーは再び歩き出した。

 そんなロドニーの様子を見つめる瞳があった。時折苦しそうに立ち止まり、その度に顔を上げて歩き出すロドニーを、その瞳はじっと見つめていた。いや、観察していたのだ。

その瞳の持ち主はロドニーがダーク帝の参謀であることを知っていた。そんな大人物がたった一人で国境を越える森を歩いているのだ。それを知る者であれば誰だって不審に思うだろう。これがダーク帝からプロトメイトへの何らかの使者であるならば、当然だが国から馬車が支給されるはずである。しかし、ロドニーはたった一人、徒歩でこの森を越えようとしている。つまりはダーク帝からの使者ではないのだ。それならば何故、この人物が国境を越えてプロトメイトを目指しているのか。その真意を探っていたのだ。

ロドニーが呟いた名前が、その目的の全てである。目的が判明すると、その瞳の持ち主は姿を変えて森の外へと飛び立っていった。

 村の入り口に倒れている老人を見つけたのは、青い髪をした女性であった。慌ててその人物に駆け寄り、声を掛ける。その老人は女性を見上げて微笑んだ。「ナディア…」

 女性は大きな声で人を呼んだ。村人が集まり、その老人を宿屋へと運ぶ。宿屋で傷の手当てをし、休ませることにする。その間に村人が話し合いを始めた。

 実はこの村にはダーク出身者が数多くいる。その中の数名が老人の正体がダーク帝の参謀であるロドニーであることに気付いたのだ。何故ロドニーほどの人物が護衛もつけずにこの村の入り口に倒れていたのか。場合によってはこのままダークに引き渡さなければならない。

 その時、老人を見つけた青い髪の女性が言った。

「私をみて、ナディアって呼んでた…あの人」

「ナディア? 前王妃か…」

「蒼銀の乙女に会いにきたのだろう、きっと」

 その発言をしたのは、この村の男ではなかった。たまたま宿屋にいた、体格の良い旅人だ。男はロドニーをじっと見つめ、そして小さな溜息を吐いた。

「本当に馬鹿な男よ…。お前が愛したナディアなど、とうの昔に死んでいるではないか」

 男は言って、ロドニーの額に手を当てた。苦しそうだったロドニーの呼吸が徐々に正常に戻っていく。そして、安らかな寝息に変わった。その様子を見ていた村人達が一斉に安堵の溜息を吐く。

「この男の命、それほど長くはないだろう。もって数日…というところか。自分の死期を悟り、最期に遭いたい女のところへ行く途中だったのか」

「逢いたい女性っていうのが、そのナディアとかいう…?」

 青い髪の女性が問う。男は無言で頷いた。

「逢わせてあげたい」

 女性は言う。その言葉に数人の村人が頷いた。

「無理だよ。ナディア様はもう亡くなっているんだから」

 ダーク出身者の一人が言った。

「その方に縁のある人がいるんじゃないの? だから、こんな姿になってまでここに辿り着いたんでしょ」

「縁のある人って言っても…。ナディア様はダーク王妃だった方だぞ。プロトメイトに縁があるとは思えないけど」

 村人達が首を傾げる。

その時、一人の女性が宿屋に入ってきた。この騒動のことは知らないらしい。単純に宿を借りに立ち寄ったようだ。その女性は美しい檸檬色の髪をしている。一つの部屋に大勢が集まっているのを見て、女性も同じように様子を見に来た。そしてベッドに横たわるロドニーを確認し、驚いたように声をあげる。この女性もまた、ロドニーの正体を知っているようだ。

 ロドニーに安らかな眠りを与えた男が、その女性に気付いた。

「檸檬か」

 名前を呼ばれ、女性は男を見る。

「紅蓮龍王。アンタ、こんな所で何を…」

「何を? それは此方の台詞だよ。まあ、いい。ロドニー殿は既に死線を彷徨っている。恐らくは最期に蒼銀の乙女であるリーナに逢いに来たのだろう」

「ママに?」

 紅蓮龍王の言葉で檸檬には全ての察しがついた。檸檬は溜息と共に呟く。

「愛されていたのね、ナディア様は…」

 紅蓮龍王と呼ばれた男も同じように溜息を吐いた。

「報われぬ愛など、早々に切り捨ててしまえばよいものを…」

 二人の会話を聞いていた青い髪の女性が檸檬を見る。

「お願いします。この方の願いを、最期の願いを叶えてあげてください」

 全く面識がない老人のために、女性は必死の顔で檸檬に懇願する。檸檬はその女性に優しく微笑みかけた。

「優しいのね、貴女は」

「そんな…」

 女性は首を振った。

「こんな身体で、愛しい人に逢いに来たなんて…。この人が誰であっても、その願いを叶えてあげたいと思うのは当たり前です」

「そうね…。今まで、ずっと我慢してきたんですもの。最期くらい、ロドニー様の願いを叶えて差し上げたいわね」

「私が、お連れしよう」

 そう言ったのは、浅黒い肌をした男だった。この男も、この村の住人ではない。突然現れた男に、集まっていた者は驚いたようだ。しかし、檸檬と紅蓮龍王はこの男を見るとニヤリと笑った。

「そうね。アンタなら、ママのところまで一飛びだわ」

「こんな所で遭うとは…な」

 二人の顔を交互に見たその男も同じように笑った。

「こちらこそ、檸檬に紅蓮龍王とこんな田舎で遭うとは思わなかったさ。しかし、そんな話をしている時間はロドニーには残されていないのだろう。願いを叶えたいならば、急がなくては」

 男は言うと、眠っているロドニーを軽々と抱き上げた。そのまま宿を出ると、村の中心にある広場へと進む。そこで男は正体を現した。

 男の正体は銀色に輝く龍であった。バハムトと呼ばれる種族の龍だ。長く生きると人に変化することも出来るようになる。バハムトはロドニーを乗せると大空へと飛び立った。

「どうか…間に合って…」

 飛び去るバハムトの背中に、檸檬は祈った。

 頬にあたる冷たい風でロドニーは目が覚めた。

「これは…!」

「お目覚めか、ロドニー」

 バハムトは背中のロドニーに声を掛けた。

「お前の最期の望み、ナディアに抱かれて永遠の眠りにつくことを叶えてやろうと思ってな」

「バハムト!」

「これは私だけの意志ではないぞ。檸檬や紅蓮龍王、それにあの国境にあるプロトメイトの村人の意志だ」

「…かたじけない」

 ロドニーは頭を垂れた。メリルやボック、そして今の話に出ていた者全てに対する感謝する。人生の最期に、これほどに人の暖かさを感じられるとは思わなかった。そんなロドニーの心中を察してか、バハムトは言う。

「お前の人生、それだけ価値があるものだったんだよ」

 その言葉に涙が出そうになる。

 バハムトがゆっくりと降下を始めた。目の前には奇妙な造りの館が見える。ロドニーの心臓がドクンと鳴った。

「あそこに…?」

「そう。あれがナディアの生まれ変わりであり、現在の蒼銀の乙女であるリーナ=サーガが暮らす館。通称銀の館だ」

 その館の前で降りると、バハムトは再び人の姿に変わった。ロドニーはその後ろについて歩き出そうとした。その時だった。止まっていたはずのあのミシミシという音が身体中から発せられ、全ての力が抜けた。そして、その場に倒れ込んでしまう。地面に着く前にバハムトがロドニーの身体を抱きとめた。立ち上がろうとするが、どうしても足に、いや体の何処にも力が入らない。

「限界…か」

 バハムトは言うと、ロドニーを抱き上げた。

 銀の館の入り口にはリーナの子供達が遊んでいた。バハムトの姿を見つけると駆け寄って来る。

「ママを呼んでおくれ」

 バハムトは優しく話し掛ける。女の子が館へと走っていく。館に住む戦士が一人、バハムトを迎えに来た。そしてその腕に抱かれるロドニーを見て、一瞬身構える。しかし、すぐに警戒を解いた。誰の目にも、ロドニーの最期の瞬間が近いことは明白である。戦士は二人のために館の扉を開けた。

 扉の向こうに、リーナが立っていた。いつもならばツインテールでお転婆娘よろしく戦闘服に身を包んでいるリーナが、髪を下ろしドレスを着て二人を出迎える。その姿は、ロドニーが愛したナディアと瓜二つであった。

「ロドニー様…」

 リーナはバハムトに抱かれたロドニーの名を呼んだ。

既に霞んでよく見えないロドニーの視界にはあの日のナディアがいた。ゆっくりと腕が伸びる。リーナのいや、ナディアの頬に触れた。暖かく、柔らかいその肌に…。

バハムトの腕から降りると、ロドニーは限りの力でナディアの身体を抱き締める。ナディア、いやリーナもロドニーを抱き締めた。

「ナディア…。私の…」

「ロドニー様…」

 リーナは微笑んだ。しかし、その瞳には涙が浮かんでいる。その涙を指で拭い、ロドニーは問い掛けた。

「ナディア…。君はいま…幸せかい?」

 リーナは無言で頷いた。声を出せば泣き出してしまいそうだった。

「そうか…。幸せなんだね…よかった…」

 ロドニーは笑った。まるで少年のような笑顔であった。

 そして、全身の力が抜ける。リーナだけでは支えられずに、バハムトが慌てて二人を抱きとめる。

「ロドニー様?!」

 リーナは悲鳴のような声でその名を呼んだ。しかし、ロドニーは反応しない。少年のような笑顔のまま、まるで凍りついたかのように動かなくなっていた。動かないロドニーにリーナは語りかける。

「ロドニー様こそ、幸せだったんですか? 本当に、幸せを感じられたのですか?」

「幸せに決まっている」

 バハムトが代わりに答えた。

「ロドニーの中には、いつでもお前がいた。どんな時でも、お前が、いやナディアがいた。その愛する者に抱かれて逝かれたんだ。幸せだったに決まっている」

 バハムトの声も震えていた。


 ロドニーの亡骸はダークに引き取られ、盛大な国葬が挙げられた。

 ロドニー=デ=モンテグランデ公爵。愛する者と愛する者が愛した国を守り続けた男。彼の最期の願いは確かに叶った。それだけが救いであった。


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