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ゴーストライター  作者: 岡部麒仙
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自分らしい生き方を求めて

 電車に乗って帰宅する途中、村瀬はあることを思案していた。朝倉が発表した論文は実はゴーストライターが書いたものだと大学やマスコミに告発してやろうか。そうやって朝倉を主任教授の座から追い落とせば、北沢も鹿島も沖田も救われるだろう。

 だが、なぜそれを知っているんだと人から問われると、自分の立場も危うくなる。それに口外することは大恩ある郷須都への背信にもなるし、ゴーストライターを務めた以上は守秘義務があり、それを遵守しなければならないというプライドも捨て切れないでいた。どうするべきなのか。村瀬は苦悩した。

 帰宅すると、ほどなく雪奈と対座して夕食を取ったが、その思念は脳裏にこびり付いて離れなかった。すると雪奈はそれを見透かしたように尋ねた。

「何か悩みでもあるの?」

「いや、別に悩みというほどのことじゃないよ」

「でも、さっきから難しそうな顔をしてるわよ」

 そうか。雪奈にはお見通しなのか。生涯の伴侶に選んだ雪奈なら理解してくれるだろうと思って全てを打ち明けた。

「実は……」

 それを聞いた雪奈は意外と驚いたような素振りを見せなかった。

「人生はいろんな場面で迷いが生じるけど、最後は自分らしさを信じていれば、道が開けるんじゃないかな。私も自分らしく人生を歩むあなたが好きよ」

 そう言って微笑を浮かべた。

 そうか、自分らしくか。自分らしさって何だろう。今の自分は自分らしく生きているんだろうか。自分らしさをどこかに置き忘れたんじゃないだろうか。どうすることが自分らしいのかな。そう思うと、またしばらく沈黙に陥った。

 その夜は眠れそうになかったので、ベランダに出て夜の空を見つめていた。都会の夜は星よりも街灯やネオンの方が派手に輝いている。人間の社会では自然は埋没していくんだなとふと思った。

 そんな中、村瀬は雪奈にプロポーズした日のことを回想していた。


 その日は夜景が見えるおしゃれなバーに連れ出した。普段は安い飲み屋にしか行かない村瀬にはとっておきの場所だった。

 唐突に結婚してくれと言うのも不自然な気がするから、どんな前置きを踏まえてプロポーズの言葉への流れを作ろうかと思案したが、やはりゴーストライターをやっていることを隠したままにはできないだろう。それまではありふれた世間話をしていたが、きっかけを作ろうと話題を切り替えた。

「話は変わるけど、学生の頃どんなアルバイトをやっていた?」

「ハンバーガー屋の店員しかしたことがないな。でも、人と触れ合う機会が増えて意外と楽しかったわ。あなたは何をしたの?」

「予備校講師をやっていたよ。少しは社会に貢献しようと思ってね」

「やっぱり一流大学に通う人は稼げる仕事をしていたのね」

「女だったら水商売が高給だぞ」

「え~。高給でもそんな仕事はちょっとな~」

 そうか。雪奈はそんな仕事はしないのか。だったらゴーストライターなんていかがわしい仕事をしている男は受け容れないかもしれない。それでも秘密にはしておけず、意を決して告白した。

「学生の頃もそうだったけど、今はもっと社会に貢献する仕事をやっているよ。今まで秘密にしてきたけど、実は大学教授が発表する論文のゴーストライターをやっているんだ」

「へえ~。そうだったの。私は平凡な会社員だからそんな職業には憧れちゃうな」

「こんな詐欺まがいの仕事に憧れるのか?」

「子供の頃は誰でもスポーツ選手やミュージシャンになりたいとか思うけど、大人になったら平凡な職業に収まっていくでしょ。だから自分のやりたいことをやって生きている人って素敵だと思うの」

「じゃあ、こんなアウトローな男でも受け容れてくれるのか?」

「受け容れるってどういうこと?」

「こんな俺だけど、結婚してくれるか?」

「私は型にはまっていく人より、自分らしくまっすぐに自分の道を進む人について行きたいな」

「じゃあ、ついて来てくれるのか?」

「さあね。風が吹く方向に任せるわ」

 そう言って、プロポーズに同意したことを暗示した。

 それから雪奈は出来た良妻になった。こんな仕事をしていても村瀬がすることに反対したことは一度もない。いつも素直に村瀬の人生を励まし、自分らしい生き方を尊重してくれた。雪奈の存在を足枷のように感じたことはなく、自由に人生を全うできた。

 そして、村瀬も偽りのない自分の信念を携えて自分の人生を歩んできた。二人はいつでも同じ方向を見つめていた。そんな二人だから今までうまくやって来られたんだ。それは今後も変わらないだろう。今は愛する妻の言葉を受け入れて自分に正直になろう。今さら、そう決心した。

 自分らしくか。さっきも雪奈が言ったけど、自分らしさって何だろう。鹿島には「やりたいことをやったらどうだ?」と言ったけど、そう言う自分はやりたいことをやっているのだろうか。やりたいことって何だろう。今の身分を捨てても朝倉を追い落とすことなんだろうか。それともこの研究室の体質に甘んじることだろうか。

 相入れない二つの命題が脳裏を駆け巡った。以前は大学の専任講師になりたかった。でも、専任講師になった今はゴーストライターだった頃と比べて、やりたいことをやっているのだろうか。

 夜空を見つめると、微かに北斗七星が見えた。太古の人々は星に運勢を重ね合わせ、星座を作って占いの手段にした。星の下では人間の営みがちっぽけに思えた。北斗七星を見つめると、自分の本心が内側から洗い出されたような気がした。心の赴くままに生きるとどうなるのかな。そう自問すると、やがて村瀬の心に一つの答えが見え始めていた。

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