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【灰被りの赤ずきん】

作者: みちしるべ

 

 むかし、むかし。


 あるところに赤色の頭巾が似合う女の子がいました。その子は森で赤ずきんと呼ばれていました。

 ある日赤ずきんはおかあさんのお使いで、森に住んでいるおばあさんの家に行きます。おかあさんは出掛ける前に、赤ずきんにこう言います。


「いいかい?絶対に寄り道しないで、すぐ帰ってくるんだよ」


 赤ずきんはおかあさんに言われたことを忘れないように、出掛けていきます。






 ある森にに一匹の狼が住んでいました。黒い毛並みに赤い瞳の大きな狼です。その狼は人里から野菜を奪ったり、旅人の食料を狙ったりしていたので人々は困っていました。その上その姿はまるで冥府からの遣いのようで、恐怖の対象でもあったのです。

 今日も今日とて、赤ずきんと呼ばれる女の子の荷物を狙っています。栗色の髪に青い瞳の可愛らしい女の子です。


「こんにちは赤ずきんの似合うお嬢さん。お出掛けかい?」

「あら狼さん。そうなの。これからおばあさんの家にお届け物をしなくてはならないの」

「そうかい。そうだ、森の中にある、何時も綺麗なお花畑のお花を摘んでいったら、もっと喜ばれるんじゃないのかな?」

「そうね。そうかもしれないわ」


 そう言うと赤ずきんは歩きだしました。狼は後をついていきます。

 しかし赤ずきんはお花畑の方ではなく、真っ直ぐおばあさんの家に向かっています。慌てた狼は言いました。


「お嬢さん、お嬢さん。そっちはお花畑じゃないよ。お花畑はあっちだよ!」

「知ってるわ、それくらい。だけど私はおばあさんの家にお届け物をしに行くの。お花はいらないわ」

「だけど、おばあさん。きっと喜ぶよ」

「そうね。そうかもしれないわ。だけど道草はいけないわ。おかあさまやおねえさまに、もっと叱られてしまうもの」


 狼はおばあさんが喜ぶと言ってもお花畑に行かない赤ずきんに慌てます。

 そして計画を変更して、おばあさんに化けて荷物を奪う作戦にしました。


「お嬢さん、お嬢さん。俺、急用ができてしまった。さようなら」

「ええ。狼さん、さようなら」


 狼は赤ずきんが去ったのを確認して全速力でおばあさんの家に向かいました。

 運がいいことにおばあさんは留守です。おばあさんがいたらおばあさんを襲わなくてはならなかったかもしれません。今日の獲物はあくまで赤ずきんの荷物。狼は他には興味ありません。

 おばあさんのクローゼットから適当におばあさんの服を取り出して着替えます。そしてベットに潜り込んで赤ずきんが来るのを待ちます。

 そうして暫くして、コンコンとドアと叩く音が聞こえました。


「おばあさん、おばあさん。私よ。入ってもいい?」

「おやおや、可愛い赤ずきん。わかってるよ。早くお入り」


 赤ずきんはドアを開けて中へ入ります。

 そしておばあさんに化けた狼を心配そうに見つめます。


「おばあさん、おばあさん。大丈夫?なんだか具合が悪そうね」

「ええ、赤ずきん。大丈夫。ちょっと寝ればよくなるわ」

「それならいいわ。おばあさんにはいつまでも元気でいてもらいたいもの」


 赤ずきんは荷物をテーブルに置きます。それさえあれば赤ずきんに用などありません。


「赤ずきん、赤ずきん。早く帰らないとおかあさんが心配するよ」

「そんな事ないわ。おかあさまもおねえさまも私の心配なんてしてないわ」

「赤ずきん、赤ずきん。早く帰らないと私の風邪がうつってしまうよ」

「心配ないわ。私の体は頑丈なのよ」


 赤ずきんは一向に帰ろうとしません。その時ドアを開ける音がしました。おばあさんが帰ってきたのです。


「まあ、来ていたのかい?いらっしゃい、大きくなったわね」

「おばあさん。久しぶり。会いたかったわ」


 狼は気を失いそうになりました。こうなったら赤ずきんとおばあさんに気付かれないうちに逃げ出すしかありません。二人が悲鳴をあげて誰かに助けを求める前に。


「おや、こんなところに狼が。このままでは食べられてしまう。食べられる前に食べてしまおう」


 おばあさんはそう言って壁に飾ってあった銃を取り狼に向けます。狼はその意味が分かっていました。銃が火を吹く前に事を済ませなければなりません。


「狼さん。おばあさん。お願い、喧嘩はやめて!」


 そう言って赤ずきんはおばあさんの手から銃を奪い、狼の背に乗ります。いきなりの事で狼は体制を崩し、軽いはずの赤ずきんの下敷きになって動けません。


「邪魔をしないで。狼は悪いのよ。何時も嘘をつくし、人の物を勝手に奪うし。そんな悪い狼は、毛皮を剥いで服にして、肉は鍋に入れて食べてしまおう」

「勝手な事を言うなよ。俺は確かに嘘をついた。赤ずきんの荷物を奪うために、お花を摘んだらあんたが喜ぶと。でも結局奪えていない。まだ何も奪っていない」


 狼とおばあさんは互いに譲らない。そこで赤ずきんが二人の間に立つ。


「もう、いいじゃない。二人とも。狼さんは嘘つきでも、おばあさんは少し酷いわ。私ずっと狼さんとお喋りしてたのに、襲われてなんかないないのよ。それが証拠。狼さんは怖くないわ」

「わかったよ。そこまで言うなら仕方ない。この狼は今日の所は殺さない。あんたもいいね、狼」

「わかってる。ここまでいいことを言ってくれたお嬢さんを襲う気なんかになれやしない。だけど赤ずきんのお嬢さん。なんで俺だと分かったんだ?」

「簡単よ。おばあさんは私の事を赤ずきんとは呼ばないわ。私の事は名前で呼ぶもの」


 狼にとっての最大の疑問。だけど答えは呆気なかった物です。最初から赤ずきんは分かっていたのです。狼がおばあさんに化けていると。

 赤ずきんは不意に外の様子を見て悲しそうな顔をする。まだ日が高いのに。


「おばあさん、おばあさん。私、もう帰らないと。おかあさまやおねえさまが心配するわ」

「まだ来たばっかりじゃないか。もう少しゆっくりしてお行きよ」

「ごめんなさい。そうしたいのだけど、帰らなきゃ」


 急いでドアに向かう赤ずきん。それを後ろから狼が声をかけます。


「待てよお嬢さん。俺が全速力で送ってやるから、おばあさんと話しなよ」

「だけど、だけど」

「心配するな。お前が走るより、俺が走った方が絶対に早い。これは本当の事だ。信じてくれよ」


 赤ずきんは少し考えた後、おばあさんのそばに行きました。狼を信じたのです。

 おばあさんと赤ずきんは暫し会話を楽しみました。


「狼。ちゃんとあの子を送ってやるんだよ」

「わかっているよ。しつこいな。じゃあお嬢さん、しっかり掴まれよ」

「分かったわ。おばあさん、またね」


 狼は全速力で森を駆け抜けます。赤ずきんはしっかりと掴まりながらも早く過ぎ去る森の光景から目を離せません。


「すごい、すごいわ。何て速い……」

「余り喋ると口を切るぞ」


 狼はあっという間に森を抜け、大きな屋敷が見える位置まで辿り着きます。

 赤ずきんは屋敷が見えるとすぐに狼を止めました。


「ありがとう。狼さん。ここまで送ってくれてありがとう」

「もういいのか?少し歩くぞ?」

「いいのよ。本当にありがとう!」


 赤ずきんは笑顔で振り向いて走って行きます。


「なんだよあいつ。変なやつだったな」


 狼は森に引き返そうとします。

 しかし赤ずきんの事が気になったのか、誰にも見つからないように気を付けながら急いで屋敷の方へと向かいました。


「まあ、やっと帰ってきた!遅いわよ!行って帰ってくるだけでどれだけ時間がかかっているのよ!」

「ご、ごめんなさい。おかあさま……」

「お前は今日はご飯を抜きね。さあ、さっさと私たちの昼食を作りなさい。それから洗濯、掃除、買い物!お前の仕事は沢山あるのよ!」

「は……はい。おかあさま」


 そこには叱られている赤ずきんの姿がありました。おかあさんに叱られているのです。しかもおかあさんは、娘であるはずの赤ずきんを召し使いのように扱います。

 狼はその光景を信じる事が出来ませんでした。酷い光景だったのです。

 暫くして箒を持った裸足の身なりの悪い女の子が出てきました。すぐには気がつきませんでしたが、あの女の子は赤ずきんでした。

 赤ずきんは箒で枯れて散った落ち葉を集めて行きました。痛々しい姿です。人間にとって厚着をしないと寒い季節に、薄着で裸足で手足を真っ赤にしながら仕事をしているのです。

 漸く散った全ての落ち葉を集め終った赤ずきんはほっと一息つきます。しかしそれも一瞬でした。


「あーらごめんなさい。せっかくお掃除してくれたのにその落葉が入った袋を開けて中身を放り出してしまったわー」

「もーうお姉さまったらしょうがないんだからぁー。まあ、あたしもさっき部屋にあったゴミ袋や暖炉の灰入れバケツをぶちまけてしまったけどね。しかもそのまま」


 おねえさんは赤ずきんに謝りまっていますが全然謝っているように見えません。むしろ謝っている裏で赤ずきんを笑っているように見えます。


「お前が悪いんだよ。クズでノロマだからこんな事になるんだ。さっさとなさい」

「そうよ!そうよー」

「クズでノロマのシンデレラー」


 三人は赤ずきんを【シンデレラ】と呼んで笑います。

 赤ずきんは俯いたまま何も言いません。黙ったまま何も言いません。

 狼はこの場で起こった全ての出来事を信じる事が出来ませんでした。

 そのうち日が暮れ、夜となり。赤ずきんが再び外に出てきました。沢山の野菜を持っています。

 その野菜を洗い、皮を剥き切る作業を黙々と進め、ついに最後の野菜が終わりました。


「はあ……やっと終ったわ。おかあさまたちはもう寝てしまったのね。疲れた……」

「おい!赤ずきん!!」


 狼はタイミングを見計らって赤ずきんに話しかけました。今、ここには赤ずきんと狼しかいません。


「あら狼さん。森に帰ったんじゃなかったの?」

「お前、なんなんだよ今日のは!あいつら最低だよ。俺よりも酷いぜ。きっと」

「うふふ……。そうね。そうかもしれないわ」


 赤ずきんは笑っています。あれだけ酷いことをされたのに、笑っているのです。狼は信じられませんでした。悲しくて、辛くて、当たり前だと思っていたからです。

 赤ずきんは立ち上がり、切った野菜や皮が入った袋や包丁等が入ったかご等を持って立ち上がります。


「ごめん。俺があんな事言わずにさっさとお前を帰していたら、こんなことされなかったんだな」

「それは違うわ。例え一瞬で行って帰ってこれたとしても、あの人たちは何時ものようにこんな事をさせるわ。でもいいの。慣れてるもの。それに今日おばあさんと話せて私、本当に嬉しかった……ありがとう。狼さん。そしてさようなら。ここでの事は、おばあさんには内緒ね」

「何言ってんだよ!こんなの酷すぎる。あいつら人間の屑だ!」

「それは言い過ぎよ。あのね。この事ををおばあさんに言われると、私が今までおばあさんに嘘をつき続けさせれられていることがばれてしまうの。それは駄目。内緒にしてて」


 狼は納得がいきません。こんなにも優しい子があのような女たちに酷い目に遭わされているのです。


「狼さん。優しい、狼さん。あなたに私のもう一つの、本当の名前を教えてあげる」


 月夜に輝く少女は、薄汚れた身なりに負けないほど美しい光を放っていました。


「私はエラ。灰被りのエラ(シンデレラ)よ」


 この事も、おばあさんには内緒ねと。ふわりと笑って赤ずきんを脱いだ灰被りの少女(シンデレラ)は、それだけ言って家に入りました。






 それからこっそりと狼は、毎日シンデレラとおばあさんに会いに行きました。

 おばあさんは最初は狼を嫌っていましたが、次第に受け入れていきました。

 シンデレラとの約束があって、狼はおばあさんにシンデレラの不幸な境遇について話すことはありませんでした。

 それから暫くして、おばあさんは亡くなりました。何時までも元気だと思っていたおばあさんは、唯一の肉親であるシンデレラを一人残して、亡くなってしまったのです。

 その事に喜んだのは意地悪なおかあさんとおねえさんでした。シンデレラの両親の遺産を独り占めする為に。自分達を遺産の、シンデレラの後継人として認めさせる為に。シンデレラを赤ずきんとして、時々おばあさんと会わせていたのです。


「いいかい、シンデレラ。あんたは穀潰し。そうでありたくないのなら、これまで以上に働きなさい!私の事は奥様とお呼び!!」

「さっさと私たちのご飯を作ってよ!」

「あたしたちの服の洗濯と部屋の掃除もね!」


 その日から【赤ずきん】はいなくなり、代わりに虐げられる【シンデレラ】の姿が多くなりました。


 狼はおばあさんが眠っている地へと行きます。年中様々な花を咲かせるお花畑のお花を持って。


「おばあさん。あいつはいい子だよ、エラは。何時も笑っているんだ。誰よりも一生懸命なんだよ」


 狼はそっとお墓に花を添え、静かに立ち去りました。

 最後に、誰に向けたでもない言葉を出して。


「見てるこっちが辛くなるくらいにな」






 数年後。シンデレラが年頃の女の子になった頃。

 シンデレラたちの住む国の城で舞踏会が開かれる事になりました。チャーミングという笑顔が素敵な王子との結婚相手を探すための舞踏会です。

 チャーミング王子のお嫁さま。つまり、未来の王妃を決める為に、国中の娘たちを招いての舞踏会。

 その招待状はついに、シンデレラの住む家にもやって来ました。


「お城で舞踏会!!チャーミング王子と結婚!!幸いな事に私には。あまりにも可愛らしく、美しすぎる娘が二人も!!」

「負けないわよ!」

「こっちこそ!!」


 シンデレラそっちのけで盛り上がる三人。招待状を確認した奥様がシンデレラに声をかけます。


「シンデレラ。この招待状はあんたのもの。だけどあんたは行けないわ。身分が違いすぎるもの。身分が」

「行けると思ったのー?シンデレラが?お家の仕事がたーくさんあるのに?」

「着ていくドレスもないくせに?」

「さあお前たち!他の子達よりも早く素晴らしいドレスを仕立てて貰わなくては!!こんな惨めな子は放っておいて」


 奥様はシンデレラに送られた招待状を暖炉の中に放ってしまいました。

 シンデレラは慌てて手を伸ばしますが、暖炉の火は夢の舞踏会への招待状を、ただの灰へと還してしまいます。


「お母さま見て。シンデレラったら、その名の通り灰被りの惨めな子(シンデレラ)だわ!」

「あはは!!あははははっ!!」

「お前たち。お前たちはあんな惨めな子になってはいけませんよ!」


 奥様たちはシンデレラを虐げるだけ虐げて、ドレスを買いに出掛けていきました。

 シンデレラはその様子を見送ることしか出来ませんでした。


 そして、舞踏会の日がやって来ました。

 彼方此方から馬車の蹄の音が聞こえてきます。シンデレラの住む家の前にも、立派な馬車が停まっています。


「それじゃあシンデレラ。私たち行ってくるから」

「しっかり留守番してんのよ!」

「掃除もねー!」


 奥様たちはそれだけ言って、舞踏会の開かれるお城まで出掛けていきました。

 後に残されたシンデレラ。狼はそっと彼女に寄り添います。


「エラ。泣いてもいいんだぞ。お前にはその資格がある。行きたかったんだろ、舞踏会」

「そうね。そうかもしれないわ」


 シンデレラは、彼女が赤ずきんの頃から使っている言葉を口ずさみます。


「……ううん、そうよ。行きたかったわ、もの凄く。一度でいいから舞踏会で、きらびやかな世界で夢のような一時。素敵な殿方と一曲踊って……」


 シンデレラは小さな頃からのお友達の狼に、その本心を打ち明けます。

 月夜に輝き涙が光ります。止まりません。彼女の心は止まらない。これほどの優しい子がこんな目に遭わされるとは、何と悲しい事なのか。なんと虚しい事なのか。

 シンデレラの中から悲しみが溢れてくるように狼は感じました。狼はシンデレラが涙を流す姿を見たことがありませんでした。

 暫くの間シンデレラが枯れる事のない涙を流していると、今まで感じた事のない風が流れてきました。


 ─おやおやまあまあ。お嬢さん。何をそんなに悲しんでいるの?貴女に涙は似合わないわ。


 風と共に、どこからか声が聞こえました。

 知らないようで、実はずっと昔から知っているような声が。小さな子供のようで、立派な大人の声が。


 ─おやおやまあまあ。お二人さん。私はそっちではないよ。私はこっち。


 二人が振り向いたその先に、見慣れない女性が一人いました。

 手には杖を。体からは光を。輝くドレスを身に纏う女性が一人。


「おやおやまあまあ。お二人さん。私の姿がおかしいの?そんなに目をまぁるくさせて」

「貴女、誰……?」

「おやおやまあまあ。お二人さん。私の事を知らないの?まあ、知らないのは無理もない。貴女には会ったことないもの」


 そういうと女性はふわりとお辞儀をして、はっきりとこう言いました。


「私はフェアリー・ゴッドマザー。この地を統べる妖精であり、魔法使い」

「そんな、冗談はよして。フェアリー・ゴッドマザーなんておとぎ話よ。実在するはずないわ」

「ここにいるんだけどねぇ。証拠を見せればいいのかしら?さてさてさてさて。何をしましょう」


 フェアリー・ゴッドマザーは周りを見て、大きな白いカボチャを見つけました。それを庭に持っていって杖を一振り。するとそのカボチャは美しい白い馬車になりました。

 それから狼を見てこう言いました。


「貴方は従者が似合うと思ったんだけど、ちょっと無理ね。その代わり馬車を引っ張る馬になれるわ」


 そう言うとまた杖を一振り。すると狼は美しい黒馬になっていました。白に黒がよく映えます。

 それから杖をまた一振り。木に停まっていた鳥たちが従者になっていました。

 そして、暖炉に向かって一振り。すると灰になったはずのシンデレラへの招待状が元の姿に戻りました。


「さあて、最後は貴女よ」


 そう言って最後の一振り。

 そうするとシンデレラが着ていた薄汚い服はみるみる内にきらびやかな、赤が所々入ったドレスに変わりました。薄汚かった灰まみれの顔からは灰が取り除かれ、髪には艶が出ていました。それどころか、栗色かと思われていた髪はキラキラと輝く金色の髪になったのです。

 フェアリー・ゴッドマザーはシンデレラに足を出すように言いました。シンデレラの足は裸足でしたが、フェアリー・ゴッドマザーは懐からガラスの靴を取りだし、シンデレラに履かせました。


「すごい、すごいわ。なんて綺麗……」

「さあシンデレラ。舞踏会へ行ってらっしゃい!但し一つ気を付けて。私の幸せの魔法は一夜限り。十二時の鐘が鳴り終わると解けてしまうの」

「分かったわ。ありがとうフェアリー・ゴッドマザー!いってきます!」


 美しい黒馬になった狼は、シンデレラを乗せた馬車をお城まで引っ張ります。フェアリー・ゴッドマザーはそれを見ながらポツリと一言呟きました。


「私の【幸せの魔法】はね」と。


 そして、誰にも気付かれる事なく消えてしまいました。


 やがてお城に辿り着き、小鳥だった従者は招待状を門番に渡し、シンデレラは夢にまで見た舞踏会へと足を踏み入れました。

 そこには、シンデレラが想像していたものよりももっときらびやかな世界が広がっていました。天井にあるシャンデリアからはキラキラとした光が降り注ぎ、暖かい室内には美しく着飾った様々な人たちがいます。

 料理も、シンデレラが今まで見たことがないほどの豪華な物が揃っていました。

 美しい曲によって、色々な人が踊っています。

 シンデレラはその中で一際人が多くいるのを見つけました。中心にいる男性を除けば、見える人は全てを女性です。よくよく見てみれば奥様やお嬢様たちもいます。どうやら中心にいる背が高く、金髪金眼の男性とのダンスを取り合っているようです。シンデレラは今どこをどう見てもあの灰被りと同一人物には見えませんが、三人がいるところに行きたくないと距離を置きました。

 それに目を着けたのはまさかの中心にいた男性でした。此方に来ない女性に興味を持ったのです。女性たちを穏やかに押し退け、シンデレラの元へと向かいました。この人こそ、笑顔が素敵だと言われているチャーミング王子なのです。

 チャーミング王子はシンデレラを呼び止めました。そして振り向いたシンデレラを見て思わず息を止めてしまいました。この世のどんな女性よりも魅力的に思ってしまったのです。元々整った美しい顔に、フェアリー・ゴッドマザーによるドレスがシンデレラの魅力を最大限に引き上げているのです。

 ホールでは別の曲を奏で始めました。チャーミング王子は間髪入れずシンデレラにダンスの申し込みをしていました。


「お嬢さん。僕と一曲踊って頂けませんか?」


 それに驚いたのは周りの人たちです。周りの人はチャーミング王子が、ダンスを誰かと踊るのを渋っていた事を知っていたからです。

 周りの声で、シンデレラは漸くこの目の前にいる男性がこの国の王子だと知りました。しかし、誰であってもシンデレラはダンスの申し込みを受けようと考えていました。わざわざこんな自分をダンスに誘ってくれているのだから、断るのは失礼だと考えていたからです。


「はい。喜んで……」


 シンデレラは王子の手を取りました。シンデレラにとって始めてのダンスです。ですがチャーミング王子のリードがよかったのか、フェアリー・ゴッドマザーが魔法を掛けたのか、シンデレラは一度も失敗する事なく踊ることが出来ました。


 その後シンデレラとチャーミング王子は城の庭で語り合いました。王子はシンデレラが他の女性たちと違い、贅沢や身分などに囚われない聡い人だと分かると、ますます好きになりました。

 しかしシンデレラは王子と話す時間は楽しいけれど、何か物足りないように感じていました。その理由が分からないまま時間が過ぎ去って行きました。

 やがて、ゴーンゴーンと低い美しい鐘の音が聞こえてきました。するとチャーミング王子はこう言いました。


「十二時を告げる鐘ですよ……」

「十二時を……告げる……」


 その言葉を聞いてシンデレラはあることを思い出しました。フェアリー・ゴッドマザーとの最後の会話です。


「さあシンデレラ。舞踏会へ行ってらっしゃい!但し一つ気を付けて。私の幸せの魔法は一夜限り。十二時の鐘が鳴り終わると解けてしまうの」

「分かったわ。ありがとうフェアリー・ゴッドマザー!いってきます!」


 シンデレラはその会話を思いだし、慌ててチャーミング王子の手を離して距離を取りました。

 城の中で元の姿へ戻ったら、大騒ぎになる上に惨めな姿を晒すことになるのです。


「おっ……王子様!私、帰らないと!」

「えっ?」

「失礼します!」


 すぐに踵を返して外にいる狼たちの所へと向かいました。鐘はまだ鳴っています。ゴーンゴーンと鳴る鐘の音が何時もと同じはずなのに、非常に早く鳴っている気がしました。


「あっ……」


 狼たちがいる所までの道筋でシンデレラはガラスの靴が脱げてしまいました。

 拾おうとすると、遠くで声が聞こえてきます。


「待って!待ってくれ!」


 チャーミング王子が追いかけてきているのです。十二時の鐘が鳴り響いています。あの鐘が鳴り終わるまでに逃げ切らなくてはならないのです。シンデレラは仕方なくガラスの靴を置いていきました。

 ついに鐘は鳴り終わり、シンデレラは元の姿へ戻ってしまいました。遠くでチャーミング王子の声が聞こえます。まだシンデレラを探しているのです。


「ど……どうしましょう」

「エラ!こっちだ!」


 声がする方を見ると元の姿へ戻った狼が草むらに隠れています。シンデレラは躊躇わずその草むらに入りました。王子たちはまさか先程の美しいプリンセスが草むらに隠れている訳がないと、少しも確かめる事なく通りすぎて行きました。


「あ……危なかったわ……」

「本当だよ。そんな時間を忘れるほどよかったのか?」

「……そうね。何時もの虐げられる日々に比べたら、ずっとね」

「……そうか。家まで送ってやるよ。乗りな」


 狼はシンデレラを背中に乗せ、来た道を引き返して行きました。シンデレラが狼の背中に乗るのは久しぶりです。小さい頃、初めて会った日以来なのです。


「すごい、すごいわ。何て速い……」

「余り喋ると口を切るぞ」


 その言葉は初めて出会ったときに、狼が背中に乗せて家まで送ってくれた言葉と同じでした。

 あっという間に家に着きました。奥様たちはまだ帰ってきていません。どうやらシンデレラの不在を怪しまれることはないようです。


「私に残ったのは、素敵な思い出と、このガラスの靴……本当に夢みたいだった。奥様たちだって、私と気付かなかったみたい……」

「そうか。よかったな」

「ええ。狼さん。本当にありがとう……」


 狼はシンデレラを無事に家まで送り届けた後、森へと帰って行きました。

 狼が去ったあと、シンデレラは誰に言うのでもなく、一人ポツリと言いました。


「狼さん。実はね。私、舞踏会に行って分かった事があるの。どんな素敵な方と踊っても、どんな豪華な衣装を着ていても……私にとって、貴方とのかけがえのない時間に比べれば些細な事だった……」


 確かに舞踏会での楽しい時間は、何時もの奥様やお嬢様に虐げられる日々に比べたら何倍も何十倍もいいに決まっています。

 しかし、その日々には何時も励ましてくれる狼の姿がありました。あの出会いの日から、ずっと狼といたのです。あの狼がいたから、シンデレラはずっと、唯一の肉親のおばあさんが亡くなっても頑張ってこれたのです。

 それが今日は、狼といた時間は殆どありませんでした。狼と話せた時間があまりなかったのです。それだけで寂しいと思ってしまう、自分の気持ちに気付いたのです。狼に対する淡い思いに気づいたのです。


「貴方が人間だったら良かったのに。そうしたら例えどんな顔でも姿でも、きっと貴方に惚れてしまっているわ……」






 その頃城では、チャーミング王子が名も知らぬプリンセスが落としたガラスの靴を持って、深い深い溜め息をついていました。

 側にはチャーミング王子が幼い頃から知る大臣が控えていました。この大臣には一人の息子がいましたが、行方知れずのまま亡くなったと噂されていました。国王は大臣の息子と歳が近いチャーミング王子の世話を任せていたのです。


 大臣は王子がそこまで会いたいのであれば、そのプリンセスと再び巡り合わせたいと思っていました。チャーミング王子から話を聞く限りその女性は王族の立場にも贅沢にも執着していない様子でしたので、王族に取り入って甘い汁を啜ろうとする何処かの浪費者たちと比べたら遥かに善政を築けそうだと思ったからです。

 大臣は意を決し、チャーミング王子にこう進言しました。


「国中にお触れを出し、そのガラスの靴がピッタリ合う娘を探すのはいかがでしょう」


 チャーミング王子は大臣の言葉に目を輝かせ、すぐさま国王と王妃からお触れの許可を取りました。






 翌日。早速国中にお触れが出ました。

 チャーミング王子が一目惚れしたプリンセスが唯一落としたガラスの靴の片方。その靴の持ち主であり、サイズがピッタリだった者がチャーミング王子と結ばれるという物のです。

 国中の娘たちは皆嬉々として靴を履こうとしました。しかし誰もピッタリと履けるものがいません。



 そもそも国中の娘が出ているのだから、一人くらいシンデレラ以外にも履ける者がいても全く可笑しくはありません。幸せと試練の象徴であるフェアリー・ゴッドマザーが関わっていなければ、の話ですが。

 実はあの靴はフェアリー・ゴッドマザーが特別な魔法で作り出した靴でした。その為十二時の鐘が鳴っても消えることはありませんでしたが、特別な者でないと思い通りに靴が使えないようになっていました。


 フェアリー・ゴッドマザーがガラスの靴にかけた魔法の試練は二つあります。その一つ目が、【美しい心の持ち主】にしか履けないというものです。例えばシンデレラと同じ靴のサイズの娘であったとしても、少しでも王子との結婚によって贅沢しようなど考えている者たちは履くことが出来ません。

 そもそもあの舞踏会でガラスの靴を履いていた者はたった一人、シンデレラのみなのです。持ち主でないのに自らの物だと嬉々として履こうとする事自体、履くことの出来ない者の証になってしまうのです。

 よってお触れが出てしまった今、このガラスの靴を履ける者はこの世でただ一人、シンデレラのみとなってしまうのです。



 ガラスの靴の持ち主を探す王子たち一行は、ついにシンデレラが住む家へとやって来ました。お嬢様たち、果てには奥様までもが履こうとしましたが、結局誰にも履くことは出来ませんでした。

 シンデレラはお触れの事を奥様たちにひた隠しにされていたので知らない上に、王子との結婚も贅沢も眼中になかったので、何時も通り奥様やお嬢様たちに言われた仕事をやっていました。水汲みと洗濯を終わらせたシンデレラは家へと戻って次に言われるであろう家中の掃除に取り掛かろうとしました。

 そこで王子たち一行の中にいた大臣が、奥様からガラスの靴を取り上げた所に鉢合わせしたのです。ですが、お触れの事を知らなかったシンデレラは普通にお客様が来たのだと思い、一礼してからお茶の準備をしに台所へ向かいました。


「あの子は……?」

「あ、あれは身分が違います!王子との結婚など出来るわけがないので、そのガラスの靴は履かせなくても結構です!どうせ履けるわけがないので!」


 シンデレラはその声で驚いてティーカップを割りそうになりました。まさかガラスの靴を持ってきて履ければチャーミング王子と結婚とは思わなかったのです。どうしてあの時ガラスの靴を拾わなかったのだと思わず後悔してしまいますが、もう遅いです。どうにか言い訳を考えますが全く思い付きません。他の……それも狼に淡い思いを抱いているなど靴を履かない理由にはなりません。言ってしまえば奥様たちにこれからもっと酷い事を言われてしまうに違いありません。そもそもこの思いを胸に秘めようと思っていた矢先にこの事態なのです。

 こうなれば奥様たちが王子たちを穏便に帰してくれることを期待する他ありません。しかし奥様たちがどのように止めても、大臣は靴を持って此方に近づいてきます。


「と……とんでもない!あの子はこの家の召し使いなのですよ!?そもそも舞踏会へなど行かせておりません!」

「……まあ一応、国中の娘とのご命令ですので」


 大臣はお茶の用意していたシンデレラの足元へガラスの靴を置きました。奥様たちは履けるわけがないと、キツイ眼差しで見ています。


「さあ。貴女も履いてみなさい」

「…………………………」


 シンデレラは戸惑いました。この靴はシンデレラの物なのです。履けない訳がありません。しかし、履いてしまうとチャーミング王子との結婚が決まってしまいます。狼への淡い思いを自覚し始めてしまった彼女はその事に躊躇してしまっているのです。

 しかしどれだけ思っても、冷静に考えれば狼と人間が結ばれるはずがありません。結ばれぬ事のない思いを貫く位ならば王子と結婚して忘れた方がいいと、シンデレラは意を決して靴を履きました。

 すると、どんな娘でも履くことの出来なかった靴が、ピッタリと履けたのです。靴も持ち主の元に戻ってより一層美しさが増しました。ですが、シンデレラの表情は曇ったままです。

 奥様たちも大臣も驚いています。ただ一人、チャーミング王子だけはシンデレラの顔に微かに見覚えがあったためシンデレラの手を取りました。


「貴女のお名前は?」


 王子がシンデレラの手を取りながら言いました。シンデレラは余りの申し訳無さに直視出来ずに俯いて答えました。

 おばあさんが亡くなって、呼ぶ人が狼しかいなくなった、シンデレラの本当の名前を。


「私は、エラと申します……王子様……」


 奥様とお嬢様たちは絶望した表情で二人を見ています。自分達が散々虐めてきたエラが、チャーミング王子と結婚するというのです。これからの事を考えると恐ろしくてなりません。エラに全く、復讐する気がなくてもです。


 チャーミング王子はエラが靴を履いていない事を知ると靴を脱がせて片方しかない靴ではなく、立派な他の靴を履かせようとしました。しかしチャーミング王子には脱がせることが出来ません。王子は不思議に思いましたが、エラがお守りに持っていた、もう片方の靴を履いたので深く気にする事はありませんでした。むしろもう片方を持っていた事によってエラが正真正銘、あの時のプリンセスだと知れたので嬉しく思いました。


 チャーミング王子はエラと共に馬車へと乗りました。そして二人を乗せた馬車は、悔しそうに、或いは絶望している奥様とお嬢様たちを置いて走り出しました。

 その時エラの履いていた靴の片方が消えてしまいましたが、誰も気付くことはありませんでした。



 実はチャーミング王子がガラスの靴を脱がすことが出来なかったのにはちゃんとした理由があったのです。

 これがフェアリー・ゴッドマザーによる二つ目の試練でした。

 このガラスの靴は自分から脱ぐ又は不測の事態以外には、【履いている持ち主を末永く幸せに出来る者】にしか脱がすことが出来ないようになっているのです。つまりチャーミング王子にはエラを末永くは幸せに出来ないということが本人たちが知らぬ所で発覚してしまいました。



 ところで、消えてしまったガラスの靴は何処へ行ってしまったのでしょう。


 狼は遠くからエラとチャーミング王子が一緒にいる姿を見ていました。漸くエラが幸せになれると喜んでいます。エラともう二度と会えないかもしれないのは狼にとってとても苦しくて悲しい事でしたが、エラの幸せに比べたら些細な事だと森へ帰ろうとしました。

 その時です。狼の頭上に何かが降ってきました。あまりの痛さに怯んでしまいましたが、気絶することはありませんでした。降ってきた物の正体は靴でした。しかもガラスで出来た靴だったのです。この靴は紛れもなくエラの物でした。

 狼はエラの忘れ物をエラたちが通る道に置いて、エラに届くようにしようと考えました。狼は靴をくわえて、人々に見つからないようこっそりと、しかし急いで行きました。

 先回りして、お城付近の道に靴を置きました。そして、静かに去ろうとしました。そうすると何処からか高い音が聞こえてきました。狼はその音の正体を確かめる術がなかったのです。なぜならそれは銃声で、狼は撃たれて倒れてしまったからでした。端から見れば死んでいるようにしか見えません。


 その音は馬車に乗っていた二人にも聞こえていました。


「今のは銃声か?何故ここで銃声が?」

「王子様。どうやら獣が一匹この付近に現れたようでございます」

「そうか。獣が……全く惨めで醜いな。こんな所に入ってくるとは……」


 エラは震えた小さな声で「けもの……」と言いました。撃たれたという獣に心当たりがあったのです。その心当たりというのは間違えなくあの幼馴染みの狼でした。

 エラはそれを想像して顔を真っ青にさせました。いてもたってもいられずゆっくりと進んでいく馬車の扉を開けて飛び出そうとしました。しかし、チャーミング王子はエラの手を掴んで離してくれません。


「エラ!?何処へ行こうとしているんだ!?」

「離してください王子様!私の友達が、死にかけているかもしれないの!放っておける訳ないでしょう!?」


 エラは王子の手を振り切って、馬車を降り音のした方へと向かいました。暫く走っていくとそこには大勢の人がいました。それを押し退けてその中心へと向かいます。そのにはエラの予感通り、銃で撃たれ血を流して倒れている狼がいました。

 エラは周りの目など気にせず、狼の側に行きました。

 狼を揺すって起こそうとします。唸り声が聞こえてきました。まだ微かですが、息があります。シンデレラは狼の意識を少しでも現実に呼び戻そうと必死に呼び掛けます。


「狼さん!狼さん!」

「エラ……?なんで来るんだよ……こんな、惨めで、醜い、獣の所に……」

「惨めなんかじゃない!醜くなんかない!貴方は優しい、優しい……私の大切な方よ……」


 狼はエラの優しさに心を打たれました。こんな人が沢山いる中で狼である自分を大切だと言ってくれたのです。

 狼はエラに靴を渡そうとしました。しかし、靴が見当たりません。人が多過ぎてどこに行ってしまったのかわからなくなりました。

 狼は最後の力を振り絞って立ち上がろうとしましたが、撃たれた傷がそれを許してはくれませんでした。狼の視界はやがてぼやけ、その場に倒れて狼は息を引き取ってしまいました。

 エラは唯一の友達であり、忘れようとしていた思慕する者の命の灯火が消えてしまって深く嘆きました。


「ごめんなさい狼さん……ごめんなさい……!」


 エラは狼の亡骸に寄り添いました。目は潤み今にも涙が零れそうでした。

 その涙はやがて零れ落ち、その一滴が狼の亡骸に落ちました。

 するとどうでしょう。涙が落ちた所が光輝き、狼を優しい光で包み込むではありませんか。

 光が徐々に消えていき、エラの目の前にいたのは狼ではなく、黒檀のような黒い髪を持つ、この世の者とは思えないほどの美しい殿方でした。

 その人はゆっくりと目を開きました。血のように赤い瞳です。エラはその瞳にどこか見覚えがありました。先程までいた、狼と同じように見えたのです。不思議そうに狼に似た瞳で、その人はエラを見ていました。


「ん……?俺は死んだんじゃなかったのか……?」

「あ……あの……?」

「……なんだよ、エラ。王子に嫁ぐのはいいけど、なんで今更そんなじろじろ見るんだよ?あの日から毎日会っていたのに……」

「お……狼さん?狼さんなの……?」

「何言ってんだ?当たり前だろ?見ればわかるじゃないか」


 狼はなんでこんな当たり前の事を今更聞くのかと不思議でたまりませんでした。この人に、見れば見るほどわからないから聞いたと言っても到底理解してもらえないでしょう。そもそも先程死んだ狼が人間になって甦るなどあり得ない話です。


 そんな時、冷たい風が吹きました。エラはその寒さにくしゃみをしてしまいました。先程まで走ってきたので汗をかき、すっかり体が冷えてしまったのです。狼は、エラが王子と一緒にいたわりには何時もの寒そうな服を着ている事を知りました。そして狼は何故か自分がやけに上等な上着を着ている事に気付きました。こんな上着は必要ないと、狼はその上着を脱いで、そっとエラにかけました。


 エラはお礼を言って立ち上がろうとしましたが、思わぬ足の痛みに立てなくなってしまいました。ここまで片足は裸足、片足はガラスの靴で走ってきて、すっかり足が傷だらけになってしまったのです。そして自分の足に違和感を持った狼は、自分が上等な靴を履いていることに気付きました。こんな上等な靴は必要ないと、エラの片方しかないガラスの靴を脱がせ、自分の靴を履かせました。


 そこに、チャーミング王子と大臣が追いつきました。

 チャーミング王子にしてみれば一目惚れしたエラが知らない男と仲がいいことで嫉妬してしまうのも無理ありません。しかし、行動に移せませんでした。隣にいる滅多に表情を変えることがない大臣が、目を見開いて二人の、特に男の方を見ているのです。その顔には驚愕の表情が浮かんでいました。

 大臣は震えた足取りで二人の方へ行きました。そして、その途中でポツリとこう言ったのです。


「ウレッド……?」


 その名前を聞いたチャーミング王子は目を見開かせました。

 ウレッドというのは大臣の一人息子でした。丁度大臣の目の前にいる男のような、黒檀のように黒い髪と血のように赤い瞳を持つ男の子でした。将来はさぞかし美しい美男子になるだろうと言われていたウレッドですが、ある日神隠しにでも遭ったかのように姿を消し、行方が知れぬまま亡くなったと噂されていました。


 大臣は男を抱きしめ涙を流しました。その涙が男の手に触れた途端、その涙によって靄がかかったような記憶が洗われ、男は鮮明に全ての事を思い出しました。



 自分を抱きしめている男を父と呼んでいる自分の姿を思い出しました。

 その容姿と将来の身分から様々な人に言い寄られていた自分の姿を思い出しました。

 その事に怒りと憎しみを持った人に記憶を消され、醜い狼に姿を変えられ森に置き去りにされた事を思い出しました。



 男は震えながら大臣の顔を見て、震えた声でこう言いました。


「とう……さん……?」


 男は確かに先程までそこにいた、エラの友の狼で、行方知れずのまま亡くなったと思われていた大臣の一人息子だったのです。

 大臣は息子を強く抱きしめ更に涙を流しました。エラもウレッドに抱きつき喜びの涙を流しました。


 その様子をチャーミング王子と、周りにいた野次馬たちは見ていました。


「……これ、本格的に僕は振られたのかな?」


 エラはまだ泣いています。

 大臣もまだ泣いています。

 エラも大臣もウレッドに抱きつきながら泣きながら喜んでいるのです。

 チャーミング王子は幼い頃から側にいた大臣のあんな姿を見たことがありませんでした。

 エラもチャーミング王子が迎えに来たときよりもウレッドと共にいる方が嬉しそうに見えました。


「……まあ、いいか。彼女たちが、あんなにも幸せそうならば」


 王子は天を仰ぎました。その時、空から雪がちらちらと降ってきました。それはキラキラと輝いており、まるで親子の再会と恋人の誕生を祝うようでした。



 そんな皆の様子を遠くから見ているひとつの影があります。それは、エラとウレッドを遠くからずっと見守ってきたフェアリー・ゴッドマザーその人でした。

 フェアリー・ゴッドマザーはガラスの靴を持って、満足した笑顔でそのまま何処かへ消えてしまいました。






 その後ウレッドとエラは、森の奥深くにあるおばあさんの小屋で暮らし始めました。庭で野菜や花を育てたり、近隣の村のお手伝いをしたり、時には小屋で旅人をもてなし、休ませてあげたりしました。ウレッドが狼だった頃に迷惑をかけてしまった人たちへのせめてもの償いです。


 チャーミング王子や大臣たちは時々森の二人の元を訪れ、語り合いました。やがてチャーミング王子にも心から愛してくれる、賢く素晴らしい女性が現れました。何年かたった後国王が王位を譲られ、チャーミング王子は国王となり王妃と知恵を合わせて国を益々発展させていきました。チャーミング王たちの偉業は、エラとウレッドの間に起こった恋物語と共に、末永くこの国に語り継がれていくことでしょう。

 森の中で暮らす二人も、お城で暮らす二人も、末永く幸せに過ごしましたとさ。






 ───え?あの意地悪な奥様やお嬢様たちはどうなったのか?


 さあ。今の私には語る術がありません。

 もしかしたら彼女フェアリー・ゴッドマザーなら何か知っているかもしれませんが。彼女はこの地を統べる偉大なる妖精にして幸せと試練の魔法使いなのだから。


 ただ、今の私でも言えることは。

 今回の事を教訓に生かして、意地悪なんかしないで優しさと誠実さを持ったなら、この後もいい暮らしが出来たかもということだけです。





















 これが、私の語るある美しい心を持った乙女─灰被りの赤ずきん─の物語。次のお話は、また今度。






 はつかねずみがやって来た。

 お話は、ここでおしまい……。


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