第八章 クノーリエちゃん、サイコー
荒野で夜を明かしたステファン達は、衰弱の激しいエーザを連れたまま、エミチアには戻らず、礼讚のヘシオンが未だ隠れていると思われる山林へと出立した。
エミチアへ戻らなかったのは、救出作戦が一刻を争うからという理由もあるが、エミ河城塞が再び包囲されてしまったというのが大きい。包囲を撃破した直後、教会騎士団は一挙に戦線を押し上げようとしたのだが、侵攻軍のトップである憤怒のギアラガ率いるブダニシュの主軍と真っ向からぶつかり、撤退を余儀なくされたのだそうだ。騎士団側に、ギアラガと対抗しうるヘシオンが居なかったのが敗因らしい。敬虔のヘシオン、グンジョウは絶対防衛線としてエミ河城塞を離れられないのが痛手となった。その後、再び包囲が完成する前に、ジュライは馬車で突破してきたそうだ。
「・・・あれ、もしかしてジュライ殿を待っていれば、もっと楽に包囲を突破出来たのでは?」
馬車が一迅の風の如く疾駆する中、ジュライと共に馭者台に座るステファン(物見)は、その点に気付いてしまった。ちなみに、エーザは馬車のベッドで絶対安静中、クィラはダッキー(転がり落ちるのを危惧)とその付き添いをしてくれている。
「そんな事は無いさ、俺が君達の来訪を聞いたのは、君達が包囲を突破した後だったからな・・・騎士団長は、俺をエミチアに据え置いていたかったみたいだが、戦線拡大に失敗して、帰りの足が必要だと判断したらしい。まったく、俺抜きで救出作戦をしようなんて、団長も人が悪い」
「あはは・・・実質御一人でエミ河城塞を守護しておられるわけですからね。万が一に備えて、少しでもヘシオンを確保しておきたかったのでしょう」
「それもこれも、ヘシオンってのが稀少なうえ、放浪癖を持った奴が多いのが悪い。俺みたいに、エミチアに腰を据えれば良いものを・・・」
「まあ、人の善意の数だけヘシオンが選ばれ、悪意の数だけ名有りが出てくる現状では、物量差、戦力の分散は否めませんからね」
「まあ、各地で戦っていると思えば、責められないが・・・よくもまあ、こんなジリ貧を1000年も続けてきたもんだな、人間は・・・」
「ええ、イーサン殿の活躍で、首都では造物主討伐も夢では無いと騒がれていましたから・・・」
(まあ、俺が焚き付けてたわけだが・・・)
「イーサンか・・・ほんと、奴が死ぬなんて、今でも実感が湧いてこない。奴はヘシオン屈指の力の持ち主だったというのにさ・・・」
「確か・・・日に12度訪れる礼拝時間に、5度の祈りを捧げれば、エステタムにも匹敵する力を発揮したのですよね?」
「ああ、そうだ・・・だが、知っての通り扱い難い力でな、ここ一番という時にしか使わなかったんだ。だから谷での戦いでは、周辺の名有りを狩り尽くしていたから、祈りを4度しか捧げていなかったんだ。備えてはいたんだが、次の礼拝時間に間に合わなかったのが、運の尽きだったのさ・・・」
ジュライは遠い目で、進行方向のずっと先を見詰めている。彼も、イーサンの死には堪えるものがあったのだろう。
「・・・イーサン殿に比べれば、私の力は地味なものですね。折角なら引き継がせてくだされば良いものを」
「ヘシオンの力は、その司る善意によって、継承の是非が決まっているらしいな。例えば、正義は一点物ばかりで、悟りや忠誠は同じものが継承されているそうだ。ちなみに、俺のハインリヒも一点物さ」
「なるほど・・・正義や友情は人によって形が異なるから、といった所なのでしょうか?」
「かもしれないな・・・とはいえ、君の授かった力、俺から見ても大したものだよ。今回の使命では、大いに頼らせてもらおう」
「そう・・・ですね、頑張ります」
確かに、クィラの読心術、イーサンの力は規格外の権能である。だが、ステファンはダッキーを抱いた時に、裏切りを決意したのだ。比べてばかりでは父も浮かばれない、とステファンは反省した。
(父さん、か・・・)
ここで改めて、ステファンは父について考えてみた。人質にされてから、もう5年の月日が経っている。おかしな話かもしれないが、生きている可能性は限りなく低いだろう。ブダニシュには、ステファンに義理を果たす必要が無いからである。ただ生存を匂わせるだけで、黙って従ってくれるからだ。
ブダニシュとの関係を断ち切った今では、ステファンの父は生と死の双方を内包した存在になっている。生きているかもしれないし、死んでいてもおかしくは無い。その答えを知るには、密偵が吐いた名前、憤怒のギアラガから聞き出すしかないのだ。エミ河城塞を攻めるブダニシュ軍の大将と、どうやって接触するのか、まだ妙案は思い付いていない。
「・・・ステファン君、御家族は元気なのかい?」
ちょうど父の事を考えていたステファン、身の縮む想いであったが、努めて冷静に返答した。
「父が一人・・・入団以来、会っていませんが」
「そうか・・・突然済まないな、君が歳に似合わず達観しているものだから、つい聞いてしまった。嫌なことを、聞いてしまったのかもしれないな・・・」
「いえ、御気遣い無く・・・ところで、ジュライ殿の御家族は?」
「俺か? 俺の両親はもう死んじまったが・・・エミチアに妻と娘が居る」
「へぇ・・・・・・」
(意外だ)
「・・・今、意外だ、とか思わなかったか?」
「い、いえ、そんなことは・・・ちょっとだけ」
「ふっ・・・正直だな。よく驚かれるが、こう見えて結婚して長いんだぞ? 娘もそこそこ大きくなったしな、もう12になる」
「ジュライ殿・・・いくつで結婚されたのですか?」
「ああ・・・君くらいの時だな。娘は結婚から3年経った頃だったか・・・」
「はあ・・・人生って、十人十色ですよね」
「ふっ・・・その歳で色恋に興味が無いのは、僧侶くらいなものさ。大半が淡い感情を捨て切れずに、教会騎士団に移るか野に下る」
「僧侶が一生一人身というのは、珍しい話ではありませんからね・・・政を動かす身として、人間関係が広く浅い方が都合が良いですし」
「・・・おっと、君は僧侶畑の人間だったのか?」
「ええ、そうですよ?」
「腕が立つみたいだったから、自然と直系の後輩だと思っていたが・・・そうか、服装通りの僧侶だったか」
「何か、不都合でも?」
「ん? いや・・・これから拾いに行くクノーリエも珍しく僧侶畑のヘシオンなんだが・・・もしかしたら、迷惑を掛けるかもしれない」
「礼讚のヘシオン、クノーリエ殿。創造主に愛された乙女、史上最年少で高僧になった才媛・・・勇名はよく耳にしましたが、問題でも?」
「まあ・・・噂を鵜呑みにし過ぎない方が良い、とだけ言っておこう」
「分かりました・・・ああ、ちなみにクィラ殿は一般の出ですよ」
「それは・・・驚きだな。ヘシオンとはいえ、戦闘の素人だけで本営からの救出をやってのけたわけか」
「まあ・・・端から見ればそうなりますね。しかし、ジュライ殿の救援が無ければ、成功は困難だったでしょう」
「君とは会ったばかりだが、無難にこなしてしまいそうに思えるが?」
「あはは、買い被らないでくださいよ」
ステファンは膝に載せてある散弾銃を撫でながら、ニッコリと微笑んだ。
陽が中天に差し掛かる時分、つまりは昼時に馬車は侵攻部隊が落ち延びたという山林へと辿り着いた。生き残りの探索は、ステファンとクィラだけで行なう事で決着した。エーザを休ませるには馬車が必要で、馬車を維持するにはジュライが必要な為だ。それに、ジュライは戦闘能力が人並みというので、木陰に馬車ごと隠れていてもらうことになる。
ステファン達は一先ず、エーザの証言を基に、山林の南端から彼らが走り去ったという北の岩山まで探索することにした。ダッキーを背嚢にしまい、散弾銃を下段に構えながら、山林を進んでいく。そんな警戒心全開のステファンに比べて、クィラは口笛すら吹きそうな軽い足取りで、ステファンを追い越していった。
「・・・おい、ブダニシュも彷徨いているかもしれないんだから、もう少し警戒して歩けないのか?」
「・・・ん? 鳥達も、警戒してないし、ブダニシュの心の声も聴こえてこない。疑ってばかりだと、疲れるよ?」
そう言って、クィラはどんどん先へと進んでしまう。
「まったく・・・扱い難い奴だな、あんたは」
ステファンは嘆息を漏らすと、散弾銃を肩に掛け、駆け足でクィラの後を追った。
「待ってくれ、クィラ。そんなに急ぎ足で進んで、山までの競走じゃあないんだぞ?」
「・・・ステファン、何言ってるの? 痕跡、追ってる、のよ?」
「痕跡・・・? 逃げ込んでから何日も経っているし、足跡なんて残っていないだろう?」
「・・・痕跡は、足跡だけじゃない。例えば、あそこの若枝が折れている」
クィラが指差したのは、進行方向先にある木。ちょうどステファンの肩口と同じ高さくらいの位置に生えた細い枝が、皮一枚を残して垂れ下がっていた。
「・・・あれが、どうした? 風で折れたんじゃないのか?」
「・・・風で折れるのは、古い枝。若い枝は粘り強いから、風では折れ難い。この折れ方は、一瞬で大きな力が、加わったから。つまり、何かがぶつかった」
「そんなの、獣が足場にしたんじゃないか?」
「・・・これは、横から力が加わって、折れてる。この高さの枝にぶつかる動物は、そうは居ない」
「・・・分かったよ、あんたを信じよう。それで、それはどこへ向かったか判るのか?」
「・・・余裕。皮の残った方向が、行き先」
「・・・なるほど」
クィラの先導に従い、ステファンは何者かの痕跡を辿っていった。枝の他にも、幹に鉄が擦れた跡や、刃物で藪を払った跡、さらには落ち葉を退けた地面に残っていた足跡等、常人なら気にも留められない痕跡を、クィラは見つけ出していく。そして最終的には、小鳥から木の実を対価に証言を得て、山の麓にひっそりと穿たれた横穴にたどり着くことが出来た。
「・・・見て、未だ新しい焚き火の跡。それから、たくさんの足跡。最近まで、誰かがここに滞在してた」
ステファンは、クィラの並外れた追跡能力に舌を巻いていた。本当に、些細な痕跡から潜伏場所を割り出してしまったのだから当然である。
「・・・私、嘘は言わない」
クィラが自慢気に胸を張ったので、ステファンはやる気の無い拍手を送った。
「スゴーい、天才か? あんたは追跡も得意なヘシオンだったんだ~」
「ふふっ・・・本心、駄々漏れ。羨望が、心地好い♪」
悦に入るクィラに、ステファンの堪忍袋が爆散する寸前の事だった。横穴から声が響いてきたのである。
「あんた達は、何者!? すぐに答えなければ、浄化してやるわよ!!」
ずいぶんと不遜な警告である。ステファンはそちらにブチギレそうになったが、何とか押し留めて、返答した。
「我々は、ヘシオンです。侵攻部隊の救援に参りました!」
ステファンとクィラは、各々自らのメダルを掲げて見せた。
「・・・信じられない、こんな場所まで救援が来るわけが無い! 来るとしても、ジュライが来ないはずない! あんた達、ブダニシュが化けているんじゃないの!?」
どうにも聞き分けが無い、ステファンは話が通じない相手が苦手である。散弾を食らわせてやりたくなるからだ。
「ジュライ殿なら来ていますよ! エーザ殿と馬車で待っています!」
「エーザが無事なわけない!」
「もう・・・どうしたら信じて頂けますか!」
「もし・・・本当に仲間なら・・・ジュライが伝えてるはずの合言葉を言ってみなさいよ!」
「合言葉・・・・・・合言葉? なあ、合言葉って何だ?」
ステファンがクィラに耳打ちすると、彼女はジッと横穴を見据えたまま、口を開いた。
「・・・クノーリエちゃん、サイコー」
「・・・・・・はあ?」
この野生児は何を宣っているのか、ステファンが彼女の胸ぐらを絞め上げようとした次の瞬間、横穴の中からよたよたと、少女が姿を現した。
「本当に・・・助けが来たの?」
クィラが頷くと、少女はその場に膝を突き、涙を頬に伝わせながら、天を仰いだ。
「主よぅ、感謝しまずぅ・・・」
この痛ましい小娘が、勇名馳せる礼讚のヘシオンだというのか。ステファンは一人、戦慄していた。