第五章 ダッキー、粗相だ!
「まさか、ここまで上手く事が運ぶとはな」
エミ河城塞の包囲を突破してから暫くして、ステファンは疾駆する馬上でほくそ笑んだ。
「・・・君って、本当に、命知らず」
並走する馬上で、クィラが嘆息を漏らす。
「そんな事は無い。最初の射的で攻撃して来なかった時点で、成功は確信していた・・・それよりも、あんたが挑戦してきたブダニシュを負かした時には、死を覚悟したぞ。わざと負けて調子に乗らせようって、話し合ったじゃないか?」
「・・・負けるのが、癪だった」
「負けず嫌いかよ・・・」
「・・・上手くいった、でしょう?」
「あんた、なぁ・・・待てよ、対戦相手の心も読んでいたのか?」
「・・・自分に負けるような軟弱者は、くびり殺す、だって」
「ほぅ・・・真偽の程は怪しいものだがな?」
「・・・私、嘘、つかない」
「分かったよ、そういう事にしておく。だから、おしゃべりはここまでだ。俺達は今、ブダニシュの勢力圏を走っているわけだしな」
勢力圏と言えど、常に監視されているわけではない。だからといって、警戒を怠り、万が一にも捕捉されては今後の行動に大きな制限を受けることになってしまう。これからは神出鬼没、隠密性が重要になってくるのだ。そんなステファンの意図を読んだクィラは、小さく頷いた。
「・・・分かった」
それから二人は黙々と馬に拍車を掛け、日が落ちるまでに、忠誠のヘシオンが囚われているという集落跡の付近へとたどり着いた。
集落跡は今や森の中に呑まれており、ステファンは早めに下馬することに決めた。森の中で馬の機動性を生かし切れる程の腕を持ち合わせていないし、何より馬の嘶きをブダニシュに聴かれては困るからだ。馬を活用するのは、人間のみ。野生の馬も居ないわけではないが、人間が近くに潜んでいると警戒される危険性が大きい。
馬をちょうど良い所にあった洞穴に隠してから、ステファン達は徒歩で集落跡へと出立した。夜目と月明かりを頼りに森の中を進んでいくと、不意にクィラがステファンの肩を掴んだ。
「・・・声がする」
「声? 声なんて・・・聴こえないが?」
「・・・当然、心の声、だから。何かが、潜んでる」
「・・・本当か?」
「・・・だから、嘘つかない」
「分かったよ、だとしたら厄介だな・・・排除出来そうか?」
「・・・余裕」
クィラは自慢気に鼻を鳴らすなり、短弓を手に取った。そして矢をつがえ、弦を引き絞る。狙いを付けること一瞬、矢は放たれ、次の瞬間には何かが小さな悲鳴を上げながら木の上から落ちてきた。
「本当に居やがったよ・・・」
ステファンが警戒しながら近付き、正体を確かめる。蝙蝠のような顔、それは空のブダニシュであった。
「これは、危なかった・・・素直に礼を言おう、クィラ」
「・・・それ、言ってないと、思うの」
「くっ・・・ありがとう、クィラ」
「・・・うん、どいたま」
何かと優位性を喧伝してくるクィラに辟易しながらも、ステファンは頭を垂らした。
「今後も、お願いします」
「・・・うん、任された」
クィラを先頭にして森の奥へと進む過程で、もう5体の空のブダニシュを仕留めていた。だが、その度にクィラが自慢気に振り返るので、ステファンの中では段々と、言い表し難い不満が堆積しつつある。今のところ、クィラの独壇場だからだ。そしてその不満は後に、ブダニシュ達へぶつけられることになるのは、言うまでも無いだろう。
森を進むこと四半刻、ステファン達は拓けた空間に到達した。煉瓦の住居跡が多く点在していることから、ここが目的の集落跡だとステファンは断定する。集落跡の各所では焚き火が起こされており、その周りには沼のブダニシュや陸のブダニシュの姿が見受けられた。
(忠誠のヘシオンを捜そう)
ステファンは心でクィラに語り掛けると、それを読み取った彼女は小さく頷いた。集落跡の周囲を木々に隠れながらぐるりと廻り、忠誠のヘシオンが囚われている位置を探る。だがそれは、呆気なく判明することになった。
「コレカラ、ヒトジチノショケイヲトリオコナウ!!」
『ヌオォォォ!!!!』
集落跡の中心、広場に組まれた木製の舞台の上に、頑強そうな白金の甲冑で身を包んだ人物が腕を縛られ、吊り下げられていたのだ。その横で音頭を取る沼のブダニシュが、さらなる盛り上がりを要求する。
「ニンゲンドモハ、トリデヲウケワタサナイツモリダ! ギアラガサマハ、ヒトジチノショケイヲオノゾミデアル! サア、ヒトジチノクビヲ、トリデヘナゲイレテヤロウ!!」
『ヌオォォォ!!!!』
ステファンは、音頭を取るブダニシュの言葉選びに注目した。どうやら未だ、エミ河城塞の包囲が瓦解したことを、本陣は把握していないらしい。それと、ステファンが追い求めるギアラガは今、この集落跡を離れているような口振りである。他所との連携が取れておらず、指揮官も居ない。つまり、暴れても大丈夫ということである。
ステファンは、そっとダッキーを取り出すと、クィラに視線を送る。意図を察したクィラは、長山刀を引き抜いた。
「行くぞ、相棒」
ステファンはダッキーと鼻同士を触れ合わせてから、球状になった彼を、集落跡の広場目掛けて投擲した。
「ダッキー、粗相だ!」
広場に集結していたブダニシュらの頭の上を通過する際、ダッキーは多くの手榴弾を排出していった。そして、ブダニシュが不思議そうに落ちてきた手榴弾をつまみ上げた次の瞬間、爆発と煙幕が至る所で発生した。
「突撃だ!」
ステファンは散弾銃を、クィラは長山刀を構え、広場へと殴り込んだ。行く手を遮る物体を、容赦無く散弾で吹き飛ばすステファン。そして心の声を頼りに、的確にブダニシュを屠るクィラ。二人は示し合わせたように、煙幕の中から舞台に現れた。周囲では二人が起こした混乱により、同士討ちが発生している。
「オ、オマエタチハッ!?」
ステファンは有無を言わさず、音頭を取っていたブダニシュの頭を四散させた。残った胴体は煙幕の中へと蹴り入れる。
「さて・・・さっさとズラかるか」
クィラが縄を切り、吊り下げられていた人物が物凄い音を発てて、床に落下した。見た目通り、桁違いの重量を有していたようだ。
「運べるのか、これ?」
ステファンが試しに持ち上げようとしたが、上半身すら起こすことが出来ない。仕方がないので、叩き起こすことにした。
「すみません、起きてください!」
丁寧な口調の割に、散弾銃の銃床で兜を叩くという雑な方法で、ステファンは起こしに掛かった。
「・・・・・・むぅ」
すると、本当に意識を取り戻したその人物は、ゆっくりと上半身を起こした。
「・・・ここは・・・」
キョロキョロと辺りを窺い始める兜を、ステファンは両手で挟み込み、自分の顔と突き合わせた。
「失礼、貴方は忠誠のヘシオン殿ですか?」
「そ、そうですが・・・あ、貴方は?」
「今は説明している暇がありません。とにかく脱出を」
「りょ、了解・・・」
よろよろと立ち上がった忠誠のヘシオンに、ステファンとクィラが双方向から肩を貸し、再び煙幕の中へと突入した。散弾銃が火を噴き、長山刀が血飛沫を舞わせる。どうにかこうにか、広場を脱する事が出来た三人は、止まる事無く一気に馬を隠してある洞穴へと急ぐ。投擲されたダッキーも、いつの間にやら付いて来ている。
洞穴の前まで来ると、ステファンは忠誠のヘシオンをクィラに任せ、馬を取りに洞穴へと駆け込んだ。
だがそこで、ステファンは異臭に気付き、咄嗟に袖で鼻を覆った。袖もそれはそれで臭かったが、洞穴の内部は濃密な血生臭さで満ちていたのだ。その原因はどうやら、乗ってきた馬達らしい。彼らは無惨な姿へと変わり果て、血溜まりに沈んでいた。
馬を殺った奴が居る、ステファンは目を細目、洞穴の奥を注視する。すると、蜥蜴そっくりの眼と目がばっちりと合ってしまった。
「これは・・・笑えないな」
ステファンは洞穴の奥の眼に向けて散弾を放った後、踵を返して洞穴から脱出した。クィラ達に離れよう促した直後、洞穴から翠色の鱗に覆われた巨体が躍り出て来た。
ディーゴン、この怪物はそう呼ばれている。後肢の3倍はある太さの前肢で、地面を殴り付ける様に移動することから暴君とも称される。ブダニシュらが使役する怪物の中でも1、2を争う狂暴さを有する怪物、こいつの巣に馬を留めてしまったのだ。
しかも、先ほどステファンが放った散弾で片眼が潰れてしまったようで、かなり御立腹らしい。残った眼が真っ直ぐにステファンを射抜いている。
「・・・なんてこったい」
ステファンは二人の方から引き離す為、さらなる散弾を浴びせながら、反対方向へと移動した。そしてそれを、散弾が効いた様子の無いディーゴンが、彼をミンチ肉に変えようと追い縋る。丸太の様な前肢を振り回し、岩石の様な拳がステファンに降り注ぐ。彼はそれを間一髪で回避し、片腕にダッキーを抱いて、弾の装填作業を行なった。
「ダッキー、単体弾を頼む」
ダッキーの口から、いつもと違う弾丸が排出され、銃身へと収められていく。さらに弾帯分を吐かせると、ステファンはディーゴンを飛び越す様にダッキーを投擲した。
「ダッキー、大盤振る舞いで頼む!」
ステファンの要請に応え、ダッキーはいつもより多めに手榴弾を投下した。度重なる爆発でディーゴンが悶え苦しむ隙に、ステファンは銃身を戻し、散弾銃を構えた。
「お待たせ」
残った眼に照準を合わせ、ステファンはトリガーを引いた。轟音と共に、銃口から大きな一発の弾体が吐き出される。散弾が面制圧なら、単体弾は一点集中、えげつない一発が、ディーゴンの眼窩に吸い込まれていった。
「!!??!!??」
苦悶の咆哮を上げ、ディーゴンが暴れまわる。眼は潰せたが、脳まで撃ち抜けなかったようだ。ステファンは間髪入れず、単体弾をありったけ撃ち込んだのだが、ディーゴンはまだ倒れなかった。
どうするべきか、ステファンが逡巡した次の瞬間、人型の鉄塊が肩から、ディーゴンへと突進していた。忠誠のヘシオンである。
「はあぁぁぁ!!」
忠誠のヘシオンは気合いと共に、ディーゴンの顔面へ拳を叩き込んだ。幾度も、幾度も、その顔が原形を留めなくなるまで。それでもまだ、ディーゴンには息がある。
「・・・ステファン!」
そんな時、クィラがダッキーを投げて寄越した。彼女の様な力は無いが、ステファンはすぐに意図を察した。ダッキーから手榴弾を受け取り、塞がらなくなったディーゴンの口へと投げ入れた。程無くして、ディーゴンの頭部は爆散し、ようやく生命活動が停止する。そして同時に、忠誠のヘシオンが大の字に倒れてしまった。どうやら体力を使い果たして、気絶してしまったらしい。
「さて・・・どうするか」
ステファンが、大活躍のダッキーを撫でながら思案していると、集落跡の方角から怒号が近付いて来ている事に気が付いた。
「・・・どうするの?」
クィラが問い掛けて来る。ステファンは眉間にしわを寄せ、口を固く結んだ。
「駄目だ・・・思い付かない」