第四章 オノレ、ニヤケヅラノニンゲンメ!!
エミ河を横断する石橋は、驚くべき長さを誇っていた。エミ河の川幅は通常の河川の、例えばユノー川の3倍はあると聞く。そう言われてもステファンはピンときていなかったのだが、対岸が霞んでいるのを見て、やっと実感する事が出来た。
大橋の先には、見るからに堅牢そうな建築物が聳え立っている。あれこそがエミ河城塞、イーサンが率いた侵攻部隊が奪い返した防衛の要だ。現在は再攻略を狙うブダニシュの軍勢と敬虔のヘシオン率いる教会騎士本隊が熾烈な争いを繰り広げている。
しかしそうなると、戦場を抜けなければいけないのではないか。ステファンはそんな一抹の不安が過る。過ってしまうと、その不安を読み取れる者が反応してしまう。
「・・・戦場を、抜けるの?」
「下手に不安も抱けないな・・・その可能性が高いってだけだよ」
「・・・君って、命知らず?」
「だから、命知らずだったら内通者なんてやってないさ・・・いや待てよ、命知らずだから内通者なんてやってたのか?」
「・・・どうするの?」
「そうだな・・・流れも速過ぎないし、河を利用するという手も・・・」
ステファンが橋の欄干から眼下の河の様子を窺おうとしたその時、河の中から幾つもの影が飛び出してきたのである。それは身体を震わせ、まとわり付いた水滴を弾き飛ばすとその全容が露になった。
つるりとした蛙のような藍色の肌で、3つ程の原色が入り交じる紋様が表皮に浮かぶ。二足歩行をし、鞣し革の防具を纏って、手には銛が握られている。それは、ステファンには既知の生き物だった。
「沼のブダニシュか・・・」
エミ河から現れたのは、小隊規模の沼のブダニシュ。おそらく、手薄と思われる橋側から城塞内部へ潜入しようとしているのだろう。
鉢合わせてしまったステファン達とブダニシュらは、しばしの間呆気に取られて、見つめ合っていた。
「えっと・・・河の水は冷たかったですか?」
ステファンが笑顔で問い掛ける。
「ン? ソウデモナカッタガ?」
頭に銀色の羽毛を生やした隊長格が咄嗟に答える。
「そうですか・・・川沿いにもお仲間が?」
「トウゼンダ・・・イヤマテ、オマエ、ニンゲ・・・」
隊長格の言葉を遮るように、ステファンの散弾銃が火を噴いた。即座に構え、隊長格の顔面目掛けて、トリガーを引いたのである。
隊長格の頭部が四散するのを見て、ブダニシュらはようやく自分達が置かれた状況に気が付いた。そう、戦闘開始である。
ブダニシュらが武器を構えるより速く、クィラがその懐へと踏み込む。ステファンの意図を読み、既に動き出していたのである。抜き身の長山刀を逆袈裟に切り上げ、一体目のブダニシュを切り捨てる。次いで二体目の銛を容易く回避して、擦れ違い際にその首を跳ねた。クィラは生物の心が読める。それはつまり、ブダニシュの思考も読めるという事を意味しており、白兵戦ではかなり有利に事が運べるのだ。まあ、それを差し引いても、クィラの剣捌きは優れたモノであった。次々とブダニシュを切り伏せていく。
「危ないのは、どっちなんだか・・・」
ステファンが呆れていると、新たに沼のブダニシュの部隊が飛び出てきた。
「ナンダ!? ニンゲ・・・」
開口一番、隊長格の頭を吹き飛ばし、ステファンは弾薬を装填する。
「主の雷にて不浄なる輩を・・・人目が無いから要らないか」
ステファンは遠慮無しに散弾銃をブッ放していった。一度に二体ずつ挽き肉にしていくのだが、そこで再装填が必要になる。いくらステファンが素早く装填しても、隙は生まれてしまう。突いてくる銛を身体の回転で避け、遠心力を利用し、銃床でブダニシュの頬を打ち払う等して時間を稼いだ。装填が終われば、即座に攻撃に移ろうとしているブダニシュ目掛けて、散弾を見舞ってやった。
「あぁ・・・愉しい」
思う存分、散弾銃を撃つことが出来て、ステファンのニッコリが止まらない。
ステファンとクィラは一騎当千とも言うべき、ヘシオンらしい戦いぶりを披露したものの、沼のブダニシュの部隊は次々と水中から飛び出してきている。それらをステファンは嬉々として迎撃していたが、端から見れば形勢は不利だった。
ゆえに、増援が駆け付けるのは、必定と言えるだろう。
「突撃ー!!」
突然の号令と共に、甲冑を纏った軍勢が雪崩れ込んできた。そして、沼のブダニシュらと切り結び始め、そしてそれらを的確に処理していく。ステファンとクィラが突然の出来事に呆気取られていると、騎馬に跨がった騎士が二人に近寄ってきた。
「お二人とも、怪我はありませんか?」
獲物を横取りされたステファンは、騎士から見えない角度で物凄い形相を浮かべていたが、努めて笑顔に変えて振り返った。
「ええ、もちろん」
ステファンは首に提げていたヘシオンのメダルを騎士に突き出した。クィラもそれに倣い、ベルトに提げたメダルを示した。
「・・・余裕」
「お、お二人とも、ヘシオンでしたか!?」
「ええ、一応・・・それで、部隊が展開するにしては遅かったですね?」
「も、申し訳ありません・・・正面での戦いが白熱しておりまして、物見が気付いたのは恥ずかしながらお二人のおかげでして・・・」
「なるほど、すっかり気を逸らされていたわけですか」
「・・・ステファン、当たるの、良くない」
「ええ、分かってますよ・・・我々は敬虔のヘシオン殿に御会いしたいのですが、取り次ぎ願えますか?」
「は、はい、直ちに!」
ステファンが圧を掛けている内に、ブダニシュの殲滅は完了していた。騎乗した騎士は部下達に橋の警戒と、エミチア側の門への警告を命じると、ステファンらを伴って城塞へと引き上げた。
「貴殿が新たな、正義のヘシオンか?」
城塞の司令所へと通され、ステファンとクィラは教会騎士団長、敬虔のヘシオンと対峙していた。騎士団長という肩書きに相応しい、貫禄のある初老の偉丈夫である。
「初めまして、騎士団長殿。ステファンと申します」
「名はグンジョウだ・・・それで、貴殿らの目的は何だ?」
「使命により、敵領へと侵攻した部隊員の救助を行ないたいのです。特に、処刑が迫るという忠誠のヘシオン殿の救出を・・・」
「そうか・・・救助に割く戦力が無いこちらとしても、助かる話だ。放っておいた斥候の報告に依れば、忠誠のヘシオンは城塞から南西、集落跡に設営された敵の本陣に捕らえられているらしい」
「その情報、有益に使わせて頂きます・・・それで、この城塞は激戦の最中と聴いておりますが、そこへ向かうことは可能でしょうか?」
「・・・はっきり言えば、無理だ。敵は完全にこの城塞を包囲している。突破する隙は無い。あったとしても乱戦の中を突き抜けるしか無いだろう」
「そうですが・・・ならば、我々の好きにさせていただいても宜しいでしょうか?」
「・・・何だと?」
「そう、凄まないでください、貴方方騎士団のお手は煩わせません。ただ2つ、御頼みしたい事があります」
「・・・聞かせてもらおうか、その頼みとやらを?」
「まず、移動手段として馬をお貸し願いたい。そして、我々が包囲を突破しましたら、即座に攻勢に転じてほしいのです」
「何故だ?」
「我々が追撃されないように、それとこの攻防戦に終止符を打つ為です」
「・・・良かろう、好きに振る舞え。必要な物があれば、部下に申し付けるんだ。迅速に用意するだろう」
「ありがとうございます・・・作戦はこれからすぐに始め、夕刻には完了する予定ですので、どうぞよしなに」
「了解した・・・・・・貴殿は、前任とは毛色がだいぶ異なるようだな?」
「・・・と、言いますと?」
「・・・それに関しては、そこの悟りのヘシオンが付いて来ているところからも窺える。前の誘いは断ったそうだからな」
「そうですか・・・では、失礼します」
「・・・武運を祈る」
空気の張り詰める司令所を後にし、ステファンとクィラは早足でその場から離れた。
「聞いて無いぞ、クィラ。あんたは、前任のイーサンとも面識があったのか?」
「・・・聞かれて、無いから」
「それは・・・そうだな。それにしても、何故イーサンの誘いは断ったんだ? それも機会だったろ?」
「・・・あの人も、私を、怖がらなかった。でも・・・私の事を、心から可哀想だと、憐れでいた。それが、嫌だったの」
「俺も多少は憐れんでいたぞ?」
「・・・ステファンは、この力を扱い切れていない私を、憐れんでいた。だから、私の実力を、見せつけないといけないなって、思ったの」
「はいはい・・・あんたは強かったよ、先輩。さらに欲しくなったよ、その能力」
「あげたいけど、無理だから・・・ごめんね?」
「謝らないでくれ、調子が狂う・・・・・・それで、敬虔のヘシオンとは、どんな人物だった?」
「・・・あの人も、嘘はついていなかった。だけど何故か、他の思考は、凍ってた」
「凍ってた・・・どういう事だ?」
「・・・読めなかった、何も」
「ほぅ・・・見た目通りに隙の無い人物というわけか。あまり関わり合いにはならない様にしないとな」
「・・・うん、ご飯に誘われても、断る」
「あの人が食事に誘ってきたら、それはそれでおもしろそうだが・・・まあ良いか、早速包囲を突破する作戦を始めるとしようか?」
「・・・何するの?」
「射的さ、的を借りてこよう」
ステファンは不敵な笑みを一瞬浮かべると、朗らかな笑顔で適当な騎士団員に声を掛けに行った。
その日、小康状態に陥っていた戦場で、異様な事態が発生した。
突然、城塞の門が開かれ、騎馬が出撃してきたのである。休息を取っていたブダニシュ達は、急いで迎撃の準備を整えた。牛の頭、人の上半身、馬の下半身と蜥蜴の尻尾を備えた陸のブダニシュ達は大斧を構え、その背には弩弓を手にした沼のブダニシュが騎乗した。それだけでなく、ブダニシュが使役する多くの怪物らもえげつない牙を覗かせている。攻め寄せてきた人間を、惨殺する為に。
だが、城塞から現れたのは、騎乗の人が2名のみ。しかも、すぐに門は閉ざされてしまった。ブダニシュ達が首を傾げていると、騎乗の人は的を打ち立て、弓矢の練習を行ない始めた。やがて矢筒が空になると、彼らは的を回収し、城塞へと帰還していった。
この現象は、昼の攻城戦が終わった後にも発生する。また弓矢の練習をしているので、弓自慢のブダニシュが一体、面白がって勝負を仕掛けた。相手は華奢な人間の女、健闘の末、女が勝利した。悔しがったブダニシュは、再挑戦を求め、昼下がりの攻城戦が終わった後にやろうと約束をする。
さて、昼下がりの攻城戦が終わると、ブダニシュの陣営では賭け事が行なわれていた。次の射的ではどちらが勝つのか、賭けるのは夕飯の肉塊である。熱気が最高潮に達した頃、城塞の門が開かれ、2名の騎馬が現れた。
ブダニシュは、彼らを万雷の拍手で迎えたが、おかしな事に気が付いた。彼らは的を持参していなかったのである。拍手が鳴り止まない中、2名の騎馬は馬頭を返し、南西へ向けて駆け出し、ブダニシュを蹴散らしながら、走り去っていってしまった。
ブダニシュ達には、茫然と見送ることしか出来なかった。ゆえに、まだ門が閉められていないことに、気付けなかった。
城塞からは、教会騎士本隊と敬虔のヘシオンの力で操る空っぽの甲冑部隊が出撃し、油断し切ったブダニシュの軍勢を散々に打ち破った。使役していた怪物も暴走を始めたブダニシュ軍は崩壊し、後退を余儀なくされる。
こうして、エミ河城塞を何日間も取り巻いていた包囲は、たった一人の奇策で糸も容易く瓦解したのであった。
「オノレ、ニヤケヅラノニンゲンメ!!」
逃げ惑うブダニシュの中から、そんな恨み節が聞こえていたという。