第三章 俺はコイツをブッ放なせれば、問題ない
クィラという同行者を得たステファンは、彼女の先導に従い、エミ河流域への旅を再開した。
「・・・可愛い」
クィラは、ダッキーを腕に抱きながら、その腹を撫でてやっていた。当のダッキーは満更でもない様子ではあったが、懐いた様な素振りは見せずにいる。さながら、尻尾を振るのは、あくまでステファンのみと堅持しているかのようだ。
「あんたは、ダッキーの考えも判るのか?」
ステファンが何気なく問い掛けると、クィラはムスッとした表情で振り返った。
「・・・私はクィラ、あんたじゃない」
「ああ、ごめん・・・コホン、クィラはダッキーの考えも判るのか?」
彼が言い直すと、クィラは首を横に振った。
「・・・無理みたい。私には心の声が、文字になって見える。でも、この子の心の声、何も見えない・・・何故?」
「何故と言われても・・・たぶん、ダッキーは俺達みたいな生物じゃあないんだよ。何も食べようとしないし、生物としての臭いもしない。よく寝てはいるけれど、睡眠が必要なのかも分からない程の疲れ知らずだ」
「・・・本当に、知らない、みたいね?」
「一々心を読むな・・・その力は、常時発動しているのか?」
「・・・見ている時だけ。その人が何か考えていたら、背景に文字が、勝手に浮かぶ」
「そうか・・・」
ステファンは少し考えてから、クィラと肩を並べて歩き出すと、彼女と目を合わせた。
(これも、見えてる?)
「・・・見えてる」
「口で話さなくても意志疎通が可能なようだな・・・いざという時に役立ちそうだ」
「・・・本当に、怖がらないのね?」
「未だあんたを信頼してはいないが、その力は有用だ。どの様に使えるのか、それを知っておいて損は無いだろう?」
「・・・君は、苦労してきた、のね?」
「伊達や酔狂で内通者なんて続けられるものかよ・・・その能力は、息をするように嘘を吐いてきた俺にこそ相応しい。そもそも、俺が正義のヘシオンだなんて、創造主様は茶目っ気にも通じておられるのか?」
「・・・主のお考えは、私には判らない。でも、相応しいと判断したからに、違いない。君は、与えられた力が気に入って、裏切りを決めたのでしょう?」
「まあな・・・今まで奪われてばかりで、与えられたのは初めてだったからな。少し、賭けに出てみる事にしたわけだが」
「賭け・・・お父さんの、奪還?」
「言わなくても、見えているのだろう?」
「・・・それだけじゃ、収まりそうに、なさそう」
「ふふっ・・・それはそうと、そろそろ自分の事を話したらどうだ? 俺ばかりなのは公平性に欠けると思うが?」
「・・・私には、特に秘密は無い。聞いてくれたら、答える」
「そうなのか? なら、そうだな・・・」
「・・・私が生き残れたのは、ここに住んでいた、祖父のおかげ。森での生き方、教えてくれた。もう10年はここに居る。野豚を食べるのが好き」
「・・・心を先読みするなら、俺は言葉を発さずに黙ってて良いか?」
「・・・駄目、会話するのが、大事。やっぱり独り言は、寂しいから」
「それは・・・面倒臭いな」
「・・・君は、良くも悪くも、率直ね?」
「善意の嘘すらつけないからな」
「・・・嘘は、嘘だから。善意も何も、無い」
「手厳しいな・・・なら改めて、少なくともあんたに対して嘘はつかないと誓っておこう」
「・・・うん、よろしく」
ユノー川下流域の森を北東へと抜けていくと、やがて本来の順路である街道へと差し掛かることが出来た。そしてその日の夕刻には、目的地であるエミ河流域へと到達出来た。エミ河の西岸にはエミチアという街がある。この街こそが造物主勢力との戦いの前哨基地であり、エミ河流域に敷かれた防衛線の要でもあるのだ。
ステファン達はもちろん、エミチアへと足を踏み入れた。敵領へ潜入するには、多くの情報と支援が必要になるからだ。敵領に最も近いというのに、エミチアは活気で満ち溢れている。騒音だけなら、首都アルパチアを軽く凌駕していた。それもそのはず、ここには教会騎士の本営があり、金次第でブダニシュとも戦う傭兵や地図作りや小さな頼まれ事を引き受ける冒険者、商機を逃さない商人、さらには大体のヘシオン等、あらゆる職種の人間が、大挙して押し寄せてくるのが、エミチアという街なのだ。
ステファン達は一先ず、情報が集まりそうなエミチア大教会へと足を向けた。教団本部に次ぐ規模である大教会には、毎日多くの人々が参拝に訪れる。十人十色の市民達の間を抜け、大教会の僧侶に身分を示すと、すぐさま大教会の責任者である司聖に取り次がれた。司聖は、叡知のヘシオンに次ぐ教団のNo.2であり、人間が守るべき戒律の番人たる遵守のヘシオンでもあるのだ。
「この度、正義のヘシオンの任を賜りましたステファンと申します」
大教会の礼拝堂を見渡せる位置にある司聖の執務室にて、ステファンとクィラは司聖である老齢の女性に向けて頭を垂らした。
「初めてまして、正義のヘシオン。それと・・・久しぶりですね、悟りのヘシオン?」
椅子に腰掛けていた司聖は、物腰の柔らかい雰囲気で、ステファン達に微笑み掛けてきた。
「・・・はい、司聖様」
クィラは気まずそうに返事をした。突然失踪し、10年も行方を眩ましていたのだから、気まずいのも頷ける。
「気に病む必要は無いのですよ、クィラ。貴女の所在については、貴女の祖父から伝え聞いていました」
「・・・祖父が?」
「ええ、それと貴女が、主のお与えになった試練に絶えず挑み続けているとも・・・どうやら、乗り越えられたようですね?」
「・・・いえ、まだ、です。ただ、一歩踏み出してみようと、決めただけで・・・」
「ふふっ、それを乗り越えたと言うのですよ・・・さて、お待たせしました、正義のヘシオンよ。御用件を伺いましょうか?」
「創造主、および叡智のヘシオンより、前正義のヘシオンと共に造物主の領域へと侵入していたヘシオンらの救出を命じられました。使命の滞り無い遂行の為、情報と支援を賜りたく参上しました」
「そうでしたか・・・前正義のヘシオン達の事は、御存知ですか?」
「はい、私は彼らの活躍を謳う、宣教師でしたので・・・」
ステファンはそう答えながら、脳裏で前正義のヘシオン一行の情報を反芻した。
前正義のヘシオン、イーサン。将来を嘱望されていた教会騎士であり、品行方正さを備えた青年だったそうだ。彼に力を貸したのは、忠誠のヘシオン、謙虚のヘシオン、清廉のヘシオン、そして教会騎士の精鋭部隊ハンパッツィ。彼らは長らく敵方に占領されていたエミ河城塞を奪還し、敵領へ侵攻してからも連戦連勝、驚異的な戦果を挙げた。
「イーサン殿が戦死なされてからの状況を、お教え願いたいのですが?」
「判っている事は多くありません。イーサン殿の死と貴方の就任が主の啓示で発布されてから、ブダニシュは勢いを取り戻し、エミ河城塞へ連日攻め寄せているのです。今は、教会騎士団長たる敬虔のヘシオンが城塞に詰めて抑えていますが、部隊は壊滅状態にあると見て、相違ないでしょう」
「・・・つまり、それからヘシオンの死は伝えられて来ていないのですね?」
「ええ、幸いな事に・・・ですがそれも、もうすぐ起きてしまうやもしれないのです」
「もうすぐ起きるとは、いったい?」
「ブダニシュから・・・忠誠のヘシオンを捕らえ、近く処刑するという挑発があったのです」
「なんと・・・教会騎士や他のヘシオンは動いていないのですか?」
「エミ河城塞の保持で、手が回らないのです。冒険者や傭兵に、名有りのブダニシュの相手は荷が重過ぎますし・・・」
「名有りのブダニシュとは?」
「憤怒のギアラガ・・・それが今回の軍勢を率いている首魁の名です」
ステファンは顔を強張らせながらも、心でせせら笑った。標的が近くを彷徨いているというのだから、ニッコリしてしまうのも仕方が無い。
「・・・では使命に従い、我らが救出へ向かおうと思います」
「ええ、助かります・・・ブダニシュは忠誠のヘシオンの身柄を城塞と引き換えにするようにとも言ってきています。ここからそう遠くは無い場所に囚われている可能性が高いかと」
「・・・分かりました。では早速、出立の準備を」
「お待ちなさい、ブダニシュへの返事までには、まだ2日あります。急いては事を仕損じるというもの、今夜のところは教会に滞在し、英気を養っていくべきでは? 貴方達、見るからにボロボロよ?」
ステファンはそう言われて、自分やクィラの格好を確かめた。言う通り、ステファンのローブは擦り切れが目立ち、クィラに至っては、何年も着古してきた服を加工したと思われるものと、さらに動物の毛皮を纏っている。装備の一新は、必要な事なのかもしれない。
「・・・そうですね。では、御世話になります」
ステファンは渋々ながら、司聖の提案に乗る事にした。
翌朝早く、ステファンはエミチアの東門にやって来ていた。
この門の先には、エミ河を横断する立派な石橋が掛かっており、対岸のエミ河城塞へと続いている。つまりは、街と城塞の連絡橋なのだ。
敵領へ侵入するには、河を横断する必要があるのだが、この橋以外では船が必要になってしまう。しかし船での渡河はどうしても目立ってしまうそうなので、橋での渡河にステファンは決定した。加えて、敬虔のヘシオンからも情報を得ておきたい。
ステファンは、新調した装備を確認しながら、クィラの到着を待つことにした。
これまで僧侶のローブの下には、半袖の貫頭衣と長ズボンと小物を提げる為の革ベルト、サンダルなどの軽装しか身に付けていなかったが、新たに革製の胴当てや脚絆、指貫の手袋を装着している。武装は腰部に提げた鉄鞭と肩に掛けた散弾銃という点は変わりない。背嚢からはダッキーが顔を覗かせている。
確認も早々に終わり、ステファンが散弾銃の弾薬装填の練習をしていると、クィラがやって来た。
「・・・お待たせ」
クィラの格好も、ステファンに準じたものになっていた。違いがあるのは武装で、左腰に細身な造りの長山刀、背嚢には短弓と矢筒が提げてある。
さらに挙げるなら、髪が梳かれた上、編み込まれているなど、身嗜みが何かと整えられていた。
「ほぅ、綺麗になったじゃないか?」
「・・・そう?」
「かつて人間が、叡智のエステタムから知識を授かった時は、この様な光景だったのかな?」
「・・・素直に、喜べない」
「見透かされなければ、隠しておけたのだが・・・それはそうと、剣なんて使えたのか?」
「・・・祖父は昔、傭兵だったから、教えてくれた」
「そうか、実力は楽しみにさせてもらおう」
「・・・うん、私、強い・・・はず?」
「まあ、なんとかなるさ・・・俺はコイツをブッ放なせれば、問題ない」
ステファンは散弾銃を構え、ニッコリと微笑んだ。
「・・・危ない、人」
「誉め言葉だな・・・さて、先代の尻拭いに馳せ参じようか?」
ステファンは、散弾銃を肩に担ぎ、東門から足を踏み出した。