第二章 人間は嘘つきばかり、君は特に、嘘つき
一先ず、後顧の憂いを断つ事が出来たステファンは、ブダニシュ討伐の功績を、ついでに得る事も出来た。
意気揚々とアノーを発ったステファン、次の宿場町であるユノーまで何の妨害にも遭わずに到着した。物足りないというのも不謹慎かもしれないが、適度に妨害が入ってくれないと後々足留めを食いそうで恐い、とステファンは危惧していたのだ。
そして、その危惧は現実のモノとなる。
「なんと、ユノー川が増水しているのですか?」
今晩の宿を借りるユノーの小教会の僧侶長から、ステファンは衝撃の事実を知らされていた。ユノー川は、ユノーの東に位置し、北から南へも流れる中規模の河川である。ここから東へは向かうには、川に架かる橋を渡らねばならないのだが、川が増水したとなると、渡河に支障が出ている可能性が高い。下手をすれば、長期の足留めが必要になってしまう案件なのだ。
「はい、ユノー川の上流で雨が続いているようでして・・・橋はまだ無事なのですが、いつ流されてもおかしくない状況なのです」
「つまり・・・渡れないと?」
「死を恐れないなら渡れる、と言ったところでしょうか」
「なるほど・・・・・・では今日は泊まらずに、渡っちゃいますね」
「・・・はい?」
「私は主から使命を受けた身、ここで足留めされるわけにはいかないのです」
「しかし、いくらヘシオンとはいえ、あの濁流に呑まれてはひとたまりもないかと・・・」
ステファンがヘシオンに選出されたというのは、到着時に伝えていた。ヘシオンになったのなら、ちゃんと報告してほしいとアノーの僧侶長に苦言を呈されていたからである。
「大丈夫、私には主の御加護があります。きっと何事も無く、橋を渡り切れるはずです」
「はぁ、強い意志をお持ちのようだ・・・分かりました、貴方にさらなる主の御加護がありますように」
というわけで、ユノーの小教会では物資の補給だけ済ませて、ステファンはユノー川の渡河に挑戦する事になった。時は夕暮れ、暗くなる前には川を越えたいものである。
濡らしたくない散弾銃はダッキーへ戻し、ダッキー自身も危なっかしいので背嚢の中へしまい、いざステファンはユノー川に架かる橋の袂へと向かった。
「これは・・・確かに危険だな」
ユノー川は茶色く濁り、轟々と音を発てて、濁流が石造りの橋に叩きつけられている。今は、橋の上をびちゃびちゃに濡らしているくらいの実害だが、いつ崩壊しても不思議ではない状況であった。
「本当は、引き返したいが・・・」
ステファンは、そっと背後を振り返る。するとそこには、ユノーに住まう全僧侶の姿があった。主の奇跡を目の当たりにしようと、集結してきたそうだ。つまるところ、既に退路は断たれているのである。
大きく溜め息をつき、水飛沫避けにローブ付属のフードを被ってから、ステファンは橋の上へと足を踏み入れた。
宿場町に長期逗留など暇が過ぎると、強行を選んだステファンだったが、この状況は流石に想定外である。橋は濁流の直撃によって終始軋んでおり、足を置いた瞬間に瓦解しそうで恐ろしい。だが人前で、仮にもヘシオンが、濁流程度に及び腰になる姿など曝せない。ステファンはあくまで毅然と、そして優雅に、橋の上を歩いていった。
轟音の中だが、背後の僧侶達が声を上げているのが聴こえてくる。ステファンの勇気と信仰を讃えているのかと、彼が聞き耳を立てたところ、それは耳を疑う内容だった。
「ステファン殿! 流木がッ!!」
上流に目をやると、きっと相当な樹齢であったであろう大樹が、濁流に乗って橋へと、ひいてはステファンへと迫ってきていたのである。
「あはは・・・本気ですか、主よ・・・」
今、彼が居るのは橋の中程。只でさえ走って逃げるのは難しいというのに、濡れた石のせいで滑り易くなってとり走る事が出来ない。進退は窮まっていた。
ステファンが咄嗟に背嚢を抱き締めたのと時を同じくして、流木が橋へと追突し、軽々と粉砕してしまった。橋だった石と共に、濁流へと投げ出されてしまうステファン。宙を舞う刹那、ある疑いが脳裏を過る。
主は、全てを知っていて、斯様な仕打ちを科してきたのではないか。
「まあ、それならもっと早くに処分されているよね」
ステファンが自嘲気味に笑った辺りで、彼は濁流に呑み込まれていった。
水中で、流木や石つぶてに際限無くド突かれながらも、ステファンな何とか水面に顔を出すことが出来た。絶え間無い水飛沫に咽びながらも、呼吸を調え、ダッキーの居る背嚢を頭の上に移動させる。何としてでも、岸へ辿り着かねば死んでしまう。ステファンは濁流の流れに乗りながらも、少しずつ左へ左へと移動していった。
やがて、濁流に逆らう倒木に流れ着き、彼は倒木をよじ登り、水の掛からないところまで来ると、そこで力尽きてしまった。寝落ちである。
ユノー川下流域の森には、とあるヘシオンが隠れ住んでいた。
彼女は、悟りのヘシオン。心を読み取る力を、創造主から与えられた者である。しかし、その能力を与えられたのは、僧侶でも騎士でも無く、一般市民の少女であった。
彼女はヘシオンとして認められはしたものの、周囲からの目は厳しかった。どれ程厚い面の皮で隠そうとも、彼女は容易く看破して見せたからである。人々は彼女を気味悪がり、避ける様になった。だが彼らが避けようとも、彼らの内の声は、彼女の知るところとなる。如何に創造主を敬おうと、消え去る事の無い悪心。それが彼女を大いに苦しめた。少女が街から姿を消したのは、ヘシオン就任間もなくのことである。
少女が行き着いたのが、人嫌いの祖父が狩猟場としていたユノー川下流域の森であった。それからしばらく祖父と過ごしてきたが、今では死別し、森でひっそりと独り暮らしを送っている。
ある日、小さい頃からの付き合いである狼が朝早く、彼女の住む狩猟小屋にやって来た。何やら、変なものを見つけたらしい。
狩猟用の短弓を携えて、狼の後に付いて行くと、勢いは無くなったものの依然として茶色に濁る川の岸へとやって来た。
洪水の後は、変なものが流れ着くことが多い。また武器や調理器具でも流れ着いたのだろう。良いモノがあれば、再利用したい。どれも森では手に入らないものだからだ。
しかし、少女の期待は裏切られる事になる。狼がお座りした先には、倒木にしがみつく人間の姿があった。
「・・・これは、再利用出来なそう」
人は苦手だが、まだ息のある者を見捨てる程、人でなしでもない。少女は、深い嘆息を漏らした。
ステファンは、自らの腹の音で目を覚ました。香ばしい香り、何か食べ物を火で炙っているようだ。右半身に熱源を感じる。焚き火だろうか。
「待てよ・・・俺、生きてる?」
ステファンは起き上がって身体を確認したが、異常のある箇所は無い。身体中痛いが、そこはご愛嬌である。
「それは当然・・・私が、助けたから」
声がした方に顔を向けると、焚き火を挟んだ先に犬がお座りしていた。。
「えっと・・・貴方が?」
灰色の毛並みと、シュッとした狐顔で、狼みたいな犬である。人語を介するとは、きっと頭が良いのだろう。
「・・・そんなわけない」
頭を薪か何かで小突かれたステファン、振り返ってみると、見知らぬ少女がしゃがみ込んでいた。
ステファンよりもやや年上だろうか。膝を抱え、ステファンの事を冷めた目で見据えている。
「えっと・・・もしかして、貴女が私をお助けに?」
「・・・もしかしなくても、私。君は・・・馬鹿?」
「あはは、お恥ずかしい・・・こうなった原因を鑑みれば、馬鹿なのかもしれません」
「・・・うん、阿呆」
「あ、阿呆? ともかく、まずは自己紹介をしないとですね。私は・・・」
「ステファン」
「・・・えっ?」
先に名を言い当てられ、ステファンは少女を見詰めた。やはり知り合いではないが、聴衆の中に居たのかもしれない。
「ええ・・・ステファンと言います。しがない僧侶ですが、助けて頂き、ありがとうございます」
「・・・うん」
ただ、頷かれた。少女は名乗らないようである。確かに、川を流されてきた人物を警戒しないわけが無いのだが、彼女の対応にステファンは違和感を覚えていた。
「・・・これ、あげる」
謎の少女が差し出したのは、串焼きにされた川魚であった。
「これは・・・あ、ありがたいのですが・・・お返し出来る物が無くて」
「・・・大丈夫、これは報酬」
「ほ、報酬?」
「君のお陰で、たくさん取れた」
「えっと・・・私のお陰?」
話がまったく見えてこないので、詳しく聞いてみたところ、倒木にしがみついていたステファンを降ろそうとしたところ、誤って川の澱みに落としてしまい、それを餌だと思った魚が入れ食い状態だったそうだ。
「つまり・・・しばらく魚の餌にされていたと?」
「・・・大漁、やったね」
「そ、そうですか・・・お役に立てたのなら、よく分かりませんが幸いです」
「うん・・・だから、あげる」
というわけで、有り難く魚をステファンは頂くことにした。実は苦手なんて、口が裂けても言えない。
「うん、この苦味こそ川魚! 忘れ難い味!」
高いテンションで誤魔化しながら、焼き魚を完食すると、少女はステファンの顔を覗き込んできた。
「・・・美味しい?」
「え、ええ・・・生きる大変さを思い出させてくれる味でした」
「それは・・・美味しい?」
「お、美味しいです・・・はい、とても」
少女のご厚意で、ステファンはもう一匹頂くことになった。
「・・・ありがとうございます」
「・・・泣いてる?」
「焚き火の煙が、目に滲みて・・・」
嫌いなものを口一杯に含んだ時は、泣きたくなる。ステファンはそれを顔に出さず、必死にそれを堪えていた。
「・・・もう嘘は良いよ。魚、嫌いでしょ?」
「・・・・・・何故、嘘だと?」
「・・・私には、判るから」
「貴女は・・・」
「・・・人間は嘘つきばかり、君は特に、嘘つき」
「・・・貴女は、何者ですか?」
「・・・悟りのヘシオン、クィラ。君と同じよ、正義のヘシオン、ステファン? それとも、ヴァイク?」
「くっ・・・ダッキー!!」
ステファンが少女、クィラを突き飛ばしながら叫ぶと、枕にされていた背嚢から、ダッキーが勢い良く転がり出てきた。そして、散弾銃を排出させ、ステファンはその銃口を尻餅をついたクィラの眉間に向ける。
「貴様、どこまで見えている?」
「・・・全部」
「悟りのヘシオン・・・資料では読んだ事がある。実在していたとはな」
「・・・私を、殺したいのね?」
「理由は・・・判るだろう?」
「・・・判る。でも、解らないことがある」
「・・・何だ?」
「・・・気味悪く、無いの?」
「ん? 気味が悪いに決まっているだろう。心を読まれたら、俺はお仕舞いだからな」
「・・・そう、君は秘密が漏れるのを、嫌がってる。でも、心を読める私を、恐れているわけじゃないのは、何故?」
「・・・心が読めると判れば、それだけの話だからだ」
「・・・そう」
「良かったな、全部判って」
ステファンは、唐突にトリガーを引いた。しかし、撃ち出された弾丸がクィラを仕留めることは無かった。トリガーを引いた瞬間に、短剣で銃口をズラされ、今ではステファンの喉元に刃を突き立てている。
「・・・不意打ちは効かない」
「侮り過ぎたか・・・負けた、殺ってくれ」
「・・・私は、殺さない」
「なら、俺が殺しに掛かるぞ?」
「・・・君は非情な人。でもそれは、悪い人にだけ。私を消したくても、消せなかった。さっきも、一から武器の説明をしながら、撃ってきたでしょう?」
「まったく、虚勢を張る意味が無さそうだな・・・その通り、踏ん切りがつかなくて困っている」
「・・・だね」
「それで、あんたは何故、俺を殺さないんだ?」
「・・・私を気持ち悪がらない人、祖父以来。これが良い機会、かも」
「こっちは心が読めないんだ、さっさと話してくれないか?」
「・・・人と話すの、久しぶりで、難しい。結論、君の使命、手伝おうかと」
「手伝って、何の得になるんだ?」
「・・・敵を倒せば、この力を持つ意味が、無くなるはず。私を気持ち悪がらない人なら、付いて行けそう」
「なるほど・・・便利そうな能力なのに、勿体無いな?」
「・・・少なくとも、君に授けられなくて、良かったと思う」
「俺ならもっと上手く使えると思っただけだよ・・・」
「・・・それで、付いて行って、良いの?」
「構わないが・・・一方的に弱味を握られていても、な?」
「・・・君の秘密を、見逃すということは、共犯」
「・・・分かった。腕も立つみたいだし」
「・・・嘘をつけない奴が居ても、たまには良いかも、でしょう?」
「本当に読まれるんだな・・・付いて来るとして、あの犬も連れていくつもりなのか?」
ステファンは、お座りしたままの犬を指差した。
「彼は狼、妻子あり、付いて来れない」
「なるほど・・・それで動じないのか?」
「・・・違う。私なんかより、彼らの方が心を読める。つまり、お見通し」
「お見通し、かぁ・・・」
ステファンは、ダッキーを抱き上げ、問い掛ける様にその顔をまじまじと見据えた。