第7話 白い犬とドリームボックス
「山中さん……どうすれば現状が良くなるんですかね?」
「んなもん知らねぇよ! そもそも『正解』とか『間違ってる』って話じゃねぇと思うしな……」
「でも、山中さんはその『答え』を既に知ってるんですよね? なら教えてくれても……」
「ばぁ~か。そんなもんは自分の頭で考えて、その『答え』とやらを導き出すしかねぇんだよ。そもそも人に質問して、教えられてことじゃねぇだろうがっ!!」
獣医の女性は、作業着の男性を叱り付け頭を軽く引っ叩いていた。
ピッピッ♪ どこからともなく電子音が響き聞こえてきました。
「うん? お前の時計からか?」
「あ、はい。ちょうど今5時みたいですね……」
作業着の男性は右手に巻いてある腕時計に目を向けると、現在の時刻を口にした。
「ならリミットまであと15分ってところ、か」
「……ええ。そうですね」
場所や地域によっても違うが保健所は5時15分までで、その日の業務を終えてしまう。彼女が口にした『リミット』とは、引き取り手が現れてくれるまでの最後の時間を指す言葉である。
原則殺処分をする時間帯は、朝の8時30分と明確に決められている。またその曜日も『火曜日』と『金曜日』決められています。特に今日は間の悪い事に『木曜日』であり、あと15分以内に引き取り手が来なければ、この部屋『木曜日』との札が掲げられている中の犬達は、翌朝には全員殺処分されてしまう。
基本的に保健所に『持ち込まれる』または『引き取られた』犬や猫の収容期間(保護期間)は1日から最長でも1週間が限界です。その1週間の間に里親である新しい引き取り手が現れなければ、殺処分の運命からは逃れられません。
この白い犬は今日持ち込まれたばかりだったが、木曜日の部屋に入れられていたのです。何故なら、その白い犬は怪我をしているです。
そもそも保健所に持ち込まれた犬や猫が怪我や病気の場合、治療はされません。いいえ、簡単な薬や消毒・包帯などの簡易治療はしてくれますが、それだけしかできません。手術が必要な犬や猫は、原則として治療できません。もちろん『治療設備』や『人員』などの問題もありますが、1番は『治療にかかる薬などのコスト』であり、そして2番目は『引き取られる希望がない』からなのです。
そう白い犬が何故『木曜日』の部屋に入れられたのかは、怪我をしていて引き取り手が現れる希望がないのが原因でした。だから獣医の女性はその白い犬を治療したくてもできなかった。白い犬には、引き取り手が現れる希望がないのだから……。
「……佐藤。確か明日はお前がドリームボックスの当番なんだっけ?」
「ええ……。嫌な役割っすけどね。山中さんもそうでしょ?」
獣医の女性は「ああ……」っと短く答えた。
「……にしても、何でウチには『麻酔薬』が導入されないんでしょうね? 炭酸ガス何かよりもそっちの方が、この子達にも作業をするオレ達にも負担少ないっすよね? それにガス室設備のメンテナンスも無くなりますし……」
「ばぁ~かっ。んなもん、処分費に決まってんだろうが。お前、麻酔薬と炭酸ガスのコスト差知らねぇのか?」
作業着の男性は「え、ええ……」っと勉強不足から、言葉を濁していた。
「街の獣医がやる麻酔薬は1頭あたり、場所にもよるけど『5千円~2万円』くらい費用が必要なんだぞ。対してウチが使ってるドリームボックスの炭酸ガスは、1頭あたりのコストが70円とか……ま、100円もかからねぇんだわ」
「そ、そんなに違うんっすか!? でもそれじゃあ、ウチで処分する子達は『100円の価値もない!!』って事じゃないですか!!」
「ああ、そうだな……」
獣医の女性はそう短く受け答えをします。
「それにお前がさっき言ったように設備自体はいらねぇかもしんねぇけど、麻酔だと時間が1頭あたりに30分~1時間とか時間かかるし、全然現実的じゃねぇのさ。それにカテーテルを静脈に差したりすんのは難しいし、それはあたいらみたいな獣医しかできねぇもん。人員も全然足りねぇのさ」
「そうだったんですか。オレ、この仕事してるのに何にも知りませんでしたよ……」
作業着の男性は、その現実を知りうな垂れてしまいますが、獣医の女性が「ま、無理もねぇさ。日々の作業だけで手一杯だろうしな……」っと慰めていました。
殺処分をするガス室は職員の間で、通称『夢の箱』と呼ばれています。何故そう呼ばれているかというと、『不幸にも飼い主に恵まれなかったペットが来世では良い飼い主と出逢い、幸せになってくれる事を願い』そんな名前が付けられたそうです。
またドリームボックスで使われる毒ガスは通常『炭酸ガス(いわゆる二酸化炭素ガス)』が用いられています。理由は上記でも記してありますが、やはり1番は『処分費』と『時間の節約』が挙げられます。
保護された日の曜日が書かれた部屋に入れられた犬は、毎日部屋を変えられ1つずつ移動する事となります。日に日に一歩ずつ死へと移り近づいているのです。そうして決まった曜日の朝(ここでは火曜日と金曜日の朝8時30分の週2回)ドリームボックスへと連れて行かれた犬達は職員がボタンを押すのと同時に、迫り来る壁から逃れるよう毒ガスである炭酸ガスが噴射される部屋へと導かれるのです。
毒ガス・炭酸ガスと聞くと『すぐに死ぬ』『苦しまずに楽に死ぬ』というイメージがあるかもしれませんが、実際は違います。
炭酸ガスを使い部屋内を満たす事で、部屋の中の酸素濃度を徐々に低下させます。そして犬達が呼吸するのと同時に、肺の中を二酸化炭素で満たす事によって『けいれん』『吐き気』『昏睡』そして最後には『呼吸困難』にして苦しませながら、じわりじわりっとその命を奪っていくのです。
また呼吸量が大きい体の大きな犬から先に亡くなります。体が小さい犬や猫などは呼吸量が少ない為に、より長い時間をかけ苦しみながら死んでゆくのです。
そしてその殺処分が終わると、獣医または職員が本当に亡くなったかの確認作業をしながら、台車へと移し隣接する焼却炉で焼かれて最後には灰となるのです。灰となったモノは墓地に埋葬されるのではなく、『産業廃棄物』として処分(=つまりゴミ処分)されてしまうのです。
また街の獣医さんが行う『麻酔薬』の場合は『安楽死』と呼ばれ、あまり苦しませないでその命を奪うことができます。
まず犬の足静脈にカテーテルの管を通し、確認の為生理食塩水を注入してから痛みを無くし昏睡させる為の『麻酔薬』を入れてから『安楽死用の薬』を入れるのです。猫の場合は暴れないよう透明なケースに収めてから、皮下に直接注射をして安楽死させます。ですが、その場合でも炭酸ガスと同様に『産業廃棄物』として処分される事となります。
「……もうそろそろ時間になっちまうよな?」
「そっすね……」
二人はずっとその部屋で待っていたのだ。来るかも分からない、里親をずっと待ち続けて……。