第5話 白い犬とペットオークション
「ほら、ゆっくりお休むんだぞ~」
獣医の女性はその白い犬を抱きかかえながら、木曜日と書かれたプレートが下がっている部屋へと戻り、体を気遣うようゆっくりと、床に下ろしました。
「く、くぅ~ん?」
「大丈夫だって……よしよし」
獣医の女性は白い犬の頭や体を撫で落ち着かせるように、そう語り掛けました。
「山中さん……ちょっといいですか?」
「んっ? ああ……なんだ、佐藤か。どうかしたのか?」
獣医の女性は作業着を着た男性に声をかけられ、振り向きながら用件を聞きました。
「あっいえ。あの……明日は金曜日なんでその確認を……っと思いまして」
「……そっか。また金曜日が来ちまったのか……」
獣医の女性はポケットからタバコを取り出すと、火を点けずにそのまま口に咥えました。
「……で、今日は何件の問い合わせが来たんだ?」
「えっと……譲渡が2件に、返還が1件でしたね」
作業着の男性はバインダーに閉じた紙を見ながら、そう答えました。
「ふぅ~。……で、ウチへの受け入れは?」
「……出張が10に、持ち込みが5。あっいえ、この子を入れて6でした。だから計16ですね」
作業着の男性は、ペンで数字を書き足していました。
「……そっか。そういや、さっき来てたボランティアって女は? 何か写真撮ってたろ?」
「あっ井口さんですか? 確かネットに載せるって言ってましたよ。1頭でも多く里親が見つかれば! って意気込んでましたし……」
「最近はそうゆう活動してくれる人がヤケに増えたな。確か……ツイッターだっけか?」
「ええ。写真付きで募集をかけてくれてるみたいですね」
「その人、大丈夫なのか? 最近個人間のトラブルが多いってやたらと耳にするぞ」
「あ~確かに耳にしますね。個人間の譲渡だと、引渡しの際に費用を請求するってトラブルが増えてますね。でも井口さんは保健所にいる子たちを紹介するだけなんで、引き取って譲渡などはしてないから大丈夫ですね!」
「そっか。それはウチにとってもありがたい話だな……」
「ええ……」
そう言って二人は暫し無言になりました。ですが、部屋の中にはたくさんの犬がいて吠えたり鳴いたりしていました。
「それで山中さん。明日はここにいる全部でいいんですか?」
「……ああ。今ちょうど4時だから、あと1時間で誰も引き取りに来なきゃ……そうなるだろうなぁ~」
獣医の女性は壁に掛けられた時計を見ました。そして二人は部屋にいる犬達をただ眺めながら、そんな話をしています。
「佐藤は、さ。家で犬とか飼ってるの?」
「……いえ。昔は飼ってましたけど、この仕事に就いてからは……」
「そっか……。それもそうだよな……」
作業着の男性はやや暗い顔をしながら、言葉を誤魔化すように白い犬の頭を撫でました。
「くぅん?」
白い犬は頭を撫でられるとくすぐったそうにしますが、少し嬉しそうでした。
「山中さんは……」
「うん?」
「山中さんは……何でこんな仕事始めたんですか?」
「始めた……ワケか。ま、単純さ。昔飼ってた犬がさ、病気で死んじゃってな。そんな子を1頭でも減らしたくて、勉強して獣医になったんだけどな……今はこのとおりの有様さ」
そうしてまた、二人は無言になってしまいました。
そんな沈黙に耐えかねたのか、作業着の男性はこう切り出しました。
「山中さん。何でウチに来る子たちが減らないんですかね?」
「んっ? 昔よりは減ってるさ。それも格段に、な」
獣医の女性は口に咥えていたタバコをポケットに無造作に入れ、そう男性の問いに答えました。
「確かに2013年の法改正で業者の受け入れを止めてから、数は目に見えて減ってますけど……でも!!」
「……それでも、さ。お前だってこの子の飼い主見たろ? ウチに持ち込んで来るのは、あんなのばっかなんだよ。お前だってそれくらい理解してんだろ?」
作業着の男性は先ほどのやり取りを思い出したのか、拳を痛いくらいに握り締め怒りをあらわにしていました。そんな男性を無視するように、獣医の女性は言葉を続けます。
「それにさ、最近はウチで受け入れないからって『引き取り屋』が流行ってんだろ? あれもブリーダーやらがパイ(=需要数)を無視して、どんどん増やしてんのが原因なんだぞ。それとさ、お前……オークションって見たことあるか?」
「オークション……ですか? 確かペットショップが犬や猫を買い付けるやつですよね?」
作業着の男性は何でそんな話をっと疑問気に女性に聞きました。
「ああ、そうだ。でもな……どうやって売り買いしてるかまでは知らねぇだろ?」
「え、ええ……」
作業着の男性は頷くと、その続きを促します。
「アタシは1度だけ実際に見たことあるんだけどな。オークションに出される犬や猫はさ……こうやってさ、こんな四角な箱に入れられててな、値段を付けられる時だけ顔を出すんだよ」
獣医の女性はジェスチャーで箱を縦に開ける動作を示します。
「箱? 箱ってゲージですか?」
縦に開けるゲージって? っと作業着の男性は疑問に思っていました。ですが、すぐにそれがゲージではないと気づきます。そして獣医の女性が何故ゲージと言わずに『箱』と言ったのかも。
「は、箱ってまさか……」
「ああ。そうだ。今お前が思ってる通りのヤツだよ。四角いダンボールに空気穴を開けて、そこに入れてるのさ。しかもベルトコンベヤーに乗せられての流れ作業でだぞ。信じられっか?」
「だ、ダンボールって!? まるで野菜じゃないですか!! 何なんですかそれは!!」
作業着の男性はその話を聞いて、怒りが頂点となり怒鳴ってしまいました。
「きゃん!?」
「きゃんきゃん!!」
作業着の男性の声に驚き、周りにいた犬達が騒いでしまいます。
「馬鹿! この子たちがいるのに怒鳴るやつがいるか!!」
「す、すみません……つい」
そう言いながら、周りにいる犬達を落ち着かせると話を続けます。
「ああ、そうさ。お前が今言ったとおりだよ。ほんとに野菜市場みたく扱われてるのさ。しかも……整然とさ、いくつもいくつも5段くらいに積み重ねてな」
獣医の山中は顔色を変えずそう言葉を続けました。
<場所によって言い方や制度が違う場合があります。大まかな説明です>
補足説明その1:『譲渡』とは保健所に里親として引き取りに来ること。『返還』とは迷い犬を飼い主が引き取りに来ること。
補足説明その2:『出張』とは専用の車で不要になった犬や猫を引き取りに出向くこと。『持ち込み』は飼い主が直接出向き保健所・愛護センターに直接持ち込むこと