バムトケロ諸島 ウリノガラゴ港 3「積み荷」(2)
『モウラ、この荷箱、おかしいぞ! 重心が動く』
「なんだって?」
コオの警告とともに、港には緊迫した空気が漂いはじめた。
見ると、それまで完璧に揺れを打ち消していたコオの起重腕が小刻みに震え、荷箱が大きく不規則に揺れていた。荷箱の内側からは、何かがぶつかる音が聞こえてくる。
『嫌な予感がする、モウラ、みんなを下がらせろ!』
従機の外部拡声器から聞こえてくるコオの声は確かに若い。だが、同時に人を動かす力強さも備えていた。荷揚屋たちは互いに目配せをかわし、速やかに現在の作業を中断していく。
「待て、勝手なことをするな、契約が!」
そう叫ぶ船主を無視し、モウラが肺の空気を目一杯吐き出した。
「みんな、いったん引きな」
海風を圧する大音声を受け、男たちは船とコオの機体から離れていく。岸壁に人がいなくなる頃には、荷箱の揺れも、中からの破裂音もますます大きくなっていた。
『モウラ、いったん降ろす。オレが対応する。絶対誰も近づけるな!』
内側から揺れ動く荷箱を、それでもコオは絶妙に逆運動を加えて揺れ幅を抑えながらゆっくりと地面に近づけていく。
「ちょっと、あの積荷は何が入ってるんだい!?」
モウラにもすでに見当はついていたが、それでも船主を締め上げずにはいられなかった。
「い、いや、わたしはただ頼まれただけだ、私は悪くない!」
胸ぐらをつかまれ半ば宙づりになりかけた船主は懸命に取り繕う努力をした。だが、それが彼自身の後ろめたさを表明することになっている。
コオがきしむ起重腕をだましだましなだめながら積荷を地面に降ろしたとき、すでに荷箱には内側の何かにより大きくヒビが入っていた。
「あんた、あの箱に何を連れてきた!」
「か、狩人どもはあと半日は持つと言ってたんだ……」
「いいから、何を持ち込んだのか言いな!」
いいわけを繰り返す船主を締め上げるモウラの腕に力が入る。けれど、船主が答えを口にする必要はなかった。内側からの圧力に屈し、半壊した荷箱からそいつの顔がのぞいた。
『イワトリだ! みんな隠れろ!』
コオの叫びを聞いて、モウラは母親に叱られるだろう呪いの言葉を口にした。
イワトリ。愛敬のある名前とは裏腹に、山岳地帯に生息する最悪の猛禽竜といっていい。隊商が運搬経路を決める上で、こいつの生息地をはずすのは基本中の基本だ。蛋白質よりも珪素等を摂取するため、好んで人を襲うわけではない。けれど、火成岩を常食する岩トビケラを補食することで鍛えられたクチバシと顎は丸太程度であれば易々と食いちぎる。体を覆う羽毛は珪素が分泌されるため並の甲獣より遙かに硬く、山岳地帯で重い体を俊敏に動かすため脚力は生半可な従機よりはるかに強い。おまけに、繁殖期に縄張りに近づかれることをきらった彼らはとんでもない特技を発達させていた。
誰もが動きは速かった。建物の影、積荷の影に身を隠していく。
起重腕を縮めながらコオの機体が荷箱から這い出てくるイワトリに近づいていく。
『コオ、いくらあんたでもその機体じゃ無茶だ。オレが行く』
その姿を見て、荷揚仲間の御士が機体を進ませた。確かに、コオの機体は俊敏な猛禽を相手に出来るようには見えない。一般的な従機はもともと俊敏な行動が得意ではない。しかも、元軍用とはいえ、コオの機体は寄せ集めのつぎはぎ。おまけに、長大な起重腕をつけているとあっては、猛禽竜との格闘戦など自殺行為に等しいことは御士なら誰でもわかることだった。
けれど、コオは歩みを止めない。
『ダメだ。ギミィ、あんたあいつとやり合ったことはないだろ? ダリヒと二人で、みんなを頼む。出来れば、鉄板を用意した方がいい』
ギミィと呼ばれた同僚は、しばらく迷いを見せたようだった。だが、揺るぎないコオの言葉と、自分の機体と技量と、周りの状況を考えると最善と思える方法を選んだ。
後退し、あり合わせの鋼板を防御盾にして並べる同僚の姿を補助映像盤で確認したコオは、狭い御士槽の中で小さく息を吐いた。
さて、大見得は切ったものの、さ。
コオはもう一度、固定帯のゆるみを点検する。前にあいつとやり合ったときは、こちらは二機だったし、機体も陸竜掃討用の装備を施した最新鋭機だった。反応は素早く、力は強く、火力は不必要なまでに大きかった。もっとも、二度と軍務につくことなどゴメンだが。
それに比べて、今の機体はこころもとないことこの上ない。その上、右腕を起重腕に換装している今の機体で、どうやってあいつの「特技」をかわすか。下手をすれば、無様に御士槽ごと押しつぶされて終わりだ。
「コオ、後ろはなんとかするからね。自分の心配だけしてなよ」
モウラの声を聞き、買いかぶられてるな、とコオは苦笑した。さっきから自分の心配しかしてない、とはとても言いだせない。
こんなことなら、積荷をそのまま海に捨てるべきだった。けれど、それは契約上できなかったし、何よりしたくなかった。この積荷の中には、おそらく、「あれ」も入っているはずだ。
御士槽ののぞき窓からイワトリが半壊した荷箱から這いだしてくるのが見えた。
曲げていた首をスッと伸ばした奴の目が、わずかな隙間であるのぞき窓からコオの目を見据えた。こいつ、賢い。従機を知っているな。
イワトリが大きく口を開けた。
『来るぞ』
自分の叫びが引き金となった。イワトリの口腔から、空気の破裂音が響く。
コオは左の起重腕をイワトリと自機との間に掲げた。同時に、重たい衝撃が機体全体を揺らす。ぐ、と肺からうめきが漏れる。
周囲で悲鳴がまき散らされた。跳弾が周りの荷箱を打ち壊すが、そこにかまう余裕はない。
コオをめがけて放たれたのは、イワトリの体内にある岩石だ。それを、肺の圧縮空気と舌のバネとで高速で撃ち出すのが彼らの特技である。その威力は、鋼鉄の起重腕が大きくへこんでいることで証明されている。
知っているからこそ、軌道上に左腕を添えることで初弾を防ぐことはできた。これがギミィを引き留めた理由だった。あんなもの、一発でも食らえば作業専用従機の薄い外装などひとたまりもない。とはいえ、コオもそうそううまく受け続けることは出来ないだろう。
再びイワトリが大きく口を開く。コオは左の起重腕を伸ばしながら横に薙いだ。イワトリがかまわず岩石弾を撃ち出したのなら、コオはなすすべもなく岩弾に押しつぶされていたはずだ。だが、賢い山岳の王鳥は破壊衝動に酔いしれるよりも、自己の生存を優先させた。
捕食者としての性で、立体視に不安のないイワトリは起重腕の間合いを見きり、足取りも軽やかに後ろに下がる。
それが、コオの狙いだった。左手で操舵桿についた突起を押し込む。起重腕の先についた鉤針の固定が解除された。慣性の法則に従い、遠心力のついた鉤針がイワトリめがけて襲いかかる。肩の巻き上げ機が回転し綱線がなめらかに繰り出される。避けようのない間合いで、かわしようのない機を得た攻撃だったはずだ。
だが、野生の猛禽は文字通りその上をいった。
音を立てて迫る鉤針を、イワトリは軽やかに飛び越えたのだ。
チィ、と舌打ちを打つよりも先に、コオは肩の巻き上げ機を作動させ、伸ばした綱線を巻き取りにかかる。映像盤の上端ギリギリに、空中で大きく口を開くイワトリの姿が映った。コオは咄嗟に右腕を掲げ、機体の前面を覆う。直後に衝撃が御士槽を揺らす。同調し、伝気的に融合している右腕に鈍い痛みが食い込んだ。その痛みを奥歯を噛みしめることで無視したコオは、足舵板を目一杯蹴りこむ。
こちらの攻撃の裏をとり、交差攻撃を叩き込んだ猛禽にごくわずかの油断が生じていた。無防備な着地動作に向けて、コオの駆る人造巨人は右肩を突き出すように踏み込んだ。金属が岩石を打ちつける鈍い音が潮風の中に響く。
グアゥ、と腹に響く悲鳴を上げてイワトリは後じさった。だが、驚くべきことにその攻撃で被害を受けているのは、むしろコオの乗機だった。比較的堅牢なはずの右肩から突撃したのだが、寄せ集め機体のつぎはぎ構造にとっては十分以上の無茶となったようだ。右肩の部品そのものは硬いイワトリの羽根との衝突に耐えたとしても、その接続部分に大きく歪みが生じていることを、機体と同調しているコオの肩の痛みが教えていた。
コオ、大丈夫なの? とモウラの叫びが聞こえる。
大丈夫、と応えるべきなのか。いっそ正直に、かなり無理が来てる、と応えるべきなのか。そんな二択を楽しむ余裕が自分にあることが、コオを落ち着かせていた。
勇敵、と認めたのだろう。イワトリは距離をとり慎重にこちらの出方をうかがっている。
先ほどは、最高の機をとらえた鉤針をかわされている。素早いイワトビケラを捕食するためにイワトリの目は両目とも正面を向いている。距離感をはかるために立体視が発達している証拠だ。だが、逆に言えば側面の視界は広くはない。つけいるのはそこか。
今のこの機体で打てる博打はあと1回が限度だろう。不安は山ほどあるが、現状を考え、コオは思いつく最善の手段を決める。
機体の右腰から予備の細綱線を引き出すと、コオは先端を左腕の鉤針の先端に引っかけた。残る端は、そのまま右腕の指先に引っかける。その上で、左の起重腕を掲げるように直上に伸展させた。綱線につり下げられた鉤針がゆっくりと左右に揺れ始める。右腕の細綱線の長さにはまだ余裕がある。
さてと。上手く行けば拍手喝采ぐらいは欲しいよな。
揺れる鉤針にあわせ、イワトリの目がわずかに左右に揺れだした。動くものを追いかけてしまう捕食者の習性には、こんな時であっても抗うのは難しい。
頃合いか?
コオは、一際大きく鉤針を左に振らせた。つられて、イワトリの目が鉤針を追いかけた瞬間、コオは起重腕を肩口から切り離した。
同調している左腕に激痛が走る。肩の臼状間接から強引に腕を引き抜くような痛みだ。噛みしめる奥歯がきしむ。
地響きを立てて、起重腕は倒れていく。つり下げられ規則正しく振り子のように揺れていた鉤針は、突如支点を失い、大きく上空に跳ね上がる。イワトリは、鉤針と、綱線と、起重腕とのどれに注意を向けるか一瞬だけ気をとられた。その隙に、長大な重りをすて、身軽になったコオの機体がイワトリの懐に滑り込む。右腕に持つ細綱線を引き絞ると、上空に跳ね上がった鉤針が大きく弧を描きながら舞い戻る。
クェエ!
体表に岩石を張り付かせたような猛禽は、左右から迫る鉤針とコオの機体との両者を視界に収めることが出来ない。優先順位をコオの本体に定めて対応しようとした点は流石だった。だが、結果としてイワトリが鉤針と綱線に背を向けたのは失敗だった。弧を描き飛来した鉤針は、イワトリを支点として巻き付旋回半径を急速に縮めていく。原始的な投石紐が絡みつくように、イワトリの体は綱線と鉤針とでぐるぐる巻きにされていた。
喝采を受けながら、御士槽の中で痛む左肩をさするコオは、大きく息を吐いた。