この子がわたしの弟だよ
自分の受け持つおひつじ組に向かうと、そこには亜麻色の髪を持つ少女がいた。
数週間前まで一緒に帝都に滞在していた少女である。
ハーモニアだ。
彼女は俺を見つけるなり、俺の胸に飛び込んでこようと――、としたりはせず、珍しくその形の良い眉を釣り上げながら言った。
「先生、先生にもう一人お子さんがいるだなんて聞いてませんよ! しかも、あんなに小さい赤ちゃんがいるだなんて!」
「いや、あの子は俺の子供じゃないし」
「でも、フィオナはわたしの弟なの、ってクラス中の子に見せていましたよ」
「あの赤ちゃんは男の子だったんだな」
「自分の子供の性別も把握していなかったんですか」
製造年月日も把握していないよ、と冗談で返そうかと思ったがやめた。
ハーモニアは明らかに冗談を楽しむような感じではない。
ここは弁明をしておくべきだろう。
ハーモニアのためではなく、自分のために。俺がどこかれかまわず子供をこしらえるような人物だという噂が学院に蔓延するのはよくない。
ただでさえ他の教師連中にうとまれているのに、これ以上、評価は下げたくない。
「ハーモニアよ。もう一度言うが、あの赤子は俺の子供ではない。信じられないかもしれないが、通勤中に見知らぬ女に押しつけられた」
「知らない人が渡してきたっていうんですか?」
「ああ」
「でも、フィオナはカイト先生の子供だって」
「それは女の言い分だな。大方、育てられない事情があるのか、なにか事件に巻き込まれたのか。道中、いきなり押しつけられたんだ」
「ほんとですか?」
「神に誓うよ」
神をまったく信じていないが、とは言わない。
それはハーモニアに伝えなくていい情報である。
その言葉を聞いて安心したのか、ハーモニアの表情から険しさが取れる。
「私は先生のことを信じていました。先生はどこの誰とも知らない女性とふしだらな関係を結ぶような人じゃありませんよね」
「まあな、女生徒にも手を出さないよ」
「出してくださってもかまわないのですが」
ハーモニアは残念そうに言うと、こう付け加えた。
「まあ、もしも先生の子供だとしても私の先生に対する気持ちは変わらないのですが。そもそもすでにフィオナという子供がいるのです。もうひとりふたり増えたところで変わりません」
「なかなか度量があるな」
「ええ、ですが、浮気したらちゃんと報告してくださいね。浮気相手はともかく、生まれてくる赤子に罪はないのですから」
「……もしも君を妻に迎え入れる場合はそうするよ」
彼女に聞こえない音域で「そんな未来はないだろうけど」と続ける。
今のところ、俺は妻を必要としていなかったし、フィオナも母親は必要としていない。
これまでそうしてきたし、それで上手く回っていたのだから、ここであえて変化を加える気にはならないのだ。
無論、それは先ほど押しつけられた赤子も一緒だ。
フィオナは「わたしの弟です」と吹聴しまくっているようだが、俺はあの赤子をフィオナの弟として育てる気はない。
一刻も早く護民官に届けるか、先ほどの女に返却したいところである。
なので俺はその赤子を抱いているであろう娘を探した。見たところ教室にはいないようだが。
居場所を尋ねると、ハーモニアは答えてくれた。
「フィオナならば学院長室に呼ばれています」
「なるほど、まあ、そうなるわな」
神聖な学舎であるリーングラード学院に赤子を連れての登校である。
学院の長に叱責を喰らってもやむを得ないだろう。
「カイト先生もやってき次第、学院長室に向かうように、という伝言を預かっています」
「やっぱりか」
これも予想の範囲内なので驚かなかったが、罪状はなんになるのだろうか。
学院に部外者を入れた罪、
教師としての道徳に反する行為、
どれを責められるのだろうか。
最後の罪状だけは無実であったが、あの学院長は俺の弁明を信じてくれるといいが。
そんなことを思いながら学院長室へ向かった。
リーングラード学院の学院長室、校舎とは別の棟にあり、教員棟の最上階に設置されている。
豪壮で豪華な作りであるが、これは当人の趣味ではなく、代々、このような内装なのだそうだ。
壁一面に本棚があり、数々の魔術書が並べられているのが、賢者といえば賢者らしい。
それ以外にも鳥かごに不死鳥が入れられており、身にまとった炎がゆらゆらと揺れていた。
部屋に入るとフェニックスがこちらを見てくる。
悪意ある第三者が入ってこないか監視しているようにも見えるが、幸いとフェニックスは俺を敵とは見なさなかったようだ。
じろり、と、こちらをなめ回すように見たあと、関心を失ったかのように明後日の方向に視線をやった。
それと同時に学院長カリーニンが話しかけてくる。
「おお、カイト殿、久しぶりじゃな」
「お久しぶりです、学院長」
「どうだったかね、一ヶ月も教職を離れ、帝国で縦横無尽に活躍して爽快だったかね」
「そこまで活躍していませんよ」
「そうかね、イスマくんを守るのと同時に、帝国に根を張る悪徳貴族を一掃し、その後、大魔導師コンラッドの最後の願いを叶えた、と報告を受けているが」
「尾ひれが付きまくっていますね。悪徳貴族の一人を牢にぶち込んだだけですよ。それにコンラッド殿の方はその弟子に力を貸しただけですよ」
「まあ、どちらにしろ、すべてことが上手く運んだようで。なによりじゃな」
「まあ、一ヶ月、学院の給料を返上するデメリットに見合う成果は得られましたよ」
特にイスマの内憂外患を取り除けたのはでかい、と思う。
これでイスマはもちろん、フィオナの悩みも取り除かれるだろう。
彼女たちには穏やかな学院生活を送って欲しかった。
「そんなことより、カリーニン学院長、俺ごとき一介の魔術師になにか御用で? 学院に戻ってきたからにはちゃんと授業を行って給料分働きたいのですが」
「殊勝な心がけだ」
「真面目に働けば休暇分の給料を有給として支払ってくれると思って」
「残念ながらそれはできないな」
「本当に残念です。では、何用で?」
と、とぼけて見せたが、呼び出された理由は分かっていた。
ちらり、と、長椅子に座っている娘を見る。
フィオナは産着に包まれた赤子を大事そうに抱きながらあやしていた。
まあ、学校に部外者、それも赤子を連れてきて怒らない責任者などいない。
この学院は保育園ではない。ましてや託児所でもない。
この学院は、魔術の理を探求する学舎なのである。
そう思って叱責を覚悟したが、学院長の声は意外にも穏やかだった。
「ところでカイト殿、そこにいる赤子の件なのだが――」
「最初に断っておきますが、あの赤子は俺の子供ではないですよ。通学中、見知らぬ女に押しつけられたのです」
「でも、あの女の人はお父さんの子供だって言ってたよ?」
と、フィオナは余計な情報を口にする。
「でも、俺の子供じゃないよ。全然、似ていないだろう」
「そうかなー? 似てるような」
フィオナは赤子と俺の顔を交互に見比べる。
「共通点は目がふたつあって、鼻の穴がふたつあって、口がひとつなところだけだ」
「それは人間の赤子すべての共通点だな」
カリーニンはおかしげに、「ふぉっふぉっふぉ」というと、こう付け加えた。
「安心なされ、カイト殿その赤子がお主の種でないことは確認済みだ。先ほど、魔法で確認しておいた」
「さすがは学院長です」
手放しに褒める。
フィオナは落胆する。
「うう、せっかく弟ができると思ったのに」
と、肩を落としていた。
「ならば学院長もどうかご協力願えませんか?」
「協力とは?」
「その赤子を俺に押しつけた女の捜索。それが駄目でしたら、護民官を紹介して頂きたい」
「ふむ、それはやぶさかでもないのだが、とある事情でできかねるな」
「とある事情とはなんですか?」
「いや、実はの、カイト殿にはしばらくその赤子を預かって貰おうと思ってな」
「どういう了見ですか」
「いや、なに、先ほど魔法で解析した結果、その子は『特殊』な子供だと判明しての。しばらく、目の届く範囲において経過を見守りたい」
「ならばご自身の家において見守ってくださいよ」
「生憎と年寄りと赤子の相性は悪い。それに比べカイト殿は、子育ての経験が豊富ではないか」
「そこまで豊富じゃないですよ」
「だが、フィオナくんという生徒を立派に育てているじゃあないか」
正論である。
カリーニンはさらに追加攻撃を加えてくる。
「さらにカイト殿は、就任早々、一ヶ月も学院を留守にした。無論、許可をしたのはワシだが。他の教師連中をなだめるのに骨を折ったのだぞ」
「つまり、貸しを返してくれ、ということですか?」
「貸し借りという言葉は嫌いだな。ここは持ちつ持たれつ、ということで」
カリーニンはとぼけた口調で言うが、断ることはできそうになかった。
カリーニンは最後にこう言ったからだ。
「もしも、この赤子をカイト殿の家においてくれるのであれば、先日の休暇をすべて有給扱いにしてもいい」
そう言った。
家計が常に火の車である我が家にとっては渡りに船である。
俺は最後に、
「しばらくですからね。あの女を見つけるか、なにか目処が立つまでですからね、あくまで」
そう念を押すと、赤子を預かることを了承した。
それを聞いたフィオナはにっこり微笑む。
「やったよ、明日からわたしたちは一緒に住めるよ」
と、赤子に話しかけていた。心底嬉しそうに。
赤子はそれを知ってか知らずか、「おぎゃあおぎゃあ」と泣いていた。
どうやらおしめが濡れているらしい。
俺はため息を漏らすと、おしめを交換した。おしめを替えるのは数年ぶりだ。フィオナがまだ赤子だったころを思い出す。
フィオナは注意深くそれを観察していた。次は自分が交換したい、と申し出てくる。
我が娘は、この歳にして母性本能で満ちあふれているようだ。
喜ばしいことであったが、あまりこの子に感情移入して欲しくなかった。
この子に感情移入すればするほど、別れが悲しくなるのは明らかだったからだ。




