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師匠の使い魔

 一週間ほどオットー家で歓待を受ける。


 オットー伯爵夫人は、このままこの館にお住まいになって我が子たちの家庭教師になってくれませんか? そう言ってくれた。


「もちろん、賢者様を雇うのですから、それなりの御礼はします」


 伯爵夫人が提示した金額は、我が家の家計簿担当である守銭奴メイドの目を輝かせるほどであった。


 彼女は俺の腕を引きながら、


「あるじ様、是非、オットー家に仕官しましょう」


 と、しきりに勧めてきた。


「相も変わらず現金なメイドだな」


「お金がなければ生きていけませんからね。あるじ様もご飯を食べなければ死んでしまいますし、クロエもこの胸にある賢者の石もどきを定期的に替えないと死んでしまいます。昔の人はおっしゃいました、お金がないのは首がないのも一緒」


「違いない」


 と、苦笑を漏らす。

 俺はフィオナにも尋ねる。


「フィオナはここが好きか?」


 フィオナはその金髪のお下げを振り回すほど、「うん」と大きくうなずく。何度も。


「オイゲンとミアとルナと友達になったの。フィオナはここにいたい」


 その言葉を聞いた俺の心は傾く。


 正直、家庭教師は柄ではない。千年も生きてきたのだから、人にものを教える機会は何度もあったが、自分が教育者に向いていないことは百も承知していた。


 昔、師匠であるシーモアの代理で王都の魔術学校の講師を務めたことがあるが、俺はそのとき、すべての授業を『自習』とし、受け持ったクラスの成績をトップランクから下位に低迷させてしまった。


 自習させている間、自分の研究に没頭していたのだ。

 即座に首になったが、シーモアに呆れられながら言われたものだ。


「お前は私が育てた中で最高の賢者だが、魔術学校の講師だけは向いていないようだな」


 その後、戻ってきたシーモアが見事にクラスの成績を回復させたのだから、師匠の言葉は正しいのだろう。


 魔術学校の臨時講師でさえ勤まらない人間が、貴族の子弟の家庭教師など務まるのだろうか。

 いや、無理であろうな。


 そう思ったが、しかし、それでも娘がここに居たいと望むのであれば、自分の主義主張を曲げて。つまり、研究第一主義を放棄し、家庭教師になるのも悪くない。


 そう思った。


 しかし、俺の決心が鈍ったのは、ここ数日、フィオナが友人である子供たちよりもその母親であるオットー伯爵夫人のことを見つめていることに起因した。


 その視線、表情は、明らかに憧憬の感情が含まれている。

 今までフィオナは、「お母さんが欲しい」などと言ったことは一度もなかった。


 クロエが冗談めかして、「クロエがフィオナ様のお母さん代わりですよ」そう言うことはあったが、それでもそれに食いつくことはなかった。


 無論、娘は母親という概念を知っていたし、それがどういう存在かも知っていたが、実際に目のあたりにし、初めて母親という存在を意識してしまったのだろう。


 オットー夫人が自分の子たちを可愛がる姿を見て、初めてこんな感情が芽生えてしまったのかもしれない。



「どうしてわたしにはお母さんがいないんだろう?」



 そんな疑問を芽生えさせてしまったのかもしれない。

 無論、フィオナはそんな言葉をくちにはしないが。

 あるいはこのままここに留まっていると、その思いを強くさせてしまうかもしれない。

 そういう考え方もあった。


 仮にここで俺がオットー家の家庭教師になれば、オイゲンとミアとルナには母親がいるのにどうして自分にはいないのだろう。


 そんなふうに思ってしまう日がくるかもしれない。

 いや、確実にやってくるだろう。

 そのとき、俺は娘になんて答えればいいのだろうか。

 


「フィオナはフラスコの中から生まれた小人だ。血統上の父親も母親もいない」



 そう正直に話すべきなのだろうか。

 それとも彼女に嘘をつき、こう言うべきなのだろうか。



「フィオナの母親は、フィオナを産んだときに死んだ。でも、彼女は君のことを心底愛していたんだよ」



 どちらも適切な答えではないような気がしたし、どちらも正しい答えなような気がした。

 ただ、今の俺にはどちらかを選択する勇気はなかった。

 千年も生きている癖に、いつか必ずしなければいけない選択肢も選べないのである。

 この姿を見たら、師匠は笑うだろうか。


「禁呪魔法は唱えられる癖に、人として最低限の台詞も言えないのだな」


 そうなじられるかもしれない。

 そう思っていると、オットー家の立派な窓を叩く鳥がいることに気がつく。

 一羽の(ふくろう)が「コンコン」と窓を叩いていた。

 その姿を見て伯爵夫人はこうくちにする。


「まあ、梟だわ。珍しい。この地方にはあまり見かけないのに」


 それ以前に真っ昼間から行動している梟に俺は疑問を持った。梟は夜行性であり、昼間は寝ている鳥なのだ。


 しかもこのように人里に現れ、窓を突いたりはしない。

 普通の梟ならば、だが。

 俺は即座にその梟が普通ではない、と気がつく。


「失礼します」


 そう言うとオットー伯爵夫人の許可を取り、梟を室内に入れる。

 梟は当然のように俺の肩にとまる。

 そして人語を話始めた。


「やあ、諸君、ごきげん麗しゅう」


「ふくろーさんがしゃべった!」


 まるでおとぎ話みたい!

 フィオナは、はしゃぐ。オットー家の子供たちもはしゃぐ。

 ただ、俺とクロエだけは笑ってはいられなかった。

 その梟が使い魔だと察したからだ。

 しかもその使い魔は俺のよく知る人物のものだった。


「カイト様、これは――」


 人語を話す梟、それを指さすクロエは言う。

 彼女が何を言いたいのか、察することができる。


「たぶん、この使い魔は師匠のものだな」


「ですよね。シーモア様の魔力の波濤(はとう)を感じます」


「ああ、それにあの人は梟を使い魔にするのを好む」


 なんでも夜行性の自分と気が合うらしい。

 あるいは肉食系なところが好きらしい。

 ともかく、目の前にいる梟が俺の師であるシーモアのものであることはたしかなようだ。

 使い魔は流麗な声を響かせる。

 歌い手のような声量ある声で梟はしゃべった。


「カイトよ、久しぶりだな」


 たぶん、使い魔を介してこちらを見ているのだろう。

 使い魔を媒介して言葉を発しているのだろう。

 声質は違ったが、口調は師匠そのものだった。

 俺は師に頭を下げる。


「お久しぶりでございます」


「うむ、たしかに久しいな」


 梟に頭を下げるのは奇妙な光景だった。

 しかもなんと偉そうな梟だろうか、我が師そのもののような台詞を発する。


「そこにいる娘――」


 梟はそう言い切る。その娘とは恐れ多くもオットー伯爵夫人であることは容易に想像できた。梟が彼女を凝視しているからだ。


 娘と呼ばれたオットー夫人は気を悪くした様子もなく、


「娘と呼ばれたのは主人と結婚して以来初めてですわ」


 と梟の無礼を許してくれた。


 さらに続く梟の非礼も許容してくれる。


「すまぬ、娘。私は今からこの男と大切な話がある。席を外してくれまいか?」


 彼女、オットー伯爵夫人がこちらの方を見てくる。

 指示に従えばいいのでしょうか? 彼女はそんな表情をしていた。

 俺は申し訳ない、そんな表情をしながら彼女に退出して貰うよう願った。

 彼女はまったく気にした様子もなく、息子たちに話しかける。


「オイゲン、ルナ、ミア、お母さんと一緒に隣の部屋に行きましょう。焼き菓子を用意してあるから」


 彼女の子供たちは、「はい、お母様!」と彼女の後ろについていった。

 途中、彼女が軽く振り返った。

 フィオナに視線をやる。ついで俺に視線を送る。

 フィオナも連れて行った方がいいのでしょうか、伯爵夫人はそう気を利かせてくれたのだ。

 俺は彼女の機微に感謝する。

 ごく自然にフィオナに言う。


「フィオナもおやつを食べてくるといい」


 フィオナは最初は難色を示す。焼き菓子よりもしゃべる「ふくろーさん」の方に興味が尽きないようだが、それでも最後は食い気に負けた。


「あとで絶対なでなでさせてね!」


 そう言い残すと、伯爵夫人の後ろについていった。

 この部屋は俺とクロエだけになる。

 そうなると梟はこちらの方に振り向き、また挨拶をしてきた。


「久しいな、カイトよ」


 俺はうやうやしく頭を垂れる。


「お久しぶりにございます。師匠」


 傲岸不遜のカイト、魔術学校に通っていたときはそんなあだ名を貰ったことがあるが、自分の師匠であるシーモアだけは尊敬していた。


 俺は師匠が「頭を上げてよい」あるいは「そうかしこまらなくてもいい」と言うまで頭を下げる。恒例の儀式だ。


 ――しかし、いつもならすぐにその言葉をくれるのだが、今日はくれなかった。


 というか、いきなり本題に入られた。

 それくらい火急の用件なのだろう。

 俺は師の許可を貰うことなく、頭を上げると梟の言葉を聞いた。


「カイトよ、事態は急を要する。この際、無駄な礼節のやりとりは無用だ」


 梟はそう前置きすると、用件を知らせてきた。


「お前の住むローウェン地方で大罪を犯した魔術師、あるいは賢者がいるらしい」


「大罪、ですか……?」


 いきなりなので虚を突かれた。


「ああ、そうだ。この国では生命の創造が禁じられているのは知っているな?」


「ええ、まあ、一応は……」


「錬金術の研究は一部制限されている。もしも卑金属を金に変えることに成功すれば金の価値が下がり、社会が混乱する。新たな生命を生み出せるようになれば聖教会の人間が騒ぎ出す。生命の創造は神の領分である、と――」


「ゆえに我々魔術師の研究には制限がかけられています」


「その通り、ただ、それは建前で、我々魔術師は常に研究に励み、日々賢者の夢である金の生成や人造生命の創造に励んでいるが」


 梟は自嘲気味に笑う。

 つられて俺も笑う。

 たしかに多くの魔術師が国の法を犯していた。


 魔術師ならば、ましてや賢者と呼ばれるほど卓越した才能を持つものならば、皆、最終目標である魔術の真理を目指す。


 誰しもが生命の創造を夢見、その研究を重ねる。

 それが魔術を志したものの当然の道だった。

 国や教会はそれを知っていながら、一応、建前として魔術の研究に制限を加えていた。

 魔術師も彼らを激発させないよう。

 民衆から恐れられないよう、そういう研究はしていない、そう言い張っていた。


 そんな論理で両者のバランスは保たれていたのだが、どうやらそのバランスを崩してしまった賢者がいるらしい。


 シーモアはそう説明してくれる。

 思わず背中に冷たいものが流れたが、表情を変えずに尋ねてみた。


「つまり、師匠はなにが言いたいのでしょうか?」


 梟は間接的に答えてくれる。


「帝国も聖教会も命の創造などできるわけがない。そう思っていたが、どうやらそれに成功した賢者がいるらしい、という情報を掴んでしまった、ということだよ」


「その情報はたしかなのですか?」


 素知らぬ素振りで尋ねてみたが、梟は淡々と事実を話してくれた。


「この国の統治者はなかなか抜け目がなくてね。シーモアという賢者にホムンクルス検出装置を作らせていた。もしもこの世界にホムンクルスが生まれた瞬間、それを察知するように作った魔導機械だ」


「師匠はそんなものを作っていたんですか?」


「ああ、これでも帝国宮廷魔術師の称号もある大賢者だからね、私は」


 断れなかったのさ、と続ける。


「――もっとも、まさかあの装置が役立つ日がくるとは夢にも思っていなかったが。ただ、ふんだんな予算を貰って面白い機械を作れるだけの簡単なバイトとして引き受けたのだがな」


「ちなみにその機械の精度はいかほどなのですか?」


「そうだな。ホムンクルスが誕生した波動を感じ取れる」


「時間まで分かるのですか?」


「感知できる。一年遅れだがな」


「場所は?」


 それが最も聞きたい答えだった。

 もしも正確に計測できるのならば もはやしらばっくれようがない。


「そうだな。分かるのはローウェン地方ということくらいだな。それくらいしか分からない」


「……なるほど」


 ならば俺がホムンクルス創造に成功したという確証はないわけか。

 ここはしらばくれるべきだろうか。

 そう思ったが、梟は機先を制してくる。


「帝国の首脳部はともかく、私はローウェン地方に住む魔術師の中で、魔術の真理を極められるものを、魔術師の究極の夢であるホムンクルスを創造できるほどの実力を持った魔術師を一人しか知らない。そしてその人物が、見慣れぬ幼子を連れ立っていることはすでに確認済みだ」


 梟はそう言い切ると、しばらく沈黙した。

 俺に考える余地を与えているのだろう。

 相も変わらず食えない人だ。

 すでに俺がホムンクルス創造に成功したことを確信した上で、使い魔を寄越したのだろう。


「………………」 


 しばらく沈黙していると、梟は俺に最後通牒を突きつけた。


「さて、この話を聞いて貰った上で尋ねたい。我が愚弟子よ。なにか弁明したいことはあるか?」


 ここでにこやかに、


「――急性失語症」


 と一言言って沈黙を貫くこともできた。


 だが、元々、俺は師を頼って旅に出たのだ。


 師匠であるシーモアならば相談に乗ってくれる。必ず俺とフィオナを良い方向に導いてくれる。そう思って旅に出たのだ。


 今さら自分の師に疑念を抱くことなどなかった。

 俺は堂々と白状した。


「あの金髪の娘はホムンクルスにございます」


「ほう、やはり、そうか。お前は新たな生命の創造に成功したのか」


梟は感嘆の声を上げる。


「それはどうでしょうか。ただ、偶発的に生まれただけです。また再現しろと言われても不可能でしょう」


「なあに、まぐれ当たりも当たりのうちだ」


「ただ、帝国の上層部や聖教会がホムンクルスを探している、ということはその再現を求めている、ということでしょう」


「その通り。やつらは是が非でもホムンクルスの製造法を奪い取ろうとするだろう。その造物主が再現できないのであれば、ホムンクルス自体をさらい、それを実験体としていじり回すだろうな」


「ならば全力で守らなければなりません」


 毅然と、当然のように主張する。


「それは魔術師としての意地か? それとも賢者としての誇りか?」


 梟はそう問うてきたが、俺はゆっくりと頭を横に振る。


「違います。あの子の父親としての責任です」


 その答えを聞いた梟は、にやり、と表情を緩ませたような気がした。

 もっとも、梟に表情筋などないはずであるが。

 ただ、俺の答えに師匠は満足したようだ。


「あいわかった。私が聞きたかったのはその台詞だ。お前がその言葉を発するのであれば、私は全力でお前に助力しよう」


 梟はそう言い切ると、俺に自分の屋敷に向かうよう命じた。

 俺が師匠に再び礼をすると、梟は窓から飛び立った。

 青空の向こうに翼をはためかせた。

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