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緑色の新しい家族

 謎の生物は、微動だにせず、戸棚の後ろに隠れていた。

 野生動物の特徴だ。

 危機に陥ると、身を潜め、脱出のチャンスをうかがう。


「お父さん、この子はどんな動物かな? さっき、ちらっと見えたけど、ちょっと緑っぽかったよ」


「緑色の猫やネズミがいるとは聞いたことがないな。祭りで色のついたひよこならばみたことがあるけど」


「そんなのいるの!?」


 フィオナが目を輝かせるので説明する。


「ただ、ひよこを染料で染めただけだよ。成長すれば普通の色になる」


「……残念なの」


「他に緑色の生き物といえば、極楽鳥やバジリスク、蛇などがいるけど。どれも違うな」


 ちらっと見えた生き物は明らかにほ乳類だった。翼はなかった。また蛇ならばもっと鈍足である。あのように俊敏に動けない。


「ならやっぱり、緑色に染められた猫さんかな? すばしっこかったし」


「可能性はあるな。もっとも、そうなると面倒だな」


「面倒? ですか?」


 クロエはきょとんと尋ねてくる。


「ああ、そうなるとわざわざ猫を緑色に染色するやつがいるってことだ。よほどの変わりものしかそんなことはしない。よほどの変わりもの=魔術師、つまり、侵入した動物はやっぱり使い魔なのかもしれない」


 そう推測した瞬間、獣が戸棚から飛び出てきた。

 意外であった。

 この手の小動物がみずから襲いかかってくるなど、想定していなかった。

 動物は本能的に自分よりも大きな生き物を恐れる。


 ましてや俺のように殺気をまとわせた魔術師に襲いかかってくるなどあり得ないと思っていたが、そのあり得ないがあり得た、というわけだ。


 油断した、一瞬、そう後悔したが、すぐに反省すると、俺は呪文の詠唱を始めた。

 身体能力を強化(バフ)して、応戦しようとしたのだ。


 しかし、身体能力強化は間に合ったものの、それを有効活用することはできなかった。


 有効活用するよりも先に攻撃を食らってしまったのだ。

 一生の不覚である。

 このようなファンシーで可愛らしい生き物の攻撃を受けてしまうなど。

 見れば緑色の生き物は俺の肩に駆け上がり、俺の頬を舐め、頬ずりまでしていた。


 その光景を見て、娘は、

「ずるーい! お父さんばかり」

 と、抗議の声を上げている。


 きゅー、という鳴き声が俺の耳にせまる。

 最初は猫かと思ったが違うようだ。

 猫の舌はこんなになめらかではない。


 俺は転がっていたビスケットをつまみ上げると、それを肩の上の生き物に食させる。


 緑色の物体は器用に両手で受け取ると、ぽりぽりと前歯でそれをかじった。

 齧歯類(げっしるい)にも見えるが、ネズミほど小汚くなく、ネズミのように頭が小さくない。尻尾もどちらかといえばふさふさしており、長毛種の猫を思わせる。 

 どうやら、台所に忍び込み、台所を荒らしていたのは猫ではないらしい。

 無論、ネズミでもない。


 また使い魔でもないだろう。この生き物からは魔力を感じるが、それは生来のもので、人工的な魔力は一切関知できなかった。


 だからこのように悠長にえさを与えているのだが、緑色の生き物がビスケットを食べ終えると、俺はその生き物をフィオナに渡した。


「触っていいの?」


 と、目を輝かせる。


「いいよ、たぶん、噛まないだろうし」


 一応、うちの娘を噛んだら分かってるんだろうな、的なオーラを出しておく。


 その眼飛ばしが成功したのだろうか、緑色の生き物はフィオナの手に渡っても、大人しくしていた。


 暴れる気配はない。それどころか、フィオナの腕の中で赤子のように大人しくしている。


「くりゅぅ~」


 と、独特の鳴き声を発していた。


 フィオナはだらしないほど緩みきった顔でその生き物を撫でていた。本当に生き物が好きな娘である。


 クロエは俺の横にやってくると尋ねてきた。


「あるじ様、あの生き物はなんなんでしょうか?」


「あれはカーバンクルだな」


「カーバンクル?」


「幻獣の一種だ」


 と、前置きすると説明する。


「カーバンクル、緑色の体毛を持った小動物。ほ乳類、竜族、は虫類、鳥類、そのどれらの特徴も兼ね備えており、そのどれらにも分類できない幻の獣。頭部に熱した石炭のように赤く輝く宝石を乗せているのが特徴で、秘薬や霊薬の材料として重宝されている」


「なるほど。さすがはあるじ様です、物知りです」


「腐っても賢者だからな」


 俺がそう言うと、クロエは台所から包丁を取り出す。


「何をする気なんだ?」


 厭な予感がしたので尋ねる。


「頭部の宝石が貴重なのでしょう? 取り外して売り払おうかと思って」


「駄目だ駄目。駄目に決まっている」


「どうしてですか?」


「頭部の宝石は頭蓋骨に密着している。カーバンクルの宝石を取る=殺すのと同義だ」


「動物愛護の見地から反対されるのですか?」


「まあな」


「ですが、亡骸の方もちゃんと食べますよ? 今日はカーバンクルのシチューを作ります」


「そういう問題じゃない。こんな可愛い生き物を殺したら可愛そうだろう」


「あるじ様の研究室にはこれと同じ宝石が何個もありましたが」


「それはそれ、これはこれだ。見てみろ、このカーバンクルはこんなに娘に懐いているんだぞ?」


 カーバンクルと戯れる娘の姿を見せる。


 見ればカーバンクルはフィオナの肩や背中、それに頭を駆け回り、きゅいきゅいと声をあげていた。


「この姿を見てもクロエはなにも思わないのか」


 と、問うと、クロエはやっと納得したようだ。


「分かりました。宝石は諦めることにします」


 ただ、とクロエは続ける。


「この様子ですと、あるじ様はさきほど発した約束を果たさなければなりませんが」


「先ほどの約束?」


「あの緑色の生き物を飼ってもいいという約束です」


「……むう」


 と、思わずうなってしまう。

 クロエの言うとおりであった。

 数分後、フィオナは申し訳なさそうに尋ねてくる。


「……ねえ、お父さん、この子は猫さんじゃなかったけど、飼ってもいい?」


 上目遣いである。


 しかも「飼いたい」ではなく、「飼ってもいい?」という辺りもポイントが高かった。娘は基本、わがままを言わないのだ。もしも駄目だと突き放せば、娘はその指示に従ってくれるだろう。


 ただし、そのときは娘の沈んだ表情を見ることになるが。

 娘のそんな表情は見たくない。


「約束は約束だしな。いいぞ、そのカーバンクルを飼っても」


「わーい、やった。お父さんは大好き」


 と、俺にではなくカーバンクルに頬ずりをする娘。


 その姿を見ると、お約束の台詞、

「ちゃんと面倒を見るんだぞ」

 という言葉も出ない。


 そんな言葉など発しなくても娘はちゃんとカーバンクルの面倒を見るだろう。それは容易に想像できた。


 それに実は俺はこの緑色の生き物を気に入っていた。

 犬のように散歩に連れて行かなくてもいいし、猫のように気取り屋でもない。

 ペットして飼うには丁度いい手頃な生き物である。

 そう思った俺は、カーバンクルの喉元を撫でる。

 喜びはしゃぐフィオナ。カーバンクルをぬいぐるみのように抱きしめている。

 カーバンクルもされるがままに身を任せている。


 ここまで人に懐くカーバンクルなど聞いたことがなかった。これも娘の人徳なのだろう。


 実際、先ほどまで包丁を握りしめていた守銭奴、クロエに対しては素っ気ない態度を取る。


 いや、素っ気ないどころか、手を伸ばすと牙さえ見せる。

 クロエは「別に痛痒も感じませんわ」と、ツンケンという。


「どうやらこのカーバンクルは人の心根の優しさが分かるらしいぞ」


 茶化すように言う。


「小動物一匹ごときに好かれようとは思いません」


 と、クロエは負け惜しみを言う。

 よほど悔しいのか最後にぼつりと漏らす。フィオナに聞こえないように。


「この家の家計を握っているのはクロエです。この畜生はいつかこのクロエにその緑の尻尾を振ることになるでしょう」


 くっくっく、とクロエは暗黒面に落ちた笑いを漏らした。

 こうして俺たち一家に新しい家族が加わることになった。

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