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台所の侵入者

 男子厨房に入るべからず!

 それが我が家のメイドが日頃、声高に主張している標語であった。


 時代錯誤で、性差別もはなはだしいが、俺が台所に入るのを彼女は嫌う。


 以前、一時期だが、料理に目覚めていた時期が俺にはあった。


 そのとき、俺は料理を作るのに夢中になり、後片付けや経済性のことなど考えもしなかった。


 たった数枚の皿の上に料理を載せるのに、その数倍の洗い物を作りだし、数倍の食材を無駄にした。


 いわく、あるじ様ほど料理に向かない性格の賢者はいないので、今後、キッチンには絶対に入らないでください、と固く約束させられた。


 以来、俺は律儀に約束を守っている。

 この約束を破ったのは何年ぶりのことであろうか。


 夜中、飲み物を取りに行くのもクロエに任せているので、本当に台所とやらに入った記憶がなかった。


 ただ、入った記憶はなくても場所くらい分かる。

 この家はさして広くなかったし、間取りくらいとっくに把握していた。

 俺たち親子はまっすぐに台所に向かうと、そこで固まっているクロエを見つけた。


「やっぱりフリーズしているのかな?」


 フィオナは尋ねてくる。


 ぴくりとも動かないクロエ、最初は俺も同じ結論に達したが、違うと察したのは、クロエの瞳がじろり、とこちらを覗いてきたからである。


 彼女の機械人形としての機能は正常なようだ。

 クロエは微動だにしないまま唇だけ動かす。


「あるじ様、動かないでください」


「どうしてだ?」

 

 と、問うたが、俺たち親子はその指示に従った。台所に入ると、入り口部分でとまった。


「これはだるまさんが転んだか、なにかなの?」


 フィオナは尋ねる。


「違いますよ。クロエはそこまで暇じゃありません」


「じゃあ、なんなんだ? なんかの儀式か?」


「儀式でもありません。どうやらこの台所になにものかが忍び込んでいるようなのです?」


「なにものか?」

 

 その言葉を聞いた俺は、警戒感を強める。

 周囲に視線をやる。

 台所はたしかに荒れていた。

 戸棚は開け放たれ、そこに保管されていた小麦が散乱している。

 それに部屋の至る所に台所内に備蓄された食料が転がっていた。


 この台所の主であるクロエがかんしゃくを起こしてまき散らした可能性はゼロに等しい。


 またクロエの几帳面な性格を考えると、出立前に汚したまま旅立つ可能性もほぼない。


 となると、なにものかがこの家に侵入して、この台所の食料をあさった、と見る方が適切であろう。


 また、クロエが微動だにせず、神経を研ぎ澄ましている、ということは、そのなにものかが、この家、もしくは台所にまだ潜伏している可能性が高い、と見ていいだろう。


 機械仕掛けのメイドの感覚は、魔法で知覚を強化した高位の魔術師に匹敵する。

 ずばり、クロエに尋ねる。


「賊はこの室内にまだいるのか?」


 クロエは小さくうなずく。


「……はい」


 ついで台所の片隅に置かれた氷精霊式冷蔵庫を指さす。


「さきほど、あの後ろからガサゴソと音がしまし――」


 と、言い終えるよりも先に緑色の物体が、目にもとまらぬ早さで移動した。

 今度は戸棚の後ろだ。


「よかった」


 ほっと、息をなで下ろしたのは、侵入者が人間ではないと分かったからだ。


 最初こそ賊――、俺かフィオナを狙う不届きものかと思ったが、どうやら違うようだ。


 ネズミか猫か、あるいはアライグマや狐の類いかもしれない。

 この辺は公都の中心地から離れており、ちょっと歩けば木々が生い茂っている。

 野生動物がたくさん見られる。 

大方、閉め忘れた小窓から侵入したのだろう。

 クロエらしからぬミスであるが、ミスはどんな人間にもある。

 いや、どんな精巧な機械人形でもある。

 俺は責め立てることなく、侵入した動物を捕獲することにした。

 魔法を唱える。



「الحاجز」



 古代魔法文字を詠唱すると、台所の入り口が固く閉まる。かちゃり、と。

 また台所の小窓も、通気口も閉じられる。

 これであの緑色の小動物の逃げ場はなくなった。


「あるじ様、捕らえる気ですか?」


「一応な」


「お父さん、可愛そうだよ。小窓を開けてあげれば勝手に逃げるんじゃないかな?」


「まあ、ただの小動物ならそれが正解なんだろうが、一応、魔術師の館に忍び込むような動物だからな、捕らえて確認したいことがある」


「猫さんかネズミさんかアライグマさんかを?」


「違うよ。いや、そうかもしれないけど、その猫さんかネズミさんが魔術師の使い魔じゃないかを調べたい」


「使い魔ってオルバみたいな子のこと?」


「そうだ。もしかしたら、どこかの魔術師の使い魔かもしれない。その場合は生きたまま掴まえて持ち主を探す」


 俺とフィオナの平穏な暮らしを乱そうとするものは、相応の報いを受けるべきなのだ。


「もしもただの猫さんだったら?」


「そのときは弦楽器にでもするかな。なんでも東方のとある国だと、猫の皮を剥いで楽器にするらしい」


「きゃ、キャットギター!?」


 フィオナは顔を青ざめさせる。

 クロエが俺をたしなめる。


「あるじ様」


「……冗談だよ、フィオナ。猫ならば逃がすさ」


「よかった」


 と、胸に手を置き、文字通り一息ついている。

 すぐに平常心を取り戻したフィオナは、おねだりモードで尋ねてきた。


「もしも、猫さんだったら、飼ってもいい?」


「駄目だ」


 と、即答できれば楽なのだが、娘の頼みは簡単に断れない。

 しかし、容易にペットを飼うことは同意できない。

 子供はペットの面倒を見ない、という先入観があるからではない。

 その逆で、フィオナは文字通り猫を猫っかわいがりするだろう。


 ちゃんとトイレのしつけもするだろうし、餌の用意もするだろう、猫ならば散歩はいらないが、フィオナならば綱なしでするかもしれない。


 俺が心配しているのは、もし、今後、なんらかの事情でこの館を出なくてはならなくなったときだ。


 フィオナの正体がばれて帝国軍に追われる、とか、あるいは俺が学院を首になって無職になるとか。


 特に後者の可能性は高い。

 そんなときに猫のようなペットを連れて旅立つのはなかなか難しい。

 猫と別離することになり、泣きじゃくる娘の姿がありありと浮かんだ。

 そんな姿を想像してしまうと、容易に首を縦には振れない。

 ここは父親らしく、厳しく娘に振る舞うことにした。


「もしも、フィオナがそこにいる動物を捕まえて、その動物がどうしてもこの家に住みたい、というのならばかまわないよ」


 と――。


 無論、野生の動物がそんなに簡単に懐くわけがないとの算段で発した言葉であるが。


 こうして俺と娘、それにクロエによる謎の生物捕縛作戦が始まった。

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