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馬車の中の授業

 ノイエ・ミラディン帝国とリーングラード帝国の間には国境線があり、当然、関所もある。


 学院長から貰った手形と師匠の紹介状は強力で、精査されることなく、関所は通過できた。


「手形と紹介状の威力はすごいですね」


 とクロエは言う。


「そんなにすごいの?」


 とはフィオナの言葉だった。

 クロエは説明する。


「以前、あるじ様のお使いで国境を越えたことが何度かありましたが、あるじ様に発行して貰った手形では半日ほど待たされました」


「まあ、俺の手形と紹介状じゃそんなもんだろう」


「しかも、クロエが身体の中に何か隠しているんじゃないかと、内部までスキャンされたんですよ。屈辱です」


「その手があったか、やばいものを隠すときはクロエの中に入れるか」


 そう冗談を言うとクロエは頬を膨らませ睨んできた。


「冗談だよ。怒った顔も可愛いな」

「そうやっておだてても何も出ませんからね」


 クロエは「ふんっ」と可愛らしくひねくれると、馬車に乗り込んだ。

 リーングラードに入ればあとは緩やかな旅であった。

 この国は治安が良い。

 盗賊に襲われる心配も少ない。

 モンスターの群れに出くわす可能性も低いだろう。

 この馬車の速度ならばあと3日で自宅に帰れるだろうか。


「久しぶりのおうちだね」


「そうだな、一ヶ月は留守だったしな」


「一ヶ月もお父さんと旅行できたの。しあわせ」


 娘はそう言うと寄りかかってきた。


「代わりに一ヶ月も授業が遅れてしまったけどな」


「大丈夫、その間、学院長さんに貰った宿題はちゃんとやっていたから」


「偉いな、フィオナは」


「えへへ、偉いでしょ」


 というと呆れた声を漏らすのはクロエだった。


「クロエの記憶するところによりますと、学院長であるカリーニン様は、外出中もちゃんとフィオナ様たちに勉強を教える、ということで快く送り出してくれたと思うのですが」


「そういえばそんな約束をしたな」


「この一ヶ月間、あるじ様が授業をしている姿を見たことがありません」


「でも、フィオナはもちろん、ハーモニアもイスマもちゃんと宿題はやっていたぞ?」


「その間、あるじ様はなにをやっていたのですか?」


「錬金術関連の本を読んでいた。あとは帝都でしか買えない魔術書を仕入れにいったり、蚤の市で掘り出し物の実験器具がないか探していた」


「要は教師らしいことはなにもしてこなかった、ということですよね?」


「俺の生き様そのものが教材だよ」


 と、うそぶく。


「反面教師という言葉を知っていますか?」


 と、呆れるクロエ。


「知っているさ。ただ、みなが優秀な魔術師にならなくたっていいだろう」


「たしかにそうですが」


「それに反面教師もまた教師だよ。俺を悪いお手本にして、自己研鑽にはげめば中には大賢者になるやつもでてくるかもしれない」


「ディスっておいてなんですが、あるじ様は本当におおらかというか、やる気がありませんね」


 褒め言葉として受け取るよ、というと笑みを漏らす。


「そもそも、俺を働かせようという学院長や師匠の魂胆が気にくわない」


 雄弁に語る。


「人類の文明はいかに楽をするか、それを考えて進化してきたんだ。いかに楽に獣を捕縛するか、そう考えた古代人が武器を発明し、獲物を得た。いかに楽に冬を越すか、そう考えた古代人が農業を発明した。魔法も一緒だ。いかに楽に移動するか、そうして編み出されたのが《転移》や《飛行》の魔法だ。だから俺がなまけものなのは、文明人である証なのだ。俺はいつか、寝転がっているだけで美味しい食べ物が口の中に入ってくる究極の魔法を作るのが夢なんだ」


 その論説を聞いたクロエは「最終的には咀嚼(そしゃく)もしなくなりそうですね」と呆れたが、娘は激しく同意してくれる。


「お父さんはいつも魔法の発展について考えているんだね」


 と、尊敬のまなざしをくれた。

 いつものパターンである。


 娘は、俺が寝転んでいても、天下国家のこと考え、魔術の真理を追究してくれている、と誤解してくれる。


 俺も俺で、「さすがは我が娘だ。俺の深慮遠謀を理解してくれるのはフィオナだけだな」と褒めるものだから、娘も真に受けて、よりいっそう俺を尊敬してくれるようになる。


 クロエいわく、「フィオナ様があるじ様のような自堕落な賢者にならないことを祈りますわ」とのことであった。


 ――まあ、その可能性もなくはないので、少しは勤勉になることにしようか。

 俺は馬車の中にしまってあった教材を取り出す。


 公都まで数日であったが、それまでにフィオナに勉強を教えることにしたのだ。

 学院に着けば、教師としての生活がまた始まる。

 それまでに実戦感覚を取り戻しておかなければ。

 そう思ったのだ。

 フィオナは喜んで協力してくれた。

 取り出した教材は、世界史だった。

 教科書を見た瞬間、ぼつりとつぶやく。


「歴史は苦手なんだよな、俺」


「そうなの? でも、お父さん、いつも詳しく解説してくれるけど」


「正確にいうと、教科書の歴史が苦手なんだ。教科書は嘘ばかり書いてあるからな」

「教科書は嘘なの?」


「教科書だけじゃない。歴史書も嘘だらけだ。俺は千年生きてきたから歴史の裏側まで知る尽くしている。たとえばミラディン帝国の13代目の皇帝だけど、こいつは病死ということになっているが、実は違って、奥さんとその愛人に暗殺されたんだ。それでな――」


 と、俺の歴史裏話と含蓄(がんちく)は延々と続く。

 娘が「うんうん」と興味深く聞いてくれるからだ。


 歴史の真実を知ったところで娘の生活にはなんの役にも立たない。それどころか学院の成績が下がる可能性もあったが、娘はそれでも俺の話を聞いてくれた。


 父と娘の歴史の教科書に載らない話は自宅にたどり着くまで続いた。

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