娘と風呂に入る
さて、こうして貴族様の館に滞在することになった俺たち一行。
文字通り酒池肉林の歓待を受けた。
オットー家の伯爵夫人を救ったのだから当然だ。
俺はこの家の執事、それにメイドらにかしづかれるように接待を受けた。
「奥様の恩人は我々の恩人も同じです」
と、まるで王侯貴族のようなもてなしをしてくれた。
朝は起きるとメイドが着替えと一杯のコーヒーを持ってきてくれる。
無論、着替えは真新しいシャツで、アイロンののり付けも行われている。なんでも王都の一流の仕立て屋に仕立てさせた一級品らしい。それ一枚でメイドの給金一ヶ月分はするとか。
その後に出される朝食も、オットー一家と一緒にするし、出されるメニューも一緒だ。
全粒粉で焼いた焼きたてのパン、それにたっぷりのバターを塗って出される。
希望すれば蜂蜜もジャムも塗り放題であったし、塩気が欲しいのならば、キャビアも出してくれた。
千年生きてきたが、数えるほどしか食べたことのない高い魚卵だ。
さすがは伯爵家である。
ただ、キャビアは食べ放題であるが、それ以外は特に豪華ではない。
鶏卵の調理法を聞かれたが、ゆで卵にするか、目玉焼きにするか、スクランブルエッグにするか、尋ねられたくらい。
それに添えられるベーコンやソーセージも一級品ではあるが、俺たちが普段食っているものと大差なかった。
なんでも貴族だからといって毎日のように豪勢なものを食べているわけではないらしい。
普段の食事はそれほど庶民とかけ離れているものではなかった。
もっとも、千年生きている賢者と庶民を同列に扱っていいかは知らないが。
朝食を取り終えると、昼食まで暇を持てあます。
立派な書斎があるのでそこを覗かせて貰う。
フィオナはオットー家の子供たちと一緒に遊んだり、絵本を読んだり過ごす。
千年も生きている俺には数時間など一瞬であるが、子供の彼女にとってその数時間はきっと俺よりも何倍も長く、貴重なものなのだろう。
それは容易に想像できる。
それくらい彼女たちは楽しそうに屋敷を駆け回っていた。
その姿を見て微笑ましくなってしまったが、同時にこうも思った。
「フィオナには友人が必要なのかもしれない」
当然であるが、フィオナは普段、俺の家に住んでいる。
そこに遊び相手の玩具や人形はいても、人間はいなかった。
機械仕掛けのメイドはいたが、彼女には感情はあっても、同世代の子供ではない。
俺の屋敷の麓には村があったが、往復で数時間かかる距離にあったし、村人たちは研究に没頭している正体不明の千年賢者に恐れを抱いている。
その娘と遊んでくれるような村の子供はいなかった。
「こんなに楽しげに遊び回っているフィオナの姿を見るのは久しぶりだ」
初めて同世代の子供たちとたわむれる娘を見てそんな感想を浮かべていると、昼食の時間となる。
昼食もさして豪華ではないが、丹精が込められていた。
海から結構遠いというのに、どこからか仕入れたのだろう、昼食はクラムチャウダーだった。しかもちゃんとしたコックが作った一流店の味で、クロエが作るものよりも旨い。
ちなみにクロエは朝食のときも昼食のときも席には着かず。俺とフィオナの横でにこにことたたずんでいる。
彼女は機械仕掛けの人形だ。食料を必要としない。
否、食事は取れない。
胸にある賢者の石もどきからエネルギーを供給するだけで何ヶ月も生きられる特殊な身体だ。
オットー家の人にはそのことを説明してある。
フィオナがホムンクルスであることは絶対の秘密であるが、クロエが機械人形であることはばらしても問題はなかった。
機械人形などこの世に溢れかえっている――、と言えるほど出回っていないが、それでも稀少だと言い張るほどの存在でもない。
もっとも、クロエのように感情的で多感な機械人形は珍しい存在ではあるが。
それにこのような皮肉を言う機械人形も。
クロエは俺がオットー家のクラムチャウダーに舌鼓を打っていると、にこやかな笑顔でこう言った。
「クロエが作ったクラムチャウダーを食べるよりも美味しそうな顔をなされますね。あるじ様」
「…………」
いつからこんな皮肉を言うような機械人形になってしまったのだろうか。
記憶をたどったが、彼女を製造したときはたしかもっと純真だったような記憶がある。
そのことを尋ねると、彼女は口元を抑え、「気のせいですわ、あるじ様」ほほほ、と笑い声を付け加ええるとどこかに行った。
曰く、この屋敷のメイドの仕事ぶりを見てその手腕を吸収したいとのこと。
機械仕掛けの人形であるメイドにはそれくらいしかやることがないのだろう。
屋敷の人の迷惑にならないように、と注意を添えると、それを許可した。
クロエは、日中、ずっとオットー家のおもてなしの秘訣を探り、コックにその味の秘訣を聞き出していた。
日中、大人たちがそんなふうに過ごしていると、夜は訪れる。
夕食は肉類を中心に豪華なディナーへと変わる。
さすがに客人が滞在しているときの夕食は通常よりも豪華になるようだ。
連日、牛肉や七面鳥など、高い肉、それも高級な部位の肉が提供される。
フィオナは、すうっとナイフが入る柔らかい牛肉に驚いている。
「おとーさん、なんかこれバターみたいに柔らかい。ほんとうにお肉?」
言い得て妙である。
たしかにバターのように柔らかいし、それにバターのように脂肪分が多い。
なんでも専属の酪農家から直接仕入れ、専用倉庫で熟成させた肉らしい。
こればかりは俺の屋敷周辺では絶対に食べられない王侯貴族の食事だ。そう思った。
そんな豪勢な食事を取り終えると、お風呂を勧められる。
バスタブに湯が張られたものだ。
無論、我が家にもお風呂くらいあるが、オットー家のそれはレベルが違う。
まるで古代の宮殿のように豪華だ。
大きな町にある大衆浴場のような施設がオットー家には備え付けられていた。
「おとーさん、すごい! こんな大きなお風呂見たことないよ!」
フィオナはそう言うが、彼女が走り回らないようがっしりと肩を掴まえる。
浴場で転んで怪我でもされたら大変だ。
そう言い聞かせると、父娘、仲良く湯船に浸かった。
「うちのお風呂は二人では入れないもんね」
「そうだな」
と相づちを打つ。
フィオナは手で水鉄砲をしてくる。
クロエが教えたのだろうか。なかなか見事な水鉄砲だ。
俺も対抗しようとしたが、不器用なのでフィオナのように上手く飛ばせない。
仕方ないので呪文を詠唱すると、《水流》の魔法を放つ。
俺の手のひらから放たれた水流は勢いよくフィオナの顔にかかる。無論、威力は最小限に絞ってあるが。
フィオナはそれを見て「すごい、すごい!」と連呼する。
魔法を教えてくれ、とねだるが、彼女に教えるにはまだ早いだろう。
しかし、それでもお湯をバシャバシャとさせる娘を見て思う。
この子もいつまで一緒にお風呂に入ってくれるのだろうか、と。
「きっと、思春期になっても一緒に入ろうとすると蛇蝎のように嫌われるんだろうな」
世に無数にいる娘を持つ父親の気持ちが少しだけ分かった夜だった。