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ふたりの大賢者 †

 大賢者コンラッドの私邸は帝都の郊外にあった。


 静けさだけが売りの質実剛健の屋敷であったが、その静寂が遠い昔のことのように最近は忙しなかった。


 大賢者コンラッドの死が間際に迫っている。


 その情報は魔術界を中心に響き渡り、連日のように弟子や孫弟子、かつての同僚、仲間、魔術界に身を置く人間が押し寄せていた。


 最初は全員と面会した。


 まだコンラッドには体力が残されていたし、死ぬ前に親しかった人間たちの声を鼓膜に残しておきたかった。


 コンラッドは時間の許す限り、体力が持つ限り、かつての知己(ちき)と面会をした。

 大昔、一緒に帝国に仕え、帝国と人民のために戦った戦友もやってきた。


 鮮血の魔女と呼ばれる大賢者である。

 彼女はコンラッドの枕元に立つと短刀直入に尋ねてきた。


「死ぬのかね? 大魔導師コンラッドよ」


 弟子や他の魔術師とは違い、なんの忌憚(きたん)もない言葉だった。なんの気兼ねもない質問であった。


 コンラッドもまた忌憚なく答える。


「ああ、死ぬね。そろそろ潮時のようだ」


 コンラッドはこの魔女が嫌いではなかった。


 いや、むしろ好きな部類に入る。他の大賢者のようになにを考えているのか分からない、ということはない。ただただ純粋で正直な魔女だ。駆け引きや建前なしで話し合える数少ない友人であった。


「そうか、死ぬのか。もしもあの世というやつがあるのだとすれば私の代わりに挨拶してきて欲しい。かつての私の仲間や弟子たちに。鮮血の魔女はまだ性懲りもなく生きているぞ、と。あと、数千年は生きるから再会するのは遠い未来のことになる、と」


「それはできかねるな」


 と、コンラッドは笑う。


「なんだ。老いぼれのくせに美女の頼みも聞けないのか」


「いや」とかぶりを振るコンラッド。


「ワシはこの80年の年月を費やして善行を積み上げてきた自信があってな。天国へ向かうつもりだ。貴殿の弟子や仲間ならばきっと地獄にいることだろう。地獄までおもむいて挨拶することはできないな」


 なにせワシの娘は天国にいるのだからな、とは続けなかった。

 また鮮血の魔女も余計な言葉は付け加えなかった。


「違いない」と鼻で笑うと、こう続けた。


「ならば先に天国にいって、私と私の弟子たちのために蜘蛛の糸でもたらしておいてくれ。私が地獄に落ちたらそれをつたって天国に行くから」


「それならば承知しよう」


 コンラッドはしわがれた顔に笑みを浮かべた。


 イリス・シーモアはその顔を網膜に焼き付けると、かつてともに戦った大賢者に背を向けた。


 これが今生の別れだ。もう会うことはないだろう。

 そう思った。

 ただ、魔女は最後に一度だけ振り向くとこう言った。


「ああ、そうだ。貴殿の弟子に貸した我が愚弟子から報告があった。貴殿の残した秘宝を見つけた、と。貴殿の研究成果を確認した、と。それを報告するから、あと、一週間は死なないように、とのことだ。なんとかなりそうか?」


「……そうか、アルルはあれを見つけてくれたか」


 コンラッドはぼつりと漏らすと、最後にこう言った。


「約束はできないが、それくらいまではなんとか現世にとどまろう」


 その言葉を聞いたイリスは、なにも言葉を発することなく、コンラッドの屋敷から去った。


 以後、鮮血の魔女は二度とこの屋敷に訪れることはなかった。





 アルルは悩んでいた。

 師に本当のことを伝えるべきか、あるいは嘘を伝えるべきか。

 アルルの師は優しい人物ではあったが、厳しい人物でもあった。

 不正を何よりも嫌い、曲がったことが大嫌いな人物だった。


 以前、とある弟子が、功績ほしさに他の弟子の研究成果を盗んだ、という事件があった。


 師はその弟子を破門し、二度と自分の前に現れないよう誓わせた。


 その弟子は才能にあふれ、未来が嘱望されていた。周囲のものもたった一度の過ちとなんとか取りなしを頼んだが、師は聞く耳を持たなかった。


「一度でも虚言を用いて利を得るものは、以後、また同じ過ちを犯すだろう」


 と、終生、自己にも他者に対しても自分を律するよう求めていた。


「そんな師匠に最後の最後で嘘の報告をすれば、継承者どころか破門、いや、魔術界から永久通報されてしまうかもしれない……」


 そういう結論に至らずをえない。


「よし! 決めた!」


 ここは正直に話そう。


 兄弟子であるデガルトには負けたが、秘宝の半分は手に入れたのだ。これを持って行けばもしかしたら遺産の半分はくれるかもしれない。


 そう思って勇気を持って師匠の家に向かおうとしたが、アルルの手を掴んできたものがいた。


 小さな少女の手だ。

 賢者カイトの娘、フィオナである。

 彼女はアルルの手を握りしめるとこう言った。


「アルルさん、本当にそれでいいの?」


 と――。


「……いいも悪いもないです。師匠の実験は結局失敗していたんです。弟子として最後にそのことを伝えるのがワタシの仕事です」


「でも、コンラッドさんは最後までホムンクルスを作ることを夢見ていたんだよね?」


「娘さんに会うためです」


「わたしは娘さんじゃないけど、わたしがコンラッドさんの研究成果だと言ったら、コンラッドさんは安心して天国にいる娘さんのところに旅立てるんじゃないかな」


「そうかもしれませんが……」


「アルルさんは迷ってるんだよね? 嘘をつくか、本当のことを言うか。本当のことを言えば遺産を半分貰えるかもしれないけど、一生後悔するかもしれないよ」


「…………フィオナさんは子供なのに頭がいいですね」


「お父さんの受け入りだよ。でも、わたしもそうだと思う。ね、アルルさん。コンラッドさんの笑顔が見えるのはこれが最後かもしれないんだよ? いいの?」


 その言葉を聞いたアルルはしばし沈黙する。

 たしかにフィオナの言うとおりであった。

 財産はいつか自分で築き上げる機会があるかもしれない。

 しかし、師が死ぬ瞬間はたった一度だけしかない。この時間は今しかないのだ。

 アルルは幼い頃、親に捨てられた。


 寒村生まれだったアルルは食い扶持に困った親に売られたのだ。そして引き取られた先がコンラッドの屋敷であった。アルルはそこで下働きをしながら、魔術の道を究めた。


 魔術学院にこそ通わせて貰えなかったが、師匠の私塾で学び、一廉(ひとかど)の魔術師にして貰った。


 師の周りにはそのような魔術師がたくさんおり、特別、アルルを可愛がってくれたわけではない。


 ただ、師匠は引き取った子供、全員を平等に扱い、全員をちゃんとした大人に育て上げた。


 大賢者コンラッドの弟子に犯罪者はいない。

 それがコンラッドに育てられた子供たちの密かな自慢であった。


 それはコンラッドが人格者であり、弟子たちすべてに愛されているということでもあった。


 自分はその子供たちを代表して、師匠に嘘をつかなければいけないのかもしれない。


 そう思ったアルルは決意を固めた。

 アルルはカイトの方へ振り向くと、こう宣言した。


「カイトさん、娘さんを借りてもいいですか?」


 カイトは表情を変えることなく言った。

 ちゃんと返せよ、と冗談めかして。

 アルルは力強くうなずくと、フィオナの手を引き、コンラッドの屋敷へ向かった。

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