うちの娘の方が可愛い
帝国貴族のオットー家の屋敷は立派なものだった。
その立派さ、雄壮さを見てフィオナは言葉を失っている。
「…………おとーさん、これってお城?」
「お城じゃないな。お城はもっとでかい」
「で、でも、なんかすごいよ。壁に囲まれているし、大きな門もあるし」
「うちには壁も門もないもんな」
たしかに我が家はそれなりに大きな屋敷だったが、このオットー家のような豪壮さは一切ない。
そもそもあの屋敷自体、知り合いの商人の別邸を譲り受けただけで、何百年も前の建築様式のものだ。
さらに付け加えれば、その持ち主である賢者は、前衛的な建築にも豪壮な内装にも興味なく、この数十年、改装どころかろくな手入れもしていない。
クロエ曰く、麓の村人からは、
「魔女の館か邪教徒の根城だと思われている」
とのことだった。
要は女の子が憧れるような華やかさや麗しさが一切ない研究専用の施設だった。
事実、フィオナが生まれるまでは、寝泊まりと研究ができれば良い、と、寝室と食堂と実験棟以外の場所を使った記憶がない。
しかも研究に没頭しているときは実験棟に籠もるので、寝室の場所や食堂の場所を忘れることがある始末だった。
研究馬鹿とは俺のような人間のことを指すのだろう。
「あるじ様には、もう少し蓄財や住環境にも興味を持って貰いたいのですが」
と、吐息を漏らしたのはクロエだった。
「まあ、フィオナも大きくなったことだし、以後、気をつけるよ」
そう弁明すると、俺たちはオットー家の執事に招かれ、屋敷の中へ入った。
俺たちを招待してくれた夫人は、「着替えて参りますわ」そう言い残して客間を出て行った。
なんでも土埃にまみれた服のまま客人を持てなすのはオットー家の恥に繋がる、とのことだった。
ならば泥で汚れたローブを着ている俺はどうなのだろうか。
とてもこの豪壮な部屋には合わない気がする。
この高そうなソファーを汚してしまうのではないか、そう思い萎縮してしまう。
「あるじ様にも遠慮という感情があるのですね」
「数百年間忘れていたが今思い出したよ」
「このソファー、高そうですものね」
「ああ、たぶん、ドワーフの家具職人に作らせた特注品だな。金貨10枚は下らないんじゃないかな」
「あるじ様はそれに泥を付けられるのですね」
「仕方ないだろ。戦闘で汚れたんだから」
「馬車にある着替えのローブを持ってきましょうか?」
「そうしてくれ」と言おうとしたら、それよりも先にオットー伯爵夫人が部屋に戻ってくる。
彼女は小綺麗な格好をしている。
貴族の夫人が着るようなドレスを身にまとっている。
いや、実際に貴族の夫人なのだけど。
彼女は部屋にやってくると、麗人のように微笑みながら、「着替えなど不要ですわ」と言い切った。
「もちろん、ご夕食後に着替えて頂きますが、着替えはこちらで用意します。それまではそのままの格好でおくつろぎください」
「しかし、泥で汚すのは忍びない」
「名誉の汚れですわ。わたくしを救ってくださったときについた泥なのですから。これから客人を持てなすとき、その染みのことを聞かれたら、わたくしは誇らしげに語らせて頂きます。その汚れはわたくしを救ってくださった英雄がつけたものだと」
彼女はそう言い切ると、俺にくつろぐようにうながした。
俺はなるべくソファーを汚さないように体勢に気をつける。
一方、メイドのクロエはちょこんと人形のように座っていた。
いや、実際に人形なのだけど。
礼儀作法などは記憶入力していないはずだが、彼女は意外とこの手の礼儀作法に通じている。俺の書斎にある本から知識を仕入れているのだろうか。
機会があれば聞いてみたかったが、今はそのときではない。
そんなことよりも、ソファーの上で立ち上がって、ジャンプしている娘の方が問題だった。
見ればフィオナは、「こんなふかふかなソファー初めてー」とはしゃぎながら、ソファーの上で飛び回っていた。
まてまてまて、これじゃまるで俺のしつけがなっていないみたいじゃないか、そんな言葉が出かけたが、クロエがぼそりと言う。
「……だってあるじ様は、その手の教育は一切していないじゃないですか」
「……うむ、たしかに」
赤面の至りである。
なんとかフィオナを押さえつけると、諭すように言う。
「フィオナ、人様の家のソファーでジャンプをしては駄目だぞ」
彼女は不思議そうな顔で問うてくる。
「どうして?」と――。
こういうとき、大人は「駄目なものは駄目なんだ」と理不尽にしかりつけるのが相場なのだが、俺はそんな無責任な大人になりたくなかった。
厳格な表情で理知的に諭す。
「ここはうちじゃないからだ。オットー伯爵夫人の家だからだよ。フィオナがそうやって跳ね回ると、ソファーが痛むだろう? 人の家のものを壊したらいけないんだ」
伯爵夫人は「子供は少しくらい元気な方がいいですよ」そうフォローしてくれたが、それでも俺は続ける。
「俺はフィオナに立派な淑女になって貰いたいんだ。立派な淑女は、そんなスカートをはだけさせながらジャンプしたりしない」
「立派な淑女にならないとお嫁さんになれない?」
フィオナは「ううぅ……」と上目遣いに尋ねてくる。
「なれないな」
そう言い切ると、フィオナは「分かった」とそのたたずまいをあらためる。
クロエのように姿勢をぴんと伸ばし、スカートの乱れを直す。
ちょこんと座る様は、まるで陶器の人形のようだった。貴族の令嬢のようであった。
自分の衣服はともかく、俺はフィオナの衣服はけちっていない。
クロエに最高のものを用意するように指示している。
さらに付け加えれば、フィオナは我が娘ながら、その見目は麗しい。このように小綺麗な格好をし、お嬢様のように座っていれば、貴族の令嬢としても通用するほどだった。
事実、オットー夫人がこの部屋に入ってきたとき連れだって入ってきた子供たち。
男の子が一人に女の子が二人いたが、彼ら彼女らと比べてもフィオナはまったく見劣りしていなかった。
いや、親のひいき目を入れても良いならば、うちの娘の方が圧倒的に可愛らしかった。
そんなふうに思っていると、オットー夫人は、メイドに紅茶をそそがせ、焼き菓子を添えさせた。
オットー夫人の子供たちは、それを上品に食べている。
一方、フィオナは大好きな焼き菓子を見た瞬間、元の子供に戻った。
彼女は手づかみで菓子を口に放り込み、「もぐもぐ」と美味しそうに食していた。
「やはりこういうところに育ちの差が出てしまうのかな……」
吐息を漏らすが、それはマイナス方向の吐息ではない。
たしかに俺はフィオナに淑女になって欲しいと願っていたが、別に貴族の令嬢にしたいわけではない。
目の前にいる子供たちのように上品に食べるよりも、フィオナのように笑顔で美味しそうに食べる娘の方が好きだった。
――これは親のひいき目なしで本気でそう思う。