報酬はフラスコの中の小人の書
アルルと名乗った少女が予約した店は、帝都の中心地にあるグリモワールという名の菓子店だった。
300年も続く帝都の名門菓子店だ。
王侯貴族はもちろん、大陸を股に掛ける大商人でもおいそれと予約することのできない名門店であった。
この店は、チョコレートの流水階段を作り、それにパンを付けて食べるのが名物となっている。
女の子ならば誰しもが憧れる光景だ。
魔法によって循環された紅白のチョコレートが滝のように流れていた。
フィオナはまるで童話の中の世界に迷い込んだ少女のように顔を緩ませると、「わーい」とパンにフォークを刺し、流水階段から流れるチョコにひたしていた。
その姿を遠くから見守る俺と師匠、それにアルルという少女。
アルルは満足げにその姿を見守ると、
「娘さんのあんな表情を見ただけで、満足ですよね」
と尋ねてきた。
「ありがたいことです」
と、一応、礼を言っておく。
師匠もせっかくきたのだから、と、うずたかく積まれたケーキを好きなだけトレイに乗せていた。
なんだかんだいっても女性は甘いもの好きである。
このような店では心が弾むのだろう。
ただ、俺は彼女たちのように甘くはなかった。そもそも甘いものはそこまで好きではない。
食べ物ごときで釣られてほいほい頼みごとを引き受けるほど、暇でもなかった。
一応、申し訳程度に用意された甘くない食べ物、ハムとチーズのサンドウィッチをトレイに載せると、席に着いた。
アルルと名乗った少女も同じように席に着く。
「カイトさんは甘いものが苦手でしたか」
「苦手と言うほどではないのですが、彼女たちのようにはね」
と、指をさす。
トレイに山盛りされたチーズケーキにチョコレート菓子。
アイスにもたっぷりクリームやチョコチップなどがトッピングされている。
見ているだけで胸焼けしそうであった。
「ちなみにお願いなのですが――」
にゅっと、乗り出すように迫ってくる。
目が星のようにきらめいていた。ある種のキノコを想像させる形をしている。
最初から期待値がマックスである。
これではやりにくくて仕方ない。
なので期待値を下げることにする。
「ええと、アルル嬢――、でいいのですか?」
「わたしは未婚なのでそれで」
ちなみに歳は内緒です、と人差し指を口に添える。
少女に見えるが、亜人族のため、見た目相応の年齢ではないそうだ。
やや耳が尖り、八重歯が生えているのはそういう理由のようだ。
「いくら娘や師匠を籠絡しても、俺はあなたの依頼を引き受けないと思いますよ」
「どうしてですか?」
「そろそろリーングラードに帰らないと」
「なるほど、たしかカイトさんは今、あの学校で教師をしているんですよね」
「ええ、宮仕えの辛いところです。休職中は給料がでないのです」
「それはお気の毒です。ですが、その分はワタシが補てんするので、何卒、ワタシの願いを聞き届けてくれませんか?」
「謹んでお断りします、と言ったら?」
俺がそう言うとアルルはローブをもそもそと動かし、そこから金貨の袋を取り出す。
ずしり、と重い。
少なくとも俺の年収分の金貨が詰まっていそうだ。
しかしそれでも厄介ごとに巻き込まれるのはごめんこうむりたい。
断ろうとするが、彼女はさらに報酬を用意する。
「カイトさん、あなたは賢者ですよね」
「生前はね。今は魔術師です。それも第4階級の」
「魔術師も賢者も一緒です。魔術師ならば魔術の真理を究明したいとは思いませんか」
「まあ、それは思っていますが」
「ですよね、ですよね。ならばこの話を聞けば、ワタシに協力したくなること必定です。話だけでも聞いてください」
と、ドヤ顔で言ってくる。相当、自信があるようだ。
ならば話だけでも聞くか、と俺はリルムの言葉を待った。
「今回、わたしがカイトさんにお願いしたいのは、我が師であるコンラッドの遺言の件なのです」
「遺言ですか? 大魔導師コンラッドは健在と聞きましたが」
「まだ健在ですが、そう長くはないでしょう」
「病なのですか?」
「はい。死病です」
「それはお気の毒に……」
「師はもう80を越えていますからね。寿命です」
「それで生きているうちに遺言を残したのですね」
「ええ、大魔導師コンラッドの研究成果、財産を受け継ぐのは、大魔導師コンラッドの中でも最高の弟子でなければならない、というのが師匠の遺言です」
「つまり、たくさんいる弟子の中で一番優秀な人間が大魔導師コンラッドの後継者になる、と」
そう言うと、アルルはこくん、とうなずく。
「それと俺が依頼を引き受けなければいけない因果関係が分からないのですが。つまり、こういうことですよね。俺がアルルさんに協力して、アルルさんが優秀な弟子であることを証明する、という」
アルルは再びうなずくが、言葉を付け加える。
「しかし、ただではありません。報酬はお支払いしますし、賢者カイトさんにとっても興味深い文献を差し上げることができると思いますよ」
彼女はそう言うと、とある書物の名を口にした。
「フラスコの中の小人の書、の写本を差し上げます」
「フラスコの中の小人の書……」
思わず口ずさむ。
フラスコの中の小人とはもちろん、ホムンクルスのことである。
1000年以上前にホムンクルスを作成したことがある、という伝説の賢者が残した書で、この世界に1024ある不可侵魔導書のひとつに指定されている。
不可侵魔導書とは国や魔術師ギルドから所有を戒められている禁書のことだ。
原本は厳重に管理されているか、すでに紛失している。原則、個人での所有は認められない。
写本ですら厳しく管理され、大賢者でも容易にもてない。
我が師であるイリス・シーモアですら、数冊しか所持していなかった。
ごくり、と思わず喉が鳴る。
元来、俺は研究馬鹿である。
さらにいえば本好きで、特に魔術書の収集が趣味のひとつであった。
そんな俺にそんな希少本をちらつかせるなど、卑怯ではないか。
思わず食指が伸びてしまう。
さらにいえば『フラスコの中の小人の書』はホムンクルス研究の聖書とも言われている秘録である。
俺が今でも研究をやめていない理由の一つに、ホムンクルスの完全な製造法発見にある。
それは全魔術師の夢であったし、悲願でもあったが、それと同時に個人的な理由もあった。
ホムンクルスの完全な製造法が分かれば、娘が帝国や聖教会から狙われる理由もなくなる。
それにフィオナに何かあった際、――たとえばホムンクルスしか掛からない病気になった際、治療薬を作る助けになるかもしれない。
そう思った俺は、思わず彼女が差し出した手を握り替えそうになってしまった。
アルルの提案を受け入れてしまいそうになった。
しかし、直前で思いとどまる。
軽率に判断していいことではないと思ったのだ。
触らぬ神に祟りなし、みずからトラブルに突っ込むのはいいことではないだろう。
そう思った俺だったが、結局、アルルの頼みごとを引き受けることになる。
理由はちらり、と見た娘の笑顔だった。
幸せ一杯にスイーツを山盛りにしたトレイを持って席に座った娘。
『フラスコの中の小人の書』はその娘の幸せに繋がるかもしれない魔導書なのだ。
それが手に入るだというのならば、目の前の小娘の依頼に付き合うのも悪い選択肢ではない。
決して、この世に1024冊しかない不可侵魔導書に目がくらんだわけではない、そう明記しておこう。
これはあくまで人助けであり、ゆくゆくは娘のためになる行為なのだ。
のちにクロエにどうしてそんな依頼を引き受けたのですか、と問われたとき、そう説明した。




