悪徳男爵の最後 †
コーネルが部下に用意させた『ファフニールの膿』
それを目の前の魔術師が持っていることに違和感を覚えたが、それも一瞬だった。
証拠を押さえられたと焦ったが、そんなものは証拠にならない。
いや、なり得るかもしれないが、それでも握り潰す自信があった。
なにせコーネルは帝国の中枢部に人脈を持つ大物貴族なのだ。
その程度の証拠で逮捕されてたまるか。
そんなふうに思いたかをくくっていたが、その余裕も千年賢者には通用しなかった。
カイトはその瓶を部隊長に渡すのではなく、床に叩き付けた。
最初は気でも狂ったのかと思ったが、どうやら違うようだ。
カイトは満面の笑みでこう言った。
「これを証拠にしてお前を弾劾する。そういった案もあった。最初はな」
しかし、と続ける。
「でも、それじゃあ、お前は言い逃れるだろうし、手間だ。それに俺はお前が泣いて命乞いをして、二度と悪さをしない、と誓わせたい。ぎゃふんと言わせたい」
「馬鹿め、俺がそんなことを言うわけがないだろう。それに俺は無実だ。なぜ、弁明せねばならぬ」
最重要の証拠が目の前で紛失し、強気になったのだろうか。
先ほどよりも余裕を持った解答であったが、その余裕も長くは続かなかった。
カイトがこんな台詞を口にしたからである。
「さっき、俺はお前が泣いて命乞いをしながら罪を告白する、っていったよな。するならば早めにした方がいいぞ。これは忠告だ」
「するものか。それよりもまず貴様の無礼を正したいな。今宵の婚約披露パーティーを邪魔した罪、軽くはないぞ」
「いいのかな? 俺はお前のグラスにも『ファフニールの膿』を塗りつけたんだぜ? あと、数時間もすればその毒が全身に回り、死に至るぞ」
「な、ま、まさか、そのようなことができるわけがない。グラスは女中に用意させたものだぞ!」
「語るに落ちるだな」
口を拭うコーネルにそう言うが、その言葉によってコーネルを追い詰める気はなかった。
カイトはコーネルの表情を楽しむかのように続ける。
「グラスに塗りつけることはできなかったさ。だけど、最初から葡萄酒の瓶に混ぜることはできる。お前も葡萄酒を飲み干したよな。ならばその毒は体内にあるわけだ」
コーネルは表情を青ざめさせる。
葡萄酒と毒を用意させた男は目の前で猿ぐつわをされ、縄で捕縛されている。
ならばその男が用意した葡萄酒にあらかじめ毒を混ぜることも不可能ではないはずだ。
「し、しかし、貴様はイスマやその婚約者まで殺す気だったのか?」
「まさか、彼女たちには解毒剤を飲ませてあるよ」
そう言うとイスマとフィオナは懐から小瓶を取り出す。
コーネルはそれを凝視する。
「あれを飲めばお前の命は助かる。あれを飲みたければ素直に罪を告白することだな」
カイトは諭すように言った。
「ちなみに力尽くで奪い取るろうとしても無駄だぞ。うちの娘は魔術師の卵だ。それにその友人も」
見ればフィオナの後ろにはすでにハーモニアが控えていた。
その横にはメイドのクロエも。
もしもコーネルが武道の達人で、娘たちから解毒剤を奪えばその命は助かるだろうが、その行動自体、罪を告白しているようなものであった。
つまり、コーネル男爵はすでに王手をかけられているのだ。
この期に及んで取れる行動はふたつ。
素直に罪を自供して解毒剤を飲むか。
あるいは自暴自棄になって娘たちに襲いかかるか。
できれば前者を選択して欲しかったが、残念ながらコーネル男爵は想像したよりも遙かに愚かな人物だった。
男爵は懐から短剣を取り出すと、それをかざし、娘たちの方へ向かった。
カイトは「やれやれ」と吐息を漏らす。
本当に分かりやすい悪徳貴族だ。
そう思いながら呪文の詠唱を始めた。
転移の魔法で娘たちの前に転移すると、コーネルに向かって宣言した。
「まあ、遅効性の毒だから、あと数時間の猶予がある。これからお前をぶん殴って夢でも見て貰うが、夢から覚めたとき、改心してくれていることを願うよ」
そう宣言すると、宣言通り、コーネルを殴りつけた。
力加減なしに。
思い切りである。
気持ちいいくらいに吹き飛ぶコーネル男爵の身体。
己の拳は痛かったが、それでも悪徳貴族の身体が浮き、歯が折れ、血の混じった唾液を飛び散らかす様を見るのは気持ちが良かった。
こうしてイスマ暗殺事件の主犯、フレデリック・フォン・コーネルは帝国の治安機構に捕まり、裁きを受ける身となった。
証拠は彼の行動それ自体。
証人はこの場にいる帝国貴族や官僚、商人に有力者。
これだけ揃っていれば、帝国の治安当局も動かざるを得ないだろう。
そんなふうに締めくくりながら、コーネルが逮捕されるのを見届けると、娘たちが駆け寄ってきた。
ハーモニアは、
「さすがです、カイト先生!」
と、憧憬に満ちた表情と台詞をくれた。
イスマも「先生のお手並みには感服しました」とただただ俺を称揚した。
娘は無言で俺の胸の中に飛び込んでくる。
さぞ、怖かっただろう。娘を抱きしめることでその不安を除去しようと努める。
娘は根っからの善人だ。
本人も親も芝居など端からできないと思っていたし、実際、彼女の芝居は万全ではなかったが、それでも娘は最後までリリーナを演じきり、見事、コーネルを騙しきった。
その功績は褒めてしかるべきだろう。
それにその勇気も。
カイトは怖い思いをして怯えているだろう娘を優しく抱きしめるが、すぐに娘が震えている理由が違うと気がつく。
娘は思ったよりも気丈に、いや、猛々しい態度でこう言った。
「わらし、がんばったよ! 演技も上手かったれしょ! おとーさん、ほめて、ほめて」
と、顔を真っ赤にしていた。
なにがあったのだろう。
そう思い思案していると、ハーモニアは耳打ちしてくれる。
「実はこの子、酔っているようなのです」
と――。
「酔っている? ワインに一口口を付けただけなのに?」
フィオナが口を付けたワイングラスには並々と葡萄酒が残されていた。
イスマの飲んだ方は半分くらい残っている。
ちなみにイスマは酔っている様子は一切なかった。
ならば解毒剤とワインの相性で悪酔いした、という線もないだろう。
おそらくであるが、フィオナは人一倍、酒に弱いのかもしれない。
顔を真っ赤にし、ろれつが回らない娘を見るとそう考察するしかなかった。
その考察が正しいかのように、娘はすぐにカイトの腕の中で眠りに落ちる。
その姿は童話の中に出てくる眠り姫のようだった。
その姿を見た一同は思う。
本日一番の勇者の眠り顔のなんと愛らしいことか。
その寝顔を見ただけで、本日の狂騒の疲れが吹き飛ぶほど、フィオナの寝顔は愛らしかった。
「すぅ……」
カイトは娘の寝息を背中に感じながら、娘をこの屋敷の客間へと運んだ。




