娘の情操教育
戦闘はあっという間に終わった。
護衛兵の剣に魔力を付与する。
彼らの身体に防御魔法をかける。
それだけでゴブリンごときには遅れをとらないはずだ。
彼らは口々にする。
「なんだ、この魔法は?」
「剣が羽毛のように軽い!」
「身体が岩のように硬くなったぞ!」
魔力付与され、その力を増した男たちは次々にゴブリンに切り掛かった。
カンカン、と魔力を帯びさせた武器独特の音が平原にこだまする。
ゴブリンの持つ武器はそのたび、折れるか、砕かれた。
ゴブリンたちは護衛兵たちの武器によって突き殺されるか、斬り殺されるか、ともかく、俺が加わったことにより、戦況は圧倒的に有利になった。
敵はそのまま戦意をなくし逃亡した。
一方、それを見ていたオーガは怒る。
ゴブリンを統率していると思われるオーガは、怒りに身を任せながら、逃亡するゴブリンたちを棍棒で叩きつぶしていた。
「まったく、野蛮な連中だな。フィオナは見ていないだろうな?」
馬車を見る。
そこにはフィオナの目を両手で塞いでいるメイドがいた。
「さすがはクロエだ。分かっている」
その姿を見た俺は、安心してオーガを倒すことにした。
「النيران.」
古代魔法言語を詠唱すると、手のひらが真っ赤に燃えさかる。
オーガを倒せと轟き叫ぶ。
手のひらに浮かび上がった火の玉をオーガに解き放った。
2匹のオーガがいたが、どちらかを選択する必要などなかった。
明らかに偉そうなオーガを狙うという手もあったが、そんな必要などないだろう。
俺の作り出した火の玉は、ターゲットを定めるまでもなく、その大きさだけで2体のオーガを飲み込むほどであった。
むしろ、大きすぎて護衛隊のメンバーを巻き込まないか気を遣わなければならなかった。
その威力も最高級のもので、《火球》を食らったオーガは一瞬で絶命した。
骨まで残らない、という形容詞はこの魔法のために用意されているのかもしれない。
それほどまでの火力で、オーガは燃え上がり、火葬された。
要は敵モンスターは一瞬で敗れた、というわけだ。
統率していたオーガが死んだことで、残っていたゴブリンたちも戦意を失ったのだろう。
武器を捨て、散り散りに逃げていった。
「追撃をしましょう」
煮え湯を飲まされていた護衛たちは、隊長にそう提案していたが、隊長は首を横に振る。
「我々の任務は奥方を無事、領地に届けることだ。深追いは禁物である」
正しい判断だと思う。
ゴブリンなどいくら倒したところで無尽蔵に湧く。それを統率するものを倒した今、ことさら無理に戦う必要もなかった。
護衛隊長の英断を賛美すると、彼に背を向ける。
ただ、護衛隊長はただでは返してくれなかった。
「お待ちあれ、そこの賢者様」
賢者って俺のこと? 自分の鼻を指さすが、この場にローブを身にまとった男は俺だけであった。
「そうです。貴方様です。どこに行かれるというのです」
「いや、俺にも目的地があってね。実は帝都まで向かうんだ。その途中、君らに会ってちょっと手助けをしただけさ」
「貴殿は正義感に満ちあふれていますな。そのお陰で我々は命拾いをしました」
護衛隊長はにこやかに言い、それに、と付け加える。
「正義感だけでなく、その実力もすごい。あのオーガはこの辺のゴブリンを牛耳る二つ名付きだったのですが。もしかして貴殿は名のある大賢者ではないのですか?」
「まさか、無名の荒野の賢者だよ。それと感謝ならうちの娘にしてくれ。情操教育のために助けただけだから」
「情操教育?」
「まあ、こっちの事情ってことだよ。だからあまり気にしないでいい」
そう言い残して立ち去ろうとしたが、それは馬車に乗っていた人物が許してくれなかった。
無論、それはフィオナでもクロエでもない。
俺が助けた馬車に乗っていた人物だ。
彼女は明らかに貴人が乗るであろう立派な馬車から降りてくると、優雅に頭を下げた。
妙齢の女性だ。
30は越えてない。20代中盤だろうか。一目で貴族と分かるような格好をしている。
護衛たちが奥方というからには貴族の妻かなにかなのだろう。
そう思って観察していたが、実際、彼女は貴族の妻のようだ。
彼女の指には人妻の証である結婚指輪がはめられていた。
俺が彼女に見とれていると、横にいるクロエがぽつりと漏らす。
「カイト様の人妻好き……」
「人妻が嫌いな男などいない」
「認めるんですね?」
クロエはジト目で見つめてくる。
フィオナも俺を見つめる。
「おとーさんは人妻好きなの?」
「おい、クロエ。お前が変なこと言うから、フィオナが変な言葉を覚えてしまったではないか」
「あるじ様が人妻に見とれるのがいけないのです」
クロエはそう言うと腕を組み、「ふん」と鼻を鳴らす。
俺たちの言動を見ていて言葉をかけにくかったのだろうか。
件の人妻は表情を困らせながら尋ねてきた。
「――此度の加勢、誠に助かりました。私の名はタチアナ・フォン・オットー。オットー伯爵の妻でございます」
「ほう、オットー家ですか」
「ご存じなのですか?」
クロエは小声で尋ねてくる。
俺も小声で返す。
「伊達に千年も生きてないよ。この帝国の名門貴族のひとつだ」
「偉い貴族様なのですね」
「だな。これは良い人助けをしたかもしれないぞ」
「どういう意味ですか?」
俺は手で輪っかを作る。
「……あるじ様は謝礼を期待して人助けをされたんですか? 先ほどは情操教育うんぬんおっしゃっておられましたが」
「俺の師匠の格言でこういうのがある。人間食べれるときに食べておくべきだ。そしてたかれるやつには徹底的にたかる。シーモア流魔術の極意だ」
「ろくでもない極意ですね。魔法とまったく関係ないところがしようもないです」
「文句は今度、師匠に直接言ってくれ」
そう断言すると俺は伯爵夫人の礼を受けることにした。
こういうときは大抵、館に招かれて持てなされると相場が決まっていた。
実際、伯爵夫人は、命を救ってくれた恩人を是非持てなしたい、そう言ってくれた。
「是非、御礼をしたいのです。カイト様、帝都に向かわれているとのことですが、その前に我が屋敷に寄って行っては頂けないでしょうか?」
俺は笑顔で答える。
「もちろん」
それにフィオナも続く。
「もちろん!!」
三人はそれぞれに微笑むと、伯爵夫人の屋敷に向かった。