着替えを覗かないでください。師匠
帝都にあるイスマイール・フォン・グラニッツの屋敷で、その婚約者であるリリーナ・フォン・エストニアが婚約披露パーティーを開く。
その噂は瞬く間に帝都の貴族の間を駆け巡ったようだ。
元々、イスマイールとリリーナの結婚は既定のもので、それが早まっただけに過ぎない。
帝都の宮廷雀たちは最初そう囁いたが、我が師はそこにさらにこんな噂を流した。
「グラニッツ家とエストニア家が縁を結んだ暁には、この鮮血の魔女が両家の後見人となり、末永く二人を守護したもうだろう」
そんな噂も付随した。
その噂を耳にしたものは不吉な予感を覚えたかもしれない。
帝都でも問題児として有名な師匠が両家に取り入る。
両家衰退の兆しに違いない。
口が悪いものはそんな感想を浮かべたが、事情を知っているもの。たとえばイスマ暗殺を企てたものはこんな感想を抱くかもしれない。
「まずい、このままでは付けいる隙がなくなるかもしれない」
と――。
元々、イスマ暗殺はイスマに有力な後見人がいないことに起因した。
グラニッツ家は女系家族で、女性が異様に強い家風なのである。
エストニア家の娘がイスマと結ばれれば、エストニア家が有力な後見人になるし、さらにその後ろに大賢者と呼ばれる魔女が控えているとなれば、グラニッツ家を奪うことも難しくなるはず。
イスマを付け狙う悪党が、そう思い込み、焦り、軽挙な行動に出る。
それが俺の作戦であったが、その作戦は見事に成功したようだ。
グラニッツ家から使者がやってくる。
使者はコーネル男爵家の当主、フレデリックが婚約披露パーティーに出席する旨を伝えてくれた。
そして師匠の持っている情報網から、こんな知らせも届く。
「フレデリックの配下の魔術師が闇市場で『劇薬』を購入したそうです」
師匠の忠実な執事から聞かされたその報告。
劇薬の名は、「ファフニールの膿」と呼ばれる毒物であった。
「ファフニールの膿?」
という名前を聞いて一瞬顔をしかめたのは師匠である。
俺は呆れながら補足する。
「老化の第一現象は、固有名詞を覚えられなくなることだそうです。と、我がメイドは言っていました」
「失礼な。私はまだ『17歳』だ」
とは師匠の主張するところであったが、師匠がその劇薬の名前を忘れているのは無理からぬことだった。
師匠の得意分野は魔術や政治である。
劇薬の類いは錬金術や科学の分野である。
なので俺は師に偉そうに講釈をたれた。
「ファフニールの膿とは、邪竜から取れる体液のことですよ。抱擁するものの二つ名を持つ竜を捕らえ、三年間苦痛を与え続け抽出します」
「悪趣味な薬物だな」
それには同意であるが、1200歳にもなっていまだに17歳と言い張るのも悪趣味だと思う。
と、胸の中でつぶやくと俺は続けた。
「貴重な秘薬の一種です。他の秘薬や霊薬と調合すれば、エリクサーなどの原材料となるのですが、単体で使っても効果はあります」
「どのような効果なのだ?」
「経口投与してから数時間後、飲んだものが死にます。心臓発作を起こして」
「なるほど、暗殺にもってこいだな」
師匠はそう言ったが、それには俺も同意だ。
ファフニールの膿は暗殺にもってこいで、古来より、何度も用いられた。
ゆえに劇薬指定され、それを入手するには魔術協会の認可が必要で、その取り扱いも細心の注意が要求される。
以前、俺が住んでいた館にも置かれていたが、数年おきに魔術協会から派遣された調査員が、紛失していないか、あるいは闇市場に流していないか、確認しにきたものだ。
容易に闇市場に流れない薬物なのだが、それを手に入れられるということは、やはりコーネル男爵は闇の世界の人間とも親交があるようであった。
「これでコーネル男爵の暗殺方法は絞られました」
「イスマにそれを飲ませ、自然死を装うつもりだな」
「ええ、あるいはもっと手荒にパーティー会場を襲撃するかと思われましたが、その心配はなさそうです」
「うむ、ならば安心してフィオナも参加させられるな」
と、師匠は言う。
「ええ」と、俺はうなずく。
最初、フィオナをパーティーに参加させるか迷った。
暗殺者が侵入してくる会場に娘をやるのはどうかと思ったからだ。
しかし、娘を参加させない、というのも不自然である。
その点をコーネル男爵にいぶかしまれる事態は避けたかった。
やはり、ここは娘に参加して貰うことにする。
師匠は一応、助言をくれる。
「お前がついているのだ。フィオナの安全も、イスマの命も保証されるだろうが、一応、フィオナには話しておけよ」
もっともらしい言葉であるが、たしかにその通りなので、俺は娘にそのことを説明することにした。
「わたしもパーティーに行く!」
娘の部屋におもむき、娘に事情を話すと娘は開口一番にそう言った。
その回答は予想していたが、まさかここまで即座に竹を割ったような回答が得られるとは思っていなかった。
娘に尋ねる。
「もちろん、フィオナの安全も、イスマの安全も保証するが、パーティーには遊びにいくんじゃないぞ」
娘は毅然と返答する。
「分かってる。お父さんはイスマを助けるために行くんだよね? なら私もイスマを助けたいの。なにか役に立ちたいの」
と、けなげに言った。
一応、娘にはすべて事情は話している。
イスマがコーネル男爵に命を狙われていること。
その男爵をおびき出すためパーティーを開くこと。
男爵を油断させるため、パーティに出席するメンバーは慎重に選ぶこと。
つまり、イスマの学友が普通に参加して、このパーティーが偽装ではないことを周知したかったのだが、娘はそれも理解してくれているようだ。
「もしも、暗殺者がきたら、わたしが必死でイスマを守るよ」
と、娘は結んだ。
その表情は真剣で頼もしい限りだった。
そんな娘の友達を思う心を無視することはできない。
パーティーに参加しても良い旨を伝えると、娘は両手を挙げて喜んだ。
ついでいきなり、服を脱ぎ始める。
なんでも師匠にプレゼントされたドレスを身に纏うつもりらしい。
パーティーは三日後だというのに気が早い話だ。
下着姿になった娘を見てそう思ったが、俺たち親子の姿を見つめる一人の少女の姿に気がつく。
ハーモニアである。
どうやら彼女もパーティーに参加したいらしい。
理由はフィオナと同じで、友人の危機を座視して見守りたくないらしい。
ただ、フィオナのように積極的に参加を希望しないのは理由があるようだ。
「私、パーティー用のドレスを持っていないんです」
と、彼女は白状する。
ハーモニアの実家は比較的裕福だが、貴族の夜会に招待されるような家柄でもない。
ゆえにその手の服は持っていないそうだ。
だが、彼女は握り拳を作りながら言う。
「でも、大丈夫です。私にはこれがありますから」
と、鞄から学生服を取り出す。
「お爺様は言っていました。学生服は万能の衣服だって。学生のうちならばこれさえあれば、冠婚葬祭、すべてこれですませられるって」
真実であるが、さすがにハーモニアだけ学生服というのは可哀想であろう。
そう思った俺はクロエを呼び出し、ハーモニアの分のドレスも用意するよう指示した。
ハーモニアは最初こそ断るが、結局、俺の好意を受けてくれた。
師匠が娘に送ってくれたドレスを仕立て直すクロエ。
急な作業だったが、この手の作業が好きなクロエは目を輝かせている。
喜びながら寸法を測っていたが、すべて計り終えるとクロエはこう言った。
「フィオナ様とほぼ一緒の体型ですね。少し裾上げが必要ですが。あと、胸は圧倒的にハーモニア樣の方が大きいので、その部分は手直ししないと」
と言うと、さっそくハーモニアの服を脱がし始め、ドレスを着せ、仮縫いをさせる。
俺はその姿を見ていたのだが、途中、ハーモニアが顔を真っ赤にしていることに気がつく。
風邪でもひいたのだろうか。そう思ったが、違うようだ。
どうやらハーモニアは下着姿を見られるのが恥ずかしいらしい。
鈍感なのでそのことに思い至らなかった。
フィオナは俺の前で平気で下着姿を晒す。
なので同じ年頃の少女が半裸になろうともなんの感情も湧かなかったのだ。
このまま師匠辺りにこの光景を目撃されれば、こう言われるに違いない。
「このロリコン賢者め」
と――。
それは事実無根に不本意であったし、それにこれ以上、ハーモニアを辱めるつもりはない。
彼女は14歳。
世間ではレディと表されてもおかしくない年頃である。
紳士を自認する賢者としては、これ以上ここにいる理由はなかった。
俺は黙ってその場を立ち去る。
道中、イスマの部屋の前に通りかかったが、そこで師匠と出くわした。
俺は彼女がなにをしているのか察することができたので、襟首を掴み、イスマの部屋から引き離す。
「なにをするか、無礼者め」
「イスマの着替えを覗くのはやめてあげてください」
俺がそう言うと鮮血の魔女は不思議そうな顔をした。
「なぜ、私がイスマの着替えを覗いていると分かった?」
「師匠の考えることならば手に取るように分かりますよ」
俺はそう言うと、フィオナの部屋の方を指さし、こう言った。
「あっちでフィオナがドレスを試着していますよ。師匠が贈ってくれたものです。イスマの雌雄を確かめるよりもフィオナに贈ったドレスが似合っているか確かめてください」
その言葉を聞いた魔女は、一瞬、顔を煌めかせたが、すぐに表情を戻す。
ふうむ、とうなりながら逡巡している。
何を迷っているのだろう。
そう思ったが、その理由は単純なものであった。
「フィオナならばどのようなドレスを着ても似合うに決まっている。しかし、イスマの雌雄を確認できる機会は限られている。ならば後者の方を優先すべきではないか?」
そんな独り言を口にしていた。ぶつぶつと。
道理にして真理であるが、面倒なので俺は彼女の背中を押しながらこう言った。
「今、フィオナのところにいけば、世界一の笑みを浮かべながら抱きしめてくれますよ。『おばさま、素敵なプレゼントをありがとう!』って」
その言葉がとどめになったのだろう。
師匠は言われるがままにフィオナの部屋へ向かった。
そのうしろ姿を見つめながら、やれやれ、と俺は吐息を漏らした。




