婚約披露パーティー
師匠と協議を終えると、自分の部屋に戻った。
そこにはメイド服着た少女がいた。
この館の女中ではなく、我がメイドクロエである。
この館にはたくさんの使用人や女中がいて、滞在中は彼女のスキルは役にたたない。
ゆえにこうして俺の部屋に突っ立っているのだろう。
クロエは俺を見つけるなり、「退屈を持てあましていました」と嘆いた。
「掃除でもしていればいいじゃないか?」
そう尋ねるが、彼女は首を振る。
「この部屋にはホコリひとつありません」
と、窓側まで歩み、窓枠に指を這わせる。
小姑みたいな真似だが、事実、クロエの指先は汚れていない。
「この館の女中は優秀ですね。普段、使わない客間まで手入れがされています。先ほど、フィオナ樣たちの部屋を覗いてきましたが、どの部屋も完璧でした。ホコリやカビのひとつもない。シーツもまっさらで、のり付けされています」
「細かいところを見ているな」
「職業病です」
「まあ、師匠は見栄っ張りだからな。それに人嫌いだが、あれでも帝国の宮廷魔術師、それに魔術協会の重鎮だ。いつ、客人が尋ねてきてもいいように準備しているのだろう」
「たしかに以前滞在していたときもひっきりなしに客人がやってきていましたしね」
「人間偉くなると好きでもないやつらを持てなさなければならない、と嘆いていたよ。俺にはできない生き方だな」
「良いではありませんか。人には天分があります。シーモア様のように毒を吐きながら世間にはびこるのも一興。あるじ様のように静かに隠遁するのも一興です」
「だな。願わくはこのまま一生静かに暮らしたいよ。娘と一緒にな」
「ですが、あるじ様はみずから火中の栗を拾われるのでしょう? フィオナ様の友人を助けるため、イスマ様を助けるため、帝国貴族に喧嘩を売られるのでしょう?」
「なんだ。師匠との会話を聞いていたのか」
「まさか、そのようなはしたない真似はしません」
「お前の耳ならば館中の会話を聞き取れるだろう」
「聞き耳など立てなくてもあるじ様の行動などお見通しです。あるじ様が娘の友人を見捨てるなどという真似をするはずがありません。あるじ様は娘のためならば帝国にも喧嘩を売るお方ですから」
「たった一人で戦争を始める気はないよ」
俺が戯けていうと、クロエは首を横に振る。
「まさか。あるじ様を一人で戦場に立たせるような真似はいたしません。このクロエも助力しますよ」
と、メイド服の袖をまくし上げ、力こぶを作った。
無論、可憐な機械仕掛けの少女に力こぶなどない。
しかし、それでもやる気だけは伝わってきた。
なかなかに頼りがいがある。
クロエの腕は陶器のように繊細で、梢のようにか細かったが、それでも彼女の戦力は侮りがたい。
俺が組み上げた機械仕掛けの人形はその戦闘力も半端ない。
並の兵士やゴブリン程度ならば、ひとりで30人は始末するであろう。
もっとも、俺はクロエを戦場に立たせるつもりは毛頭ないが。
彼女がそれを望んでも、である。
その気持ちを知ってか知らずか、クロエは雄弁に続ける。
「それにクロエだけでなく、いざとなればシーモア様も参戦してくださるでしょう。世界最強の魔女。この世界に6人しかいない大賢者の一人が味方になってくれるのです」
3個騎士団ほどの安心感があります。
と、クロエは結ぶが、それには俺も同意だ。
フィオナのためならば、姪御のためならば、いざとなれば師匠は俺の味方をしてくれるだろう。
しかし、だからといって軽率にことを運ぶ気にはならないが。
俺の望みは、娘が安全に、静かに、健やかに、そして幸せに暮らせる環境を構築することにある。
今回、俺が重い腰を上げたのは、その望みのひとつである「幸せ」を娘から奪われると思ったからだ。
娘であるフィオナは心優しい子である。
友人であるイスマが不幸になれば、その笑顔を絶やしてしまうだろう。
娘の笑顔は俺にとって黄金よりも価値があるものだった。
魔術の真理よりも価値があるものだった。
俺は娘の笑顔を守るため、娘の友人を守るため、クロエに助力を願い出た。
無論、クロエは断るはずなどなかったが、その作戦を聞いたとき、クロエは意外そうな顔をした。
機械仕掛けの少女は虚を突かれた表情でこう返した。
「てっきり、あるじ様ならばコーネル男爵家の関係者をそのまま血祭りに上げると思っていましたが。まさかそのような奇策を用いられるとは」
と、目を丸くしていた。
「……お前は俺にいったいどんな印象を持っていたんだ」
「娘のためならばドラゴンでさえボコボコにする親馬鹿という印象です」
「間違っていないが、同時に俺は賢者だ。賢者とは賢い者と書いて賢者と読むんだよ。それに俺は紳士だ。紳士とは暴力でものごとを解決しないのだ」
と、言い切った。
「しかし、暴力でものごとを解決しないのはいいですが、あるじ様の作戦では、イスマ様たちが危険にさらされる可能性があるのではないでしょうか?」
「多少はあるな。特にコーネル男爵が逆上して、襲いかかってくる可能性がある」
ちなみに俺の作戦はこうだ。
コーネル男爵をおおやけの場所に誘い出し、そこでイスマ暗殺を実行させる。
――無論、暗殺は失敗に終わらせるが。
失敗に終わってもコーネル男爵がおおやけの場所で甥御を暗殺しようとしたという事実は変わりなく、フレデリック・フォン・コーネルは断罪されることになるだろう。
コーネルの勢力は帝国で深く根を張っているが、社交界で、それも多数の貴族の前で暗殺未遂を犯せば失脚することは疑いない。
その点は我が師であるシーモアが太鼓判を押してくれた。
「ということは、コーネル男爵をおおやけのパーティーに呼び出すのですね。そこでイスマ様暗殺未遂を起こさせる、という筋書きですか」
イスマ様の身に危険が及ぶ可能性がある、という点を除けば完璧だと思います、とクロエは褒め称えてくれたが、彼女は素朴な疑問を口にした。
「ところであるじ様。コーネル男爵を呼び出すのはいいとして、どうやって呼び出すのでしょうか? あからさま過ぎれば向こうも疑念を抱くでしょうし、逆に魅力がなければやってこないと思うのですが」
「素朴にしていい質問だ。肝にして要を得ている」
「ありがとうございます」
「たしかにうちの師匠辺りが夜会を催すからこい、と招待状を送ってもこないだろうな。なにせ、先日、刺客のキメラを放ったばかりだ。誰が考えても報復されると勘ぐる」
「実際、報復しますしね」
「その通り。鮮血の魔女は甘くない。売られた喧嘩は十倍返しで報復する。帝国の誰しもが知っている常識だな」
「ならばどうやってコーネル男爵を呼び出すのですか?」
「簡単だよ。やつがやってきそうな魅惑的な夜会か、もしくは出てこざるを得ない状況を作ればいい」
「簡単でしょうか。難しいような気がするのですが」
「そうでもない。今、俺は師匠にこんな噂を流して貰っている」
「噂ですか?」
「ああ、噂だ」
「どのような噂なのでしょうか?」
「近く、イスマイール・フォン・グラニッツと、その婚約者であるリリーナ・フォン・エストニアとの結婚が早まる。という噂を流す」
「なるほど、イスマ様暗殺に失敗して焦っているコーネル男爵はさぞ焦燥感を覚えるでしょうね」
「そして一刻も早くイスマを亡きものにしようとするはずだ。なにせイスマが結婚すれば、リリーナという娘がグラニッツ侯爵家を継ぐのだから」
「是が非でも暗殺し、排除したいでしょうね」
「そうなる。頼まなくてパーティーの最中に強行をするだろうな。暗殺を」
「なるほど、完璧な作戦です。しかし、問題があります」
「どんな問題だ?」
「噂をどうやって流すかです。あるじ様は帝国内に友人がいませんし、その手の組織のツテもありません。難しいのではないでしょうか」
「その点ならば心配ない」
俺は断言する。
あまりにも自信たっぷりだったので、クロエは不審に思ったようだ。どうしてそのように言い切れるのですか、と尋ねてきた。
「さっき、師匠がめかし込んで出かけたのは見ただろう?」
「はい。素敵なドレスを着て馬車に乗っていきましたが」
「師匠はこれから、連日、貴族のパーティーに出席して、さっきの噂をしゃべりまくる。あのおしゃべりな魔女が帝都中にまき散らすんだ。一瞬、とはいわないまでも、一週間もあれば帝都の社交界はその話で持ちきりになるだろう」
古来より、貴族は噂話が大好きなのだ。こと恋愛においてはそれが顕著で、誰々が結婚する、という話は、燕よりも早く貴族の間で流布するものだ。
俺がそう言い切ると、クロエは納得したようだ。
「あるじ様の深慮遠謀には感服いたしましたわ」
と、頭をたれた。
皮肉屋の少女であるが、主である俺がその実力を垣間見せれば、クロエは賛辞を惜しまない。
クロエは俺の策に全面的に協力してくれる旨を約束してくれた。
ならばあとは噂を広がるのを待っていればいいだろう。
その間、多少暇をもてますが、やることがまったくないわけでもない。
クロエにフィオナのドレスと俺の儀典用のローブを用意するよう伝えた。
フィオナの友人であるイスマが婚約者を披露するパーティーを開くのである。その友人とその父親が参加しない、という道理はなかった。




