結婚は人生の墓場
リーングラード学院の学院長カリーニンは公正な人物だった。
事情を話すと娘の休学届を受理してくれた。
いや、休学ではなく、外出扱いにしてくれた。
休学中も欠席扱いにならない、と明言してくれた。
理由はいくつかあるが、おそらく、カリーニンは俺が師匠の館へ向かう理由を察してくれているのだろう。
先日シギの森で起きた火災、それにイスマが襲われたという情報はこの老人の耳にも入っているはずである。
俺がイスマの問題を解決するため、生徒を救うために休学する、と察してくれているのだ。
なかなか話の分かる学院長である。
ついでに休学中の給料も支払ってくれないか尋ねたが、それは断られた。
「おぬしはただでさえ給料泥棒と呼ばれているからの。これ以上の便宜はさすがに」
と、言われた。
皮肉や嫌みではなく、心底申し訳なさそうに言う辺り、俺の学内での評価を察することができる。
首にならないだけましか、そう思うことにした。
「では、フィオナとイスマを連れて、師匠のもとへ向かいます。まあ、数週間で帰ってきます」
カリーニン学院長は立派に蓄えた髭を縦に揺らした。
「馬車での旅となるが、気をつけるように。昨今、帝国と共和国の間で緊張が高まっている。護民官の数が慢性的に不足していて、魔物どもが跋扈しているという」
「その辺はなんとかなりますよ」
問題なのは、と続ける。
「さきほど手渡された問題集でしょうか。これを俺が娘とイスマに教えないと駄目なんですか?」
「出席はしなくてもいいが、その間、他の生徒と同様のカリキュラムをこなしてもらわねば」
とは、カリーニンの言葉だった。
ぱらぱらとページをめくる。
面倒な術式や数式の目白押しだった。
学生時代を思い出す。
「正直、こんなのを覚えなくても魔術師になれると思うんですけどね」
「君のような天才は希なのだよ。なので我が校の生徒はまず基本から入る」
カリーニンはそう断言すると、繰り返し、道中、フィオナとイスマにその問題集を解かせるように注意した。
俺は頷き、約束する。
あるいはこの問題集は俺の教師スキルを上げるために用意した教材なのかもしれない。
そう察したが、黙っておく。
ともかく、今は師匠のもとへ向かう方が先決であった。
そう思い、きびすを返そうと思ったのだが、それをとめる人物が現れる。
学院長の了承が取れたと安心した瞬間、学院長室のドアが開け放たれる。
ドアの奥に誰かが控えていたのは察することができたが、それが見慣れた人物だとは思わなかった。
ドアに耳を当て、聞き耳を立てていたのは、娘の親友ハーモニアだった。
彼女は凜とした表情で大嘘をつく。
「学院長、実は私のお爺様が持病の、……ええと、ううんと、そうだ! 持病の腰痛が悪化したんです。久しくお爺様の顔も見ていないですし、実家にも帰っていません。私もカイト先生と一緒に実家に帰ってもいいでしょうか?」
ちなみに彼女の実家は帝国の僻地にある。
我が師匠の屋敷は帝都の近くにある。
まったく遠回りであるが、その口ぶり、態度から見ても彼女は実家に帰る気はないようだ。
単純に俺たちの旅に同伴したいらしい。
本来ならばカリーニンもたしなめる立場にあるはずなのだが、この学院の学院長は我が師と同じ悪癖を持っているらしい。
人の悪い。
いや、悪戯小僧のような笑みを作りながらこう言った。
「ふぉっふぉっふぉ、まあ、よかろう。フィオナくんとイスマくんにだけ特例を与えて、他の生徒の願いを断るのはどうかと思うしの」
ただし、と、続ける。
「我が校では生徒と教師の不純異性交遊は禁止されている。その点は忘れないように」
いや、こちらの方を見て言わないで欲しいのだが。
それはハーモニアに向けて言って欲しい。
年端もいかない少女に興味はなかったし、ましてや生徒を恋愛対象として見ることはない。
それだけは断言できた。
そのような表情をしていると、ハーモニアが代わりに答える。
「分かっています。ですが、学院を卒業したあとならば自由ですよね?」
「うむ、帝国では知らないが、このリーングラード公国では恋愛の自由が保障されている。もと生徒と教師が結婚しても誰も後ろ指はさすまい」
カリーニンはとぼけた顔で続ける。
「ちなみにワシの四番目のかみさんは、もと学院の生徒だな」
と、すました顔で言う。
「四回も結婚したんですか?」
「正確には六回じゃな。今はかみさんには先立たれたが、まだまだ枯れてはいない。もしも嫁に来てくれるのであれば、誰でも大歓迎じゃ」
「学院長はおいくつでしたっけ?」
「80と余年になる」
「いい歳してなにをしているんですか」
「カイトくんは結婚は望まないのか?」
「結婚は人生の墓場といいますからね。生き埋めにされるのはまっぴらごめんです」
「賢者らしい返しだ。だが、こうも考えられないか。墓場こそ静寂と平穏に満ちている。気が合う妻とならばその静寂もまた悪くない」
「六回も結婚して、うち一回はもと教え子に手を出す人の言葉でなければ多少は説得力があるでしょう」
「違いない」
と、学院長は「かっかっか」と笑い、訂正を加える。
「ちなみにもと生徒と結婚したのは一回ではないぞ。二回だ」
その発言を聞いたハーモニアは両手を握りしめ、目を輝かせる。
是非、その話を聞かせてください、と学院長におねだりをしている。
学院長もまんざらではないようで、
「よきかなよきかな」
と、好々爺のような笑顔を浮かべ、ハーモニアに当時のことを話していた。
まったく関心がないというか、巻き込まれたくない俺は、学院長に軽く謝辞を述べると、学院長室をあとにした。
残って学院長の武勇伝を聞き入る気にはならなかったのである。
ハーモニアが感化されないだけが心配であったが、それは問題にならないであろう。
なぜならばハーモニアは感化されるどころか、すでに生徒と教師の恋愛に興味津々なのだから。
ハーモニアは、
「学院を卒業したあとはどうやって生徒とコンタクトを取っていたのですか?」
「在学中はどのようなお付き合いをされていたのですか?」
「結婚の際、相手のご両親には反対されなかったのですか?」
と、矢継ぎ早に質問を送る。
ハーモニアの質問はどこまでも続く。
自分を卑下する気はないが、俺のような男のどこがいいのだろうか。
最近の娘の趣味には理解に苦しむ。
そう思いながら自宅へ帰った。
旅支度をするためである。




