娘のためならば間者にでもなる
娘の新しい友達が、可愛らしい男の娘と判明した。
それで一安心、となればいいのだが、そうはいかないのが男親の悲しいさが。
「まてまて、未来の妻が決まっているからといって、それが恋に結びつかないとは言い切れないぞ」
誰だったか、恋愛は障壁が大きいほど燃え上がる、と言った人物がいたではないか。
恋愛には関心がない俺だが、その程度の常識論はわきまえていた。
そう思った俺は、小石を投げる。
フィオナの横で歓談しているハーモニアに話しかけるためだ。
《念話》の魔法を使っても良かったが、それでは娘に気付かれる可能性があった。
娘のためならば尾行もストーキングも辞さないが、娘に嫌われるのだけは避けたい。
なので原始的なコンタクトを試みたのだが、それは成功した。
スカートの裾に小石が当たったハーモニアは俺の存在に気がついた。
すぐに頬を染め上げ、声を上げようとするが、自分の唇に人差し指を置き、沈黙のジェスチャーをする。
賢いハーモニアは即座に俺の意図を了解すると、娘たちにこんな言葉を残した。
「……フィオナ、それにイスマイール、わたし、ちょっと喉が渇いちゃった。そこの泉で喉を潤してきていい?」
フィオナは不思議そうに、問いかける。
「紅茶ならばあるけど?」
俺が作った魔法瓶を取り出す。
「つ、冷たいものが飲みたいの」
魔法で冷やそうか? フィオナはそう言うが、ハーモニアは、
「う、ううん、いいの。ともかく、そこの草むらで未来のだん――いえ、ちょっと水を口に含んでくるから、絶対に近寄らないでね」
と、断った。
絶対に近寄らないでね、とは、喜劇役者の前振りなような気もするが、我が娘は素直にして真面目だった。
会心の笑みでうなずく。
「分かった。それまでイスマイールとお話しているね」
と、娘は意識をイスマイールに集中させた。
イスマイールもとくにハーモニアの行動を不審に思ってはいないようだ。
ある意味、脳天気というか、警戒心ゼロの三人組である。
ハーモニアは、端から見ていても怪しさ満点の足取りでこちらまでやってきた。
やってくるなり、俺の胸に飛び込もうとするのはやはり、俺に惚れているためだろう。
しかし、俺は千歳以上離れた娘の親友と乳繰り合うためにやってきたわけではない。
師匠やクロエにロリコンと呼ばれるために彼女を草陰に呼び出したわけではなかった。
抱きついてこようとするハーモニアの肩を抱くと、適切な距離を取る。
教師と生徒ならば半径50センチが適切な距離だろうか。
一歩ほど距離を取ると、俺は尋ねた。
「急に呼び出して悪いが、あそこにいる綺麗な黒髪の少女、いや、少年か。彼がイスマイールなのか?」
ハーモニアはきょとんとした顔をしているが、正直に応えてくれた。
「ええ、あの子がイスマイールですけど、それがなにか?」
「一応、尋ねておくが、あの少年は彼女ではなく、彼、でいいんだよな? 男だよな? 実は双子の兄がいてそっちとも友達というオチはないよな」
「イスマ、――これはあの子の愛称なのですが、イスマには兄弟はいません。姉も妹も。なのでグラニッツ侯爵家は彼の従姉妹が継ぐそうです。だからこの学院に入学したらしいですよ」
「なるほど。つまり、将来、その従姉妹と結婚するわけだな」
「ええ、もう許嫁の儀は済ましていると聞きましたが」
ハーモニアは俺が聞きたかった情報をよどみなく話してくれる。
さすがは優等生だ。賢く、要領を得ている。
ただ、若干賢すぎるようだ。即座に俺の意図を見抜かれた。
彼女はおかしそうに「くすくす」と笑い、口元を抑える。
「もしかして、カイト先生、イスマに焼き餅を焼いているんですか? フィオナを取られるんじゃないかと思って」
「まさか」
と、言い切れば楽なのだろうが、この少女に隠し事はできないだろう。
むしろ、彼女を味方に加え、より多くの情報を共有し、これからも群がってくるだろう害虫退治に協力して貰うのが賢い選択肢であった。
なので率直に彼女に事情を話した。
「フィオナに群がる男はできるだけ排除したい」
「お気持ちは分かりますが、フィオナをこのままずっと温室で育てるつもりなんですか?」
「まさか、箱の中で育てて鉄条網をかけるだけだよ」
「…………」
「――冗談だよ。でも、変な男に近寄られたくない」
「ならば大丈夫ですよ、フィオナはああ見えてしっかりしていますし」
「そうかな? お人好しすぎる気もする」
「と、いいますと?」
「娘をストーキン――、いや、教育的尾行してるときに気がついたのだが、あの子は良い子過ぎる。ここに来る途中も困ってる老人を助けて時間に遅れたみたいだ」
「あらあら」
と、ハーモニアは言ったが、それでもあの子らしいですね、と続けた。
「困っている人間に手をさしのべるのは美徳だと思うが、その同情心が悪い方に働かなければいいんだけど」
「どういう意味ですか?」
「見たところ、あのイスマとかいう少年はなんか頼りなさそう」
「ですね。実際、男の子にしてはなよなよしています」
「見た目通りだな」
「私たちがイスマと仲良くなったのも、休み時間に孤立しているイスマに声をかけたことがきっかけですし」
「なるほど、やっぱりな」
「やはりというと」
「その優しさが、いつか母性本能に変わるかもしれない。女性は頼りがいのある男が好きだ、と思ったら大間違いだ。希によく母性本能の塊のような女もいて、保護欲をかき立てられる男を好きになる女性も多い」
「その気持ちは少し分かります」
「というと?」
「私もカイト先生のことが好きですから」
「……俺は駄目人間なのか?」
ハーモニアは慌てて否定する。
両手を前に突き出しながら、それを振る。
「ち、違いますよ。カイト先生に母性本能を感じるんです。この人は私がいないと駄目だって」
「俺は君よりも遙かに年上なのだが」
千歳以上離れているんだよ、とは言わなかったが。
「先生が頼りないとかそういう意味じゃないんですよ。先生は頼りがいが有り過ぎます。でも、なんか私生活を見ると放っておけなくて」
ハーモニアは続ける。
「ときどき思うんですよね。先生ってあのクロエとかいう機械人形のメイドさんがいないと死んじゃうんじゃないかって。なんか、一人だと、ご飯を食べるのも寝るのも忘れて研究をしていそう。そんなイメージがあります」
その言葉を聞いた俺は軽く苦笑いを浮かべ同意する。
「違いない」
実際、クロエを作ったきっかけもそれだ。
ある日、師匠が俺の研究室を訪れた際、彼女は言った。
「ここはゴミためか」
と――。
それにがりがりにやせ細り、目に隈まで作っていた俺を見かねて師匠が泊まり込みで俺の世話を始めたのもきっかけであった。
鮮血の魔女、彼女の容姿は得も言われぬ美しさであったし、その魔力の実力は世界でも屈指であったが、こと家事能力に関してはこの世界でも下から数えた方が早いだろう。
ヤモリのスープ、奇形野菜と毒草のサラダ、動物の臓腑の煮込み。
今時、古典的な魔女でも作らない、独創的な料理を毎日のように振る舞ってくれた。
それに辟易して、「高性能な機械人形のメイドを作ります」と宣言し、お帰り願ったのが、クロエ誕生秘話のひとつであった。
ただ、ひとつだけ言わせて貰うと、家事能力に関しては目の前にいる少女も師匠とどっこいどっこいであった。
先日振る舞われたマンドラゴラのスープの味を思い出す。
我が師匠はある意味、悪意であのような料理を作るのだが、この娘は善意で作る。
それも味見もせずに作る。
有意識下の悪と、結果的悪、どちらがたちが悪いかと問われると、返答に困る。
どちらも被害を被るのは俺なのだから。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、ハーモニアは相も変わらずきらきらとした瞳でこちらを見てくる。
尊敬と愛情に満ちた瞳であった。
教師である前に一人の賢者として、千歳も年下の娘の思慕の念に応えることはできなかったが、それでも彼女の好意に甘えることにした。
少し恥ずかしかったので、こほん、と軽く咳払いをし、前置きする。
「これから俺は、あのイスマという少年がどのような人物か探ろうと思うが、ハーモニアは協力してくれるか?」
彼女は即答する。
「もちろん」
と。
なんの迷いも逡巡もない態度で逆に不安になる。
「俺は君の友人をスパイしようとしているのだぞ、気が引けないのか?」
「イスマは良い子ですよ。なので探られてもなんの問題もありません。それに先生が心配性だってことは承知していますから」
「なるほど、イスマと俺を信用してくれている、というわけか」
「一言でいえば」
それに、と彼女は続ける。
「未来の旦那さまの頼みを断るのは、プレンツエェル家の恥です。お爺様に叱られてしまいます」
そう断言する彼女の表情は真剣だった。
ある意味、彼女は俺にとって悩み事の種なのだが、この際、彼女の協力を得ない、という選択肢はない。
俺は娘のためならば古竜でさえ倒す。
ならば娘のためならば間者になるなど、造作もないことであった。




