教育的尾行
フィオナの朝は早い。
女の子ゆえ、色々と時間が掛かるのだ。
俺などは寝癖が付いていようが平気でどこにでも出かけられるが、フィオナは女の子。そのような無粋な真似はできないし、させない。
いつも早めに起き、クロエに髪をとかして貰っている。
昨日はツインテイル、今日はサイドアップ、まれにシニヨン、クロエは朝食の準備を終えると、フィオナの準備に掛かりきりになる。
俺はその姿を見ながらコーヒーか紅茶をすするのが日課になっていた。
まさしく至福の時間である。
ただし、今日はいつも以上に注意して娘を観察する。
心なしかいつもよりお洒落に気を遣っているような気がする。
今日は祝日。
どこかに出かける気なのだろうか。
学外に遊びに行くには、学院に外出許可を出す必要があるのだが。
昨日、書類を目を皿のようにして確認したが、娘の外出許可はなかった。
遠出をしたり、街に出る予定はないようだ。
ならば友人であるハーモニアのところにでも行くのだろうか。
学院の外に出るのは許可がいるが、学院の中に入るのには許可はいらない。
娘が所有している紋章を校門でみせれば衛兵も快く通してくれるだろう。
娘の愛らしさ、天使のような姿は、衛兵の覚えもよいはずであった。
そんなことを考えていると、娘は身支度を終えた。
学院指定の制服ではなく、私服を着ている。
やはりどこかにお出かけのようだ。
無論、我が娘は良い子に育てている。親に出かけ先を伝えることなく外出することはない。
尋ねるまでもなく、外出先を教えてくれる。
「今日は学院の敷地で遊ぶの」
とは娘の言葉であった。
《読心術》の魔法をかけるまでもなく、それは真実であろう。
フィオナは親に嘘をつくような子ではない。
ただ、問題なのは、「誰」といくかである。
そのことをさりげなく尋ねた。
「3人で行くの」
とはフィオナの答えであるが、うち一人は当然、ハーモニアであろう。
先日の事件以来、いや、それよりも前から二人は親友同士で、休日のほとんどを一緒に過ごしていた。
問題なのはもう一人である。
女の子であってくれ、そう神に祈りながら娘から3人目の同伴者を聞き出す。
だが、娘の小さな唇からつむがれた名前は、俺を落胆させるに十分なものだった。
「新しくできたお友達だよ。名前はイスマイール・フォン・グラニッツっていうの」
「…………」
どこからどう聞いても男の子の名前である。できればナタリーとか、マリナとか、レナとか、女の子としか解釈できない名前の子としか付き合って欲しくなかった。
そんなふうに思っていると、俺はとあることに気がつく。
「あれ? そういえばその名前は聞いたことがあるぞ?」
ぼつり、とつぶやく。
脳内に残された記憶を総動員する。
そういえば隣のクラスの生徒にそんな名前の生徒がいたような気がする。
基本的に人の名前を覚えないことで定評のある俺だったが、なぜだかその名前は覚えていた。
おそらく、名字にフォンの文字が付いていたからだろう。
フォンとは、貴族の名前と姓の間に付けられる敬称で、出自が貴族であることを表している。
以前、俺が助けた伯爵一家にもフォンの称号があった。
この世界では魔術師は貴族になれない、という不文律があり、魔術師になった時点でフォンの称号は返上しなければならない。
逆にいえば正式な魔術師になるまではフォンの称号を名乗ることが許される
。
さらにいえば貴族の爵位を継ぐ可能性が低い三男坊四男坊が、食い扶持を得るため、宮廷で立身出世するため、魔術師の道を志すのは珍しいことではなかった。
実際、俺のクラスにもそういった子供たちが何人かいた。
そんな中、イスマイール・フォン・グラニッツの名を覚えていたのは、グラニッツ家がノイエ・ミラディン帝国の名門貴族だからである。
たしか爵位は侯爵、それも限りなく公爵に近い名門一族で、帝国で権勢を誇る一族だったと記憶している。
世情に疎い俺でも気がついたのだから、名門中の名門、貴族の中の貴族の子息、といったところだろうか。
そのようにイスマイール・フォン・グラニッツの名を邂逅していると俺はとあることに気がつく。
「ん? 名前は覚えているが、顔は覚えていないぞ」
――と。
興味がないことにはとんと興味がないのが俺の特徴なのだから、当然といえば当然だが、それでもそのような大貴族のボンボンの顔がうっすらとさえ思い浮かばないのは奇妙な話であった。
ちらりとクロエの方を見ると、
「老化は名前と顔を一致させられないところから始まるんですよ」
的な顔をしている。
失礼な、と言おうと思ったが、半分事実なので黙っているしかない。
それに俺はこれから着替えをしなければならないのだ。
いや、変装か。
このあと、出かける娘の後ろをつけて、新しく友達になったイスマイールとかいう小僧を観察せねばならないのだ。
もしも、イスマイールという少年が、フィオナにとって好ましい人間でなければ、しかるべき処置に出ないといけない。
不本意ではあるが、これも父親の仕事である。
フィオナが予定時刻に家を出ると、クロエはこちらの方を見つめてくる。
「それは一言で表すとストーカーと呼ばれる行為なのですが」
と、ため息を漏らすが、それは心の底から否定しておく。
「これは教育的尾行だ」
と、言葉を入れ替えると俺はクロエにいつもとは違う色のローブを用意させた。
フードがあるタイプのローブである。
無論、それだけでは娘の目は欺けないだろうから、《変化》の魔法をかけ、顔は別人にする。
これで完璧であるが、クロエはひとつだけ注意してくる。
「あるじ様ほどの賢者ならば姿形はいくらでもごまかせますが、娘大好きオーラだけは隠せませんからね。そこから気取られないようにお願いします」
「心得た」
と、言ったが、クロエは、
「ほんとですか?」
という瞳でこちらの顔を覗き込んできた。
「……まあ、がんばるよ」
としか言えないのが今の俺だった。




