娘とシャンプーハット
『不老』の秘術を会得し、千年生きた賢者カイト。
無論、そのことは学院には秘匿している。
今現在、俺は鮮血の魔女イリスの紹介でやってきた一教師でしかない。
その階級は第四階級、その身分はリーングラード魔術学院の教師。
さして珍しい身分ではなかったが、その名は学内に轟いていた。
「先日の学院襲撃事件を解決に導いたのはカイトの手柄だ」
「彼は見事狂信者たちを蹴散らし、その邪悪な目的を阻んだ」
「並み居る狂信者たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げ……」
などという噂が瞬く間に広がり、先日まではびこっていた「給料泥棒教師」というあだ名は一瞬で四散した。
今では学内を歩くと女生徒たちから羨望のまなざしを受ける。
もっとも、娘とほとんど変わらない子供からもててもあまり嬉しくないが。
ただ、俺の評価が上がったお陰で、娘が肩身の狭い思いをしなくなったのは良いことなのかもしれない。
先日も娘は誇らしげに胸を反らしながら、「えっへん」とこう言った。
「わたしのお父さんが学院を救った英雄なの!」
と、時折、クラスメイトを引き連れては俺の元にやってくる。
連れてきた女生徒たちは、
「フィオナのお父様って格好いい!」
「うちのパパよりも若い!」
「サインをください」
などと、まるで俺を帝都の人気俳優のように扱ってくれた。
悪い気分ではない。
サインこそしないが、談笑したり、彼女たちが作った手作りのお菓子などは貰った。
お菓子を大量に抱えて帰ると機械仕掛けのメイドであるクロエがジト目をしてくるので、学院内で処分しなければいけないのが玉に瑕であるが、それ以外は特に問題なかった。
俺は娘の友達から貰ったクッキーを、娘と一緒に学院の中で食す。
「クロエは嫉妬深いから、見つかったら暴走しちゃうね」
と、娘はくすくす言うが、一応、黙っていてくれるようだ。
「またフリーズしたら困っちゃうもの」
と、娘は笑う。
「まったく、どうしてあんな性格の機械人形になってしまったのだか」
そう苦笑を漏らすと、俺たち父娘はクッキーを食し終え、自宅に向かった。
学院が用意してくれた職員寮である。
今現在、俺たち一家が暮らし、幸せの集積地となっている『我が家』である。
そこにはエプロンドレスをまとった機械仕掛けのメイドがいて、時折、俺の師匠の使い魔がやってきて、毎週、娘の友達が遊びにやってくる場所であった。
俺はそこに帰ると、いつものようにお風呂を沸かした。
夕刻はメイドのクロエが料理を作るので忙しい。
また、娘のフィオナも良くできた子で、クロエのお手伝いに勤しんだり、宿題を片付けたり、自習をしたりしていた。
その間、特にやることがない俺が、風呂を沸かすのが慣例になっていた。
この家の風呂は、以前、俺が住んでいた屋敷のものよりも狭く、また火精霊式の給湯器も付いていないので、湧かすのに少々難儀するのが面倒といえば面倒であったが、食後、愛しの娘と一緒に入る風呂は、教師という不慣れな職でやさぐれた俺の心身を癒やしてくれる。
どんな秘薬や霊薬よりも気力を回復する最高の回復薬であった。
その日の俺も、その最良の回復薬を求め、食後、娘を風呂に誘う。
シャンプーハットとアヒルのおもちゃも用意して待っていたが、娘は思いもよらぬ言葉をくちにした。
「わたし、一人で入る」
聞き慣れない言葉である。
聞き間違えであろうか。
あるいは疲れているのかもしれない。
先日の学院襲撃事件もそうだが、俺は本来、研究馬鹿の賢者。
慣れぬ教職で身体を疲弊させていた。
幻聴が聞こえてもさして不思議ではない。
冷静に深呼吸すると、娘に再び言った。
「フィオナ、一緒にお風呂に入ろう」
彼女は、娘は、再び同じ言葉を繰り返す。
「わたし、一人で入る」
と――。
ぐらり、と幻覚剤を飲まされたかのように視界が歪む。
「ついにこの日がきてしまったか」
俺はぐったりとうなだれる。
その間、娘はいそいそと服を脱ぎ始め、宣言通り、一人でお風呂に入った。
娘はいつものように数を数えている。
湯船に肩まで浸かって、「100まで数える」父娘の決まりごとだけは守ってくれているようだ。
ただ、そんなことは気休めにならない。
俺は力なくソファーに倒れ込んだが、その姿を見てクロエは尋ねてきた。
「あるじ様、なにをそんなに気落ちしているのでしょうか?」
機械人形であるクロエには俺の姿が奇異に映るようだ。
自嘲気味に彼女に説明した。
「娘に思春期がやってきたんだよ。世のお父さんが娘から聞きたくない台詞の双璧、一緒にお風呂に入りたくない、をついに耳にしてしまったんだ」
「ちなみにもうひとつの壁は?」
「お父さんの下着とわたしの下着を一緒に洗わないで」
「それはきついですね」
と、クロエは漏らすが、どこか他人事だった。
所詮、機械仕掛けのメイド、女であるクロエにはこの気持ちが分からないか、と、俺は愚痴ったが、それでもクロエは俺に救いをくれる。
クロエは少しだけ意地悪く微笑むと、種明かしをしてくれた。
「安心してください、あるじ様。別にフィオナ様は別にあるじ様と一緒にお風呂に入るのが厭なわけではありませんよ。その逆です」
「気休めはいらない」
そう拗ねたが、クロエはテーブルの上に置かれたシャンプーハットを指さし、説明してくれる。
「フィオナ様は単に、シャンプーハットを使わないで頭を洗う練習がしたいだけですよ」
と、クロエは続ける。
「この前、クラスの中でまだシャンプーハットを使っているのが自分だけだと知ってショックを受けてましたから。だから頑張ってシャンプーハットなしで頭を洗えるようになり、その姿をお父さんに見せてやるんだって、張り切ってました」
「……ほんとか?」
「本当ですよ。疑うのならばこっそりお風呂場を覗いてごらんください」
「娘の風呂を覗いて嫌われないか?」
心配げに言う俺の手を引き、クロエは俺を風呂場に連れて行く。
そこにはぎゅーっと目をつむりながら必死な形相で頭を洗っている娘がいた。
どうやらシャンプーハット離れをしようとしているのは事実のようだ。
その姿を見て、娘のがんばり具合にほんのりと感動した。
是非、この瞬間を絵にして保管しておきたかった。
そう思った俺は、《複写》の魔法を唱えようとしたが、さすがにそれはクロエにとめられた。
「あるじ様、さすがにそれは嫌われるかと」
「……だよな」
そう漏らすと、俺は黙って風呂場の扉を閉めた。
だが、娘の可愛らしい姿は絶対に忘れない。
心の中でそう誓った。
クロエはそんな親馬鹿賢者の姿をやれやれ、と見つつ、自分の仕事に戻っていった。




