押しかけ女房ハーモニア
このようにしてハーモニア襲撃事件は終幕を迎えた。
襲撃をしてきた狂信者たちは全員捕縛、あるいは戦闘中に死んだ。
彼らを率いたハーフエルフの青年は命を取り留め、今、護民官の尋問を受けている。彼は罪は認めたが、組織の詳細もその目的も話すことはなかった。
つまり、ハーモニアの秘密は、世間にも学院にも漏れなかったようである。
あるいはそれは命を救われたせめてもの礼、もしくはこの学院に勤めていたときに芽生えた教師としての責任感なのかもしれない。
本人は黙して語らないので、調べようもなかったが、ともかく、ハーモニアが魔族であると露見する事態は避けられた。
これで彼女はまた普通の学院生活に戻れるだろう。
またフィオナの友人として一緒に勉学に励んでくれるだろう。
そういった意味では今回の事件は完全に決着したかに見えた――、が、それは大きな間違いだった。
俺はハーモニアを助けたことにより、より大きな危機を迎えることになったのだ。
その危機とは婚約者の登場である。
――無論、自称であり、なんの法的根拠もない婚約者であるが。
とある日曜日の朝、俺はキッチンで嬉しそうに包丁を握っている少女の後ろ姿を見つめる。
「あの娘はなんなんですか?」
とは、台所の管理者にして有能な調理人でもあるクロエの言葉だった。
俺は「知らん」としか言えない。
見れば彼女――、ハーモニアは、学生服の上に真っ白なエプロンをまとい、鼻歌交じりでなにか野菜を切っている。
サクサクサク、というより、ザクザクザクという擬音で、それも不規則だった。
時折、ぶしゅう、という音がし、鮮血が飛び散るのは、切っている野菜がマンドゴラだからだろう。
「あの娘、料理がへたくそですね。アレではマンドゴラの風味が台無しです。えぐみが出る上に生臭くなります。薬効もなくなりますし」
「そういう問題なのか?」
「ではどういう問題で?」
「朝からマンドゴラなど食いたくないわ」
「元気になりすぎてしまいますしね」
くすくす、と笑うメイド服の少女。
「青い臭いガキに興味はないよ」
「ですが、あの娘はあるじ様に興味津々みたいですよ」
クロエは指摘する。
「………………」
沈黙するしかなかった。
実際、ハーモニアを助けて以来、ハーモニアの俺を見る目が明らかに変わった。
出会ったときはやる気のない俺に対し、侮蔑の感情を隠さなかったが、今は『恋する乙女』の表情を隠さない。
いや、それどころか、俺の妻の座を狙っているようだ。
ハーモニアは厭がっているフィオナに、マンドゴラのスープの味見を頼む。
フィオナもフィオナで、強引な押しに弱いので、明らかに不味そうなスープの味見も断らない。
「フィオナ、あなた好みの味にしたつもりだけど、良かったら味見してくれる?」
「う、うん……」
と、顔を青ざめさせている。
ハーモニアの作ったスープは紫色をしており、正常な人間の食欲を減衰させる。
ただ、それでも友人が一生懸命に作ったスープだ、と言い聞かせるように小さじを口に運ぶフィオナ。
おそるおそる、勇気を振り絞るようにそれに口を付ける娘、口に入れた瞬間、得も言われぬ顔をすると、スープの色と同じ系統に顔色を染め上げる。
しかしそれでも吐き出さないどころか、嚥下するところは根性が座っているのかもしれない。
素直にそう思ったが、口直しに水を持って行ってやると、娘はそれを両手で掴み、一気に飲み干した。
その姿を見て、「どう?」と瞳を輝かせるのは、ハーモニアの悪いところだろう。
明らかに不味いことは衆目の一致するところであった。
というか、自分で味見くらいしろ。
ハーモニアを除く全員が、「ははは……」と苦笑いを漏らした。
クロエはハーモニアの心理状態を一言で言い表す。
「恋は人を盲目にさせるとは本当ですね」
「…………」
沈黙によって答える。
そんな俺を見てクロエは言う。
「いたいけな女学生を虜にし、通い妻のような真似をさせているあるじ様が素知らぬ顔を決め込むなど、無責任だと思いませんか?」
「……やっぱり、ハーモニアは俺に惚れているのか?」
「連日のようにご飯を作りにきて、あるじ様を見るとき、白雪のような頬を朱色に染め上げるのです。それ以外に解釈のしようがありますか?」
「……ないな」
どんな強敵にも臆したことはないが、ハーモニアの行動、それに情熱的な視線には戸惑ってしまう俺であった。
ただ、こちらにも言い訳はある。
「クロエは俺がハーモニアをそそのかしたとか、生徒に手を出したとか、ロリコンとかいうかもしれないが、そういうやましいところは一切ないぞ」
「分かっていますよ。あるじ様は豊満な肉体の女性が好きですしね」
「だな。守備範囲外だよ」
「ですが、聞くところによるとハーモニア様は現在、御年14歳。来年には正式に結婚できるようになるらしいですよ」
「まじか。そんな年齢だったのか」
フィオナよりは大人っぽく見えたがそれでもそんな歳には見えなかった。
千年も生きてくると、他者の年齢に鈍感になる。12歳の娘も14歳の娘も同じに見える。
「ただ、まあ、あの年頃の娘は、熱しやすくて冷めやすい。来年、いや、数週間後にはもう冷めているんじゃないか」
『はしか』みたいなものだ、と付け加える。
しかし、それにクロエは懐疑的なようだ。
彼女は娘とハーモニアの間で繰り広げられている会話を指さしながら指摘した。
「あれが一時の気の迷いだと思われますか?」
見ると娘とハーモニアはこんな会話をしていた。
「フィオナ、美味しかった? 私の作ったスープは」
「も、もちろん、美味しかったよ。ハーモニアは料理の名人だね」
「そう? 初めて作ったのだけど、案外、私はこちらの方が向いてるのかもね」
ハーモニアは「うふふん」と口元を緩めると、とあることに気がついたように続けた。
「そうだ。フィオナ、フィオナは私のことをハーモニアと呼ぶけど、その呼称を変えてみない?」
「呼び方を変えるの?」
フィオナは不思議そうに首をかしげる。
「構わないけど、なんて呼べばいいの? ハーモニアさん?」
「年上だけど、学年は一緒でしょ」
「じゃあ、略せばいいのかな。ハニー? それともニア?」
「お爺さまはニアと呼ぶけど、フィオナには別の呼び方をして貰いたいな」
ハーモニアはそう言うと自分の指をもじもじと弄びながら、軽く頬を染める。
意図を掴めないフィオナは単刀直入に尋ねた。
ハーモニアはなんて呼んで欲しいの?
と――。
その問いに対する返答は、短いものであったが、その言葉にはあらゆる感情が込められていた。
ハーモニアは、気恥ずかしげに、だが断固とした口調で言った。
「お母さん」
かな――。
もしもフィオナが良ければだけど、と結ぶと、ちらり、と俺の方を向いた。
視線が交わると、彼女は乙女のように顔を真っ赤にして、視線を外した。
一連のやりとりを見た千年賢者の俺と機械仕掛けのメイドのクロエ。
両者は視線を交差させることなくため息をついた。
このように俺のささやかな休日は過ぎ去る。




