最強賢者カイト 後編 †
先手必勝、魔術師同士に限らず、勝負は先に仕掛けた方が有利だった。
圧倒的な火力で相手をねじ伏せる。それが師から学んだ魔術師の戦いのセオリーだった。
カイトは手のひらに魔力を込めると、《火球》の魔法を放った。
轟音とともに降り注ぐ大きな火の玉、その威力は凄まじく、まるで小さな太陽のようであった。
あるいは少し力みすぎたかもしれない。カイトは後悔した。
相手はともかく、カイトに殺意はない。
できれば穏当に掴まえて、この公都の警察、護民官に突き出して裁きを受けさせたかった。
無論、目の前の男ほどの魔術師を無傷で捕まえるなど、虫が良すぎるが、それでもこの威力では火傷では済まないかもしれない、そう思った。
しかし、それも《火球》の魔法が轟音と共に彼に着弾するまでだった。
エレンは着弾の直前、水精霊の力を借り、一瞬で水の膜を作る。
瞬く間に《火球》を消火してしまう。
「やるじゃないか。本当に第三階級の魔術師か?」
思わず尋ねてしまう。
「あなたこそ、とても第四階級の魔術師には見えない」
「互いに実力を偽る理由がある、ということか」
「そうみたいですね。詮索はやめましょうか」
両者がうなずくと戦闘は再開される。
(水を操る、というのは想定したが、まさかあそこまでとは)
とは、カイトの率直な感想だった。
水精霊の使い手に火魔法とは、不調法な真似に見えるが、そうでもない。
火は水に弱い、とはこの世界の常識であったが、逆にいえば水は火に弱い。
圧倒的な炎は、わずかな水では鎮火できないからだ。
(圧倒的な火力を要したつもりだったんだが、向こうは圧倒的な水魔法を用意したというわけだ)
ある意味、理に適っている。
ちなみに水魔法は雷に弱い、という俗説もあるが、それは誤解だ。目の前の男ほどの水魔法が使えるならば、超純水も用意できるだろう。
超純水とはなんのミネラルも不純物も添加されていない混じりけなしの水のことである。極度までに純真な水は電気の類いを一切通さない、というのは賢者の間では有名な話であった。
(ということは安易に雷魔法というわけにもいかないな)
ならばどうすればいいのだろうか。
軽く悩んでいると、エレンは攻撃を始めた。
彼は人造湖から大量の水を吸い上げると、それを水竜のように操り始めた。
濁流が蛇のようにうねりながらカイトに襲いかかる。
防御一辺倒に見える水魔法も使い方によっては攻撃魔法へ転化できることをエレンは証明した。
カイトの横を通り過ぎた竜の波は、先ほどまでそこにあった巨木をへし折っていた。
もしもそれが人体であったのならば、背骨がへし折れるか。あるいは肉体ごと押しつぶされるかのどちらかであっただろう。
もっともまともに当たれば、の話であるが。
カイトは《飛翔》それに《飛行》《瞬間転移》の魔法を駆使し、雄牛でもあしらうかのように颯爽と水の一撃をかわしていった。
その姿を見てエレンは感心する。
「素晴らしい。まるで闘牛士のようだ」
「褒められたと思っておくよ」
「褒めているんですよ。僕とこれほどまで長時間戦った魔術師は、この数年来、いない」
「ちなみに俺がここまでまじに戦っているのは数百年ぶりだ」
「それは光栄です」
実際、エレンという魔術師は年若いのに見事なものであった。
カイトが引き籠もり始めてから戦った魔術師の中でも最強に近いかもしれない。
それゆえに残念でもあった。
このような好敵手との戦いを終わらせないといけないことに寂寥感を覚えた。
(……しかし、それにしても本当に救いがたい性だな。強敵とまみえることに喜びを覚えるなんて)
これではまるで軍属だった頃の昔に戻ったみたいではないか。
カイトはそう心の中でつぶやくと、過去の自分、それと目の前の敵と決着を付けるため、呪文の詠唱を始めた。
「العدو في أثر مع عشرات آلاف أنياب」
生身の人間を倒すために呪文を詠唱するのも数十年ぶりである。
あるいはエレンという若者は幸運なのかもしれない。
カイトという賢者の本気の魔法を目にしながら倒れることができるのだから。
カイトは古代魔法文字を詠唱し終えると、呪文を発現させた。
放った呪文の名称は《衝撃》である。
ただし、カイトが放った魔法は、ただの初級魔法ではなかった。
以前、生徒たちの前で披露した固有魔法だった。それも生徒たちの安全を考慮したちゃちなものではなく、全身全霊を込めた強大な一撃だった。
幼年学校の生徒でも使いこなす《衝撃》の魔法も千年生きた魔術師が使えばこうも威力が変わる。
その一撃を受けたエレンはそう悟らざるを得なかった。
衝撃の形をしたそれは自在に形を変えながらエレンに迫った。
あらゆる角度から、あらゆる場所から、エレンにめがけ走ってきた。
その大きさは普通の衝撃と大差なかった。
その威力もさほど変わらなかった。
違ったのは数であった。
膨大な数。数えられないほどの無数の数、万に等しい数の衝撃がエレンの防御壁を突き破る。
水精霊によって作り上げた絶対障壁、水の壁を破壊した。
そして衝撃はそのままエレンに突き刺さる。
エレンの身体を無数の稲妻が突き抜けた。その瞬間、この勝負は終わりを告げた。
要はこの勝負、千年賢者のカイトが勝利したのである。
勝負を終えてみれば俺の圧勝であった。
ただ圧勝ではあったが決して楽な戦いではなかった。もしも一歩間違えればこちらが敗北していた可能性もある。魔術師同士の勝負は一撃必殺のことが多い。
圧倒的火力と圧倒的火力のぶつかり合いになるからだ。
俺は目の前で大の字に寝そべっているハーフエルフの青年に同情はしたが、哀れんだりはしなかった。
少し運命が変われば、この立ち位置が逆転していたからだ。
それは娘であるフィオナをこの世界に一人残して逝くということでもあった。
できの悪い父親であったが、娘にそのような不憫な思いだけはさせたくなかった。
そんなふうに思いながら、俺はエレンという男の死を看取った。
彼は勝負前に話した会話を続ける。
「……そういえば僕たちには話し合う余地があると……、いいましたよね?」
息も絶え絶えにエレンは言った。
その態度は自分が死に逝くことを覚悟しているものの振る舞いだった。
あるいは最後になにか話してから逝きたいのかもしれない。
この千年間、色々な人間の死に方を見てきたが、彼の死も俺の記憶に残るのかもしれない。そう思った。
「ああ、言った。でも、話し合う時間はないと断られたが」
「……あれは本当のことですよ。実はあの時点で奥歯に仕込んだ毒薬を飲んでいたのです。遅効性の毒薬をね。あなたに負けなくても僕は死んでいた」
エレンはそう言うと、にこり、と笑う。
「任務に失敗したら死ぬ気だったんだな」
「ええ、そういう組織に僕は所属していますから……」
「難儀な組織だな」
「僕もそう思います」
「なら今から解毒薬を飲んでその組織を抜けるというのはどうだ? 幸いとお前は今回の事件でまだ誰も殺してないんだろ。無罪にはならないだろうが、情状酌量の余地はある。なんなら俺が弁護をしてやってもいい」
「千年も生きた賢者に弁護して貰えるとは光栄です」
エレンはそう言い切ると再び微笑んだ。その言葉に絶句してしまうのは俺の方だった。
「俺の正体に気がついていたのか」
「これでも僕は工作員ですよ。あなたのような破天荒な教師の経歴を調べないわけがない」
「知っていてあえて黙っていたのか?」
「僕の任務は魔族の少女を拉致することですからね。それ以外のイレギュラーには干渉しません」
「なら知っていて勝負を挑んだのか? 俺が賢者だと知っていて」
「その問いは傲慢ですよ。僕はあなたに勝つつもりで勝負を挑んだのですから」
「だな。一歩間違えれば負けていたかもしれない」
「……その言葉なによりも嬉しいです」
エレンはそう言うと観念したように目をつむり、自分の身の上を語り出した。
「僕は見ての通り半分人間、半分エルフの中途半端な存在だ。人間のように強くなく、エルフのように長生きはできない。どちらの社会からも疎まれ、蔑まれる存在だ。そんな僕が千年も生きた賢者と互角に戦って死ねたのです。あの世でそう自慢させてください」
エレンはそう言い切ると、唇をとめた。
そのまま死に逝くつもりだろう。
しかし、そんな格好いい死に方をさせるつもりは毛頭なかった。
俺は意識を失ったエレンに《蘇生》の魔法を掛ける。
《解毒》の魔法を併用する。
知っている限りの回復魔法を掛ける。
あらゆる分野、古代魔法、簡易魔法、現代魔法、固有魔法をかける。
冗談ではない。
死なせるわけにはいかない。
「もう俺の目の届く範囲では絶対に人は死なせない!」
そう叫びながら、魔力を注ぎ込んだ。体内から尽きるまで。
自分を殺そうとした相手に対して、娘をさらった相手に対してするには不合理な行動だったが、彼が蘇生するまでその行為をやめなかった。
回復した彼がまた俺に襲いかかり、娘に牙を剥く可能性も存在したが、それでもその無意味な行為をやめなかった。
あるいは俺は目の前の青年にかつての自分を重ねていたのかもしれない。
自分の馬鹿げた行為を客観的に見るとそんな感想が浮かんだ。




