学院内に裏切り者がいる †
†(ハーモニア視点)
「納得いかない~!」
職員室の扉を閉め、軽く礼をし、親友と二人きりになると、ハーモニアは開口一番に言った。
落ち着いてハーモニア、となだめるフィオナ。
「お父さんはハーモニアの身を案じて心配してくれているんだよ」
「私の身を案じる? 私が狂信者のテロの標的にされるってどういうこと? 荒唐無稽すぎない? てゆうか、カイト先生はいまだに私のことを恨んでるのよ」
「ハーモニアのことを恨むの?」
「最初に学院長のところにこの先生は授業をしません、と直訴しに行ったでしょう。その仕返しをしているに違いないわ」
「それはないと思うよ。あのとき、一緒に行ったのはハーモニアだけじゃないし。仕返しなら全員にしないと」
「あえて責任者のみ処罰して分断を図るという手法もあるわ」
と、ハーモニアはツン、と言う。
フィオナは「まあまあ」と必死にそれをいさめる。
フィオナが父親から聞かされていることは二つ。
ハーモニアの身に危険が迫っていること。
学院の外に出ると危険なこと。
それだけである。
そしてフィオナの父親は決して嘘はつかない。
それだけで十分だった。
つまり、父親の言いつけを守れば、親友であるハーモニアを守れるのである。
ならば娘としては親友をいさめるのが当然だった。
一方、親友も親友でフィオナのことを信用してくれているようだ。
「ううぅ、フィオナがそう言うなら信じるけどさ」
と、結局、それ以上小言は言わず、父親の処置を是としてくれた。
「お父さんの言うことは常に正しいんだよ。学院で遊んでれば安全なの」
「まあ、しばらくは学院で過ごすかぁ」
「ものは考え用だよ。この学院はとても広いの。まだまだ行っていない場所も多いし、探検し甲斐があるでしょ?」
フィオナは上目遣いで尋ねる。
その姿を見たハーモニアは観念する。フィオナは卑怯だ。そんな可愛らしい瞳でそんな台詞を言われれば肯定せざるをえない。
ハーモニアは、「やれやれ」と吐息を漏らすと、フィオナの提案どおりに放課後や休日を過ごすことにした。
「じゃあ、週末に遊びに行けない代わりにフィオナが学院の寮に泊まりにきなさいよ」
「そうだね。一度、寮に泊まってみたかったの。寮って楽しい?」
「あまり楽しくないわ」
と、一言で切り捨てるハーモニア
。
「寮長の小言には飽き飽きだし、規則はがんじがらめだし。まあ、刑務所よりましといった程度ね」
「それは冗談だよね?」
「ほんとよ。お風呂に入る時間も分単位で決められているし、たまに抜き打ちで下着の色をチェックされるの。派手なのを履いていたらジャガイモの皮むきをさせられるわ」
「こ、こわい」
と、思わず後ずさるフィオナ。
「無論、なんの許可もなく、寮生以外を宿泊させたことがばれたら大目玉でしょうね。二人ともジャガイモの皮むきと、それにお風呂の掃除を命令されるでしょう」
と、自信満々に言うハーモニア。
「わ、わたし、お泊まりはいいかな。まだ早いってお父さんに怒られるかも」
フィオナがそう怖じ気づくと、ハーモニアは表情を緩ませながら、フィオナの背中に飛びつく。
「だーめ! お泊まりは決定事項なの。二人で決まりを破ってどきどきしましょう!」
と、年頃の少女のように戯れた。
黄色い声が辺りにこだまする。
少女二人は、そんなふうに放課後を過ごした。
――一方、同時刻。
帝都にあるイリス・シーモアの館にて。
イリスはハーモニアの祖父に手紙を書いていた。
イリスとハーモニアの祖父とは知己であった。
長年の友人、と言い換えてもいいかもしれない。
その縁で彼女の出生の秘密を知り、また護衛の依頼を受けたのだ。
自分の弟子が孫娘の護衛についたことを彼に知らせるべく、筆を執っていた。
執務室の机に座ると、羽ペンにインクを付け、紙にペン先を走らせる。
書き出しは決まっていた。
「貴殿の孫娘の護衛は最強の賢者が務めることになった」
そんな出だしでいいだろう、そう頭の中で推敲を重ねながら、文章をしたためていると、無粋にもドアをノックする音が鳴り響く。
「まったく、筆が乗り始めたというのに……」
イリスは不満を漏らしたが、入室を許可した。
部屋に入ってきたのは初老の執事だった。長年、シーモア家に仕えてくれた男である。
この家の執事を務めるかたわら、イリスの公務の手伝いもしてくれている。
また、公務以外でも彼の諜報能力、また折衝能力を買っていた。
要は彼はイリスにとって必要な部下であり、その忠誠心は信頼に値し、その言葉は限りなく正確であった。
ゆえに彼が最初に発した言葉をイリスは無条件に信じた。
「イリス様、大変にございます。あの学院にはどうやら『血盟師団』の潜入工作員が潜んでいるようです」
「なんだとッ!?」とは言わなかった。前述したとおり、イリスは彼のことを完全に信頼していた。彼がそう言うのならばそれが真実なのだろう。
ならばことの真偽を問いただすよりも必要なことがあった。
「その工作員の氏名は分かるのか?」
老執事は首を横に振る。
「ただ学院関係者。それもおそらく上位のもの。ということだけは分かります」
その報告を聞いて鮮血の魔女は顔を歪めた。
それでもなお美しいのは、この魔女の美貌が冴えわたっているからであろう。
イリスはしばし逡巡すると、即座に判断を下した。
「使い魔……を、飛ばしていたら間に合わないか。盗聴される危険があるが、ここは鏡文字を使うか」
鏡文字とは鏡に文字を書くことによって、任意の場所の鏡にその文字を転写する魔術である。
第三者に見られる可能性があるため、重要な案件を伝える場合は用いない手法である。
それに鏡に不気味に赤い文字が浮き出る様は気持ち悪い。
と、昨今の魔術師にあまり人気はない。
ただ、それでも事態は火急を要する。
イリスは懐から口紅を取り出すと、それで執務室の鏡に文字を書いた。
たったの一文だけだ。
愚弟子のその生き方は愚かで不器用であったが、頭の回転だけは速い。
余計な文字など書かなくても通じるであろうし、下手な指示をしても混乱させるだけだった。
だからイリスはなんの飾り気もない文字を書いた。
『学院内に裏切り者がいる。注意されたし』
この文字を見れば、カイトは間違いなく、ハーモニアを連れて学院を出るであろう。おそらくはこの世界で最も安全な場所、このイリス・シーモアの館までやってくるであろう。
学院内に裏切り者がいるということは、それくらい危機的な状況なのだ。
賢明な弟子ならばそのことにすぐ気がつくはずだった。
気がつけば最善の方法をとるだろう。
なぜならばカイトは最強の魔術師にして、最高の賢者なのだから。
「――もっとも」
とイリスは独白する。
もしもその潜入工作員が行動を起こしていたら、この情報も役に立たないかもしれないが。
イリスは工作員がハーモニアの存在に気がつくよりも早く、カイトにこの情報が伝わることを祈った。




