少女を守る
書斎に入り、席に座るとクロエがトレイにウィスキーと氷、それにグラスと水差しを持ってやってきた。
酒の肴としてはチーズに魚のすり身をまぶして乾燥させたものとサラミが添えられている。
奇をてらわない王道的なチョイスである。
クロエにねぎらいの声を掛けるとクロエはそのまま書斎をあとにした。
俺たちの雰囲気から、自分がこの場にいてはまずいと察したのだろう。
その姿を見て師匠は評す。
「機械人形なのに、人間の機微に敏感な娘だ」
「数百年も引き籠もり賢者のメイドをしていると主人のわずかな表情の変化も読み取れるらしいですよ」
「なるほど、そういえばあの娘との付き合いは私よりも遙かに長いな」
「ですね」
「500年前にはすでに見かけていたから、あの娘との付き合いもそれだけになるのか」
「そうなります」
「よくもまあパーツが持つものだな。あの娘、回路やその動力部はともかく、外部パーツは既製品であろう。あのタイプのパーツはもう手に入らないはずだが」
「500年ほど前に買いためて置きましたよ」
「なるほど、ならばあと数百年は一緒にいられるというわけか」
「まあ、その間、俺が死ななければ、ですが」
「お前は不老の賢者だろう」
「でも、不死ではありません。首をはねられれば死にますし、心臓をとめられれば死ぬ。俺は『まだ』人間ですよ。一応は」
「そうだな。不老を達成した賢者は多いが、不死の方はまだだ」
師匠はそう言い切ると、しばし沈黙した。
「………………」
梟も心なしか困ったような顔をしていた。
多弁な魔女が珍しい、と思ったが、俺は尋ねた。率直に。
「師匠が言いよどむとは珍しい。つまり、今回持ち込んだ厄介ごとがかなり面倒。具体的にいうと俺が死ぬ危険さえあるくらい厄介なものだということですね」
ずばり指摘すると、梟はさらに沈黙した。
鉛が気化したような重苦しい雰囲気が空間を包み込む。
梟はしばし俺の顔を見つめるが、やがて観念したのだろうか。
梟のくちばしは事情を語り出した。
「最初はこの依頼はお前に頼まず。お前をこのまま逃亡させようかと思った。さすれば『また』お前を俗世の争いに巻き込まないですむ」
「師匠はまだあのときのことを気にしているのですか?」
「するさ。世界最高の賢者となるはずだった男が隠遁生活をするようにしてしまったきっかけだからな。しかもその原因は師であるこの私にある」
「師匠は関係ないですよ」
「あるさ。お前の才能を見いだしたのは私だ。帝国軍に推薦状を書いたのは私だ」
「ですが、それを願ったのは俺です」
「………………」
実際、師匠は関係なかった。
当時、この魔術学院を首席で卒業した俺は浮かれていた。
自分が魔術の天才であり、その力で世の中を変えられる。世の中をより良くできる。
そう信じ切っていた。
そんな少年が帝国軍に入り、そこで研究に明け暮れるのは当然だった。
俺はそこで多くの人々を殺す兵器の開発に携わり、魔術で人間を殺めた。
最初の数年間はただただ誇らしかった。
自分の知恵が祖国の役に立つ、帝国の人民の幸せに繋がる。
そう信じ込んでいた。
ただ、その熱もすぐに冷める。
自分の開発した戦闘用ゴーレムは果たしてこの世界の役に立っているのだろうか。
自分が開発した合金で作られた殺傷力の高い剣で人々を救えたのだろうか。
流した血の量に見合う平和を築くことができたのだろうか。
そんなふうに考えるようになった。
疑問を感じた俺は軍を辞め、山に籠もった。
そこで研究に明け暮れた。
研究に没頭し、世の中の役に立つ魔術師になろうと千年間、ただひたすらに研究を重ね、引き籠もってきた。
その間、乳幼児の死亡率を劇的に改善する医薬品も開発した。
多くの人が白いパンを食べられるよう、新たな農業法を開発したり、病気に強い品種の作物も開発した。
北国の人が凍えずに済むよう効率的な暖房装置の開発もした。
せめてもの罪滅ぼし、という気持ちがなかったといえば嘘になる。
ただ、そんなことで自分のしてきたことが正当化されるとも思っていなかったし、自分が殺してきた人間が喜ぶとも思っていなかった。
ただの偽善であり、自己満足であった。
あるいは現実逃避といってもいいかもしれない。
そんなふうに過去と邂逅していると、梟は語りかけてきた。
「さて、お前をできればこの件に巻き込みたくない、という気持ちに偽りはない。だが、お前をこの件に巻き込む。だからあらかじめ謝っておこう。すまない、と」
梟はぺこりと頭を下げる。珍しいことだった。鮮血の魔女が他人に頭を下げるなどこの数百年見たことがなかった。
「師匠には逃亡の手伝いと教職の用意をして貰ったのです。その頼みはむげにはできませんよ」
「……そう言って貰うと助かる」
「それで師匠の頼み事というのはなんなのですか? 相当な荒事なのでしょうが」
「するどいな」
「師匠が言いにくそうにしているんです。それくらい察することができますよ」
「弟子には隠し事はできないか。その通りだよ。私は再び、お前の魔術師としての力を借りようと思っている」
「人を殺せ、と?」
「まさか。そこまで鬼ではない。逆だ」
「逆?」
「今回の依頼は魔族を守って欲しい、というものだ」
「魔族を守る……」
思わず口ずさむ。
「魔族はとっくの昔に絶滅したはず、そう言いたいのだな」
「ええ、少なくとも俺の生まれる前には絶滅した、と聞きましたが」
「歴史の教科書にはそう書いてあるな。しかし、お前は軍属だった頃、魔族の末裔と呼ばれる一族や、魔神復活を望む邪教徒どもと戦っただろう?」
「ええ、ですが、彼らも滅びて久しい。魔族の血族は完全に殲滅されたと聞きましたが」
俺はそこで一呼吸間を置くと続けた。
「――ですが、その口ぶりですと、そうではなかった、と師匠は言いたいわけですね」
「そうだな。魔族は今の世にも生き残っていた。いや、正確には蘇った、というべきであろうか」
「つまり?」
「隔世遺伝という言葉を知っているか?」
「ええ、一応は。これでも賢者ですから」
隔世遺伝とは、祖父や祖母、あるいはそれ以上前の遺伝子がその人物に如実に反映される現象を指す。
家族全員が黒髪黒目でも、先祖に金髪碧眼のものがいれば、その遺伝子が発現し、金髪碧眼の子供として生まれてしまうというあれだ。
俺がその用語を思い起こしていると、師匠はこう続けた。
「単刀直入に言おう。この学院に魔族の血を引く娘がいる。そしてその娘を狙っている組織がいる。その連中から、その娘を守って貰いたい」
「分かりやすいですね」
「だろう」
と梟は声もなく笑う。
「俺が魔族の娘を守る、か……」
再びつぶやく。
二つ返事でうなずくべき案件なのかもしれないが、即断はできなかった。
あるいは過去の罪悪をわずかばかりでも償える良い機会なのかもしれないが、それでも即答はできなかった。
今の俺には守るべき大切なものがあるからだ。
無論、それは娘であるフィオナである。
もしもその魔族を守ることによって娘が危険にさらされるのであれば、俺は安住の地だと思っていたこのリーングラード学院を捨て去るのになんの躊躇も覚えない。
俺は「しばらく考えさせてください」、そう言うと態度を保留した。
師匠もそれを許してくれる。
「無論だ。じっくり考えてくれ。ただ、最終的にお前は首を縦に振ってくれる。私はそう信じている」
梟はそう言うと目を閉じた。
俺は梟越しに師匠がなにを持ってこの依頼を持ってきたのか考察した。
師匠は俺が魔族の娘を助けることによって、過去との決別を願っているのではないか。
かつて魔術を用いてその手を汚していた日々を払拭してくれていようとしているのではないか。
そう考察できた。
あるいは師匠の提案は受け入れるべきなのかもしれない。
それで過去と決別できるとは思えなかったが、それでも今後、娘を育てていく先、俺の心にわだかまっている『澱』のようなものを払拭してくれるかもしれない。
そう思った俺は師匠の依頼を受けることにした。
「……分かりました。その魔族の娘、俺が守って見せましょう」
俺がそう言うと梟は微笑んだような気がした。
「そう言ってくれると思っていた」
どうしてですか? と俺は尋ねる。
「お前はフィオナという娘を育てることによって父性と母性を持った。ならばこの学院の教師になれば聖職者としての責任感も芽生える。そう計算していた」
……なるほど、そういうことか、と納得する。
あるいは我が師はそれを見越して俺にこの仕事を紹介した、ということもありえる。
この魔女は伊達に俺よりも長く生きているわけではない。
それくらいの計算や打算を込めて俺をこの学院に送り込んだとしてもなんら不思議ではなかった。
そんなふうに思いながら、俺は今回、守るべき少女の名を聞いた。
梟は、鮮血の魔女はよどみなく答えてくれた。
師匠がくちにした名前は意外な名前だった。
いや、良く耳にする名前だ。だから意表を突かれたのだ
俺がこの学院の教師になって初めて覚えた名前。
初めて俺に食ってかかってきた女生徒。
初めてフィオナの友達になってくれた亜麻色の髪の少女。
この家にも何度も遊びにきて、そのたびにクロエの作った焼き菓子を食べていた少女だ。
名をハーモニアという。
彼女が魔族の血を引き、その遺伝子を色濃く発現させた少女だという。
そして彼女はそのため、とある組織に狙われているようだ。
その組織の名は『血盟師団』。聖教会から分派した過激派の一団。生命の創造と死は唯一絶対の神のみが司ると信じて疑わない狂信者の一団であった。
「やれやれ、いつの時代も狂信者の類いは尽きないものだ」
と、俺はありきたりな愚痴を漏らすと、どうやってその狂信者からハーモニアを守るか、考え始めた。




