オルバ再び
ある日、家に帰ると、メイド人形のクロエがこんな言葉をくちにした。
「熱血教師」
「…………」
沈黙していると彼女はさらに続ける。
「リーングラードの情熱先生。学校の一番人気教師。そんなあだ名が広まっているそうですよ」
「ちなみにそのあだ名の教師って俺のことか?」
「この空間に他に教師がいますでしょうか?」
見渡すまでもなくいない。
もしも知らない間に師匠が空間転移をしていれば別だろうが。
いや、師匠はあれでも教師の上位職の教授、それも頭の上に『終身名誉』という大層なものが付く役職のはずだから、同列にするのは失礼か。
ともかく、どうやら最近の俺はそんなあだ名で呼ばれているようだ。
頭をかきながら言う。
「熱血先生って言われてもな。ただ、普通に授業をしているだけだぞ」
それについてはフィオナが元気よく否定してくれる。
「そんなことないよ、お父さんの授業はとても分かりやすいって評判だよ」
娘はそう強調してくれるが、あの程度の授業でそんなに歓迎されても困る。
俺が困惑していると、毒舌なメイドはこう弁護してくれた。
「それはきっとあれでしょう。普段怠惰だった人間が急にやる気を出したから、評価が甘くなっているのでしょう。あれです。不良がいいことをするといい人に見える理論です。普段のギャップが人を惑わせるんです」
クロエはそう言い切るが、たしかにそうかもしれない。
自分でもそう思ったので、反論できなかった。
「お父さんの授業は面白いけどなあ」
フィオナは不満たらたらだ。
ちなみに1回生は全部で10の組があるが、俺のクラスは平均点よりもやや下だ。
この間、職員会議でやり玉に挙げられた。
特に隣のクラスの教師から、
「カイト先生のクラスはうるさい」
という苦情もよく貰っている。
あまり勉強をさせていない証拠というか、たしかに笑い声の絶えないクラスではあった。
宿題もほとんど出さないし、そういった意味では生徒たちの人気は高くて当然かもしれない。
「隣のクラスの子と話したけど、授業中に笑ったら、廊下にバケツを持たせて立たされるんだって」
もしくは『幽霊屋敷』と生徒たちからあだ名されている不気味な実験棟の掃除をさせられたりもするらしい。
「俺はそう言った体罰は一切しないな」
「優しい先生なんですね」
「俺が学生だった頃は、こんなもんじゃなかったけどな」
と、笑う。
「1000年も昔でしたら、倫理観が全然違いますものね」
「そうだな。もしも授業中に談笑でもしようものなら生爪はがされたよ」
「な、生爪……」
震えるフィオナ。
「そのときの教訓かな。俺が体罰に厳しいのは。あんな糞みたいな教師にはならない。反面教師にしているのかもな」
ちなみに当時の担任教師はもうこの世の人ではない。
ろくでもない死に方をしただろうな、と思ったが、憎まれっ子世にはばかるとでもいうのだろうか。
90歳まで生き大往生を遂げたようだ。
また子孫も健在のようで、帝国で代々宮廷魔術師をしているようだ。
ようだ、というのは、師匠から伝え聞いた話だからで、実際にその子孫と面識があるわけではない。
そんなことを考えていると、師匠の顔が浮かんだ。
俺たちがこの学院にやってきて数ヶ月。千年賢者の俺にとっては一瞬であったが、娘にとっては長い月日だろう。
なにせ彼女の実年齢は2歳と数ヶ月だ。
そのうち1年近くを一緒に過ごした伯母上様と3ヶ月も会えていないのだ。
さぞ、寂しいというか、すでに師匠の顔も忘れてしまったのではないだろうか。
そんなふうに思い、娘に尋ねてみる。
案の定、彼女は寂しいようだ。
「イリス伯母様には会いたいよ。毎日でも。でも、お仕事が忙しいらしいから、我慢しているの」
娘は健気にも言う。
ただ、顔は忘れていないらしい。
「イリス伯母様はすごい美人だよ」
と、にこやかに言う。
「まあ、たしかに美人だな。一度見たら忘れられないというか、忘れたら危険というか」
鮮血の魔女の顔は覚えなければ災厄になる、というのは魔術師界隈では有名な話だ。
彼女に粗相を働き、罰という名の報いを受けた魔術師は多い。
そう言った意味では、「忘れてはいけない要注意人物」とも言える。
そう師匠を表したが、それは魔術師の話であって、姪である娘には関係ないだろう。
たとえ師匠の顔を忘れたとしても、師匠が娘に罰を与えるはずはない。
ただ、悲しみはするだろうが。
そう言った意味では、そろそろ娘を師匠の元に連れて行く、というのもひとつの手であった。
「そうですね。オルバも寂しがっているでしょうし」
とはクロエの言葉だった。
「そうだな。あの雌梟の顔をしばらく見ていない」
オルバとは師匠の飼っている梟の名前である。
フィオナがしょっちゅうモフモフしている梟だ。
オルバの名前をくちにするとフィオナのテンションが明らかに上がる。
「オルバに会いたい、またモフモフしたい!」
と飛び跳ねている。
フィオナは動物好きだった。その中でも賢いオルバは彼女の大のお気に入りで、よく一緒に絵本を読んでいた。――といっても、フィオナが一方的に読み聞かせていただけだが。
「師匠のあの恐ろしい笑顔は忘れられないが、オルバはどこにでもいるような梟だからな。それに鳥頭という言葉もある。フィオナじゃなく、オルバの方がフィオナのことを忘れてしまうかもしれないぞ」
「ええー! あんなに仲良しだったのにわたしの顔を忘れちゃうの?」
「梟なんてどれも同じようなものだろう? 人間の目から見れば。それと同じで梟から見れば人間も同じに見えるはずだ」
「それってお父さんだけじゃない? 梟は一匹一匹違うよ?」
「俺は梟の見分けなどつかない」
そう断言したが、それは俺だけのようだ。
ここでクロエが参戦してくる。
「クロエは人間ではありませんが、オルバの羽の特徴や、くちばしの模様をはっきり覚えていますよ。100匹の梟に紛れ込ませても見分ける自信があります」
クロエはそう言うとフィオナの方に振り向く。
フィオナも「だよね」と同意する。
そう言うとフィオナは改めてこちらの方へ振り返り、
「お父さんは動物に対する愛情が薄いの。反省を求めます」
と、叱ってきた。
娘に叱られるのは少しこそばゆかったが、ここは素直に謝っておく。
娘には無条件に甘くなってしまう。
しかし、言い訳はしないが、弁明はしておく。
「オルバの羽の特徴は今度覚えておくが、オルバの行動の特徴ならば知っているぞ」
「ほんとにー?」
ジト目で見てくるフィオナ。
「本当だ。俺はフィオナに嘘は言わないだろ」
「そうかなあ」
「言わないさ。証拠を見せよう。オルバは使いにやってくるとき、窓を三回叩く。コン、コンコンっていうタイミングでな」
俺はそう言うと窓を指さす。
その指の先に振り返る娘とメイド。
そこには一匹の梟がいた。
俺の勘が正しければ、あの窓の外からこちらを見つめている白っぽい梟が件のオルバのはずだ。
タイミング的にそれ以外考えられなかったが、実際、あの梟はオルバのようだ。
フィオナが、「オルバだー!」と駆け寄ると、梟はされるがままにモフモフされている。
そんなことを許すのは我が娘フィオナくらいだった。
あの梟は六大賢者の一人、イリス・シーモアの使い魔なのだ。
普段のオルバは気軽に触れることさえできないほど、気高く、気位が高い。
さて、そんな梟だが、なにもフィオナにモフモフさせるためにここまでやってきたわけではあるまい。
以前、現れたときのようになにか急用でもあるのだろう。
そう察した俺は、梟に近寄った。
「さて、師匠はどんな要件を持ち込んだのだろうか」
使い魔の主である魔女とは千年近い付き合いがあるが、彼女の急用はろくでもないことが多かった。
俺は吐息混じりに梟ののど元を撫でた。




