魔術の理
翌日、一時限目の授業になると、俺は黒板消しを探した。
黒板に常に書かれている自習という文字を消すためである。
黒板消しなど教師になって以来、使ったことがなかったので、置かれている場所を探すのに一手間掛かった。
このクラスのまとめ役を務めているハーモニアと娘のフィオナに探すのを手伝って貰うと、黒板に書かれた自習という文字を消す。
その姿を見て教室内の生徒が動揺を始めた。
中にはクロエのような失礼な生徒もいて、今日は雪が降るのではないか、とくちにするものまでいる始末だった。
動揺がざわめきになり始めたころ、俺は教壇に両手を添えると、教室にいる生徒たちに向け、演説をした。
「この一ヶ月、自習ばかり授業をさせてきたが、今日は珍しく魔術の講義をすることにする」
そう宣言すると、動揺が驚愕に変わった。
「あのカイト先生が講義!?」
「どうしよう、わたし、授業はないと思って教科書持ってきてない」
「いや、自習には必要だろ。お前は自習すらしてなかったのか」
「だって、わたし、花嫁学校のつもりでここに入学したし」
「てゆうか、このクラスは教師も問題児ならば生徒も問題児ばかりだな」
そんな会話が模様される中、俺は言う。
「あー、各自、静かにするように。これから話すのは、カイト先生の有り難くも深いお話だ。魔術師を志すにしても、それ以外の職業に就くにしても、役立つ話になると思う」
普段は本ばかり読んでいる教師の真面目な言葉がよほど珍しかったのだろうか。生徒たちは黙って俺の言葉に耳を傾けてくれる。
「よろしい。人の話を聞くときは静かに。基本だな。魔術以前に人としての問題だ」
そううなずくと続ける。
「ええと、こほん、昨今、俺のことをニート教師だの、給料泥棒だの、そう呼称する生徒がいることは承知している」
その言葉を聞いた生徒の何人かは表情を変化させる。そう陰口をたたいていた自覚があるのだろう。
しかし、俺は怒りはしない。むしろ称揚する。
「教師の悪口は大いに結構だ。むしろ、俺の悪口を言わなかった生徒を叱りたいくらいだ」
「ええー! 先生の悪口を言ってもいいんですか?」
「もちろんだ。大人になるということは、大人の言っていること、やっていることに疑問を覚える、という通過儀礼が必要だからな。諸君らの側にいる大人、多くは家族や教師だったろうが、彼ら彼女らに不満を持って初めて子供は成長できるんだよ」
「でも、私の祖父は立派な大人です。不満など持ったことはありません」
ハーモニアは挙手をし、異論を述べてくる。
凜とした表情だった。これだけは譲らない、という顔をしている。
「ここで異論が生まれるわけだ。俺は大人は正しくはない、という、でも、自分の周りには尊敬できる大人もいる、と思っている少女もいるというわけだ」
「それはつまり、先生は間違っているということですか?」
とある生徒が尋ねてくるが、俺は首を縦に振る。わずかに。
「答えはひとつじゃないってことだよ。ハーモニアは自分の祖父は尊敬できる祖父だと言ったが、それはハーモニアの目からそう見えても他人からはそう見えないかもしれない」
その言葉にむきになるハーモニア。
「私の祖父は誰からも尊敬される立派な人です!」
「誰からも分け隔てなくか?」
「もちろんです。若い頃は従軍魔術師として活躍し、引退後は賢者として多くの業績をこの世界に残しました。誰からも尊敬されています」
「従軍魔術師をしていたということは戦場に立っていたわけだ」
「そうです。華々しい武勲をあげたと聞かされています。皇帝陛下から薔薇十字勲章を下賜されています」
「そうだな。君の祖父はその魔術で帝国を救い、多くの味方の命を救ったのだろう。だから勲章を貰えた」
しかし、と俺は続ける。
「戦場で味方を救ったということは、それ以上の敵の命を戦場で奪った、ということでもあるんだ」
「そ、それは……」
指摘されたことに反論できずハーモニアは言いよどむ。
「君の祖父に命を救って貰った兵士は君の祖父に感謝しても足りないだろうが、一方、君の祖父に命を奪われた敵軍の家族は、君の祖父を呪詛しているかもしれない。それは否定できないだろう」
「で、でも……」
それでも抗弁しようとするハーモニアの言葉をとめる。横道にそれたと思ったからだ。それにこの講義は彼女の祖父の正義を問う場所ではなかった。
今話したのは一例でしかない。
俺が生徒たちに伝えたいのは、魔術の本質についてだった。
そう前置きした上で、魔術についても同じことがいえる、と言い切った。
「魔術も多角的なものの見方ができる」
「多角的なものの見方ですか?」
「君らは魔術は人の役に立つ、文明の進歩に寄与する。そういった言葉を信じてこの学院に入学してきたものも多いだろう」
「もちろんです。入学案内にも書いてありますからね」
ハーモニアは鼻息荒く主張する。
「だけど、その一方で魔術は使い方を誤ればとんでもないことになる、それも理解しているな?」
「…………」
「さらにいえば魔術は基本的に人を傷つけるために存在する、そう思い込んでいる極端な人間もこの世界にはいるんだよ」
俺のようにな、とは付け加えなかった。
この講義は生徒に思想教育をする場所ではない。
魔術がいかに危険で危ういものか、理解して貰うための授業だった。
とある生徒は挙手をする。
「先生、先生がおっしゃっている言葉の意味は分かります。魔術は使い方によっては人を傷つける、という意味ですよね」
「そうだな。その通りだ」
「ですが、回復魔法はどうでしょうか? 回復魔法は人を傷つけません。人を絶対に傷つけない魔法も存在するのでは?」
「いや、そうでもないぞ。基本、どんな魔法も使い方を誤れば人を傷つける」
その解答がくると予想していた俺は、あらかじめ用意していた植物の鉢植えを用意する。
「魔術師らしく小動物でも用意しておくべきだったんだろうが、俺は動物好きでな。これで勘弁してくれ」
そう言うと、植物に回復魔法を掛ける。
無論、回復魔法なので攻撃力などは一切ないはずである。
生徒たちはそう思い込んでいたようだが、俺は掛けている回復魔法に魔力を込める。
ありったけの。
するとどうだろう、活力をみなぎらせていた植物がみるみるうちに枯れていく。
「「え?」」
どうして? 生徒たちはそんな顔をするが、ハーモニアだけは冷静だった。
彼女は丁重に解説してくれる。
「……おじいさまに聞いたことがあるわ。回復魔法は正の魔法であると同時に負の魔法でもある、と。強大な魔力を込めると生物の細胞を破壊することもあるって」
でも、よほど強力な魔力を込めないとこんなことにはならないはず、と彼女は独り言のようにつぶやく。まあ、今込めた魔力は、よほど強力な魔力を込めたのだが、他の生徒にはこの演出は効果覿面だったようだ。
魔術の危うさを認識してくれた。
「す、すごい!」と俺を一線級の魔術師であると認めてくれた。
ただ、それでも承服しない生徒もいる。
「ですが、それは刃物も同じなのではないですか? 刃物は人間の生活には必須です。モンスターに対しての自衛にも使えますし、包丁にすれば美味しい料理が作れます。使い方によっては人を傷つけますが、人間はもはや刃物なしには生きられません」
「うん、良い答えだ。その通りだよ。もはや人間は刃物なしには生きられない。だから今さら刃物を無くそうだなんてしても無駄だな」
「ならば魔術も一緒ではないでしょうか? 魔術は現に存在しますし、無くすことはできません」
「それはどうかな」
俺は軽く生徒の質問を返す。
「刃物は人類の文明発祥と同時にあった。しかし、魔術は違う。文明がある程度形作られるようになってからできたんだ」
「だからなくなっても困らない、ということですか?」
「そうだな」
「ですが、魔術は生活のあらゆる場所で役立たれています。もはや、魔術がなければ普通の市民生活が送れないくらいに」
「だな。だけど魔術の代替品はある。そっちに移行すれば生活は困らないぞ」
俺はそう言い切ると、本題に入る。
「魔術学院に入学したものならば、魔術の規定は分かっていると思うが、一応聞いておこうかな」
適当な生徒を指さす。
生徒は戸惑いながらも魔術の定義を解説してくれた。
「魔術とは、魔力を持ったもののみが発動できる秘術です。一般人には使いこなせません」
「その通りだ。だから君らが通っている魔術学校が各地に存在し、貴重な人材としてもてはやされているんだ」
だけど、と俺は続ける。
「魔術とは違ったやり方で、文明に貢献しようとしている人間もいる」
俺はそう言うと火薬を取り出した。
皿の上に置かれた火薬に火を付ける。
無論、爆発はしない。火薬はただ燃えるだけだった。
火薬を爆発させるにはもう一手間いる。
「今、一瞬、《発火》のような魔法を発したな。ただ火を付けるだけで燃え上がった。これは魔術ではない。化学だ。ちなみに発火に用いたマッチも木の棒にリンをこすりつけただけの物体で、化学、あるいは科学と呼ばれる現象だ。これは我々魔術師だけではなく、一般市民でも使えるいわば技術だな。誰でも再現できる」
「………………」
当たり前の現象を当たり前に実験したためだろうか、生徒たちの反応は薄い。
当然である。
目の前にいる生徒たちは魔術師になることを夢見てこの学院に入学してきたのだ。誰でも再現できる事象になど興味はない。
「反応が薄いな。でも、この科学は魔術の副産物なんだぜ?」
俺がそう言うと生徒の一部が少しだけ興味を持ってくれた。
「科学と魔法、相反するふたつのように思えるが、実はふたつは双子の兄弟みたいなものなんだ。そもそもさっきの火薬だって、何百年も前の魔術師が、卑金属を金属に変える過程でできた副産物だ。それが今、火薬となっている。火薬は普段は使わないから、マッチの方が分かりやすいかな」
俺はそう言うと、生徒を指さす。クラスでも優秀な火魔法を使える生徒だ。
彼に尋ねる。
「君は火魔法が得意みたいだけど、家の暖炉に火を付けるとき、《発火》の魔法を使うか?」
「使いません」
「どうしてだ」
「案外、発火の魔法はコントロールが難しいからです。一歩間違えれば家が火事になってしまう」
「だな。俺もだ。小さな火をおこすのは案外面倒だ。だから、タバコに火を付けるとき、発火は使わずマッチに頼る魔術師も多い。俺は禁煙者だけど」
「わたしの家はメイドが火を付けます。マッチで」
とある女生徒は言う。
「我が家もだ。もしもマッチが発明されていなかったら、世にいるメイドさんの仕事は増えるだろう。大昔のように火打ち石を使っていたかもしれないし、あるいは木の棒を摩擦させて着火させなければいけない時代が続いていたかもしれない」
「そう考えるとマッチってすごいね」
と我が娘フィオナは結んでくれる。
「だな、こうやって魔術は、いや、科学は人々の生活の役に立っているんだよ」
俺はうなずいた。
「つまり、何を言いたいのかといえば、魔術師になることだけが世の中のためになる、というわけじゃない、ということだ。無論、科学も魔法も使い方を誤れば、人を傷つけるのは一緒だ。でも、科学は万人が使える。一方、魔術は我々魔術師しか使えない。その違いはある」
「だからこそ魔術師は自分を律し、市民に奉仕をする精神を養わないといけないんですね」
とある生徒が感銘の声を上げるが、おおむねそれで間違っていないので同意しておく。
実際、この魔術学校の学訓のひとつに、魔術師たるもの市民への奉仕者となれ、という言葉がある。
魔術は自分の栄達のためではなく、この社会をよりよくするためにある。そう思ってくれれば少なくとも俺のような魔術師にはならないだろう。
魔術ですべてが解決できる、などと『昔』の俺のように思わなければ、道を踏み外すようなことはないだろう。
『魔術など所詮は道具だ。そのことさえ自覚していればたぶん、平静を保てる』
それが俺が千年のときをかけて導き出した答えだった。
ただ、魔術を志す若者にはいまいち響かないことも自覚していた。
実際、俺の講義を聴いて、万人に扱える魔法、科学に興味を示した生徒はわずかだった。
(まあ、いきなり老成して、千年生きた賢者と同じ結論に達せられても困るのだけどな)
俺の生きてきた千年がなんだったのだ、という話になる。
だが、それでも俺は生徒たちに俺のような魔術師になって欲しくはなかった。
いや、今の俺のように怠惰な魔術師になってもらいたいが、数百年前までの俺のように魔術を信仰し、魔術によってすべてが解決できると思い込み、その力で多くの人を傷つける魔術師にはなって貰いたくなかった。
そう思ってこんな迂遠な話をしたのだ。
それは俺が真面目に教師に取り組むという決意表明でもあるのだが、同時に数百年前までの自分と対決する、ということでもあった。
さて、この場ではそんな考え方もある、という道を提示できたが、彼ら彼女らを導くことができるだろうか。
せめて給料分の義理を果たせればいいが。
そんなことを思いながら、今後の授業日程を彼らに説明した。




