娘、新しい言葉を覚える
「お父さん、ニートってどういう意味?」
ある日、愛する我が娘が純真な瞳で話しかけてきた。
その言葉を聞いて俺はメイド服の機械人形に批難めいた視線をやる。
彼女はその視線が不当なものであるといった表情と台詞を返してくる。
「悪い言葉を覚えると、なんでもかんでもクロエが発生源だと思われるのは遺憾です」
「だけど、今までフィオナが覚えた悪い言葉の6割はお前経由だったぞ」
「でも逆に4割は他の方経由だったのですよね? 今回はその4割だと思わなかったのですか?」
クロエはそこで一呼吸おくと続ける。
「ましてや今やフィオナ様は魔術学院の生徒になったのです。同年代の子供たちに囲まれています。情報的影響力を鑑みれば、そちらの方からその言葉を聞いた確率の方が高いと総合的に判断できませんか?」
「要はお前は無実である、と?」
クロエはこくり、とうなずく。
それを見て俺はクロエを信用する。ついでフィオナの方へ振り向くと、彼女の頭を撫でながらこう言った。
「ニートっていうのは、働く意思もなければ、修学する意思もない穀潰しのことを指す言葉だ」
あまり綺麗な言葉ではないが、尋ねられたからには正直に答えておくべきだろう。
その言葉に納得したフィオナはもうひとつ質問をしてくる。
「分かった。でも、穀潰しってどういう意味?」
「生きる価値のない人間って意味だ。社会の生産性に何ら寄与せず、ただ空しく穀物を消費させるから穀潰しっていうんだよ」
「じゃあ、ニートは悪いことなの?」
その問いには明確に否定する。
「悪いことではない。ニートがいるからこの世界は回っているんだよ」
と、俺は弁護する。
その言葉を聞いて、メイド服の少女はくすりと笑う。
「ご主人さまは少し前々まで引き籠もり賢者の称号を欲しいままにしていましたしね」
「うるさい。毒舌メイド、口を挟むな」
俺がそう言うとクロエは口にチャックするそぶりをする。
「そもそも引き籠もりとニートはまったく別種のものだ。オレンジと蜜柑くらい違う。俺が引き籠もっていたのは事実だが、俺は錬金術師という立派な仕事にも就いていたし、その稼ぎで生きてきたんだ。だからニートとは違う」
「ニートと引き籠もりは違うんだね」
「ああ、似て非なるものだよ。――って、フィオナよ。ところでどこでそんな言葉を覚えてきたんだ?」
「学院で聞いた」
娘は発生源を隠さない。素直な笑顔とともに教えてくれた。
「やはり同じ年頃の子供に囲まれると成長が早いですね。色々な言葉を仕入れてきます」
「そうだな。でも、ニートとか引き籠もりという言葉は覚えなくてもいい。我が娘とはまったく関係ない単語だからな」
そう断言すると、娘の頭に手を添えながら、こう付け加えた。
「というわけだ。お前とはまったく関係ない言葉だから、その言葉は消去していいぞ」
そうフィオナに教え込んだが、彼女は笑顔をでそれを拒否する。
「関係なくはないよ。ううん、むしろわたしに関係大ありの言葉だよ」
フィオナは断言する。
「関係ないよ。お前は真っ当な道を歩むんだから」
「でも、わたしはニートにならなくても、お父さんがニートになったら大変だよ」
フィオナはさりげなくそう言った。
あまりにもさりげなすぎて、思わず聞き逃してしまうところだったが、そうならずにすんだ。
「……俺がニートになるって!?」
思わず困惑してしまうが、クロエも弁護してくれる。
「フィオナ様、あるじ様はニートにはなりませんよ。ちょっと前までは引き籠もり賢者でしたが、それでも手に職は持っていましたし、今では魔術学院の教師です。そのあるじ様をさしてニートと呼称するなど、可哀想ではないですか」
「わたしはそんなこと言ってないよ。言ってたのはクラスの友達だよ」
「クラスの友達? というと俺の受け持つ生徒たちか?」
「うん、わたしはお父さんの娘だから、直接は言わないけど、この前友達になった子がこっそり教えてくれたの。お父さんは陰で悪口を叩かれているって」
フィオナはそう言うと、その友達とやらの口まねをしながら台詞を発する。
「フィオナ、私は貴方の友達だから、はっきり言うけど、あなたのお父さんは評判悪くってよ。まともな授業もせず自分の研究にばかり精を出すって。私はもう諦めたけど、一部の子たちは、あなたのお父さんのやる気のなさを糾弾するって息巻いているわ」
その口調はどこかで聞いたことがある。初日に食ってかかってきた娘の真似だろう。名はたしかハーモニアといっただろうか。
昨日、我が娘フィオナの友人になってくれた少女だ。
娘は補足する。
「ハーモニアはもう諦めてるけど、一部の生徒はちゃんと授業をしないお父さんに怒ってるみたい。ニート教師、給料泥棒って怒ってる」
「ニート教師……、給料泥棒……」
「言い得て妙ですね」
「俺は陰でそんなふうにいわれてるのか……」
「ショックを受けましたか? あるじ様」
「いや、実はそんなに」
「それは救いようがないですね」
「ぶっちゃけると子供に魔術を教えるだなんて性分に合わないんだよ」
「ほんとにぶっちゃけましたね。ならなんで教師など引き受けたのですか」
「それしか道がなかったからだ」
「ならば給料の半分は返上されてはいかがですか?」
「そうなれば家計に響くぞ。俺は研究はやめないからな」
「是が非でも給料泥棒を続けてください」
クロエは断言する。家計を預かる彼女としては俺の収入だけが頼りなのだ。
「でも、正直な話、あるじ様が改心して、真面目に講義や授業をすれば解決する問題のような気がしますが」
「そりゃあそうだが、俺は子供たちに魔法なんて教えたくないんだよ」
「どうしてですか?」
「…………」
思わず沈黙してしまう。短い言葉だったが、核心を突く言葉だったからだ。
ただ、クロエもフィオナもその理由を聞くまで引き下がらない。そんな表情をしていたので、その理由をちゃんと話す。
「魔法ってのは、人を傷つけるために存在するからだ」
「魔法が人を傷つけるの?」
フィオナは不安げに問い返す。
そのような表情をされるのが分かっていたので今まで黙っていたが、俺は続ける。いい機会だと思ったからだ。
このまま俺が魔術の真理を説かなくても、娘はやがてその一面に触れる。魔術学院に入学するというのはそういうことだった。
ならば父親として、俺が教える方が娘のためになるだろう。
俺は意を決すると、明日はちゃんと授業をする。
と娘に約束をした。
その姿を見て、クロエはこの場から立ち去る。
やがて手に一杯の洗濯物を抱えてきた。
「どうしたんだ?」と尋ねると、彼女は悪戯心に満ちた返答をくれる。
「いえ、あるじ様が真面目に働くなんて、雨でも降るかと思って」
「……失礼なやつだな」
俺はクロエをそう表したが、悔しいことに彼女の予言は当たった。
その後、雨がぼつりぼつりと降り始めた。
その雨は夜半まで降りやむことはなかった。




