娘に名前を
「あるじ様、おめでとうございます」
産着代わりの布きれを探し終え、それで赤子を包むと、クロエはそう言い放った。
ついでこう続ける。
「やっとクロエとあるじ様の間に娘ができましたね。ふたりの愛の結晶です」
「いつ、どこでお前と愛をはぐくんだんだ?」
「この数百年間、片時も離れず一緒に居たではありませんか。くんずほぐれつ」
「くんずほぐれついうな」
「でも、事実でございましょう?」
「それは研究の助手としてだろう」
「あるじ様と助手の間に愛をはぐくんではいけない、という法律はありません」
「賢者と機械仕掛けの人形の間に愛は生まれないよ」
そう言い切ると、赤子を見つめた。今はクロエの腕の中におり、あやされている。
「……しかしまあ、この子は本当にホムンクルスなのだろうか?」
「ホムンクルス以外の可能性があるのでしょうか?」
「たとえばあの爆発の瞬間、誰かがあの部屋に転移させたのかもしれないぞ」
「誰が? なぜ? どうして? そのような真似を?」
「俺をぬか喜びさせてほくそ笑むため」
「千年間引き籠もっていたあるじ様にそのような悪戯をして得をする人物がいましょうか?」
「……いないな。そもそもそんなことは不可能だ」
あの実験棟には機密情報がたくさんある。他の賢者や魔術師に奪われないよう、警備は二重三重に巡らされていた。転移魔法で侵入するなど不可能だ。
「ならば最初からあの場にその赤子がいた、という可能性もあるな」
「この子はまだ首も据わっていませんよ? はいはいして実験棟の中に入ったというのですか?」
「誰かが手引きしたという可能性もある」
俺がそう言うと、クロエは自分を指さす。
どういう意味であろうか。
彼女は答える。
「あの実験施設に入れるものは、あるじ様以外、クロエしかおりません。ならば犯人はクロエとなりますが」
「まさか。お前は疑っていない」
「いいえ、疑ってくださいまし。クロエは機械人形です。記憶を改竄されている可能性もあります」
クロエが熱心に主張するので、彼女の胸に触り、回路を開いてみたが、怪しげな情報は残されていなかった。
彼女は完全な白である。
「つまりやはりこの娘はあの実験で生まれた子供ということか」
「そうですね、この子こそ、フラスコの中の小人。ホムンクルスです。あるじ様は世界で初めて無から生命を生み出したのです」
我がことのように誇らしげに言うクロエであったが、それはどうだろうか。
たしかにこの子はホムンクルスのようだが、この子が生まれたのは実験の産物ではなく、事故の副産物であった。
実験者が意図して生み出したわけではないのだ。
ワイバーンが放った炎が、偶然配置されていた薬品や素材に燃え移り、爆発によって生じたエネルギーで生まれたのがこの子だった。
「要はてきとーに爆発を起こしたら生まれたのがこの子で。俺が意図的に作り出したわけじゃないんだよな」
それを成果と言い張っていいものか、悩む。
魔術学会に発表すれば、俺の名は瞬く間に広がり、大賢者の称号を貰えることは確実だったが、この子は偶然生まれたもので、再現できない。それを功績と言い張るのは少々強引だ。
錬金術は科学である。同じ条件下、同じ手法を使えば誰でも再現できる。
少なくとも術者が同じならば何度でも再現できなければ意味がない。
それが大前提であった。
だが、それでもホムンクルスをこの世に生み出したのが俺である事実は変わらない。
そう悩んでいると、クロエはそんな些末な問題よりも重要なことを伝えてきた。
クロエは赤子を俺の腕に無理矢理抱かせるとこう言い放った。
「あるじ様、あるじ様は今、この子を魔術学会に報告するか、悩まれているでしょう」
「…………」
その通りだったので、沈黙によって答える。
「クロエは大反対でございます。この子はクロエとあるじ様の愛おしい娘。学会に報告して世間の好奇の視線に触れさせるのは反対です」
「この子は俺とお前の子供じゃないが、たしかに学会のおもちゃにされるのは忍びないな。それにこの国は、ホムンクルスの研究を禁止している。発表するならば亡命しないと」
そう言うと、クロエは「さすがはあるじ様ですわ」と称揚し、こう付け加えた。
「父親としての自覚が出てきてなによりですわ。それではまずは父親としての責任の第一歩を果たして貰いましょうか」
「責任の第一歩?」
「まずは婚姻届です。未婚男女が子供を産むなどふしだらです。前後が逆になってしまいますが、領主様に婚姻届を出しましょう」
彼女はそう言うと、懐に入れていた婚姻届を差し出す。そこにはカイトという名前とクロエという名前が書かれていた。
それを無言で破り捨てる。クロエは「ご無体な」と必死で修復しようと試みる。
「いつの間にそんなくだらないものを用意していたんだ」
「あるじ様に作って頂いて3ヶ月後にはしたためていましたわ。機会を狙っていました。数百年掛かってしまいましたが、やっと役に立てそうだったのに……」
「…………」
クロエの行動力に呆れていると、彼女は「こほん」と軽く咳払いをする。
「まあ、今のは冗談です。あるじ様にはもっと大切な責任を果たして頂かないと」
いや、あの婚姻届。きちんと拇印も押されていたし、本物だったぞ。それにあの表情、冗談には思えなかったが。
そう思ったが、あえてそれ以上は触れず、彼女の主張を聞くことにした。
彼女が真面目な表情で語り出したからだ。
「この子は偶然この世界に生を授かりましたが、この世界に生まれ落ちてしまったからには名前が必要でしょう。そしてこの子に名を付けるのは、造物主であるあるじ様の責任だと思います。是非、素敵な名前を付けてあげてくださいまし」
クロエはそう言い切ると、桜色の唇をほころばせた。