ハローワールド
「ところであるじ様、この学院ではあるじ様とフィオナ様をどう呼称すればいいのでしょうか?」
紅茶を飲み終え、食器類をかたづけるとクロエはおもむろに尋ねてきた。
俺は説明する。良い機会だからフィオナも呼び、対面のソファーに座って貰う。
金髪の童女と銀髪の少女が仲良く座る様はなかなか絵になったが、それに気を取られることなく彼女たちに説明をする。
「ええと、まずはフィオナにはちゃんと俺たちが身分を偽ってこの国に、この学院に潜入していることは伝えてあるよな?」
金髪の少女の方を見るが、彼女はこくりと元気にうなずく。
「お父さんのことはお父さんと呼んでもいいけど、お父さんが帝国出身で、ローウェンのお屋敷に住んでたことはしゃべっちゃ駄目なんだよね」
だから他の人には「しー」なんだよね。
と、己の唇に人差し指を添える。
「その通り。良く覚えてたな、フィオナ。偉いぞ」
俺が褒めると、フィオナは「えへへ」と喜ぶ。
「つまり、カイト様はこの学院の一教師、それにフィオナ様はその娘、というふうに接してもいいんですね」
クロエは確認する。
「その通り。師匠がその辺をちゃんと手配してくれていて、この寮も家族用のものだ。もしも師匠がその手配を忘れていたら、俺は今頃独身寮に放り込まれて、フィオナは女子寮に連れて行かれたかな」
「と、言いますと?」
「リーングラード魔術学校は基本的には全寮制だ。この公国だけでなく、その人材を各国から募っているからな。まあ、中には息子娘を甘やかしたいから、学院の近くに屋敷を建てる馬鹿親もいるらしいが、基本的には7割方、寮生活をしているらしい」
「フィオナ様は特別扱いなのですね」
「その通り、師匠には感謝しないとな」
「うん、あとで叔母上様には御礼の手紙を書いておくの!」
とフィオナは元気よく言う。
クロエもそれに賛同する。
「クロエも御礼を言わないと。もしも二人が離ればなれにされてしまったら、と思いますと胸が張り裂けそうになりますし、二人が離ればなれになったら、クロエはどちらの方についていけばいいか迷ってしまいます。身を引き裂かれるような思いを味わったことでしょう」
「たしかにそんな未来もありえたわけだ。ちなみにクロエよ。もしも二人が離ればなれになったら、お前はどっちについていく?」
悪戯心でそう尋ねたのだが、それがいけなかったのだろうか。
クロエは一瞬、「え?」という顔をし、俺の顔を見つめる。
ついでその表情を氷結させ、言葉をなくし、思考を停止させる。
彼女は文字通り人形になってしまった。
ぴくりとも動かない。
俺はしまった、と思いつつも彼女の背中をはだけさせ、回路を弄る。
その姿を見ながら、フィオナは尋ねてくる。
「どうしちゃったの? お父さん、クロエは壊れちゃったの?」
心配げに顔を覗かせてくるが、俺は否定する。
「クロエはこういう構造になってるんだよ。その精神に過剰に負荷が掛かると安全装置が働いて機能を完全停止させる。いわゆる凍結ってやつだ。機械人形にはよくある。心配しなくていい」
「そうなんだ。良かった」
文字通りほっと胸を撫でおろしている我が娘。
作業をしながら説明をする。
「もしもこの安全装置がなかったら、クロエは熱暴走を起こして、触れないくらい熱くなる」
「湯気が出るくらい?」
「雨が降ってれば出るかもな。ぷしゅーって」
「見てみたいかも」
「まあ、それは今度、本人に頼んでくれ。ともかく、機械人形ってのは案外、繊細なんだ」
そう言うと背中の開口部分を閉じ、はだけさせたメイド服を元に戻す。
あとは魔力を込めれば、彼女は起動する。
「ちなみにこの安全装置は俺が考案して魔術協会に特許も申請した。その金で屋敷を買ったんだ」
俺はそう言うと、彼女の背中に手を添え、魔力を込める。
クロエは1分12秒で再起動した。
彼女の瞳が妖しげな光を発し、古代魔法文字のログが流れる。
文字の意味は早すぎて読み取れないが、最初に流れる文字の一行目だけは覚えていた。
「HELLO WORLD」
である。俺がプログラミングした魔法言語だ。
機械人形の少女が最初に目にするに相応しい言葉だと思ってチョイスしたのだが、その言葉は相応しかっただろうか?
いい機会なので彼女に尋ねようと思ったが、それよりも先に彼女はきょろきょろと辺りをうかがう。
彼女はその淡い瞳をこちらに向けながら尋ねてくる。
「あるじ様、もしかしてクロエはフリーズしていましたか?」
「そうみたいだな。再起動しておいたよ」
「それは助かります。ちなみにクロエはどうしてフリーズしていたのでしょうか?」
「気にするな。思考回路のランダムアクセスに負荷が掛かっただけだ。希によくある」
俺はフィオナに目配せする。
娘は、「分かった。しー、なんだね」とまた口に指を添える。
「そうですか、それならいいのですが」
また意地悪にも同じ質問をすれば、彼女はフリーズし、前後の記憶を失うだろう。繰り返すが、機械仕掛けの人形も案外、繊細にできているのだ。
見た目どおりの儚さを見せた少女に気を遣うと、俺は先ほどの会話の続きを始める。
なにごともなかったかのようにさりげなく。
「さて、こうして師匠の取り計らいで、我々父娘と機械仕掛けのメイドは同じ家に住めるというわけだ。めでたいことだよ」
「本当に有り難いですね。クロエもこうして一緒に住めるのです」
クロエはそう言うと、周囲を見渡す。
「ただ、少しばかり残念なのが、あるじ様やシーモア様の屋敷のように大きくないことでしょうか。これではすぐに掃除が終わってしまいます」
「まあ、学院の職員寮だからな。これでも立派な方なんじゃないかな」
たしかに以前、俺たちが暮らしていた屋敷は20部屋はあった。
数週間前まで世話になっていた師匠の屋敷はその倍は広かった。
そう考えれば、この慎ましい一軒家は、メイド服がほうきを持っているようなクロエの掃除スキルを持てあますだろう。
ただ、それでも別に俺は痛痒を感じない。
むしろ、これくらいの規模の家の方が娘と一緒に過ごせる時間が持てていいだろう。
この職員寮は2階建て。部屋の数は5つほど。
どの部屋にいても娘の息吹が聞き取れそうな手頃な大きさだった。
一階には大きめのリビングもあるし、そこにはテーブルも添えられている。
クロエが台所で菓子でも焼くかたわら、そこで俺が娘に勉強を教える。
そんな光景が頭に浮かんだ。
それをくちにすると、クロエは微笑む。
「素敵な未来図ですね」
と――。
ならば狭いのは我慢しますわ、とクロエは冗談めかして言ってくれたが、ともかく、今日からこの一軒家が我々家族の新しい住まいとなる。
俺は改めて室内を見渡す。
リーングラード魔術学院は9年制の学校である。
無論、成績が悪ければそれよりも早く放校されることもあったし、成績が優秀ならば最短3年で卒業できる。
フィオナをせかすつもりは一切ないが、順当にいけばこの職員寮に3年以上世話になる計算だ。
さて、この小さな家でどのような思い出を残せるのだろうか。
俺はそんなことを考えながら、この家に挨拶をした。
「何年世話になるか分からないが、よろしく頼む」
と――。
娘もそれにならい、ぺこりと頭を下げる。
「おうちさんよろしくお願いいたします」
これでこの家の精霊は我々に加護をくれるだろうか。
そんなことを思いながら、荷ほどきを始める。
家具はすでに設置されている。備え付けのものだ。新たに買い足す必要性はなかった。
だから引っ越し作業は衣服の整理などが主になる。
それはクロエに任せようか。彼女はプロのメイドさんだ。その手の作業は得意というか、下手に素人が口を挟むと混乱をきたすだろう。
俺は師匠から譲り受けた魔術書や古書を書斎の本棚に陳列する。公都で新たに買い求めたものもある。
さっそく備え付けの本だなが満杯になる。
この分だと明日にも大工を呼んで本棚を作らせるか、家具職人に発注をしなければならない。
クロエはその様子を覗き見て、
「また床を抜けさせないでくださいね」
と、一言だけ注意をした。呆れるような口調で。
「分かっている。これは研究用ではなく、教師として必要な知識を得るツールだ」
そう抗弁したが、機械人形の少女は信じていないようだ。
「ここは貸家ですからね。床が抜けたら弁償です。それにフィオナ様の学費などもあるのです。今までのように散財しないでくださいましね」
「心得た」
と、約束したが、約束した方も約束させた方も自信はない。
結局、半年後には書斎はおろか寝室にも本をあふれさせるのだが、それは別の話。
今はともかく、娘との新しい生活に胸躍る一人の父親でしかなかった。