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学院長室での暗闘 †

††(イリス・シーモア視点)


 カイトたち一行が公都に到着するなり、百貨店でのんきに買い物と食事をしている頃、リーングラード魔術学院ではちょっとした騒動があった。


 とある教師が理事長室に血相を変えて飛び込んできたのである。

 学院長である賢者カリーニンはその様子を愉快そうに眺めた。

 彼は灰色の調停者の異名を持つ賢者だ。その齢は80に達する。

 この学院に多くいる魔術師たちのように若くはなく、どこか達観していた。


 今、目の前に現れた教師のように息を切らしながら学院長室に飛び込むほど憤慨することなど久しくなかった。


 ゆえに予告もなく院長室に飛び込んできた教師の非礼も咎めることはなかったのだろう。

 その若者は第五階級に属する魔術師である。

 このリーングラード魔術学校の正式な教師である。


 第五階級というのは魔術師の階級である。1~9までの階梯(かいてい)があり、数字が大きくなるほど偉い、と思って貰って構わない。


 明確な決まりがあるわけではないが、魔術に多大な貢献をし、その才能を認められれば、ひとつずつ位が上がっていく。


 このリーングラード校の学院長であるカリーニンは、魔術師としての最高の階梯、第九階級の魔術師だ。


 世界で6人しか名乗ることを許されない大賢者の称号こそ持っていないが、魔術師としても最高の位を所有しているというわけだ。


 ちなみに魔術師と賢者はよく混同されるが、この両者に明確な違いはない。


 ただ、魔術師の中でも寄り広範囲に業績を残したもの、あるいは世間に多大な貢献をしたものが賢者と呼ばれるだけで、極論を言えば第一階級の底辺魔術師でも賢者と呼称されることはある。


 逆にいえば、目の前にいる男。


 彼のように第五階級、魔術師としてなかなかの階梯(かいてい)を持っていても、実力や人望を欠いていれば、賢者と呼ばれることはなかった。


 それゆえにだろう。

 彼は歪んだ自尊心を芽生えさせてしまったようだ。

 手に持った書類をカリーニンに叩きつける。

 カリーニンは真白で立派な顎髭をなで回しながら言葉を発した。


「これはなんじゃ?」


「見て分からないのですか! これは今度やってくるという男の履歴書です」


「ほう、そう言えば新人教師がやってくるという話を聞いておるの」


 しわがれた声でそう返すと、カリーニンは男に、魔術師マッキャオにこう返した。


「して、この書類になにか問題でもあるのかの?」


「ありますよ、この男は第四階級の魔術師ではないですか!」


「そのようだな。ここに大きく4と書かれている」


 カリーニンは枯れ木のような手で指をさす。

 しかしそれがなんの問題があるというのだろうか。


「問題大ありですよ。ここは魔術師の最高学府リーングラード魔術学院ですよ。魔術の名門校です。そこにこのような経歴不詳の男がやってくるだなんて」


「経歴が不詳? ここに立派な魔術学校の卒業証明書が添えられているが」


「添えられていますが、この男はその後、なんの仕事にも従事していません。辺境の魔術学校を首席からはほど遠い成績で卒業。その後、親の遺産を食いつぶして研究に没頭していたと経歴に書いてあります。そのような男をなぜ、伝統ある我が名門校に教師として招くのです」


「我が校のモットーは誰にでも開かれた魔術学校だ。生徒はもちろん、教師もその出自や種族は問わない、という理念があるはずだが」


 カリーニンはそう言うと、己の椅子の後ろに掲げられている学院の理念を指さした。

 この学院を創設した偉大な大賢者の言葉である。



「魔術の理の前には万物は平等なり」

 


 そう書かれていた。実際、この魔術学院は多くの生徒に門戸を開いており、才能さえあれば、どのような人間も迎え入れる。


 金がないのであれば無利子で学費も貸し付けるし、有能であれば卒業後、その学費も免除される。

 そうやって才能ある魔術師を何千年も配給し、この世界に貢献してきたのだ。

 目の前の教師、マッキャオとてそのことを知らないわけではないだろうに。

 カリーニンはそう思ったが、マッキャオはそうは思わなかったようだ。


「理念は理念。私はその理念は絵に描いた餅だと思いますがね。まあ、百歩譲って生徒たちはそれでよくても、教師はやはり、出自や経歴が尊重されるべきだ」


「なるほど、つまり、マッキャオ君はこのカイトとかいう青年の出自や経歴が気に入らない、というわけか」


 カリーニンはそう言うと再び書類に目を通す。


 このカイトとかいう新任教師にはたしかに姓がない。それだけで貴族階級でないと察することができる。


 それにその経歴も凡庸というか、たしかにエリートであるマッキャオの目から見れば劣等生に映るだろう。


 その年齢は26と書いてある。一方、マッキャオは36であり、その階梯も一段上の魔術師だ。

 年齢は10違うのに、階梯はひとつしか変わらない。それも鼻につくのだろう。

 そう思ったが、あえてくちには出さず、カリーニンはなだめるように諭した。


「しかしのう。これはもう理事会で決まったことだ。今さらくつがえせんぞ」


「そうです。その理事会です。その理事会で不正が行われたと、我々良識ある教師の一派は思っているのです」


「不正とは?」


「件のあの魔女ですよ。何百年にも渡ってこのリーングラード校に巣くう寄生虫です」


「はて、我が校の理事にそのような人物がいたかの?」


「とぼけないでください。この一件、あの鮮血の魔女が仕組んだことだというのはとっくの昔に広まっていますよ」


「ああ、そうか、寄生虫とはイリス殿のことか」


 カリーニンはそうくちにしたが、マッキャオの言葉をたしなめた。


「やれやれ、君が昔、彼女に教えを受けたが正式な弟子にはなれなかった、という話は聞いておるが、それでもかつて一度は師と仰ごうとした人物を寄生虫呼ばわりとは、不適切ではないかの」


「いいえ、適切です。そもそも私は自分からやつの弟子になることを拒んだのです。事実をねじ曲げないで頂きたい。これでは私が私怨でカイトとかいう小僧に意趣返しをしているようではありませんか」


 私怨以外のなにものにも見えないぞ、カリーニンはそうくちにしたかったが、沈黙によって節度を守った。


 ここで自分のくちでたしなめても良かったが、その必要はないだろう。


 カリーニンは他人の陰口が大嫌いであったが、本人の前で堂々と悪口をいうのには寛容であった。むしろ、腹にため込むよりも堂々と論議をし、決着をつけるべきだ。そう思っていた。


 だから、カリーニンは、マッキャオの後ろに件の鮮血の魔女、イリス・シーモアが真後ろにいることを指摘した。


 マッキャオの表情は見事なものであった。まるで喜劇に登場する間抜けな悪役のようであった。

 彼はそれまでの雄壮な態度が嘘のように脂汗をかいていた。

 その姿を氷の彫刻のような表情で見つめるイリス。

 彼女はその表情に相応しいクールな声を発した。


「なかなか口が達者になったじゃないか。それに事実をねじ曲げるのも得意になったな。貴様は覚えていなくても私は覚えているぞ。貴様が私の弟子になりたくて、連日のように菓子を手土産に私の研究室の門を叩いたことも。その菓子の中に黄金色の金貨がびっしり詰められていたことも」


 なんならそのときに突き返した額を正確にそらんじてみせようか? 

 イリスはそう嘲笑したが、マッキャオは即座に否定する。


「な、おれは、いや、私はそのような真似はしていない。……っく、この魔女め。このマッキャオ家の名誉を傷つけるのか」


「まさか。私にそのような意図はないよ。そもそも貴様に傷つくような名誉があるとも思えないがね。貴様は階梯に拘るが、その階梯はパパに買って貰ったものだろう。貴様自身はなんら研究成果もあげず、魔術師協会にも貢献せず、国や組織にも利益をもたらさなかった。その実力もよくてせいぜい第三階級だ」


「な、そ、そんなことはない。私はその実力で第五階級になったのだ」


「実力ね。貴様が学長室に入ったのを確認し、これ見よがしに転移したのに気がつかない程度の実力でよくそこまで吠えられるな。この部屋の前に留め置いた使い魔の存在にも気がつかなかったようだが」


 その嘲弄を聞いたマッキャオの顔は見事であった。最初、顔面を真っ赤にして怒ったかと思うと、その後、顔面を蒼白にさせる。


「……っく」


 マッキャオはそう漏らすと、拳を握りしめ、イリスを睨み付けるが、それ以上のことはしなかった。否、できなかった。


 すべて事実だったからである。それはその怒りをイリスに向けてもかなわないということだった。千回勝負を挑んでもマッキャオがイリスに勝つ可能性はゼロだろう。


 しかし、それでもその自尊心だけは第九階級級であった。

 それだけはイリスも認める。彼はこの期に及んでもまだイリスに食ってかかる。


「くそ……、そんなことはどうでもいい」


「よくはないと思うがね。だが、反論があるのならば拝聴しようか。かつては魔術の授業を受け持ったこともある生徒の言葉だ。聞き流してやらないこともない」


「ええい、うるさい! この魔女め! この際、おれのことなどどうでもいい。問題なのはあんたが職権を乱用してこの神聖な学院に薄汚い平民を招き入れようとしている事実をおれは怒っているのだ。いくらあんたがこの学院の理事でも、大賢者の称号を持つ人間でも、職権は乱用していいものではない」


 人の上に立つものほど、己を律しなければならないのだ、と、マッキャオは先ほど否定した学院の創始者の言葉を引用する。


 やれやれ、これだから小悪党は、と、イリスとカリーニンは同時にため息を漏らした。

 イリスは実際に、カリーニンは心の中で、であるが。


 あまりにもしようもない小人物だったのでイリスはこのまま不問にし、無視をしようかと思ったが、彼は自分で自分の舌に死刑執行のサインをする。


「ふん、正論を言ったらくちを開けなくなったか。まあいい、いくらあんたがこの学院の理事でもおれの父親は帝国の重臣だ。いいか、今後は身のほどをわきまえろよ。もしも、おれを侮辱するような発言をしたら、今度こそ許さないからな。おれはこの学院の貴族階級の教師のリーダーでもあるんだ。カイトという若造も。それに今度入学するというその娘も、いびり抜いてやるから」


 マッキャオがそうくちにした瞬間、院長室の空気が凍り付く。

 イリスは一瞬で身体に魔力をまとわせると、空間を歪めた。

 刹那でマッキャオの懐に転移すると、流れるような動作で彼ののど元に手を添える。

 実際には触れるほんのわずかの距離で手をとめる。

 マッキャオはその光景を呆然と見つめているしかなかった。

 イリスはその日、初めて怒気を見せた。

 彼女は神をも殺すかのような凄みある声でこう言い放った。


「私を寄生虫呼ばわりしようが、職権乱用者と吹聴すしようがいっこうにかまわない。半分事実だからな」


 イリスはそこで言葉を句切ると、殺意を込めるかのように続けた。


「だが、フィオナに手を出したら、たとえノイエ・ミラディン帝国の皇帝だろうが殺す」


 イリスはそう断言した。 

 そうしない、などという保証がどこにもないような表情をしていた。


 その表情に、いや、殺意に恐れおののいたマッキャオは、


「……わ、分かった」


 ぎろり、とイリスは睨みをきかせる。


「……い、いえ、分かりました」


 マッキャオは血の気の引いた顔で絞り出すように言った。

 彼はおぼつかぬ足取りで理事長室を出て行った。

 その後、二人切りになったカリーニンとイリス。

 二人はしばしの沈黙の後、会話を始めた。

 話しかけたのはカリーニンの方だった。


「やれやれ、鮮血の魔女よ。おぬしはこの理事長室を破壊する気か」


「あの男があの臭い口を開いてさらなる暴言を発していればそうなったかもしれないな」


「なるほど。しかし、あの男はクズであるが、一理はある。たしかにこのリーングラード校は生徒の出自は問わないが、教師の質は問う。どこの馬の骨とも分からないような人間は迎え入れたくない。これはワシの考えではなく、一部の保守的な教師連中の考え方じゃが」


「今回の一件でマッキャオのような保守派を激発させてしまう、と?」


「そうならない、という保証はないな」


「ならばそのときは辞表を一枚したためるだけさ。もちろん、その辞表は貴方のものではない。私のものだ」


「――イリス殿はそれくらいこのカイトとかいう青年を買っているのかね」


「さてね、自分でも分からない。ただ、ひとつだけ言えるのは、子供は可愛い、ということだな」


 その言葉を聞いたカリーニンは目を丸くする。

 意味を計りかねているのだろうか。

 イリスはカリーニンに説明する。


「私たちのように子を持たぬ人間には分からぬだろうが、子供は人を大きく変える力を持っているということだ。私の弟子はそれに私よりも早く気がついた。そして私を頼ってやってきた。頼られたからには全力で助けてやるのが師としての務めだろう」


 そう言ったがイリスは自分の中に芽生えた感情をカリーニンに理解して貰うつもりはなかった。

 ただ、カリーニンという老賢者のことは信用していた。

 イリスは最後に彼にこう託す。


「まあ、カイトという男は、なかなか機知に富んでいて、実力あふれる男だ。こっちの方は心配していない。保守派の嫌がらせなどものともしないだろう」


「なかなかの推しっぷりじゃの」


「やつはこの大賢者イリス・シーモアの最高にして最強の弟子だ」


 だが、と続ける。


「フィオナという娘の方はまだまだ頼りない。学院長、私はこの学院に常駐するわけにはいかないから、彼女の面倒を見て貰えないだろうか?」


 カリーニンは即座に、「便宜を図ろう」と返した。


 カリーニンの教育方針には依怙贔屓をしない、というものがあるが、それでもカリーニンはこの魔女のささやかな願いを拒絶するほど、狭量な人間ではなかった。


「まあ、彼女にはすこやかで楽しい学院生活を送って貰えるよう見守ろう」


 カリーニンがそう言うとイリスはその日初めて笑みを浮かべた。

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