娘の作文
リーングラード魔術学院の授業に作文というものがある。
授業自体、さして珍しくないが、来週、学院で発表される作文の題材は、『父親』についてであった。
まったく、悪趣味な題材である。
教師権限で題材を変更したいところだが、公国教育委員会の指示により、必ずその内容にせよ、というお達しが下ったのだ。
そうなると気になるのは娘フィオナが書く作文の内容であった。
自慢ではないが、千年賢者カイトは賢者としてはともかく、教師としては落第生である。
普段、あまり授業はぜず、自習や実験ばかり繰り返している。
また、家でもソファーで寝転がりながら書物を読んでいるか、実験室に閉じこもっている。
無論、娘との時間を大切にし、一緒に過ごすようにしているが、娘の父親に対する評価がどの程度であるか、その作文で判明してしまうような気がして、不安になってしまった
。
カイトはメイドであるクロエに頼み、娘の部屋に忍び込み、作文の内容を盗み見てくるように命じた。
忠実にして可憐なメイドは、にっこり微笑むと、
「いやですわ」
と言い放った。
この機械人形のメイドに主に逆らう機能を入れた覚えはないのだが、そう悩んでいるとメイドのクロエは言う。
「クロエはあるじ様に作って頂いた機械人形です。ですのであるじ様のことを常に一番に考えています。もしも、あるじ様が娘の作文を盗み、それがフィオナ様にばれたらどうなるでしょうか」
「きゃー、お父さん、素敵ー! ……とはならないわな」
「ええ、嫌われることはないでしょうが、あまりお勧めはしません」
「だけどなあ……」
それでも渋るカイト。
クロエの正しさを理解しつつもそれでも気になって仕方ないのだ。
このままでは不眠症になってしまう。
というか、実際、この二日間、ろくに寝ていなかった。
カイトの目の下にはくまができている。
そのことを知っていたクロエは、大きなため息をつくと「今回だけですよ」と前置きした上で、娘の作文を覗きに行ってくれた。
助かる、と心の底から感謝する。
今度、クロエに差す機械油をワンランク上に上げてやろう、そう思いながら彼女の後ろ姿を見送った。
――十数分後、彼女は戻ってくる。
「それでどうだった?」
と、食いつくように尋ねるカイトにクロエは言う。
「……ええと、それがですね」
クロエは申し訳なさそうに前置きすると、事情を話してくれた。
勉強机にちょこんと座り、件の作文を書く娘フィオナ。
そこにお菓子の差し入れを持ってやってきたクロエ。
クロエは作文の中身を見ることはなかった。
正確にはできなかった。
なぜならば作文は真っ白だったからである。
その報告を聞くと、カイトはこの世の終わりのような顔をした。
「お気をたしかに、あるじ様」
「やばい、俺はきっと娘にも呆れられているんだ。褒めるところがないから筆が進まないんだ」
「そんなことありませんよ。きっと、気分が乗っていないだけです」
「フィオナはめっちゃ筆が速いんだよ。将来、小説家でも食っていけるくらい。そんなフィオナがいまだに作文を書けないだなんて一大事だ」
「ならばここで改心して、良い教師になりますか? 毎日、ちゃんと授業して、研究も控えられて」
カイトは平然と首を横に振る。
「あ、それは無理。人間できることとできないことがある。だから俺はできることからやる」
と、カイトは机の上に置かれている一枚の紙切れを指さす。
そのチラシは『ドラゴン退治』のお知らせであった。
「それは?」
「学院の帰り道、冒険者ギルドの前で配られていた。なんでもこの公都の郊外に凶暴なドラゴンが出没するらしく、近く冒険者ギルドで討伐隊を組織して討伐におもむくらしい」
「なるほど、つまりその討伐隊に参加するのですね」
「まさか、群れるのが苦手でね。ひとりで行くよ」
「ひとり!? まさか、おひとりでドラゴンを退治されるのですか」
「そのつもりだけど?」
きょとんとするカイトにクロエは言う。
「そんなのは無謀です! 不可能です! ――と言いたいところですが、あるじ様はこの世界の六大賢者に次ぐ実力をお持ちの方、なんとかしてしまうでしょうね」
「そういうことだ。俺が颯爽とひとりでドラゴンを倒せば、娘の作文が進むんじゃないかな」
「おそらくは」
「なら話は早い。さっそく、行ってくるわ」
と、カイトは朝食のメニューを決めるよりもあっさりと出掛ける。
クロエに魔術師のローブをとってこさせると、それを羽織る。
杖さえ持っていかない。
玄関を飛び出すと、そのまま《飛翔》の魔法で公都の郊外に向かい、森に潜んでいるドラゴンを探す。
ドラゴンたちはとある冒険者パーティーと交戦中であった。
高レベルのパーティーであったが、彼らは大苦戦している。しかし、彼らの方が先約、黙ってその戦いを見ていたが中々決着がつかず、カイトはイライラしてきた。
そこでカイトはパーティのリーダー格の男に話しかける。
「おい、そこの戦士、このドラゴン退治の報酬はやるから、このドラゴンを倒す権利とドラゴンの牙をくれないか」
男は慌てながら答える。今にもドラゴンの爪で斬り殺されそうだったからだ。
「馬鹿者! 素人がこんなところに来るんじゃない! 殺されるぞ」
「それはOKととるぞ? なにせ、うちの娘は良い子でな。九時にはベッドに入ってしまうんだ」
カイトはそう言うと、軽く呪文を唱え、ドラゴンに《隕石落とし》の呪文を放つ。
薄暗い空、雲の間から轟音とともに隕石が落ちてくると、その隕石でドラゴンは吹き飛ぶ。
唖然とその光景を見つめる男。カイトは男に、
「報酬はお前たちのものだが、ドラゴン退治の功績は俺のものだからな。リーングラード学院の教師カイトが倒したとギルドに報告しておくように」
そう言い残すと、ドラゴンの牙をもぎ取り、家路についた。
この間、時間にして一時間ほどであった。
しかも、往復に使った時間が四〇分、見物していた時間もあるから、実際の戦闘は五分に満たない。
カイトは家に帰ると、ドラゴンを退治した旨をクロエに伝え、証拠と土産代わりにドラゴンの牙を持ってフィオナの部屋に行く。
娘は喜んでそれを受け取ったが、それでもなかなか作文を完成させられない。
「うーん」と、うなりながら机に向かい、頭を悩ませている。
娘はどうしても作文を書くことができないようだ。
カイトは慌てながらクロエに相談した。
「ど、どうしてだ。これほど書きやすい土産話を持ってきたのに」
そう嘆げいていると、クロエはくすくすと笑いながら教えてくれた。
「あるじ様、ご安心ください。なにもフィオナ様はあるじ様の褒めるところがないから作文に手こずっているわけではないのですよ」
「というと?」
「逆にあるじ様のことが『大好き』過ぎて、書きたいことが『たくさん』過ぎて悩んでいるのです」
それを証拠に、とクロエはゴミ箱を持ってくる。
そこにはくしゃくしゃに丸められた作文用紙の山が入っていた。
伸ばして読んでみるが、内容はカイトに対する尊敬、敬愛、愛情に満ちた文であった。
「フィオナ様は本当にあるじ様が大好きのようですね。作文は原稿用紙五枚が規定枚数のようですから、それに四苦八苦しているようです」
なるほどね、俺のことが大好きすぎて逆に書けないか。
嬉しくもこそばゆい言葉であるが、それを聞いてしまっては、これ以上、余計なことはできなかった。
黙って娘の部屋をあとにした。
後日、発表された娘の作文。その出だしは、
「わたしはお父さんのことが大好きです」
というなんのひねりもないものであったが、それを聞いた父親は随喜の涙を流したという。