うちの娘が世界一かわいい件について
雪の魔女を倒した俺たち一行。
これでめでたし、めでたし、となればいいのだが。
帰りの馬車の中でフィオナが尋ねてくる。
「クロエ、大丈夫かな?」
心底心配そうな顔だ。
「まあ、大丈夫だと思うけど」
俺はポリポリと己の頬を指でひっかく。
その様子にフィオナがさらに不安をつのらせているので訂正。
「いや、絶対大丈夫だよ」
と啖呵を切る。
なかば自分に言い聞かせるように。
アナスタシアを倒すことに夢中になっていて忘れたが、俺たちはクロエを助けるために雪の魔女の館に向かっていたのだ。
その目的を果たすことができるかは重要な案件であった。
「しかし、アナスタシアを倒すことはできたが、それでクロエは解放されるのであろうか」
もしもアナスタシアを殺さなければ呪いを解けないというのであれば、相当難易度が高い。
精神的にも物理的にも。
精神的には人殺しをしなければならないという十字架がのし掛かる。
物理的には不死身の魔女を倒さなければならないという問題が発生する。
どちらにしても今の俺には難しいことだった。
そんなことを考えながら帰り道につく。
「――ここで悩んでいても仕方ない。とりあえず家に帰って対策を練らないとな」
もしもクロエが目覚めなかったら、またアナスタシアのもとにおもむけばよい。
そのときは世界最強の助っ人、――師匠を連れて行けばなんとかなるだろう。
他力本願であるが、一度、雪の魔女と面会するという約束を果たしたのだ。
二度目の訪問は誰を連れて行こうとも文句を言われる筋合いはないはずである。
そう戦略を練ると、俺は自宅の扉を開いた。
長旅ではあったが、馬車が自宅に到着したのだ。
同伴者であった皇女ヴェロニカはここでお別れである。
「名残惜しくはあるが、ここでお別れだ」
ヴェロニカは本当に名残惜しそうに娘の手を握りしめ、別れを惜しむ。
まるで今生の別れのようだが、娘は冷静に諭す。
「あの、学院でいつでも会えますから」
「そうだな、学校でまた会える」
納得したヴェロニカは大人しく馬車に乗り込むと、自宅へと向かった。
その姿を軽く見届けると、俺とフィオナは我が家へと急ぐ。
一刻も早くクロエに会いたかったからだ。
乱暴に扉を開ける。
俺と娘はただいまを言うでもなく、クロエが寝ているであろう寝室へ向かった。
しかし、そこにはクロエはいなかった。
もぬけの身体。
ベッドで寝かしていたはずのクロエは綺麗さっぱり消えていた。
フィオナが尋ねてくる。
「お父さん、クロエがいないよ――」
そのか細い声をかき消すように聞き慣れた声が上書きされる。
「あるじ様、それにフィオナ様、お帰りなさいませ」
見ればメイド服を着た少女がこちらの方を見ていた。
彼女はホウキを片手に持ち、不思議そうな表情でこちらを見つめていた。
「クロエッ!」
フィオナはそう叫ぶと、駆け寄り、クロエの胸に飛び込む。
少し涙ぐんでいる。
いや、泣いている。フィオナは今回の旅で一度も見せることのなかった涙を見せていた。
今まで我慢していた涙を流していた。
その姿は健気でもあり、いじらしくもあった。
道中、俺やヴェロニカを心配させまいとずっと耐えていたのだ。
それがここにきて爆発したというか、クロエの動く姿を見て安心して涙腺がゆるんでしまったのだろう。
本人すら気がついていないようだが、指摘したりはしない。
子供が泣くのは当然であったし、ましてやフィオナは女の子、嬉しいときや悲しいときは我慢せずに思いっきり泣けばよいのである。
俺はしばし娘の子供らしい姿を見ている。
ついで長年の相棒であるクロエの姿を見る。
いつものメイド服だ。
この帝都にやってきたときに買ってやったメイド服を着ている。
いや、エプロンドレスか。
凝視するが、胸からは植物のツタは出ていない。
それはつまり雪の魔女の呪いが解けたことを意味するのだろう。
そう推察していると、クロエは破顔した。
「あるじ様、命の差し入れありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げる。
その言葉だとどうやらクロエは自分の身の上に起きたことを把握しているらしい。
完全に意識を失っていたと思ったのだが、どうやらそれは見当違いだったようだ。
俺がその旨を話すと、クロエはゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、クロエは倒れたことも、倒れている間も完全に意識を失っていましたよ。呪いが解けたあとも自分の身になにが起きたのかと、目をぱちくりとさせていたくらいです」
「それじゃあ、クロエはわたしたちが呪いを解きに行ったことを誰に聞いたの?」
質問をしたのはフィオナだった。
娘は不思議そうな顔をしながら、首をかしげている。
「うーん」と悩んでいるフィオナ。
俺はおおよそ答えを察しているのだが、娘の悩む姿は可愛らしいので、しばし黙っていることにする。
その間、俺は自分の考えを補強する。
我が家は、クロエの得意料理、ビーフシチューの香りに包まれている。
この料理は牛のスジ肉を煮込むから、丸一日調理時間がかかるはずだ。
クロエは少なくとも24時間以上前に情報を仕入れていたことになる。
雪の魔女の館は我が家から一週間は掛かる。
つまり、クロエに事情を伝えられるのは、その館から馬車よりも速く戻ってこられる人物だけだった。
そのヒントを娘に伝えると、娘は春の雪解けのような笑顔を浮かべ、
「分かった!」
と言った。
ついで、フィオナはその人物の名を口にする。
「伯母さまが伝えてくれたんだね」
フィオナがそう言うと、「正解!」とばかりに奥の扉が開く。
そこから見知った人物、俺の師匠にしてフィオナの伯母であるイリス・シーモアが入ってくる。
彼女は俺たち父娘を見るなり、こう言った。
「よくぞ、無事に戻った。我が弟子に我が姪よ」
皮肉を言うことなく、まっとうに褒めてくれる。
なんだかこそばゆい気持ちであるが、俺は師匠に礼を言う。
「ありがとうございます、師匠」
師匠はその言葉にとぼける。
「はて、礼を言われることなどしていないが」
俺は師匠がアナスタシアの治療をし、その後、説得してくれたことを知っていたが、師匠はあくまで黙っているつもりのようだ。
師匠らしい、そう思った。
結局、師匠は雪の魔女との戦いに参戦できなかった。たぶん、師匠はそのことに忸怩たる思いがあるのだろう。
可愛い姪の危機に駆けつけられなかったことを情けなく思っているのかもしれない。
師匠らしいといえば師匠らしい。
なので俺はあえてそのことには触れないことにした。
「まだ頭に雪が残っているようですが、その件は置いておきます」
「うむ、賢明だな」
「ですが、クロエの心臓に巻きついていたツタを取ってくれたのは師匠でしょう。その礼を言っておきます」
「お前がアナスタシアを倒した時点で呪いは解けていたよ」
「でも、ツタの残骸を取ってくれたのは師匠でしょう? 案外、あれを取るのは面倒なのですよ。丸一日掛かる」
「たしかに面倒な作業だった」
「その作業を師匠が負担してくれたから、俺たち父娘は家に帰るなり、クロエの牛スジシチューが食べられるのです。それに対しては感謝しないと」
俺がそう言うと、フィオナも呼応する。
「感謝しないと、ね」
娘はそう言ってウィンクすると、師匠の背中を押し、食卓の上座に連れて行く。
師匠が席に着くと同時に、クロエがなべ敷きと鍋を持ってくる。無論、その中に入っているのは秘伝のシチューだ。
フィオナはオーブンから焼きたてのパンを籠に入れると、ついでに食器棚にあるピクルスを持ってくる。自家製のだ。
一方、俺も手持ち無沙汰だったので、ワインセラーからワインを持ってくる。
師匠が好きな、654年ものの白ワインだ。
その光景を見て我が師匠は幸せそうに微笑んでいた。
その夜、俺は珍しく酔うくらい師匠と酒を飲んだ。
白ワインに赤ワイン、エール酒に果実酒、家にあるアルコールというアルコールをすべて飲み干す勢いであった。
クロエとフィオナが目を丸くするくらいであった。
「普段はあまりお酒を飲まないお父さんが珍しいね」
「ですね、クロエもこんなにお酒を飲むあるじ様を見るのは久しぶりです。かれこれ500年の付き合いですが」
ふたりはそう言うが、特に注意をするでもなく、俺に酒を注いでくれた。
その間、フィオナたちも俺の酒に付き合ってくれた。
無論、フィオナは未成年なのでお酒はなし。果実ジュースでだが。
俺たち『家族』は深夜になるまで、小さな酒宴を楽しんだ。
その夜――
酒宴も終わり、師匠も俺も酔いつぶれる。
「この私を酔わせてどうするつもりだ」
とは1200年生きた魔女の言葉であるが、どうするかなど決まっていた。
クロエに命じると師匠を客間に放り込む。
「まへぇ、わらしはフィオナと寝るのら!」
と、最後まで抵抗したが、所詮は泥酔した魔女、怪力の持ち主である機械仕掛けの少女にかなうわけもなく、黙ってベッドに放り込まれるとそのままいびきをかいて寝た。
「Zzzzzzz、ぐがぁー!」
およそ女性とは思えぬ豪快ないびきであったが、師匠らしいといえば師匠らしい。
娘もそれには同意のようで、
「すごいいびきだね」
と笑う。
それにうなずくと娘はおへそ丸出しの師匠に毛布をかける。
俺たちは部屋を出る。
そのとき、千鳥足の俺に肩を貸してくれる。
娘の小さな方の感触を堪能すると、こんな言葉を漏らす。
「なんだかいっぺんに歳をとった気がする」
「お父さんはまだまだ若いよ」
「おだててもなにもでないぞ」
「事実を言ったまでだよ」
娘はくすくすと笑う。
その声がどこか遠くに聞こえる。
娘はこんなにも近くにいるのになぜだろうか。
そんなことを考えていると、俺にも睡魔がやってきた。
それに身を任せると、娘の肩の上で意識を失った。
気がつくと、森の中に居た。
そこには白亜の教会がある。
参列者の中には見知った顔が。
ハーモニアにイスマ、それに師匠がいる。
他にも俺のクラスの生徒は全員いて、学院長や他の教員、ヴェロニカなどもいた。
もちろん、我が家のメイドさんもいる。彼女はこのような席でもメイド服だ。
「このような席?」
俺が反芻すると、横にいたウサギ型の亜人が教えてくれる。
「今から始まるのは結婚式、世にも美しい花嫁が見られるよ」
世にも美しい花嫁とは誰だろうか。
俺が尋ねるとそのウサギはいつの間にか消えていた。
変わって教会の扉から真っ白な花嫁衣裳を着た少女が現れる。
その少女――、いや、女性は見知った女性であった。
というか、我が娘フィオナであった。
16~17歳くらいに成長している我が娘は、にこやかな笑顔で花嫁衣裳を身にまとい、手には色とりどりの花々で造られたブーケを握り締めていた。
その姿を見て俺は即座に察する。
「そうか、これは夢か」
ならば得心する。
フィオナが成長していることも、フィオナが成長しているのにクラスメイトが成長していないことも。漆黒の魔女がしおらしく結婚式に参加していることも。
「夢を見るなど久しぶりだ」
そうつぶやくと、これが夢であることを補強するかのように、場面が切り替わる。
リーンゴーン!
場面は打って変わり、いきなりクライマックスシーン、どうやら花婿が現れたようだ。
割れんばかりの拍手が鳴り響く。
まったく持ってうるさいし、不愉快であるが、それでも俺は花婿の顔が見たかった。
祝福の拍手を送る群衆を掻き分け、ヴァージンロードを歩いているであろう花嫁と花婿の姿を見る。
ちなみに賢者の夢は現実になる予知夢になる、とは古来から言われていることであった。
つまり、俺がこれから見る人物がフィオナの花婿、つまり俺の義理の息子になる確率は高い。
そう思うと是が非でも顔を拝んでおきたいのだが、なぜだか、娘に近寄ることさえできなかった。
「くそ、どうしてだ」
必死で人ごみを掻き分けようとするが、いくら掻き分けてもヴァージンロードには近づけない。
ならば魔術師らしく空を飛んでみるが、俺が唱える魔法は虚しくかき消せられるだけであった。
俺は造物主――、つまり神の悪意を感じたが、それでも諦めずに人を掻き分け、娘の傍に向かった。
俺の努力を神が認めてくれたのだろうか。
力を振り絞り、人を掻き分けると、光明がさす。
先ほどまで道を塞いでいた群集が、二つに割れ、道が開く。
俺と花嫁、花婿の間に遮るものはない。
俺は眼を見開き、しっかりと見つめた。
世界一可愛い我が娘の伴侶の顔を。
世界一美しい我が娘の横にいた青年の顔は見知った人物であった。
その人物とは――。
朝、起きると昨晩見た夢のことなど忘れてしまっていた。
なにか大事な夢を見たような気がするが、それがどんな内容であったか思い出せない。
娘に関わる大事な夢だったような気がするのだが。
ベッドの上に「うーん」と腕を組んでうなっていると、ドアが開く。
そこから現れたのはフィオナであった。
フィオナは「うーん、うーん」唸っている俺を無視すると、体重を感じさせない軽やかな足取りで部屋の窓を開ける。
一気に清潔な空気と朝日が室内を満たす。
陽光が娘の金髪を照らし、天使のよう見えた。
その姿を見ると、夢のことなど消し飛んでしまう。
俺は、
「おはよう、お父さん」
と、微笑む娘を見てこう思った。
今、書いている研究成果をまとめた学術書のタイトルは決まりだな、と。
「うちの娘が世界一かわいい件について」
うん、完璧なタイトルだ。
千年のときを生きた賢者は心の中で自画自賛すると、もう一度娘をいとおしげに眺めた。
やはり、うちの娘は何度見ても世界一可愛らしかった。
最後までお読みくださりありがとうございました!
後日、外伝などを投稿するのでブックマークはそのままにしておいて頂けると嬉しいです。
ここまで書き上げることができたのは、なろうの読者の皆様のおかげです。
ありがとうございます!
今後も本作と作者を応援ください。