雪の魔女の最後 †
千年賢者と雪の魔女の激闘が終わったのち、そこに鮮血の魔女と呼ばれる女が現れる。
この世界の6大賢者のひとりで、この館の主アナスタシアとは旧知の間でもあった。
過去、何度も敵対、ときには共闘し、この世界の有事に立ち向かったこともある。
100年ほど前にも死闘を繰り広げたが、決着はまだついていなかった。
両者の実力は伯仲し、容易に決着がつかなかったのである。
ただ、それも今日までのこと、とアナスタシアは思っていた。
今現在、アナスタシアとイリスの間には埋めようもない実力差があった。
今の状態ならばアナスタシアを容易に葬り去ることができるだろう。
それくらいアナスタシアは弱っていた。
鮮血の魔女と呼称されるこの女がこの瞬間を見逃すわけがない、そう思った。
氷付けにされて氷河に放り込まれるか、
地中深くに埋められ化石にされるか、
あるいはもっとおぞましい方法で始末されるか。
それは分からなかったが、ともかく、アナスタシアはすべてを受け入れるつもりでいた。
あの男、カイトに負けた瞬間からすべてがどうでも良くなっていた。
カイトの禁呪魔法をまともに食らい動けなくなっているアナスタシアに、イリスは語りかける。
「くっくっく、哀れなものだな。あの雪の魔女がこのように地べたを這いずり回っているだなんて」
「……見ての通りよ。あなたの弟子の強烈な一撃を食らってね。今なら封印するなり、幽閉するなり、お好きにできるわ」
「傷つき弱っている女に追い打ちを掛けるほど落ちぶれてはいないよ」
イリスはそう言い切ると、地面に横たわっていたアナスタシアの肩を掴む。
そのままアナスタシアを抱え込むと、無言で館に連れて行く。
そこにはアナスタシアの従者たちがいたが、イリスは彼らに的確に指示を飛ばす。
「沸騰した湯、それに清潔な包帯、あとはマンドラゴラの秘薬があれば用意しろ」
その指示を聞いて驚いたのは従者たちではなく、抱きかかえられているアナスタシアの方だった。
「気でも狂ったの? 妾を介抱するだなんて」
「その台詞は我が愚弟子にいってくれ。私はお前を封印するためにこんな片田舎に来たのに、それに反対されたのだから」
「千年賢者が妾を?」
「聞き違いではないぞ。たしかにカイトは言った。アナスタシアのことは許してやってくれと」
「…………」
その言葉を聞き黙り込むアナスタシア。
「……小賢しい男ね。最後に情を掛ければ妾が改心するとでも思っているのね。それならば見当違いよ。もしも回復したら、真っ先に復讐をしにいくわ」
「勘違いするな。別に情を掛けたわけではない。ただ、娘の前で殺人はしたくない、カイトはそう言っただけだよ。もしもまた娘に手を出すなら、そのときは容赦しないそうだ」
「次は負けないわ。今回の敗因はあのホムンクルスに手を出したことだから。次は同じ轍は踏まない。カイトだけを叩きのめす。そうすれば実力通りの結果がもたらされるはず」
「完璧な計算だな」
「当たり前でしょう。妾は雪の魔女よ」
「完璧な計算だが、ひとつだけ問題がある」
「問題?」
「ああ、それは実行不可能と言うことだよ。それが唯一にして最大の問題さね」
鮮血の魔女はそこで言葉を句切ると続ける。
「まず第一に、今度カイトに手を出したら私が参戦する。この鮮血の魔女と千年賢者ふたりを的に回して勝てるつもりか?」
「…………」
沈黙によって答えるアナスタシア。
「それにカイトに手を出せば、必ずフィオナも参戦してこよう。父親の窮地を黙って見過ごす娘ではないからな。我が姪は」
「…………」
「というわけでアナスタシアよ。お前の計画は実行不可能だ。諦めるのだな」
さらなる沈黙によって答えるアナスタシア。
その姿を見てイリスは苦笑を漏らす。
「……なにが面白い。鮮血の魔女よ」
「いや、自分でもこんな危険人物をなぜ手当しなければならない、と呆れていてな」
「ならばやめればいいじゃない。なにも誰もこんなことは頼んでいないわ」
「いいや、頼まれたのだよ」
「だれに?」
「フィオナだよ。かわいい姪っこさ」
イリスは頬を緩ませながら繰り返す。世界一かわいい姪っこだ、と。
「フィオナは言った。
伯母様、どうかアナスタシアさんを許してあげてください。
アナスタシアさんを助けてあげてください。
アナスタシアさんは悪い人じゃないと思うんです。
わたしには分かるんです。
わたしとアナスタシアさんは似ているんです。
わたしとアナスタシアさんはただただお父さんが好きで、ただただお父さんの役に立ちたくて。
でも、歯車が少し狂ってしまって、アナスタシアさんはあんなことになっちゃっただけなんです。
アナスタシアさんはもうひとりのわたしなんです。
だからきっといつか分かり合えると思うんです」
「以上、これが私がお前を介抱する理由だよ。世界一かわいい姪に頼まれたからだ。他意はない」
イリスは黙々とアナスタシアの手当を続ける。
アナスタシアにはそれをはね除ける体力が残されていたが、黙ってイリスの介抱を受けるしかなかった。
最後にイリスは言う。
「フィオナは、同じ錬金術馬鹿の父親を持つお前に親近感を感じたのかもしれないな。
一方はどんなことがあっても娘を実験台にすることのない親馬鹿賢者だが、逆に娘の方は喜んで実験台になる馬鹿娘だ」
「どういう意味?」
と怪訝な表情を浮かべる。
「そのままの意味だよ。フィオナはカイトにこう申し出ていた。もしもアナスタシアさんの身体をもとに戻すのにわたしの身体が必要なら、わたしを実験台にして、お父さん、と」
「…………」
「本当に優しい子だよ。私の姪とは思えない優しさだ。――もしもあの子を泣かすような真似をしたら、私は一生お前を許さないぞ」
イリスはそう締めくくると、以後、口を黙してアナスタシアの治療に専念した。
アナスタシアも余計な口は一切聞かなかった。
イリスの治療行為は数日に渡り、アナスタシアの体力と魔力はもとに戻ったが、アナスタシアは体力を取り戻しても館を出ることはなかった。
カイト父娘に感化されたのか、それともイリスに恐れをなしたのかは分からないが、雪の魔女と呼ばれた女は、以後、カイトとフィオナの前に現れることはなかった。